世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

それでは、ローマ文化史はいります

■ローマ文化史

まずは、詩人から行きましょう

ヴェルギリウスの「アエネイス」、ホラティウスの「叙情詩集」を覚えてください

ヴェルギリウスの本で、主人公アエネイスは、トロヤ戦争後、イタリアにいって、
その子孫がローマ建国に関わる的なことを書いてます


ブラッド・ピットの「トロヤ」を見ると、最後にこのエピソードにふれてます


政治家・作家として有名なのが、キケロ(前106~前43)です
彼は、「国家論」という本を書いてます


また、コンスルという共和政ローマの最高職につくほど、優秀でした
カエサルをライバルとし、最終的なアントニウスの刺客に暗殺されました


次に哲学系を話しましょう


幸福論」を書いたセネカは、有名です。ストア派の哲学者です
彼を暴君といわれるネロの先生をしていたことも記憶しておいてください


他のストア派は、マルクス=アウレリウス=アントニヌスですね
ローマの全盛期、最後の五賢帝ですね。彼は「自省録」という本を書きました


プロティノスは、新プラトン主義を創始しました
プラトンといえば、イデアでしたね。哲学は、本来宗教的なものから距離を置きますが、
新プラトン主義は、神秘主義的傾向が強く、宗教的でした


どういうことかというと、イデアは、この世界に理想界という場所があるという考えです
このイデアを見た人は誰もいません。言葉や感覚を越えたものです
なので、解釈がいくらでも成り立ちます


プラトン自身は、イデアを言葉で説明して近づこうとしましたが、プロティノスは肉体という牢獄を抜けて、
魂を近づけようとしました


特に日本人は、宗教が苦手なので何を言っているのかわからない人も多いと思います
今後ヨーロッパ文化史は、「哲学 対 宗教」の構図が重要になります


簡単なキーワードだけでも、覚えておいてください


哲学は、どんなに難しいことも言葉で把握しようとします
対して宗教は、言葉よりも体験や思いを重視します。信仰と置き換えてもよいです


言葉信仰の対立、これだけで理解はスッキリすると思います


次に歴史家を話しましょう。まずは、2人覚えてください


ポリビオス…「ローマ史」、政体循環史観も重要

リヴィウス…「ローマ建国史


政体循環史観は政治システムが、

君主政⇒暴君政⇒貴族政⇒寡頭政⇒民主政⇒衆愚政⇒君主政

とまわることです


ポリビオスはギリシア人なので、自分の国の流れを見て、
この考えにいたったのだと思います


あとは、ローマからみて外国のことがわかる歴史資料があります

カエサルの「ガリア戦記」とタキトゥスの「ゲルマニア」です

ガリアは、どこでしたっけ?そうです、フランスです


プルタルコスの「対比列伝」という面白い本もあります
これは、当時のギリシア・ローマの英雄を比較する番付表みたいな所があります


次に地理です
地理関係は1人だけ、ストラボンを覚えましょう。彼は「地理誌」を書きました


プリニウスは、百科事典として「博物誌」を書きました
彼はヴェスヴィオス火山の噴火(79)を調べて、亡くなったとされています


天文学では、プトレマイオスがおり、天動説を主張しました
キリスト教は、この説を採用したため、ヨーロッパの宇宙観は天動説で1000年ぐらい続きます


建築では、ローマといえば道ですよね。アッピア街道(ローマ~カプア間)なんかよく聞かれます

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あとはコロッセウムガール水道橋を覚えておいてください


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ちなみにガール水道橋は、南フランスのマルセイユの近くにあります
フランス留学時代に観光しましたが、デカイです


暦も一つ覚えましょう。カエサルが制定したユリウス暦ですね
この暦法は、ほとんど今のシステムと違いはありません。
今はより閏年を厳密に定義したグレゴリ暦です


■キリスト教史

宗教は難しいですよね。ここは要点だけいきます


創始者は、イエスですね。これは皆さん知っていると思います
イエス・キリストなどということもあると思います


このキリストは、ギリシア語で救世主の意味です
ヘブライ語では、メシアですね


彼が、十字架にかけられて処刑されたのは知っていますよね?
これは、ローマの典型的な処刑方法です


なので、殺した人はローマ領ユダヤ総督のポンティウス=ピラトゥスです
単純にピラトともいわれます


キリスト教の最初は弾圧の歴史です。これは当たり前です。
彼らのトップは神ですが、ローマ領土内でそれを言えば、皇帝は嫌がります。


イエス死後も長い間、イエスの代弁者である教皇と皇帝が対立します

イエスの弟子、使徒といいますが、ペテロパウロも弾圧されて処刑されます

ペテロは、使徒の最高位と考えら初代教皇として、ローマにねむっています

パウロは、東方各地の布教で活躍しました


2人とも暴君ネロによって、処刑されています


彼らはそのため、地下に潜って宗教活動を続けます
彼らの隠れた信仰場所をカタコンベといいます


イエス以後の聖書は、従来の聖書と区別するため、「新約聖書」といわれます

結局、彼らが日の目を見るのは、ミラノ勅令(313)までかかったのは、前回話しましたね

イエスは30年頃亡くなったといわれていますから、300年迫害されたわけです


ニケーア公会議(325)の後も、何が正統派なのかが、絶えず会議にかけられます


背教者ユリアヌス(位361~363)が、ミトラ教というものに興味をもって、
キリスト教を再度蔑ろにしましたが、395年にローマは国教化しましたね


その後も会議は開催されました。それはエフェソス公会議(431)です
エフェソスもニケーアと同じで小アジアの都市です


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ペロポネソス戦争が、前431年でしたね?ここから前を取ると、エフェソス公会議です


