明(1368~1644)
金やら元やら、北方民族に悩まされた中国に、ようやく漢民族の国が復活します
それがですね

紅巾の乱で台頭した朱元璋が、明を建国して洪武帝になります
都は南京(金陵)です


語呂です
いざ、牢屋(1368)を破って、明建国


彼は、皇帝への権力集中のため、中書省を廃止し(1380)、
六部皇帝直属にします


ちなみに唐末期から、門下省・尚書省はあっても実際に動かず、
すでに廃止に近いものになっていました

実質、皇帝に文句の言える機関は、中書省だけになっていました


法律もちゃんと整備します。明律・明令といいます


軍人と一般人も分けます
軍人を軍戸として管理し、衛所制を整備しました

一般人は民戸として管理し、里甲制を使いました


民戸を管理する資料としては、租税台帳賦役黄冊
土地台帳として魚鱗図冊を用意しました


また国民の道徳意識を高めるために、六諭を奨励しています
「父ちゃん、母ちゃん、尊敬しろよ」的なやつが6つあります


洪武帝は農民あがりですが、国家設計はしっかりしていると思います


2代は、建文帝ですが、ちょっとココで揉めます
モンゴルの時もありましたね。一族同志の喧嘩です


建文帝は、洪武帝の1番目の子供の息子です。つまり孫ですね
彼は、自分のライバルになりそうな親族を粛清していきます

危機感を持ったのは、燕王朱棣です

建文帝は、燕王に兵を派遣しています。粛清のためですね

ただ燕王、めちゃくちゃ強かったので、返り討ちにします

燕というのは、今の北京あたりの地域ですね
追い払ったとはいえ、まだモンゴルの残党がいます
そこ相手に対峙する地域ですから、訓練もしっかりしていました


この結果、燕王は3代永楽帝(1402~1421)になります
これを靖難の変(1399~1402)といいます。絶対に靖康の変(1126)と間違えないでください


彼は、鄭和によって南海諸国遠征(1405~1433)を行い、モンゴル遠征も行いました
鄭和の遠征は、アフリカの東岸マリンディまで行っています


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--でません--
ココ、試験には絶対でませんが、鄭和は世界で初めてアメリカに行ったという説があります
コロンブスが1492年ですから、だいぶ早いですよね。ただ明の外交政策上、この話を握り潰したそうです

--でません--

都は、北京に遷都します
まぁ、自分のもっとも信頼できる支配地域なので、当然でしょう


彼は、洪武帝と違って、自分のまわりに優秀なブレーンを求めました
内閣といいます

ここのトップの内閣大学士は、昔の丞相と同じほどの権力を持つようになります


永楽帝以後は、内外の圧力に苦しみます

6代正統帝(英宗)時代に問題が発生します


内では、鄧茂七の乱(1448)が福建で起きます
これは農民の暴動が大規模化したものです


また外からはオイラトエセン=ハンが、6代英宗を捕虜にします
これを土木の変(1449)といいます

靖康の変(1126)と同じパターンですね


韃靼(タタール)という部族も、明領土に攻撃しました
有名な王は、アルタン=ハンです。最終的には、明に朝貢します


海からも明に攻撃がきます。日本人が海賊行為を行った倭寇です

陸と海から攻撃された、この事実を北虜南倭といいます


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明が処理すべき事案が多すぎですね
そのため、一種の鎖国のようなことをします。それを海禁といいます


--でません--
この内向きの政策があったため、
鄭和の南海諸国遠征のアメリカに行った事実は消されたと言われています

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14代万暦帝(位1572~1620)は、張居正の補佐のもと、外敵と和平を結びつつ、
内政を充実させました


彼の末期には、官僚系の東林党と宦官系の非東林党の主導権争いが激しくなります
東林党のリーダーは顧憲成、非東林党は魏忠憲です


17代崇禎帝は、飢饉の発生と北方の異民族に抗しきれないなくなります
李自成の乱が発生し、ついに1644年に滅びます


語呂です
異論無視(1644)して、捨ーてーてい(崇禎帝)


明代の社会・文化
まず明の穀倉地帯の中心地が、長江下流域から長江中流域に変わります
これを「湖広熟すれば天下足る」といいます


これは典型的な、正誤問題で聞かれるパターンです
「蘇湖(江淅)熟すれば天下足る」は宋代の言葉ですね


税制も環境の変化で変わりました
一条鞭法によって土地税人頭税が、銀納に変わりました


人頭税ってわかりますか?人一人ごとにかかる税金です
まぁ、生きてます税ですね。国民である限り、かかります


明には、メキシコ銀・日本銀が流入しています
メキシコ銀は、フィリピンのマニラ経由で来ました


商人では、安徽省売買で活躍した新安商人
山西省金融で儲けた山西商人が有名です

★安徽省
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★山西省
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彼らは広大な中国で、お金を稼ぐため、情報交換をする場所を設置しました

それを会館・公所といいます


陶磁器の名産地は、景徳鎮を覚えてください


明で主流派の学問は、朱子学です
この学問に対抗する形でできたのが、陽明学です

陽明学は、心や実践を重視します
これは大成した王陽明の名からきています


考えは、心即理・知行合一・致良知です
だいたい漢字を見れば、意味はわかると思います


心即理は、人の本質を心に見ていることです


知行合一は、実践されない知識に意味がないとうことです
どこでも口だけ一人前はいると思いますが、「じゃあ、やって証明しろよ」という考えです


致良知、心を突き詰めれば、必ず真理に到達できるということです


永楽帝の命で多くの書物が作成されたことも覚えてください
百科事典の「永楽大典」、他に「四書大全」「五経大全」などです

四書五経は、儒教の経典でしたね


学問の客観的知識を高める目的でうまれたのは、考証学です
「明夷待訪録」を書いた黄宗羲「日知録」顧炎武です


ここから先は、作者と本のセットだけで戦えます

徐光啓は農業書「農政全書」、暦書「崇禎暦書」です
イエズス会マテオ=リッチとの共著で数学書「幾何原本」を書いてます


李時珍の薬草書「本草綱目」宋応星は産業技術書「天工開物」が有名です


4つの有名な小説も覚えてください。四大奇書といいます
「水滸伝」「三国志演義」「西遊記」「金瓶梅」です

名前ぐらいは、聞いたことがると思います

「金瓶梅」は、豪族の生活描写がリアルに描かれて、当時の人々の動きがよくわかる本です


湯顯祖「牡丹亭還魂記」も、ほどほど聞かれます
この話は、夢の中で恋愛する話です


絵画いきましょう

南宗画、これは文人画で有名です
文人画は、職業画家じゃない人です。一番ざっくりいうと素人ですね
この南宗画は、董其昌を覚えましょう


北宗画は、院体画という職業画家が発展させた手法です
仇英が代表です


次回は、です

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