世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

今日は、ギリシア文化史です

出題頻度の高いものをピックアップしていきます


まずは、ホメロスです
彼の作品は、最古の大叙事詩である「イリアス」「オデュッセイア

この最古とか、最盛期とかは、ホントによく聞かれるパターンです

必ず覚えてくださいね


この作品は、「イリアス」がトロヤ戦争、「オデュッセイア」が戦争後を描いてます


この作品を考古学者のシュリーマンは大好きでした

多くの人は想像上の話と考えていましたが、彼は本当の出来事と考え、
トロヤ文明を発見しました

意外にも、神話が実話だったというのは珍しくありません
ノアの箱舟なども、当時本当に大洪水があったことは、地層調査で判明しています


あとは、ヘシオドスの「労働と日々」も有名です

ギリシア唯一の女性詩人サッフォーも、女性がキーワードで聞かれます


ギリシア人は、当時吟遊詩人の歌を聴いたり、劇場で舞台を見るのが好きでした
特に彼らが好きなジャンルが、悲劇です


悲劇的な話を聞いて、涙を流し、心を洗うのが大好きでした
これをカタルシス(浄化)といいます


ギリシアの悲劇作家は、3人有名です
アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスです

作品とセットで覚えてください


アイスキュロス…「アガメムノン

ソフォクレス…「オイディプス

エウリピデス…「メディア


喜劇作家は、1人だけ覚えましょう


アリストファネス…「女の平和


またギリシアは、哲学発祥の地としても有名です
倫理の授業などでも、西洋哲学を学ぶ場合ギリシアから始まりますね


まずギリシア人は、自然がなにによって構成されているかを考えました
これを自然哲学といいます


例えばミレトス出身のタレースは、万物の根源をと考えました


ピタゴラスは、万物の根源をと考えました
この人は、ピタゴラスの定理で有名ですね


ヘラクレイトスは、万物の根源をと考え、「万物は流転する」の言葉を残しています


デモクリトスは、万物の根源を原子(アトム)と考えました


アテネなどを想像していただくと理解できると思いますが、
彼らは大人になったら参政権があり、全員が政治家といっても過言ではありません


そのため、哲学的な教養や合理的なトークが求められました
その中で相手に話勝つための派閥として、ソフィストというのが現れました


有名なのが、プロタゴラスです
彼は「人間は万物の尺度」であるといいました
つまり相対主義ですね


ソフィストの中から、口だけ達者な屁理屈人間が多くあらわれ、
内容の伴わない話は、いかがなものかという風潮がうまれました


相対主義に対抗する形であらわれたのが、ソクラテスでした
彼は、客観的な真理は存在すると考えました


その弟子として有名なのが、プラトンです
彼はイデア論を主張しました

イデアは、アイデアの語源です。つまり理想という意味ですね
現実世界は、イデアのコピーという考え方です


これは、後に生まれるキリスト教の考えに強く影響を与えました
キリスト教は、イデアを天国に言い換えただけで、ほとんどプラトンの考え方で構成されています


プラトンは、自分の考えを広めるために学校を作りました。それをアカデメイアといいます
アカデミーの語源ですね


そのプラトンの弟子が、アリストテレスです
彼はアレクサンドロス大王の家庭教師として有名でした


歴史家も2人覚えましょう
ギリシアの大きな戦争といえば、ペルシア戦争とペロポネソス戦争でしたね


ペルシア戦争について記したのが、ヘロドトスの「歴史」です
この人は、「エジプトはナイルのたまもの」といったことでも有名ですね


ペロポネソス戦争は、トゥキディデスの「歴史」です


極めて紛らわしいので、ペルシア戦争の「歴史」・ペロポネソス戦争の「歴史」とセットで覚えてください


彫像では、フェイディアスの「アテネ女神像」ですね


建築様式も複数ありますが、ひとまずパルテノン神殿ドーリア式というのだけは、
必ず記憶してください

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いままで順調なギリシアでしたが、ついに最大の敵が来襲します
それは、アケメネス朝ペルシア(前550~前330)です


この戦争をペルシア戦争(前500~前449)といいます

発端は、前500年に起きたイオニア植民市ミレトスの反乱です
この都市は、小アジアにあります


このミレトスとアテネは友好関係にありました
なので、この反乱を裏でアテネは支援します


これにアケメネス朝が、気づかないはずがありません
ついにエーゲ海をわたり、ギリシア本土に侵攻を開始します


この時のアケメネス朝の王は、ダレイオス1世です
以前、でましたね。


アケメネス朝の最盛期の王です

創始者や最盛期、そして最後の王の名前は、よく世界史で聞かれるパターンです
必ず覚えましょう!!


前490年マラトンの戦いが発生しました

これに、アテネが勝利します

この時、勝利の伝令がマラトンからアテネまで走ったから、
マラソンという言葉が生まれたのは有名ですね


次には、前480年に大規模戦闘が発生します
この時、ペルシアの王は、クセルクセスに代わっています


この時、クセルクセスは、数万とも数十万ともいえる軍を派遣しました
一方、レオニダス率いるスパルタは、これを向い打ちましたが、テルモピレーの戦いで全滅しました


ギリシア最強のスパルタが全滅したのですから、普通士気は下がるのですが、
逆にあがりました。それは、スパルタ兵が一兵たりとも、投降することなく、討死したからです

ギリシアは、この勇敢な行為に鼓舞されました


逆転を狙うアテネは、同年のサラミスの海戦で、ペルシア軍を船の動きの取りづらい場所に誘い込み、
見事全滅させました


ちなみにこの時、アテネの貧しい市民(無産市民)が、船の漕ぎ手として参加したため、
後に参政権を得ることになります


翌、前479年、アテネ・スパルタ連合軍は、陸戦でも勝利を収めました
それをプラタイアの戦いといいます


この時、効果的だった戦術が、重装歩兵ファランクスというものです
画像で見るとわかるのですが、おしくらまんじゅうのようになって、
槍を突き出し、盾を亀の甲羅のようにして戦うのが、このファランクスです


