世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

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-米報道官、防空識別圏「運用しないように」-

中国が設定した防空識別圏について、アメリカ・ホワイトハウスの報道官は、中国に対し、具体的な行動を起こさないよう改めて求めました。

 「アメリカは中国に対し、防空識別圏の運用を実行にうつさないよう求める」(アメリカ カーニー大統領報道官)

 ホワイトハウスのカーニー報道官は、中国政府が、尖閣諸島上空を含む緊張の高い地域で日本や韓国など周辺諸国との協議なしに防空識別圏を設定したことは、地域の緊張をさらに高め、偶発的な衝突が起きかねない挑発的な行動だとした上で、具体的な行動をとらないよう中国に要求しました。

 さらに、アメリカの航空会社が飛行計画を中国当局に提出しているのは、あくまで航空業界の慣行に基づく会社側の判断であり、アメリカの航空当局が提出を求めたものではなく、中国の設定した防空識別圏を認めないという方針について日米両政府は一致していると強調しました。

 一方、3日、安倍総理大臣と会談し、防空識別圏の問題で日米が緊密に連携していくことを確認したアメリカのバイデン副大統領は、4日午後、訪問先の北京で中国の習近平国家主席と会談し、直接懸念を伝える考えです。

-引用元-
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20131204-00000024-jnn-int

■説明
2013年11月23日、中国政府は東シナ海に「防空識別圏」を設定しましたね
これを、世界史の知識で解釈したいと思います
※以下、色付けされたものが、世界史の受験でも聞かれます


これは、尖閣諸島という領土問題が絡んでいます


ここの領有権を主張するのは、日本・中国台湾です


中国と台湾は、第二次世界大戦後、
毛沢東率いる共産党蒋介石率いる国民党で戦いがあり、
毛沢東が勝ちました


その結果、蒋介石が逃げて作ったのが台湾です

中国は台湾を中国の一部と考えています

しかし、台湾は中国融和派と独立派で意見が分かれています

なので、中国と台湾は立場がだいぶ違います


今回、中国政府は尖閣諸島上空を含めて、自分たちの監視区域だよと宣言しました
日本はすでに1969年に防空識別圏を設定しています


お互い重なり合う地域を指定しているので、例えば飛行機同士の紛争が起きても不思議ではありません

それでは、何故中国は、このようなことをするのでしょうか?

中国は、帝国主義的思考で世の中を見ています


帝国主義は、軍事的力を借りて、他国の犠牲のもとに自国の利益をあげることです
第二次世界大戦は、帝国主義国家同士の戦争だったため、戦後デメリットの多すぎるこの方式は、放棄されました


しかし、中国政府は捨てていません


日本人の感覚で、外国を考えると理解ができません
そのため、中国を理解する時、帝国主義という概念を覚えておいてください


中国の頭に絶えずあるのが、アメリカです
中国は、世界をアメリカと山分けしたいと考えています


彼らの最終的な太平洋への影響範囲は、グァムorハワイぐらいまでを考えています
中国の立場にたつと、日本は太平洋に進出するための障害物でしかありません


最初の障害物が、尖閣諸島であり、次の獲物が沖縄になります
そのような文脈で、今回の防空識別圏を考えると、事情が把握できると思います

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アレクサンドロス大王による広大な領土統治は、
彼が早くに亡くなったことで、すぐに国家が分裂してしまいました


