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アレクサンドロス大王による広大な領土統治は、
彼が早くに亡くなったことで、すぐに国家が分裂してしまいました


ローマは、長い年月をかけて政治を発展させて、たとえ広大な領土でも長期統治に成功しました

しかしながら、皆さんも聞いたことがあると思いますが、「ローマは、1日にしてならず」です

今回のテーマは、共和政ローマについてです


共和政は、どういう意味かというと複数の人間による統治をさします
なので、王様や元首がいる場合、それは共和政とはいいません

個人による統治か、複数による統治かで区別してください


当初イタリアは、エトルリア人が統治していました

そこにローマ人があらわれます

彼らは滅亡したトロヤから逃げてきて、ローマを建都したとされています

伝説では狼に育てられたロムルスの名をとって、ローマとなりました
この都は、ティベル河畔に作られました


前509年に、エトルリア人の支配から独立し、共和政ローマが始まりました

ローマの最高機関は、元老院といいます

建都当初は、パトリキ(貴族)によって支配されていました

元老院の中から最高責任者は、2名選出されます
それをコンスル(執政官)といいます


戦争などの非常時には、1名のディクタトル(独裁官)を起きました
現在でも独裁者は、英語でディクテーターといい、この言葉が語源となります


ローマの最初の200年は、貴族の政治独占状態を平民が崩していく歴史です
平民は、プレブスといいます


まずは前494年、聖山事件が起きます
これはプレブスが、山に立て籠もって権利獲得を主張する事件でした

結果、護民官という平民を代表する官職が設置されました

護民官には、元老院やコンスルの決定事項に対して、拒否権を持っていました

後には、護民官を選出する組織として、平民会ができました


前450年頃には、十二表法が制定され、法律によって貴族の独走を防ぐようにしました


前367年には、リキニウス-セクスティウス法が制定されます
ポイントは、2つです


1.コンスルの内1名は、必ず平民出身にする
2.公有地の大土地所有の制限


覚え方は、見るな(367)リキニウス-セクスティウス法でお願いします


前287年ホルテンシウス法が制定され、平民会も元老院と同じように法律を作れるようになりました


通やな~(287)ホルテンシウス法で覚えてください


この法律をもって、貴族と平民の平等が確立されました

この頃になると、ギリシア植民市であったマグナ=グレキア(南イタリア)を支配におさめました

ローマのイタリア半島の統治方法は、分割統治といいます

これは、支配した都市の扱いに差をつける方法です


植民市…ローマと同等の権利

自治市…ほぼローマと同じだが、参政権なし

同盟市…市民権ないが、従軍義務あり


これによって、都市同士を反目させ、同盟を組んでローマに攻撃するのを防ぎました
そうしてイタリア半島を統一したローマは、次に注目した土地がシチリアでした

シチリアは当時、穀倉地帯として有名で、ローマ以外にも狙っていた国がありました

それがカルタゴです


この2国間で行われた戦争がポエニ戦争(前264~前146)です
次回は、ポエニ戦争から始めましょう

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