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ついにペルシア軍を駆逐したギリシアは、再度の攻撃に備えるため、
アテネを中心にデロス同盟を結成しました


以後、ペルシアの脅威は去ったのですが、ギリシアの覇権をめぐり、
スパルタが挑戦します


アテネは、次第にデロス同盟を私物化していました
加盟ポリスは、アテネへの貢租(税金のようなもの)が義務化されていました


スパルタは、これに危機感を抱き、ペロポネソス同盟を結成し、
前431年ペロポネソス戦争を起こしました


余罪(431)追及、ペロポネソス戦争と年代を覚えてください


この時、アテネ側の主導者は、ペリクレスでした
アテネに民主主義を導入した人ですね

彼は、スパルタに対して籠城作戦を行いました

ちょっと、これがうまくいきませんでした


アテネで伝染病が発生し、籠城している側が、大きなダメージを受けました
さらにペリクレス自身が病死してしまいます


その後、アテネは民主主義の悪い部分が噴き出ます
口だけ綺麗なことをいい、中身のない扇動政治家(デマゴーゴス)によって、
アテネは、内部からグチャグチャになります


結果、この戦争はスパルタの勝利に終わります

スパルタが覇権を握ることになりましたが、皮肉にもこれがスパルタを崩壊させます


スパルタは、一匹狼のようなポリスで、独自に動いていました
しかし、ギリシアのトップになったことで富がスパルタに流入しました
ここで貧富の格差が生まれ、スパルタの戦士を生み出す従来のシステムが機能しなくなりました


この隙をつき、テーベというポリスが一時期ギリシアを支配しました


もうわかると思いますが、ペルシア戦争以後、ギリシアは内乱につぐ、内乱です
全体的なギリシアの国力は落ちる一方です


ここで新たな勢力になったのが、隣国マケドニアでした

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前回、1000以上のポリスがあった話はしましたね

ギリシア人自身力を持ち始めたので、国土を越えてポリスを形成することができるようになりました
これを植民市といいます


有名なのは、以下の4つです。
この情報は、有名大学合格レベルのものです


ビザンティン(現・イスタンブル)
マッシリア(現・マルセイユ)
ネアポリス(現・ナポリ)
シラクサ(シチリア島の町)


ひとまず、ギリシアで聞かれる有名なポリスは、アテネとスパルタです


スパルタは、軍事に特化されたポリスです

リュクルゴスという王様が、このポリスの気風を作りました
スパルタ教育という言葉は、ココから生まれています


ドーリア人によって形成されたこのポリスは、厳格な身分制度で運営されてます


・スパルティアタイ(市民) 5000人
ペリオイコイ(劣格市民) 20000人
ヘロット(奴隷) 50000人


この人口比でわかると思いますが、市民の10倍の奴隷がいます
反乱が起きると、ヤバイですね

なので、1人で10人倒せるぐらいの圧倒的な強さが必要ですね
こうやって戦士の国家ができました


対してアテネは、政治の技術を洗練させました

ここは、イオニア人のポリスです

当初は、アテネは王政でしたが、貴族がアルコンというポリスを運営する職を占有します
これによって貴族政に移行しました。


これに平民は、反発しました

貴族の中にもマズイと思う人はいて、ドラコンという人は法律を作って、
貴族の恣意的な運営を牽制しました


こうした中でも、平民の不満は溜まっています

そこで新たにソロンが改革にのりだします

これは前594年のことです


ゴロ合わせでは、ソロンの獄死(ゴクシ)といいますね

彼の改革は、ざっといって2つです


1.借金の帳消し

これは、アテネの根幹を揺るがす問題でした
当時の市民は、貴族・平民含めて国を守る戦士です
借金のかたに奴隷になる人間が増えると、アテネというコミュニティが守れません
そのため、借金を帳消しにしました


2.財産政治の実施
身分を4つに分け、財産に応じて、アテネでの政治・軍事の役割を決めました
つまり平民に希望を与えました。
「がんばれば、君も政治に関われるよ」というメッセージです


ここで、アテネを揺るがすイレギュラーな男が出現します
ペイシストラトスといいます。彼は平民の不満を利用します

貴族から財産を没収して、平民に分配しました

多数派は、平民なので、これで貴族政が崩れます
そして、彼は王になりました。これは非合法的な手段だったので、僭主といわれます


ペイシストラトスは、よくアテネを統治しましたが、権力は引き継いだ子供は暴君でした
そのため僭主政治も良くないとことをアテネ市民は学びました


この僭主政治を防ぐため、クレイステネスオストラシズム(陶片追放)を考案しました

このシステムは、投票で危険人物の名前を書いてもらい、
ある票数溜まると、追放できるものでした


最終的には、ぺリクレス18歳以上青年男子に国の運営に参加できるようにしました

これを可能にしたのが、ギリシアを揺るがしたペルシア戦争(前500~前449)によるものです

次回は、ペルシア戦争に言及したいと思います

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