余罪(431)追及、エフェソス公会議で行きましょう


ここでの異端は、ネストリウス派です

この派閥の考えは、イエスの神的部分人間的部分分離して考えるというものです
これは最初人間だったけど、神になったということです


なぜ、このように考えるかというと、マリアの存在があるからです
イエスが神なら、マリアは神を産んだことになります

これを避けるため、ネストリウス派の考えは生まれました


最後が、カルケドン公会議(451)です


陽子一番(451)、カルケドン公会議で覚えましょう


異端になった考えは、単性論です
単性論は、イエスに神としての部分しかないという考えでした


これで、古代ローマ史は終了です。次は、中国史にはいります

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カラカラ帝以後も、ローマは守りの運営です

ローマは、ヨーロッパ・中東・アフリカと強大な領土運営にお金がかかります

従来は、新しい領土を獲得することで、財を増やせましたが、それができません

国内の財を生むシステムであるラティフンディアも機能不全に陥ります

ラティフンディアは、奴隷を軸とするシステムでしたから、
領土獲得によって新たな奴隷を補充できません


そのため、コロヌスという奴隷より身分の高い農奴身分がうまれました
コロヌスは、結婚も認められていました

しかし奴隷は、結婚を認めれません。勢力の拡大、反乱を恐れていたからです

この時代からは、今ある資源の継続利用です

使い捨てから継続利用への変更です
これをコロナートゥスといいます


皇帝にとって統治が難しいため、求心力が低下します
こういう時にでてくるのは、だいたい軍人です


ニュースを注意深く見てください。国が混乱すると、必ず軍部がでてきます
東南アジアのタイやミャンマーが、今そのような感じです


このような軍人がでる時代を軍人皇帝時代(235~284)といいます


軍人皇帝文子(235)は、庭師(284)で覚えましょう


約50年に26人の皇帝がうまれましたね。まさに混乱期です
ヴァレリアヌス(位253~260)などは、国王のくせにササン朝に捕虜になったりしています


この混乱期を抑えたのが、ディオクレティアヌス(位284~305)です
彼は、ドミナートゥス(専制君主制)を始めます

これは、官僚を利用して行われました

彼は軍人の力を削減し、官僚で国家を統治しました

広大な領土は、正帝2名・副帝2名の4分統治に切り替えました


そして、皇帝礼拝を強要しました
そのため、キリスト教を迫害しました


ローマの伝統は、多神教なので、キリスト教迫害は理解できます
彼らにとって異端の宗教だからです


しかし、コンスタンティヌス(位324~337)はキリスト教を公認しました
これは、313年ミラノ勅令によってです


さー、いざ(313)認めるミラノ勅令とでも覚えてください


キリスト教一派は、当時すでに無視できないほどの力を持っていました
迫害から、公認への変更です


さらにニケーア公会議(325)では、三位一体説をとるアタナシウス派正統とし、
イエスを人間と考えたアリウス派異端とされました

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ピンクで塗った場所がニケーアです


ニケーア光子(325)で覚えてください


コンスタンティヌスは、さらにビザンティウムへの遷都を行い、コンスタンティノープルと改称しました
ここは、現在トルコの都市で、イスタンブルと言います


テオドシウス(位379~395)には、キリスト教は国教化されました(392)


さー、国(392)キリスト国教化で覚えましょう


キリストを認めることは、明らかな国力の弱体化です
彼らは、神がトップであって、皇帝をトップとは必ず認めません

395年には、ついにローマは、西ローマと東ローマに分裂してしまいました


時代錯誤(395)の東西分裂と覚えていきましょう

ここからヨーロッパは、1000年程度キリスト教が力を持った時代となります
次回は、ローマ文化史です

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内乱の一世紀を通じて、ローマが学んだことがあります
それは共和政ローマのシステムでは、もう動けないということです


