それでは中国史の続きです

前770年から前221年まで、500年以上戦争を続けていますから、
世の中について考える人々が、いっぱいでてきます


その人たちを諸子百家といいます
有名な人を紹介します


■儒家
まずは、儒家の祖である孔子です
春秋時代にあった小国、の出身です


彼は、親兄弟、年長者などを尊敬しましょうといいました
愛に似たの心を説いています


基本創始者は、本を書きません。ソクラテスもイエスも本を書いてません
彼らの考えに影響を受けた弟子が本を書きます

孔子も同じでした。彼の弟子が孔子の考えをまとめました

それが「論語」です


儒教の有名な本は、四書五行といわれます。これは、全部覚えておいてください


四書…「大学」「中庸」「論語」「孟子」

五行…「論語」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」


孔子の弟子で、有名人は2人です

孟子性善説の立場。人間の根源を善と考えます

環境によって悪い心を得てしまうから、王はそうならないように、
徳によって統治する王道政治をすべきと考えました

王道は、武力で世の中を統治する覇道の対極にあります
また王朝の変更(易姓革命)は、武力による放伐でなく、
平和的な委譲である禅譲をよしとしました


荀子性悪説の立場です


■道家
自然との一体化を善とします。老子荘子が有名です
老子は「無為自然」を唱えたことも覚えましょう


■法家
法家は、荀子の影響をうけています。荀子といえば性悪説ですね
根本的に人は放置すると悪いことをすると考えます。そこで必要なのは法律です

法家は、法を重視します
秦の孝公に仕えた商鞅始皇帝に仕えた李斯、そして法家を大成させたのは韓非です


■墨家
墨子が考え、無差別の愛である兼愛、お互い嬉しいことをしあう交利
戦争否定の非攻を主張しました


■縦横家
合従策蘇秦連衡策張儀がいます
合従策は、戦国時代に秦以外の国が同盟を結んで、秦に対抗することです
それに対して、連衡策は、秦とすべての国が同盟を結び、他の国と戦う戦略です


縦横家の考えの軸が秦なのは、戦国の七雄の中でも秦が比較して強かったからです
そんな秦が中国を統一するのは、前221年です


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王の名前は、といい、彼は始皇帝を名乗りました
都は咸陽(西安近郊)です。統一後は、一気に中央集権制を進めます


秦の中央集権システムは、郡県制といいます

またバラバラだった貨幣を半両銭に統一します
他にも文字度量衡統一しています


また法家を採用していたため、行政を統括する丞相の李斯のもと、
思想言論統制の焚書・坑儒を実施しました


坑儒は、儒家を生き埋めにすることです。当時の処刑方法は、えげつないですね

統一後は、異民族との戦いにもなりました。南では南越、北では匈奴と戦いました

中国という広大な領土を一気に統治するのは、極めて才能のいる作業です

始皇帝死後は、いきなり違う文化を押し付けられた人々の不満が爆発します


中国最初農民反乱である陳勝・呉広の乱(前209~前208)が起きます

彼らのスローガンは、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」です

この意味は、農民とか、王とか、家柄は関係ないという反乱の決意表明です


語呂いきます
陳勝・呉広の2人を括(209)って鎮圧だ

この反乱は鎮圧されますが、反乱鎮圧に兵を挙げ、力をつけた勢力があります
それが、項羽劉邦です

頂上決戦では、垓下の戦い(前202)で劉邦が勝ちます

2人の話は、漢文の授業でもよくやりますね。四面楚歌とか聞いたことありますよね?


語呂合わせいきましょう

フレー、フ(202)レー劉邦、前漢建国で覚えましょう


劉邦は、漢建国以後は、高祖といわれます。都は長安(現・西安)です

彼は秦の失敗をよくみていました
秦の郡県制、あのシステムを高祖もやりたいですが、周囲の不満を知っています
そのため、自分の勢力の及ぶ地域だけを中央集権にしました。これを郡国制といいます

まだ、勢力が強く及ばない場所には、昔ながらの封建制を採用しました

彼は時間をかけて、自分の支配地域を広げる決断をしたのです


もちろん諸侯側も自分の領土が徐々に減らされているのを知っています
そのため起きた反乱が、呉楚七国の乱(前154)です

6代、景帝の時のことです

鎮圧以後、反乱できるほどの勢力を持った諸侯はいなくなりました
やっと前漢も郡県制を採用するようになりました


語呂行きます

ゴソゴソ(呉楚)引っ越し(154)、景帝見ている七国の乱


次の7代武帝が、前漢の最盛期の皇帝です。


彼は内政では、均輸法平準法を施行します

均輸法は、物価調整法といわれ、特産物を強制的に徴収して、不足地に売ったものです
商品流通を円滑化させました


平準法は、政府が物が余っている時に買い、物が不足している時に売る法律です
物価の安定に役立ちました


また彼は、一番儲かる塩・鉄・酒を専売しました


あとは五銖銭という統一貨幣を作りました
秦の半両銭と混同しないようにしましょう


あとは役人を決めるシステムとして郷挙里選を採用しました
これは有力者による推薦で役人が決まるシステムです



次に外政です

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北は、依然匈奴が有力で、衛青・霍去病を派遣して牽制しました


西には匈奴を討つため、大月氏張騫が派遣されました
同盟交渉しましたが、失敗してしまいました。しかし西域の事情がよくわかりました

当時、この地は秘境の地だったため、貴重な情報でした

西の拠点として河西4郡(武威・張掖・酒泉・敦煌)を起きました
敦煌ぐらいは覚えましょう


また西域の情報をもとに、
馬の産地として有名な大宛(フェルガナ)李広利を遠征させ、
汗血馬を入手しました


東では、衛氏朝鮮を滅ぼし、朝鮮4郡(楽浪・真番・臨屯・玄菟)をおきました
この中で楽浪郡が一番聞かれます


南は、南越を滅ぼし、南越9郡を設置しました。南海郡だけ覚えておいてください


ここから先は、前漢の衰退期に入ります

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