世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

すいません。。仕事が、忙しいです!!休みないです!!
本当はセンター試験の解説をしたいのですが、自分の体力がもちません

今回、国共合作がわからないというリクエストを受けたので、基本形だけシンプルに説明したいと思います

まず国共合作は、国民党と共産党が一緒に頑張るよということです

また第1次と第2次の登場人物を混同しないでください
第1次国共合作(1924)では、国民党の主役は孫文、共産党は陳独秀です

-孫文-
2014-12-5_22-28-45

この国共合作の目的は、2つです。
1.軍閥打倒(内側の敵)
2.列強の打倒(外側の敵)


軍閥は、今のイスラム国を見ればわかります。かっこいいこといってますが、自分の私腹を肥やすために、結局暴力を使う集団です

国民党と共産党は、真逆の価値観ですが、共通する部分があります。それは中国の統一です。ただこの1点で仲良くします。本当にギリギリの連携です

この均衡が崩れるのが、孫文の死(1925)です国民党を引き継いだ蒋介石は、軍閥よりも共産党を危険視しています

-蒋介石-
2015-2-2_0-52-25

1926年、軍閥打倒を開始しますが、彼の支援者は上海を牛耳る浙江財閥です。この上海が労働者、つまり共産党勢力に支配されかかったため、1927年上海クーデタを起こして、蒋介石は共産党を切り捨てます

金持ち支援の国民党は、どうしても労働者の味方、共産党とは手を結べませんでした

これを変える機会が、皮肉にも日本によって引き起こされます。1936年、いよいよ日本の中国への圧力が強まってきた頃、蒋介石が軍閥の有力者張学良に拉致される事件が起きました。これを西安事件といいます。

この時、必死の説得を試みたのが、共産党の周恩来です。トップも陳独秀⇒毛沢東に代わっています。

-周恩来-
2015-2-2_1-5-23

これによって蒋介石は考えを改め、第2次国共合作(1937)がなるわけです。実際、国共合作間際には盧溝橋事件が発生し、日本の侵攻はいよいよ始まっていました

第2次の目的は、ただ1つ日本打倒でしょう
第1次・第2次国共合作は、登場人物・政党の価値観・敵は誰かを骨組みで押さえれば、後は細かい知識をつめるだけだと思います

最後に語呂です
いくつよ(1924)、第1次国共合作。いくつなん(1927)だっけ?上海クーデタ。
くさる(936)西安、くさるな(937)第2次国共合作

以上です。皆さんの受験シーズンに簡単なものしかだせず、申し訳ない

■スポンサードリンク

これだけ、外国に無茶苦茶されてる中国です。「これは、そもそも中国をまとめてる清自体に問題がある」と思う人が多くでてきます

これが辛亥革命(1911~12)という清を倒す運動につながっていきます

一応、清側も義和団事件の衝撃があるので、光緒新制という改革運動を行ないます。ココには、西太后も噛んでますから、未来が見えてます

だって、光緒帝は改革運動を展開しようと模索して、西太后に潰された人間です。同じメンバで、同じことをやる。こんな矛盾したことはありません

■講義 part93 -中国分割-
http://world-history.blog.jp/archives/15110967.html
※戊戌の変法

ただ、いくつかの良いことは実施しています。以下がそれです。

1.科挙の廃止(1905)
2.憲法大綱(1908)
3.国会開設公約(1908)
4.軍機処の廃止(1911)


語呂です
科挙の廃止に行く礼子(1905)おや(08)!?憲法大綱・国会開設、軍機処廃止はいい(11)ですね

簡単にいうと、今までの中国文化否定欧米模倣です。科挙なんか、598年の隋から続いたものです。これを廃止したのは凄いと思います

この背景には、模倣に成功した日本があると思います。日本はアジアには絶対ムリと思われた欧米の一角、ロシアを撃破するまで激変していたからです

天皇をトップにいただく日本のシステムは、清の皇帝をトップに近代化したい新生清政府にとって、仕切り直しに絶好のモデルです。彼らの意図はよく理解できます

しかしながら、もっと根本的な部分から変えないと、もう間に合わないと思っていた人がいます。それが、孫文(1866~1922)です

-孫文-
2014-12-5_22-28-45

孫文は、まず1894年ハワイ興中会を設立します。場所は特徴的なので、けっこう聞かれます。

語呂です
白紙(894)に戻そう、興中会

これ、ドレフュス事件の語呂と同じです。当たり前です。同じ年に起きた事件だからです。世界史は、いろいろな場所を勉強するので、時間軸グチャグチャになると思いますが、そういう時に年号暗記は重要です。同年に起きた出来事は、まとめて覚えておきましょうね!!

