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今回は、オリエントの統一です
オリエント(東洋)は、「日の昇る方向」という意味を語源としています


日本人の考える東洋は、自分たちのことですが、
ヨーロッパ人の考える東洋は、エジプトや西アジアあたりを指します

上の図のあたりが、オリエントです

そりゃ当たり前です

当時のヨーロッパ人に、日本を含む東アジアに足を踏み入れた人すらいません
なので彼らの東の限界領域は、西アジアまでです。
せいぜい現在のイランです


そんなオリエントを初めて統一したのが、セム系アッシリアです

この国は、北メソポタミアで当時強かったミタンニから独立しました


最初の都は、アッシュールでしたが、最盛期にはニネヴェに遷都しています
この時の王が、アッシュール=バニパルです

彼は、ニネヴェに大図書館を作ったことでも有名です

彼の死後、アッシリアは急激に衰え、滅亡します

その後は、4つの国が乱立します


それは、エジプト・メディア・リディア・新バビロニアです


この中でよく聞かれるのは、リディアと新バビロニアです

リディアは、小アジアに起こり、世界最古の鋳造貨幣を使用しました
新バビロニアは、バビロン捕囚で有名ですよね


ここは、以前触れましたね


このバビロン捕囚を実施した王は、ネブカドネザル2世です


この4国を再度統一したのが、
インド=ヨーロッパ系のアケメネス朝ペルシアです

ペルシア人は、現在のイラン人のことです

アケメネス朝は、現在のイランにあったメディアから前550年に独立しました
建国者は、キュロス2世です


最盛期は、ダレイオス1世です

彼が新しく造営した都は、ペルセポリスです


オリエント統一は、正直一人ではできません
長期の統治を可能にするために、領土を訳20区に分けて、
サトラップ(知事)をおきました


そしてサトラップが謀反しないかを監視するため、
直属のスパイとして「王の目・王の耳」を設置しました


また、各地の経済・軍事・治安維持目的で、
王の道」を設置しました


この道をイラン南西部のスサから、小アジアのサルデスまでひきました


彼らの信じる宗教は、
善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの戦いを描いたゾロアスター教です

彼らは、儀式に火を利用したため、拝火教ともいわれます


ゾロアスター教は、最終的に善が勝つ、最後の審判の考えを持っていました
これは、ユダヤ・キリスト教に影響を与えました


ダレイオス1世の統治機構の設計で、アケメネス朝は前330年まで続きました

前550年~前330年という、わかりやすさがあるので、アケメネス朝の年号は覚えましょう


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以上です

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