特に男子が好きですが、「三国志」の時代が、後漢の次にきます

ゲームをやった人は、君主の部下含めて凄い覚えていると思いますが、
世界史界では王と都の名前しかでません


三国志というぐらいですから、後漢以後は有力国が3つになります

魏蜀呉ですね



(220~265)は都が洛陽、王は曹操は都が成都、王が劉備です
は、都が建業(現・南京)、王が孫権です


この中で有力なのは魏です

後漢の王より禅譲を受け、曹操の息子、曹丕は文帝(位220~226)を名乗りました

文帝は、九品中正という官吏任用法を始めます
かつて郷挙里選に問題あるのは話しましたね
有力者に推薦で官吏を選ばせることで、あまり平等ではありませんでした


なので、九品中正では中央から、地方に中正官を派遣して、選ばせました
これで不正を防ごうとしました。結局、この中正官は賄賂でズブズブになりますw


当時いわれた言葉は「上品に寒門なく、下品に勢族なし」です


結局、金を積める金持ち集団が上の身分になり、
そんなに接待できない人は、下級役員にしかなれないという意味です
この制度によって、身分が固定化されたため、門閥貴族化しました


以前よりは良いシステムでしたが、まだ穴がありますね


他には屯田制も魏で整備されます。辺境地に人を送って、開墾させるシステムです
この方法で、北海道も開拓されましたね



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魏は263年に蜀を滅ぼすまでは、うまくいきましたが、途中で部下に国を奪われました

その部下の名が、司馬炎です。彼は晋(西晋)という国を作りました

この国は、280年に呉を滅ぼして中国を統一します

晋(265~316)は、法律をうまく整備しました

それは、占田・課田法であり、戸調式です

占田法は、大土地所有の制限、課田法は官有地での労役です
戸調式は、絹や綿などを税金で収めるシステムです


晋のシステム作りは評価できると思いますが、身内に敵が多過ぎました

司馬氏一族が次々反乱を起こします。これを八王の乱(290~306)といいます

この乱の際、各王は自分の勢力を優勢にするため、異民族の力を利用しました

この時の有力異民族を五胡といいます

五胡は、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌のことです

氐・羌はチベット系の異民族ということも覚えておいてください


彼らは、戦力として中国本土に入ってきて、混乱を直接見ましたし、
どこが弱点かもわかりました


匈奴劉淵は、漢(前趙)を建国し、彼の息子は永嘉の乱(311~316)を起こし、
晋を滅ぼします


ここから学ぶことは、自国のコントロールは自分たちでしないと、
結局足元をすくわれるということです


日本の立場でいえば、米国への過度の依存は危険です


韓国の立場にたつと、もっと悲惨です
韓国は国防では米国、経済では中国に依存しなくてはいけません
そして米国と中国は争っています。完全な板挟みですね


いづれ触れる朝鮮史でも話しますが、
まわりを強大国に囲まれた国の運営は、本当に難しいと思います


南北朝
・北朝
異民族の流入は、中国の北方である華北を支配される結果を招きました
五胡は、さまざまな国を華北に建国します

華北と聞いたら、黄河のあたりを思い浮かべてくれればいいと思います


この時代を五胡十六国(304~439)といいます
16国全部覚えなくてよいです


ひとまず前秦(351~394)だけ覚えておいてください
淝水の戦い(383)で、東晋を倒したりしています


五胡十六国を最終的に終わらせたのは鮮卑の一族である拓跋氏です
拓跋珪は、北魏(386~534)を建国し、3代太武帝が華北を統一しました


語呂いきます

与作(439)が統一、太武帝


太武帝は、新天師道寇謙之を重用し、道教を国教としました

道教は、諸子百家で勉強した道家の影響を受けています

道家といえば、老子や荘子をすぐにイメージできるようにしてくださいね


太武帝は、道家を重視したため、仏教弾圧します


北魏で一番聞かれるのは、6代の孝文帝(位471~499)です
彼は漢化政策を実施して、自分たちが今まで使っていた胡服鮮卑語禁止して、
中国文化に本格的に溶け込もうとしました


都も北方にあった平城(現・大同)から洛陽に遷都しました


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国のシステム作りも、いいものを作ってます
まず均田制で、皆に土地を支給します


また管理システムとして、三長制を実施しました
これは段階に応じて、3つの長を置いて組織を統治する方法です
税の徴収や治安維持もやってもらいました


受験生には、班長・級長・生徒会長を思い浮べてくれればいいと思います
役割違いますよね?このイメージでいいです


孝文帝までが、北魏のいい時代ですね


その後、北魏は東魏西魏に分裂します
ココは、西魏で宇文泰府兵制を創始したことだけ覚えておいてください
府兵制は、兵農一致のシステムで、農閑期に軍事訓練をする制度でした


その後は、西魏⇒北周、東魏⇒北斉に変わり、によって統一されます

・南朝
西晋が滅んでから、一族は華北に居られなくなり、江南に逃げました
江南の江は、長江からきています。中国は北の黄河、南の長江が有名です


この当時、中国南部の開発は、それほど進んでいませんでした
異民族侵入によって南部に追いやられて、逆に江南の開発が進みました


まず東晋(317~420)は、司馬睿が建国します
都は建康(現・南京)です

その後は、宋⇒斉⇒梁⇒陳と続きます

この4つを南朝といいます

またこれに呉と東晋を加えた6つを六朝といいます
この時代の文化は貴族文化に根差し、六朝文化といわれます


文化史

それでは文化史です

まず魏晋時代に、老荘思想による哲学談義である清談がはやります

7人の有名な清談家がいます

これを竹林の七賢といいます。阮籍だけ覚えといてください


詩人は2人覚えてください

東晋の陶潜(陶淵明)「帰去来辞」「桃花源記」を書いてます
宋では、謝霊運という人がいます


梁の昭明太子は、詩集である「文選」を集めました
これは文字を4つ・6つの組で書いていく四六駢儷体の形式をとってます


画家は、顧愷之「女史箴図」だけで大丈夫です。画聖といわれてます

画家も、王羲之の「蘭亭序」だけで大丈夫です。書聖といわれます


最後に仏教行きましょう

中央アジアの亀茲から2人の僧が来てます
仏図澄洛陽鳩摩羅什長安で布教してます


東晋の法顕陸路インドに留学し、海路で帰国し、「仏国記」を書きました


仏教の寺院の有名なものは3つです
画像問題頻出なので、頑張って覚えてください


大同雲崗石窟、洛陽竜門石窟、敦煌漠高窟が有名です

これすべて世界遺産です

竜門と漠高窟は実際に見ましたが、とにかくデカイです
中国の建造物は、とにかくスケールが凄いです

もし中国に行かれるなら、オススメです

2004年の反日激化の時に中国旅行行きましたが、特に被害はありませんでした
ただただボラれますw


旅行経験があまりない人は、香港ぐらいからスタートがいいと思います
香港はイギリス1997年まで支配されていたので、本土の人と比べて反日意識は低いです
台湾は親日なので、もちろんオススメです


次回は、この混乱を治めたから行きましょう

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