共和政は、複数の人で統治するシステムでしたね

領土が増えるにつれ、迅速な対応が必要となり、ゆっくり政治を決めることはできませんでした

そのことに気づいていたのが、カエサルです

彼は、ガリア遠征で武勲をあげていました

ちなみにガリアは、今のフランスです


前回、三頭政治の話をしましたが、パルティアとの戦闘でクラッススが亡くなったことで、
この微妙な均衡が崩れます


カエサル vs ポンペイウス


まさに一騎打ちです。ポンペイウスの後ろ盾は、旧勢力の元老院です

これをカエサルは討ち、終身独裁官たるインペラトルの称号を手に入れます

この言葉は、エンペラー(皇帝)の語源になります


歴史の常なのですが、劇的な改革を行う者は、必ず殺されます
カエサルも友人であったブルートゥスに改革半ばで、殺されてしまいました


カエサルは、数百年続いたローマの伝統を破壊しようとした男です
恨まれるのは必然でしたし、彼のように先を見ることのできる人は、あまりいませんでした

日本でいえば、織田信長とかもそうですね
最近でいえば、歴史上の人物と比較すると小ぶりですが、堀江貴文(ホリエモン)も同じ流れで失脚していますね


カエサル死後、3人の有力者があらわれます
アントニウスレピドゥス、そしてカエサルの養子だったオクタヴィアヌスです


これを第2回三頭政治(前43)といいます

第一回とあわせて、人物を覚えましょう

典型的な正誤問題として、「第二回三頭政治で活躍したカエサルは…」のような形で聞かれます

覚え方は、ポンくらカエサル、あんこ送れです


ポン…ポンペイウス
くら…クラッスス
カエサル…もちろんカエサル

あん…アントニウス
おく…オクタヴィアヌス
れ…レピドゥス


年号の覚え方は、以下のようにしてください

群れ(60)る三頭政治、帝政示唆(43)


最終的に勝ち残ったのは、オクタヴィアヌスです

彼が、アクティウムの海戦(前31)でアントニウス・クレオパトラ連合軍を破ります


唐突ですが、皆さんもクレオパトラの名前ぐらいは知っていますよね?
彼女は、この時代の人です。アントニウスの彼女でした。さらにカエサルの元カノです

おそらくですが、当時弱小のエジプトを生き残らせるために、
意図的にローマの有力者と付き合っていたと思います


彼氏であるアントニウスが亡くなると同時に、
彼女の国だったプトレマイオス朝エジプトも滅んでいますから、間違いありません


その後、オクタヴィアヌスは、元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を受けます
この言葉、8月を意味するAugustの語源です


彼は、一市民として国民のために頑張る意志をしめします
しかし、実際は独裁体制をしいています


この政治をプリンキパトゥス(元首政)といいます

前27年から帝政ローマがスタートします


オクタヴィアヌスは、カエサルの失敗をよく学んでいたと思います
表面上、もっとも強い抵抗勢力であった元老院をうまく抱き込んで、
いうことを聞くような素振りをしながら、時間をかけた独裁体制を完成させました


彼のやり方は、「出る杭は打たれる」から学び、「杭がどこにあるのか気づかせない」
ということだと思います


ここからのローマは安定期です


キリスト教を迫害(64年)したネロ帝なども例外的にいましたが、
五賢帝時代(96~180)という連続して優秀な皇帝を輩出した時代が来ます


苦労(96)言い張れ(180)、五賢帝で覚えましょう


■五賢帝
ネルヴァ
トラヤヌス
ハドリアヌス
アントニヌス=ピウス
マルクス=アウレリウス=アントニヌス


この5人は、全部覚えます
一番聞かれるのは、トラヤヌスです
彼の時代に、ローマ帝国が最大領土になります
ダキア(ルーマニア)に遠征もしています

-参考 wikipedia-

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次に聞かれるのが、マルクス=アウレリウス=アントニヌスです
禁欲を重んじるストア派を学んでいます。そのため、哲人皇帝といわれます


アウグストゥスから五賢帝時代の終わりまでの安定期は、
ローマの平和(パックス=ロマーナ)といわれます


これ以後のローマは、守りの時代です
領土も広がらないので、頑張ると収入がガンガンあがる時代が終わり、
今あるものの中で、どう生活するかを考えるようになりました


となると、大部分を形成する属州のことが気になりますね
絶えず反乱される恐れがあるわけです


そこに手をつけたのが、カラカラ帝(位211~217)です
彼は、属州とイタリアの差別待遇を改めて、属州にも同等のローマ市民権を与えました
大浴場建設なんかも有名です


彼のしたことは、今のアメリカやフランスに似ていますね
同じ領域内に住む人間を、人種・民族問わず、等しくローマ市民と考えたわけです


日本も近い将来、同様の決断が迫られる時が来ると思います
移民の受け入れですね。好むと好まざるとに関わらず、移民の決断は迫られます


それはなぜか?


人口が減少するからです。


これは、日本経済に致命的なダメージを与えます
おそらく解決できる手段は2つしかありません。どちらかの選択が迫られます


1.出生率をあげる、つまり日本人が子供をもっと産むということです
2.移民を受けいれる


このような文脈から、カラカラ帝の苦悩を学んでもいいかもしれませんね

彼の苦悩は、近い将来のわれわれの苦悩です

次回は、帝政ローマの後半部分を解説します

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