カラカラ帝以後も、ローマは守りの運営です

ローマは、ヨーロッパ・中東・アフリカと強大な領土運営にお金がかかります

従来は、新しい領土を獲得することで、財を増やせましたが、それができません

国内の財を生むシステムであるラティフンディアも機能不全に陥ります

ラティフンディアは、奴隷を軸とするシステムでしたから、
領土獲得によって新たな奴隷を補充できません


そのため、コロヌスという奴隷より身分の高い農奴身分がうまれました
コロヌスは、結婚も認められていました

しかし奴隷は、結婚を認めれません。勢力の拡大、反乱を恐れていたからです

この時代からは、今ある資源の継続利用です

使い捨てから継続利用への変更です
これをコロナートゥスといいます


皇帝にとって統治が難しいため、求心力が低下します
こういう時にでてくるのは、だいたい軍人です


ニュースを注意深く見てください。国が混乱すると、必ず軍部がでてきます
東南アジアのタイやミャンマーが、今そのような感じです


このような軍人がでる時代を軍人皇帝時代(235~284)といいます


軍人皇帝文子(235)は、庭師(284)で覚えましょう


約50年に26人の皇帝がうまれましたね。まさに混乱期です
ヴァレリアヌス(位253~260)などは、国王のくせにササン朝に捕虜になったりしています


この混乱期を抑えたのが、ディオクレティアヌス(位284~305)です
彼は、ドミナートゥス(専制君主制)を始めます

これは、官僚を利用して行われました

彼は軍人の力を削減し、官僚で国家を統治しました

広大な領土は、正帝2名・副帝2名の4分統治に切り替えました


そして、皇帝礼拝を強要しました
そのため、キリスト教を迫害しました


ローマの伝統は、多神教なので、キリスト教迫害は理解できます
彼らにとって異端の宗教だからです


しかし、コンスタンティヌス(位324~337)はキリスト教を公認しました
これは、313年ミラノ勅令によってです


さー、いざ(313)認めるミラノ勅令とでも覚えてください


キリスト教一派は、当時すでに無視できないほどの力を持っていました
迫害から、公認への変更です


さらにニケーア公会議(325)では、三位一体説をとるアタナシウス派正統とし、
イエスを人間と考えたアリウス派異端とされました

2013-12-6_19-13-49
ピンクで塗った場所がニケーアです


ニケーア光子(325)で覚えてください


コンスタンティヌスは、さらにビザンティウムへの遷都を行い、コンスタンティノープルと改称しました
ここは、現在トルコの都市で、イスタンブルと言います


テオドシウス(位379~395)には、キリスト教は国教化されました(392)


さー、国(392)キリスト国教化で覚えましょう


キリストを認めることは、明らかな国力の弱体化です
彼らは、神がトップであって、皇帝をトップとは必ず認めません

395年には、ついにローマは、西ローマと東ローマに分裂してしまいました


時代錯誤(395)の東西分裂と覚えていきましょう

ここからヨーロッパは、1000年程度キリスト教が力を持った時代となります
次回は、ローマ文化史です

■スポンサードリンク