ローマは、長い年月をかけて政治を発展させて、たとえ広大な領土でも長期統治に成功しました

しかしながら、皆さんも聞いたことがあると思いますが、「ローマは、1日にしてならず」です

今回のテーマは、共和政ローマについてです


共和政は、どういう意味かというと複数の人間による統治をさします
なので、王様や元首がいる場合、それは共和政とはいいません

個人による統治か、複数による統治かで区別してください


当初イタリアは、エトルリア人が統治していました

そこにローマ人があらわれます

彼らは滅亡したトロヤから逃げてきて、ローマを建都したとされています

伝説では狼に育てられたロムルスの名をとって、ローマとなりました
この都は、ティベル河畔に作られました


前509年に、エトルリア人の支配から独立し、共和政ローマが始まりました

ローマの最高機関は、元老院といいます

建都当初は、パトリキ(貴族)によって支配されていました

元老院の中から最高責任者は、2名選出されます
それをコンスル(執政官)といいます


戦争などの非常時には、1名のディクタトル(独裁官)を起きました
現在でも独裁者は、英語でディクテーターといい、この言葉が語源となります


ローマの最初の200年は、貴族の政治独占状態を平民が崩していく歴史です
平民は、プレブスといいます


まずは前494年、聖山事件が起きます
これはプレブスが、山に立て籠もって権利獲得を主張する事件でした

結果、護民官という平民を代表する官職が設置されました

護民官には、元老院やコンスルの決定事項に対して、拒否権を持っていました

後には、護民官を選出する組織として、平民会ができました


前450年頃には、十二表法が制定され、法律によって貴族の独走を防ぐようにしました


前367年には、リキニウス-セクスティウス法が制定されます
ポイントは、2つです


1.コンスルの内1名は、必ず平民出身にする
2.公有地の大土地所有の制限


覚え方は、見るな(367)リキニウス-セクスティウス法でお願いします


前287年ホルテンシウス法が制定され、平民会も元老院と同じように法律を作れるようになりました


通やな~(287)ホルテンシウス法で覚えてください


この法律をもって、貴族と平民の平等が確立されました

この頃になると、ギリシア植民市であったマグナ=グレキア(南イタリア)を支配におさめました

ローマのイタリア半島の統治方法は、分割統治といいます

これは、支配した都市の扱いに差をつける方法です


植民市…ローマと同等の権利

自治市…ほぼローマと同じだが、参政権なし

同盟市…市民権ないが、従軍義務あり


これによって、都市同士を反目させ、同盟を組んでローマに攻撃するのを防ぎました
そうしてイタリア半島を統一したローマは、次に注目した土地がシチリアでした

シチリアは当時、穀倉地帯として有名で、ローマ以外にも狙っていた国がありました

それがカルタゴです


この2国間で行われた戦争がポエニ戦争(前264~前146)です
次回は、ポエニ戦争から始めましょう

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ギリシアが内戦状態にあったのは、すでに話したと思います
そこで着実に力を蓄えたのは、マケドニアでした

マケドニアのフィリッポス2世は、テーベに人質になった経験があります
この不幸な経験が、逆に彼を成長させます


アテネ・スパルタ衰亡以後、一番力があったのがテーベでした
そこで彼は学ぶことができました

ギリシアの強みであるファランクスも勉強できました

彼は、その戦法をさらに洗練させました


彼の戦術は、部隊を重装歩兵と軽装歩兵に分け、重装歩兵で相手の部隊を足止めし、
軽装歩兵で側面や背後を攻撃する戦法でした


これが完全に成功しました


前338年にアテネ・テーベ連合軍をカイロネイアの戦いで破ります


耳は(338)、温ったカイロネイアの戦い、覚えてくださいね


その後、コリント同盟によって、ギリシアを傘下におさめます

彼亡き後にマケドニアを継承したのがアレクサンドロス大王でした

彼のターゲットは、今までギリシアを苦しめたペルシアでした


前334年東方遠征を開始します


さみし(334)くないよ、東方遠征で覚えましょう


アレクサンドロス大王は、アケメネス朝のダレイオス3世
イッソス(前333)、アルベラ(前331)の戦い破ります


これによって、アケメネス朝は、ついに滅亡しました(前330)

アレクサンドロス大王は、遠征の中で自分の名前のついた町を建設していきました
それをアレクサンドリアといいます

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特に有名なのが、エジプトのアレクサンドリアですね
現在もある町です


彼の支配地域は、ギリシアはもちろん、エジプト・中東をおさえ、
インドと国境を接するまでになりました


しかし、運悪く彼は33歳で病気で亡くなりました
一説には、マラリアが原因だろうといわれています


一瞬で巨大化した領土の中で、王が若くして亡くなりましたから、
マケドニア領土内は、後継者選びで、揉めに揉めました


これをディアドコイ(後継者)の争いといいます


結果、国は以下の3つに分裂します


・アンティゴノス朝マケドニア
・セレウコス朝シリア
・プトレマイオス朝エジプト


この中でセレウコス朝シリアは、最大領土を確保していましたが、
イラン系パルティアギリシア系バクトリアに、次第に領土を奪われていきました


このような目まぐるしい変化の中で、かつてはなかった文化交流が起きました
インドにまで領土を伸ばしたことで、アジアの文化も流入し、エジプトやギリシアの文化と
混ざり合いました


そのようにして生まれたものが、ヘレニズムといいます
多くの人種、民族の交流により、国を超えた世界市民的考えが普及しました

これを世界市民主義(コスモポリタニズム)といいます


このような意識の中で、共通言語を使おうとう雰囲気ができました
その結果できたのが、コイネーというものでした


今でいう英語のように、広大な領土内でも意志疎通が可能になりました


エジプトのアレクサンドリアには、ムセイオンという研究所が作られ、文化が保護されました

もちろん多くの自然科学、文化が花開くことになりました

ムセイオンからは、幾何学を研究したエウクレイデスが現れ、あのアルキメデスも学びました
ちなみに彼は、シチリア島のシラクサ出身です


アリスタルコス太陽中心説を唱え、エラトステネスは地球を球形と考えました
現代の私たちから見ても、納得できる研究結果ですよね


人間の幸福についても考える人がでてきました


ゼノンは、幸福を心の平静と考え、禁欲的生活を重視するストア派を設立しました
ストイック(禁欲的)という言葉の語源ですね


エピクロスは、幸福を快楽にあると考え、エピクロス派を作りました
これを後に、過度に快楽を追及する方向に傾斜していきました


最後に彫像ですが、これは「ミロのヴィーナス」「瀕死のガリア人」「ラオコーン」を画像込みで覚えてください
よく画像で、問題が出題されます


以上です

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