■講義 part86 -帝国主義時代(フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/9988564.html
※ドレフュス事件

この他の革命団体として、章炳麟・蔡元培光復会黄興華興会があります。これらの革命団体が1905年東京で統一されます。それが中国同盟会です

興中会+光復会+華興会=中国同盟会

この団体は、機関誌「民報」で、国民を革命へと鼓舞します。彼らのスローガンは以下になります。

■三民主義
・民族の独立…他国なんかに侵略されず、自立するぞ
・民権の伸長…国民の権利を強くするぞ
・民生の安定…国民の生活を安定させるぞ


■四大綱領
・駆除韃虜…清朝を倒す
・恢復中華…強い中国の復活
・創立民国…国民の誕生
・平均地権…土地はみんなのもの

孫文たちは、以上のことを清ができないと思ってます。それが象徴的に現れたのが、幹線鉄道の国有化(1911)です

これは、外国からお金を借りるため、鉄道を担保にしたいがため、民間から鉄道利権を取り上げた事件です。これは中国の人にとって、売国的に映ったわけです

もちろん、お金は四国借款団といわれる英・米・仏・独から借りる予定でした。この国有化事件をキッカケに、四川暴動が起きます。また連鎖的に、武昌蜂起も起きました

ここが重要なのが、武昌では軍部が、国民の側についたことです。2014年9月、香港で反政府デモが起きましたが、おそらくこのデモ自体は鎮圧されるでしょう。軍部が協力するかが、革命の成功させる上でのポイントです

■2014年香港反政府デモ
http://ja.wikipedia.org/wiki/2014%E5%B9%B4%E9%A6%99%E6%B8%AF%E5%8F%8D%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%83%87%E3%83%A2

辛亥革命と今の中国の決定的な違いは経済です。今でも各地で中国各地で暴動が起きていますが、経済が発展しているうちは大丈夫です。辛亥革命時は、鉄道担保に金を借りようとしてるわけですからね

経済が悪化した時、それが中国が辛亥革命のようなことになると、私は見ています。注意深く、ニュースを見ていてください

軍部の中で、寝返ったボスで有名なのは、袁世凱です。彼は、西洋式軍隊の新軍といわれる軍隊のうち、北洋軍のボスでした

こうして、清は倒れ、1912年中華民国が、南京に成立します

孫文たちは、軍隊の力を必要としていましたから、彼をリーダーとして認めます。彼は、そのため臨時大総統といわれるものになりました

1912年には、宋教仁らが国民党を立ち上げ、袁世凱の暴走を止めようとしましたが、宋教仁自身は、暗殺されてしまいました

袁世凱には、国民のためなどという思いなどなく、自分が皇帝になりたいという野心しかありません。1913年には帝政を開始します

これは猛反発を招き、彼自身病死したこともあって、なんとか取り消しになりましたが、権力をうまく1点に集中できない状態が続き、軍部が各地の勢力を、自分の領土のように扱う、軍閥といわれる勢力の伸長を許してしまうことになりました

中国が真の意味での統一をするのは、毛沢東の登場まで待つ必要がありました

-毛沢東-
2014-12-5_23-55-10

次回は、アジアの民族運動いきます

■スポンサードリンク

前回の講義で、海外にいいようにやられた中国を説明しました。中国国民の中にも、これに対する反発があります

その思いが結実したのが、義和団事件(1900~1901)です。キリがいい年代に発生してるので、サックリ覚えてください

これは山東省を根拠にした白蓮教系の義和団が起こした、外国排斥運動です。スローガンは「扶清滅洋」です。中国のスローガンは、よく正誤問題で出題されます

まずは、中国の省名は有名所を暗記です。「この事件は、何省で起きましたか?」みたいな設問多いです

-山東省-
2014-11-16_15-10-6

次にスローガンですが、よく太平天国の乱(1851~64)と逆にして、聞かれます。こっちのスローガンは、「滅満興漢」でしたね


■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※太平天国の乱

「扶清滅洋」ですが、扶養家族といった言葉から想像できるように、には「助ける」という意味があります。「けて、滅茶苦茶する西してやる」で、彼らの考えが理解できると思います

太平天国の乱時代は、アヘン戦争(1840~42)とアロー戦争(1856~60)の間に起きてます。中国分割が起き始めた段階では、中国人の意識は、内部のよそ者である清に向かっています

