中国の植民地化を話します。ココも、どこが植民地にしてるかが重要です
登場する国は、英・仏・独・露・日です

-中国分割-
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ざっくり植民地マップです。このイメージで、私は頭の中に入ってます。まずロシアフランスのイメージは簡単だと思います

ロシアは、もともとあった領土を、中国側に広げただけなので、北側に領土がありますね。フランスは、ベトナムを抑えてますから、そこから領土を広げています

■講義 part81 -東南アジアの植民地化-
http://world-history.blog.jp/archives/8865523.html
※ベトナムの植民地化

イギリスは、長江を抑えているイメージです。あとは香港周辺ですね。幸か不幸か、イギリスの植民地化の影響で、香港は中国で独自のマインドを持ちます。民主主義ですこれが、現在の香港デモの底流にあります。

-なぜ香港の若者は「中国嫌い」になったか-
2014.10.30 Thu SYNODOS
http://synodos.jp/international/11343

ドイツは、山東半島を抑えてます。日本は、福建省ですね。これらを骨組みに後は、肉付け作業です。

-租借地・鉄道名-
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まず、租借地という言葉を説明します。これは、土地を借りるという意味ですが、ほぼほぼ領土といっても過言でないです

九竜半島の借りた年数なんて、99年もありますロシアの旅順・大連は、南下政策を思い出してください。なぜ、このような港町が欲しいかわかるはずです

鉄道は、物を売買する際の輸送手段として有効です。南下政策の一環で作ったロシアの東清鉄道を覚えておいてください

■講義 part72 -ロシアの改革と東方問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7210555.html
※南下政策

-旅順・大連・膠州湾・威海衛-
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イギリスは、ドイツの権益に飛び地のように、威海衛という領土を持ってます。あまり知られてませんが、イギリスは今でも、スペイン周辺にジブラルタルという領土を持ってます

ここを巡って、イギリス・スペインは今でも揉めます。これは、皆さんも知っているはずの、スペイン継承戦争(1701~13)の結果が、現在まで続いているからです

■講義 part53 -ルイ14世(フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/4169283.html
※スペイン継承戦争

このような中、アメリカも中国の利権に手を突っ込もうとします。それが国務長官ジョン=ヘイ門戸開放宣言です

■門戸開放宣言
・門戸解放(1899)
・機会均等(1899)
・領土保全(1900)


領土保全だけ、追加で1900年です。このあたりは、ほどほどの大学の正誤問題にでます。「ジョン=ヘイは、1899年門戸開放宣言で、門戸開放・機会均等・領土保全を訴えた」は、誤りになります

これは、ハッキリいって、中国にとって迷惑な話で、「遅れてきた、俺にも中国をくれ」というファキンメッセージを難しくいってるだけですw

こんなに滅茶苦茶されてますから、中国自身も変革運動を開始します。それが変法運動(変法自強)です

中心人物は、康有為・梁啓超・譚嗣同です。難しい字ですが、記述させる大学も多いです。頑張りましょう彼らは、公洋学派ともいわれます

彼らの運動は戊戌の変法(1898.6~1898.9)の短い期間です。なぜか?政治を変えようとしたからです。以前、洋務運動(1860~94)というのがありましたね?

洋務運動は、外だけ西洋式に変えて、内側の政治は変えませんでした。当時の中国は、王政です。ここに手をつけませんでした

■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※洋務運動

結果、中国に何が起きたか?明治維新(1868)を起こした日本日清戦争(1894)で負けるわけです。康有為は、確信しました。「日本のように政治から変えないと、国は変わらない」

当時の皇帝、光緒帝(在位1875~1908)も同じ思いでした。これを潰したのが、9代咸豊帝の妃、10代同治帝の母、11代光緒帝のおばである西太后でした

これを戊戌の政変(1898)といいます。これで西太后が実権を握ります。西洋に侵略された中国はかわいそうだと思いますが、付け込まれる要素は、中国自身にあったのは確かだと思います

次回、義和団事件と日露戦争いきます

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