世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

帝国主義時代のフランスは、第三共和政(1870~1940)の時代です。ナポレオン3世が、ビスマルクに負けてしまい、この体制が始まります

■講義 part68 -ドイツの統一-
http://world-history.blog.jp/archives/6184102.html
※ビスマルク情報

■講義 part69 -フランスの第二帝政・第三共和政-
http://world-history.blog.jp/archives/6498346.html
※ナポレオン3世情報

19世紀末
あたりのフランスは、イギリスと植民地獲得をめぐって、揉めています。アフリカ・東南アジアで、けっこうぶつかります

さらにビスマルク外交のおかげで、フランスは有力な同盟国持てず苦しんでいましたフランスにとって幸いだったのは、ビスマルクが国王と揉めて、退位(1890)したことです

これで展開が変わります。即座に露仏同盟(1891~94)が結ばれます

このような中で、2つの大きな事件がフランスで起きます。それがブーランジェ事件(1887~89)とドレフュス事件(1894~99)です

ブーランジェ事件は、クーデタ未遂事件です。クーデタ(coup d'État)は、実はフランス語です。直訳すると「国をぶっとばす」です

ブーランジェの身分は、軍人です。彼は、ドイツに負けた国民の悔しさを利用して、国のトップになろうとしました。これで、けっこう国が揺れましたが、失敗しています

次の事件は、反ユダヤ主義、つまり差別とリンクしています。ユダヤ人のドレフュスが、スパイとして、捕まりまりましたが、真犯人が捕まり、彼は無実と軍部はわかります

しかし、面子のため、彼のユダヤ人という素性を利用して、フランス人の差別感情を煽り、あくまでドレフュスを犯人にして、押し切ろうとしました

下画像は、軍人の権利を剥奪されて、剣を折られているドレフュスの図です。中央左手が、ドレフュスです

-ドレフュス事件-
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※wikipedhia

まず差別ですが、欧米人にはユダヤ人への差別意識があります。日本人には、これが本当に理解できません。キリスト教の歴史と密接に関わっている問題です

ユダヤ人は、ユダヤ教という固有の宗教を持っており、キリスト教と違います。相違点は、簡単です。「救世主として、イエスを認めるか、認めないか」です

ユダヤ人は、最後の救世主をいまだ待ち望む宗教です

■講義 part15 -ローマ文化史-
http://world-history.blog.jp/archives/1512252.html
※キリスト教史

ここが、キリスト教が大半を占める欧米で、嫌がられる根拠です。

19世紀ともなると、こういった差別意識と戦う人々がでてきます。有名人は、自然主義作家のゾラです。「居酒屋」で有名でしたね。彼が、この非道に猛烈に抗議します


-ゾラ-
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■講義 part74 -19世紀の欧米文化史①(文学・美術)-
http://world-history.blog.jp/archives/7728455.html
※ゾラ情報

他にも、政治家のクレマンソー(在任1906~09、17~20)もドレフュス側にたちました。彼は、後にフランスの首相まで上り詰めます

彼らの努力もあり、ドレフュスは無実となります

語呂です
白紙(1894)に戻そう、ドレフュス事件

これを見たヘルツルという人は、ユダヤ人国家の建設を運動化させるシオニズムを行うことになります。結果として、これでイスラエルが建国されますから、ドレフュス事件の歴史的重みは、凄いと思います

この時期は、労働組合も盛んです。フランス最大の組合は、労働総同盟(CGT)といいます。彼らは議会主義を否定し、過激に労働者の権利を求めていきました

これを、サンディカリズムといいます

このような中で、2つの有名な社会主義政党が生まれます。それが小ブルジョワ・小農民を支持基盤とする急進社会党と、第2インターナショナルがきっかけで結成されたフランス社会党ができます

フランス社会党は、今の社会党の原型になっていきます。ちなみに今のフランス大統領は、社会党のオランド(在任2012~)です

-オランド-
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■講義 part77 -19世紀の欧米文化史④(探検・国際的諸運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/8659280.html
※第2インターナショナル情報

次回は、帝国主義時代(ドイツ・ロシア)行きましょう

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さて、帝国主義((始まり1870~1890頃)~第一次世界大戦)について語りましょう