多数派の漢人から見れば、万里の長城の向こう側から来たはよそ者ですだから、外国勢力に混乱させられ、ナンバーワンであることを証明できない清に怒りが向いてます

だから、「滅満興漢」です。清の母体民族、「州人をぼして、人の国を復させる」になるわけですね

■講義 part27 -清-
http://world-history.blog.jp/archives/1849214.html

これが義和団事件になると、継続的に中国が蹂躙されているわけですから、清⇒外国に対象が移動したのは理解できます

このように流れを理解できていれば、スローガンをどっちか忘れても、時代背景から、推量して答えに到達できます。なので、この一連の流れ、押さえておいてください

この義和団事件ですが、清で防げない外国勢力を、国民で防ぐことなんかできません。日・露・英・仏・米・独・墺・伊というオールスターで、ボコボコにされます

これを8ヵ国共同出兵といいます。義和団事件を終わらせた条約は、北京議定書です。決まり事がけっこうありましたが、北京駐兵権が一番重要です

アロー戦争を終わらせた北京条約では、公使の駐在が認められてましたが、今回は軍に格上げされてます。北京条約・北京議定書似てますね

つまり、駐在駐兵は正誤問題で聞かれます

そしてこの駐在を利用して、満州、今の遼寧省のあたりまで、伸長してきたのが、ロシアです。ロシアは、この好機を利用して、朝鮮にまで手をだそうとします

この時期の日本外交の良さは、世界NO1の国と手を握ったことです。この当時のNO1は、イギリスです。イギリスは、「光栄ある孤立」という名のもとに、同盟を結ばない風土がありましたが、ロシアの南下政策の野心を警戒していました

イギリスは、外交政策を変更し、日英同盟(1902)が成立します。朝鮮の権益にロシアが侵入したきたわけですから、日本は戦争の決断に入ります

朝鮮を譲歩して渡しても、「次は九州くれ、四国くれ」と要求がエスカレートするわけですから、日本はもう戦う以外の選択肢がありません

それが日露戦争(1904~05)です

日本はコツコツ勝利を重ね、なんとか旅順・大連を攻略します。これらの影響で、ロシア国内に厭戦気分が高まり、血の日曜日事件が1905年1月におきます

■講義 part88 -帝国主義時代(ロシア)-
http://world-history.blog.jp/archives/11098268.html
※血の日曜日事件

戦争に勝てないと、内部がグラつきだすのは典型的な話です。日本もギリギリの勝利を続けています。1905年3月奉天会戦にも勝ちましたが、まだロシアは降参しませんでした

-奉天-
2014-11-16_19-54-9

ロシアのプライド、バルチック艦隊が、わざわざバルト海から来ていたからです。すごい距離をきてます。その艦隊が、日本海軍と決戦します。それが、日本海海戦(1905年5月)です

-バルト海-
2014-11-16_20-7-59

これにも日本は、勝利しました。相手が半年かけて、来たことで疲労というアドバンテージがありましたが、日本海軍は、ロシア艦隊をほぼ壊滅させることに成功しました

朝鮮半島と日本には、日本海という海があり、もしロシアが勝利していたら、日本の権益が分断される最悪の事態が発生していました。その中での大勝利です

アメリカのセオドア=ローズヴェルトの仲介で、日本・ロシアの間にポーツマス条約が締結されます

■ポーツマス条約(1905年9月)
[日本全権・小村寿太郎 ロシア全権・ウィッテ]
・韓国の保護権
・遼東半島南部
・南満州鉄道(長春~旅順間)
・南樺太


韓国の領有は、清・ロシア・日本で争っていました。以下の流れで、日本の帰属になります

日清戦争⇒清×
日露戦争⇒露×


この当時の日米関係は、友好でしたから、ポーツマス条約の前に桂・タフト協定(1905年7月)があって、韓国は日本のもの、フィリピンは米のものと認め合ってます

このあたりあるので、韓国の人は、アメリカに守ってもらいながら、アメリカを嫌いという複雑な感情を持つことになります

日本の韓国領土化に文句をいう国はいんかうなってので、段階的に吸収していきます。それが日韓協約です

第1次日韓協約(1904)
第2次日韓協約(1905)…韓国の保護国化に成功
第3次日韓協約(1907)…韓国軍隊を解散

※第3次は、ハーグ密使事件で皇帝高宗が日本支配の不当を訴えて、失敗し、これをキッカケに協約が結ばれました

1909年には、初代韓国統監伊藤博文が、安重根に暗殺されます。韓国には皮肉ですが、これを理由に、1910年韓国併合が行われました

併合後は、統治機関として朝鮮総督府がおかれます。初代総督は、寺内正毅です。統監・総督は似た表現です。つまり正誤問題で聞かれます

このあたりまでの日本の戦略は、合理的で良かったと思います。まず世界NO1と手を組むということ。各国の同意を得て、韓国を併合したこと。条約においても、賠償金を要求せず、内情を鑑みて、領土だけで我慢したこと。自分の実力にあった、最大限の努力ができていたと思います

ここから先の日本は、本当に終わりの始まりだと思います。。。

次回、中国の辛亥革命いきます

■スポンサードリンク

このページのトップヘ