2013-11-26_2-51-9

前回、1000以上のポリスがあった話はしましたね

ギリシア人自身力を持ち始めたので、国土を越えてポリスを形成することができるようになりました
これを植民市といいます


有名なのは、以下の4つです。
この情報は、有名大学合格レベルのものです


ビザンティン(現・イスタンブル)
マッシリア(現・マルセイユ)
ネアポリス(現・ナポリ)
シラクサ(シチリア島の町)


ひとまず、ギリシアで聞かれる有名なポリスは、アテネとスパルタです


スパルタは、軍事に特化されたポリスです

リュクルゴスという王様が、このポリスの気風を作りました
スパルタ教育という言葉は、ココから生まれています


ドーリア人によって形成されたこのポリスは、厳格な身分制度で運営されてます


・スパルティアタイ(市民) 5000人
ペリオイコイ(劣格市民) 20000人
ヘロット(奴隷) 50000人


この人口比でわかると思いますが、市民の10倍の奴隷がいます
反乱が起きると、ヤバイですね

なので、1人で10人倒せるぐらいの圧倒的な強さが必要ですね
こうやって戦士の国家ができました


対してアテネは、政治の技術を洗練させました

ここは、イオニア人のポリスです

当初は、アテネは王政でしたが、貴族がアルコンというポリスを運営する職を占有します
これによって貴族政に移行しました。


これに平民は、反発しました

貴族の中にもマズイと思う人はいて、ドラコンという人は法律を作って、
貴族の恣意的な運営を牽制しました


こうした中でも、平民の不満は溜まっています

そこで新たにソロンが改革にのりだします

これは前594年のことです


ゴロ合わせでは、ソロンの獄死(ゴクシ)といいますね

彼の改革は、ざっといって2つです


1.借金の帳消し

これは、アテネの根幹を揺るがす問題でした
当時の市民は、貴族・平民含めて国を守る戦士です
借金のかたに奴隷になる人間が増えると、アテネというコミュニティが守れません
そのため、借金を帳消しにしました


2.財産政治の実施
身分を4つに分け、財産に応じて、アテネでの政治・軍事の役割を決めました
つまり平民に希望を与えました。
「がんばれば、君も政治に関われるよ」というメッセージです


ここで、アテネを揺るがすイレギュラーな男が出現します
ペイシストラトスといいます。彼は平民の不満を利用します

貴族から財産を没収して、平民に分配しました

多数派は、平民なので、これで貴族政が崩れます
そして、彼は王になりました。これは非合法的な手段だったので、僭主といわれます


ペイシストラトスは、よくアテネを統治しましたが、権力は引き継いだ子供は暴君でした
そのため僭主政治も良くないとことをアテネ市民は学びました


この僭主政治を防ぐため、クレイステネスオストラシズム(陶片追放)を考案しました

このシステムは、投票で危険人物の名前を書いてもらい、
ある票数溜まると、追放できるものでした


最終的には、ぺリクレス18歳以上青年男子に国の運営に参加できるようにしました

これを可能にしたのが、ギリシアを揺るがしたペルシア戦争(前500~前449)によるものです

次回は、ペルシア戦争に言及したいと思います

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