簡単にいうと、軍事力で無理矢理、他国を服従させて、自国の利益を増やす方式です。かつて、ジャイアンに似ていると説明しました

ニュース part5 -クリミア問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7333122.html

この時代の経済と軍事は、密接にリンクしてます。今のアメリカにも、この傾向は強いです。産業革命以後、世界経済は凄い勢いで拡大していました

また莫大なお金を集めた会社は、より大きくなるため、3つの形態を取りました。それは、カルテル・トラスト・コンツェルンです

カルテル…企業連合。同一業種の企業が、価格・生産量などを調整して、お互いの利益を守る状態

※日本では意図的なカルテルは、独占禁止法に引っかかりますが、自動販売機のジュースの値段が130円で、ほぼ統一されていたり、新聞の値段も一律だったりとグレーです

トラスト…企業合同。同一業種の合併のことです。世界史では、スタンダード石油会社(アメリカ)のトラストが有名です

※これもやり過ぎると、独占禁止法に引っかかります。例えば、携帯のドコモとAUが合併したら、携帯会社同士の正常な競争は難しいため、公正取引委員会は、指導すると思います

コンツェルン…他業種を同一の資本で統一する形態です。財閥といわれるものです

会社は利益を上げると、産業資本というものをため込みます。また会社のお金だけでは、大規模事業を行えませんから、銀行からお金を借ります。このお金を銀行資本といいます

この2つがあわさって、金融資本となります

このお金を使って、順調に行くと、国家に影響力を持つほどの巨大企業になります。これが独占資本の形態です

産業資本 + 銀行資本 = 金融資本 ⇒ 独占資本

こうやって影響力を持った企業の後押しをうけ、国家は弱い国家を服従させていくわけです。そして帝国主義時代には、経済の転換点でもありました

それが、第二次産業革命です。ここでの主役は、ドイツアメリカです。第一次産業革命での動力源は、蒸気力と石炭でしたが、この時は電力・石油です

第一次産業革命⇒第二次産業革命
工業:軽工業⇒重工業
動力源:蒸気力・石炭⇒電力・石油


■イギリス
この時代のイギリスの動きを見ましょうトップを走るイギリスですが、ライバル国もかなり力をつけています。ここでイギリスがやったのは、スエズ運河株式の買収(1875)です

女の子の名前シリーズで、スエズ花子(1875)で、覚えます

この時の首相は、ディズレーリ(在任1868,74~80)です。ユダヤ系のロスチャイルド家の支援を受けます

-ディズレーリ-
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植民相のジェゼフ=チェンバレン(在任1895~1903)も南アフリカに進出し、南ア戦争を行ないます。イギリスの経済の要衝は、エジプト・南アフリカ・インドですから、ここを重点的に固めていきます

このように順調に経済が伸びれば、国民全体の経済力が上がります。今まで、発言力の低かった労働者も、自分の意見を政治に反映させようと動きます

バーナード=ショウウェッブ夫妻は、穏健な社会主義団体であるフェビアン協会を設立します

議会から労働者の権利獲得を目指すケア=ハーディーは、独立労働党を率いて頑張ります。

他にも有名な社会主義組織として、社会民主連盟があります。バラバラに活動してもダメですから、この3組織を統一していきます

1900年労働代表委員会として始まり、実際に選挙にメンバが政治家になってからは、労働党(1906)に改名します

フェビアン協会 + 独立労働党 + 社会民主連盟 = 労働代表委員会(1900) ⇒ 労働党(1906)

※労働党に変更された際、社会民主連盟は考え方の違いで、抜けています

ちなみに労働代表委員会の代表は、マクドナルド(在任1924、29~31)で、後に初の労働党出身の首相になります

最初のイギリスの二大政党は、保守党と自由党でしたが、自由党⇒労働党に立場が変わっていきます。

・イギリス二大政党
※1922年以降、現在まで自由党は与党になれていません
保守党 × 自由党 ⇒ 保守党 × 労働党

過去にも語りましたが、継続的にアイルランドは独立運動を起こしています。特に1905年に結成されたシン=フェイン党は、アルスター地方などで運動を続け、1916年イースター蜂起を支援しています

