ちょっと友人の女性から、
バベル(2006)の意味がまったくわからないから、解説して」と言われたので、
ここで説明します

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世界史知識が、ここでも使えます

鑑賞しましたが、難解な映画ですね。

キリスト教の知識がないと、けっこうキツイと思います


題名が「バベル」とあるのは、旧約聖書の話を指しているのは間違いないです
バベルは、ヘブライ語でバビロンといいます

オリエントで勉強した古バビロニア・新バビロニアの首都ですね

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ここには、バベルの塔のモチーフになるジッグラト(聖塔)がありました

ここで塔を作り、神に近づこうとした人々は、神の怒りにふれ、
今まで1つしかなかった言語が、複数に分かれ、
簡単にコミュニケーションできくなくなったという話です


ここで軽く宗教の違いについて話します


皆さん、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が一神教なのを知っていますか?
知っている前提で話を進めます。彼らの信じる神は、違う神でしょうか


実はこの3つの宗教、同じ神を信じています
この事実を知らない日本人は、非常に多いです


では、何が違うのか

これは、解釈が違うんです


ユダヤ教…救世主がまだ来ていない。イエス救世主と認めない
「旧約聖書」のみが彼らの聖書


キリスト教…救世主はイエス。イエスが人間との最後の約束を契る
それが「新約聖書」。キリスト教は、「旧約聖書」と「新約聖書」を信じています


イスラム教…イエスを認めるが、最後の救世主はムハンマド
コーランが最後の約束


こんな感じで解釈が違います。救世主誰か揉めているんですね
しかし、この部分がだいぶ重要です。神は、完全無欠の存在です


なので、複数の解釈が成り立つことは容認できません
神が間違わないなら、誰かがをいっています


そのため、宗教同士が類似性がありながらも、争っています


この知識をベースに、映画「バベル」を解釈しましょう

舞台は、大きく分けて3つですね

モロッコ・アメリカ(メキシコ含む)・日本です

モロッコでは兄弟・夫婦の葛藤、アメリカでは親族・ベビーシッターの葛藤、
日本では、父娘・男女・健常者と障碍者の葛藤が描かれています


このすべての関係性が、最初機能不全になっています
まさに「バベルの塔」状態です


すべてのパターンを説明すると、だいぶ時間がかかるので、父娘関係だけ説明します
なぜ、ここをピックアップするかというと、この関係がラストシーンだからです


ここが監督の一番伝えたいところになるのでしょう

そのため、この部分を説明します

娘は今時の子です。ファッションもギャルスタイルです
唯一の違いは、彼女はが聞こえません


母は、すでに自殺しています。おそらく母は、父と娘をつなぐ重要な役割を担っています
ゆえに母を失った今、二人はうまくコミュニケーションをとれません


娘は処女ですが、その状態の自分を嫌だと思っています
早く処女を捨てて、一人前の大人になりたいと思っています


しかし、耳が聞こえないことで、ナンパされてもうまくいかず、
仲間に好きな人を取られたりします


彼女は、自分がこの世の中で不完全で不必要な存在だと感じています

彼女は、真剣に話を聞いてくれる若い警官に対して、突然裸になって、
関係を求めますが、拒絶されます


これは、彼女にとって絶望的なショックです

関係を持つことは大人になることであり、他人に自分の存在を認めてもらうことになるからです

そこを拒絶されています


彼女は裸のまま、ベランダに立ちます。自殺をしようと思案しているのです
そこに父が帰ってきて、裸の娘に驚きます


娘は気づきます。本当に自分を愛してくれるのは、父しかいないことに。
彼女は自発的に父の手握ります

父が裸である娘に驚くものの、彼女の切迫した表情に、彼女の孤独を感じています
父は、強く娘を抱きしめます


バベルの塔を越える力が、であることをしめしているシーンだと思います

また裸の状態にも意味があります
アダムとイブの原初の時代、禁断の木の実を食べるまでは、彼らは裸でした

つまり愛によって、神の国に帰ったという意味につながります


モロッコの若い兄弟も、ちょっとしたライバル意識で、殺人未遂騒動に巻き込まれます
これは、聖書のカインアベルの争いをなぞっていると思います

これ、キリスト教圏の人なら聖書のあのシーンだなとなりますが、
日本人には無理です


それが、この映画を難解にさせている理由だと思いました

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