-アルスター-
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■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※アイルランド独立運動情報

次回は、帝国主義時代(フランス)行きます

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日本を世界史で語りましょう

日本が歴史上、もっとも成功した事例は明治維新(1868)だと思います。ちなみに、明治・大正・昭和・平成の始まりを語呂で提供します

ぃヨーロッパ(1868)行く日に(1912)行く風呂(1926)急迫(1989)事態は平静(平成)に

ペリーさんが、日本に来たのが1853年です。1954年には、下田・函館の2港が日米和親条約で開港しています。ちなみに1853年は、クリミア戦争の年でしたね

■講義 part72 -ロシアの改革と東方問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7210555.html
※クリミア戦争

-ペリー-
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ペリー自体が、世界史で聞かれることはマズないでしょう。ちょっと聞かれてる問題あったら、教えてほしいです。その際は訂正します

1858年には、日米修好通商条約を結びます。長崎などが、これで開港されます。ここまではなどの植民地化された国家と同じ流れです

世界史受験でも、日米和親条約・日米修好通商条約は覚えておいてください

ここから明治維新までの10年間が、怒涛の幕末です。よくNHKの大河などでテーマになる時代ですね

まずは15世紀以後、中山王尚氏の一族が、琉球を統治していました。極めて弱小国家だったので、清にも日本にも服属しているふりをして、独立を維持していました

日本側では、島津藩に琉球は服属しています。中国との、どっちつかず状態のため、中国側に流れるのを避けるため、急速に吸収していきます

1879年には、沖縄に改名し、日本側に引き込みました。この流れが、沖縄が日本というものに今も抱く反感になっています

また、このどっちつかずの状態が、「俺に沖縄を支配する権利がある」という中国の根拠にもなっています。さらに、この話が尖閣問題とリンクしていき、現在の状況をうんでいます

■ニュース -中国政府の防空識別圏設定について-
http://world-history.blog.jp/archives/1457425.html

南においては、台湾を制圧します(1874)。また北においてはロシアと、千島・樺太交換条約(1875)を結びます。この延長線上には、いまだ抱えている北方領土の問題があります

次に西に向かいます。江華島事件(1875)において、朝鮮との間に日朝修好条規(1876)を結びました。これで釜山・元山・仁川の港が開港します

語呂です
い花こーたる(1875)、江華島事件

ちょっと逆さまの地図を見てください。軍事の観点から、どうしても日本は、朝鮮を抑えておきたい場所でした。そこをロシアなどの欧米列強に占領されれば、次に攻め込まれるのは日本です

1891年には、ロシアはシベリア鉄道建設を開始しています。それが完成すれば、広大なロシアの東西がつながります。これに日本は、危機感を抱いているわけです

朝鮮半島は、日本に攻め込む拠点として、絶好の地形でした。日本陸軍の近代化に貢献したドイツ人メッケルの言葉を借りれば、「半島は、日本の脇腹に突きつけられた短刀である」と言っています

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しかし、ココに手を入れることは、古くから影響力を発揮する中国との対決を意味します。まずは、側の支持する大院君日本が支持する閔氏一族で朝鮮の主導権争いがおきます

大院君(清) × 閔氏一族(日本)

ここから複雑ですが、整理して話します。まず大院君は、現政権を執政する高宗であり、閔妃は、高宗の奥さんです。これの親戚が、閔氏一族です。つまり家族内で揉めているわけです。当時は閔氏が政治を動かしていました

大院君は、閔氏を打倒するため、壬午軍乱(1882)をおこします。これを閔氏一族は単独で鎮圧できません。清の力を借りて、やっと抑えました。日本は朝鮮に大規模軍隊を駐留してませんでしたから、ここで活躍できません

閔氏は政権を維持するため、清の力を借りました

大院君も、清の影響下にありましたが、軍を送られるとは思わず、クーデタは失敗します。また閔氏一族は、日本に服属関係を変更します

ここで起きている争いは、外国影響力を利用した王座の取り合いと考えてください。だから、裏切り、裏切られを繰り返します。これが受験生を混乱させています

日本は、新たに朝鮮の近代的独立を夢見る金玉均を支持します。かれの勢力を開化派(独立党)といいます。閔氏一族は、事大党という一派を率いています

事大党(清) × 開化派(日本)

開化派は、清の一時的勢力後退のタイミングをついて、政権奪取を目指します。そのタイミングは、清仏戦争(1884)でした

■講義 part81 -東南アジアの植民地化-
http://world-history.blog.jp/archives/8865523.html
※清仏戦争情報

本来、戦争はあっちこっちで、できるものでありません。ベトナムに集中している状態を狙いました。それが、甲申政変(1884)でした

しかし、清軍も迅速に軍を派遣して、これを鎮圧しました。金玉均は、朝鮮にいられなくなり、亡命、後に暗殺されています

朝鮮半島で、清×日本の争いが、バチバチ起きてますそのため、天津条約(1885)によって、お互いの軍の撤退を取り決めます

清の全権は、李鴻章。日本全権は、伊藤博文でした

-伊藤博文-
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こんなに朝鮮半島で好き勝手、他国にやられてますから、朝鮮の人は不安です不安な人の拠り所は、だいたい宗教になります

儒・仏・道の3宗教の影響を受けた東学というものが生まれ、人気がでます。これは、西洋の宗教を意味する西学への拒絶感でもあります。創設者は、崔済愚です

この信者を軸に、ついに暴動が起きます。それが1894年の甲午農民戦争(東学党の乱)です。指導者は、全捧準です

皮肉なことに、これが清軍・日本軍ともに軍隊を派遣する口実になります。日清戦争(1894)の開戦です。そして日本は、これに勝利します

1895年には下関条約が結ばれました。ふたたび清の全権は、李鴻章。日本全権は、伊藤博文です

■下関条約
・朝鮮の独立 
※今までのような清の干渉は、これで不可です
・遼東半島の獲得
・台湾の獲得
・澎湖諸島の獲得


遼東半島は、ロシア・フランス・ドイツ三国干渉によって、後に清に返還することになります。日本のロシアに対する懸念が、完全に証明されたわけです

ロシアが、次の日本のターゲットになります

日清戦争の年号ですが、ココから10年おきに、凄い重要な戦争が連続しておきます。私は10年おきシリーズとして覚えています

日清戦争(1894)⇒日露戦争(1904)⇒第一次世界大戦(1914)

さて、最後に何故、日本は清に勝てたのかを解説します。そもそも近代化の時期も一緒であれば、大国中国は負けるはずがないはずでした

これは、中国は洋務運動によって外側だけを変え、日本は明治維新によってすべてを変えたことに違いがあります

日本の持つ強みは、オセロゲームのように白黒をすぐ変えられる所です。まぁ、これは弱みでもあります今の日本人を見ればわかると思いますが、まず自分の意見がありません

大学生は、就職を前に、自己分析を求められ、だいたい絶句しますw

日本は、世界のトップを走っているイギリス・ドイツ等を見て、立憲君主制の道を探します。議会を利用した合理的意志決定機関の創設です

この決断が、英断だったと思います。だいたい遅れている国は、王政のままです。王は自分が間違うとは考えず、また王が間違っていると部下が考えても、殺されたくないので、部下は真実を言いません…

「中体西洋」で、外面だけ取り繕っても無意味なことは、属国と思っていた日本に負けた清が、一番理解していると思います

■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※洋務運動情報

江戸時代の幕藩体制では、どこにも勝てなかったはずです。幕藩体制は連合国家みたいなものですから、九州をイギリスが支援、北海道をロシアが支援とかしている間に、国は領土を奪われていたと思います

そこに今までまったくフューチャーされていない天皇陛下をシンボルにし、無理矢理、立憲君主制のようにしたのが、明治維新です

天皇陛下は、歴史上、長く、国民にとって認知度のない存在でした。それは宮崎駿さんの「もののけ姫」を見てもらえばわかります

ジコ坊が エボシに対して「これは天朝様の勅令である」と威張ってますが、エボシは自分の村の者に、その手紙を見せますが、村人は「?」です

これは、天朝=天皇陛下の認知度をよくあらわしたエピソードだと思います

次回、帝国主義いきます

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