5年ぶりに講義を更新します!!今回からは、2019年版山川出版社詳説世界史Bを参考に、進めていきます。2019年版山川出版社チェック済みのものは、今後タイトル【2019】を付けていきたいと思います

■インド
まずインドですが、イギリスが植民地化の速度を早め、インド帝国(1877~1947)を作っていますね。また、ガス抜きの意味も込めて、インドの有力者を集めて、ボンベイインド国民会議(1885)を結成してあげました。「インド人の意見も聞いてあげるよ~」という機関です。

ただ、このガス抜きは失敗します。結局、イギリス人とインド人の間には優遇度が違うし、裏では当時のインド人同士を仲たがいさせるように、宗教を利用します。ヒンドゥー教とイスラム教の対立を使います。

イギリスの統治政策は、「分割して統治せよ (Divide and rule)」を常套手段しとして利用します。これは今でも有効な方法として、機能します。結局イギリスは、インド全体がまとまって反抗してくると辛いので、いつまでもケンカして、まとまらないようにします。

今の日本でも、某国より沖縄アイヌを使って、日本を揺さぶる勢力がいるので、1つの統治・外交手法として現役の手段です。

イギリスの露骨な手法がでたのが、ベンガル分割令(1905)です。これはベンガルというインドの州をヒンドゥー教イスラム教が多く住むエリアに分ける法律です。

これに反発したのが、インド国民会議で有力な人物となったティラクです。

彼は、1906年カルカッタ大会で、4大綱領である英貨排斥・スワデーシ(国産品愛用)・スワラージ(自治獲得)・民族教育を提唱します。これは受験でも、よく聞かれる言葉なので覚えましょう!

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Q1.4大綱領で採択された国産品愛用は、向こうの言葉で何ですか? 
A1.スワデーシ

Q2.ボンベイで、4大綱領が採択された
A2.カルカッタの誤り

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上記のような問題が出題されます。

国民会議をコントロールできなくなったイギリスは、イスラム主体親英団体として全インド=ムスリム連盟(1906)を作って、どうにかベンガル分割令を機能できるように画策します。

これもうまくいかず、1911年にベンガル分割令は、撤回されます。また当時のインド帝国の首都だったカルカッタは、反英の拠点になってしまったので、デリーに遷都します

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■講義 part80 -インドの植民地化-
http://world-history.blog.jp/archives/8832614.html

■インドネシア
インドネシアは、オランダに統治されていましたが1911年より、イスラーム同盟(サレカット=イスラム)が抵抗運動を開始することを覚えておいてください

■フィリピン
フィリピンは、当時スペインに支配されていましたが、ホセ=リサールがまず独立に向けて動きます

-ホセ=リサール-

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しかし、この運動は鎮圧され、1896年に彼は処刑されますこの後を引き継ぐのがアギナルドです。1998年アメリカ=スペイン(米西)戦争では、アメリカ側につきました。

1899年フィリピン共和国を作りますが、結局フィリピンを支配したいアメリカとのフィリピン=アメリカ戦争(1899~1902)により、あっけなくフィリピンの独立は潰されます。

ホセ=リサールとアギナルドが、登場する年代が近く混乱すると思いますが、スペインからの独立をホセ=リサールアメリカからの独立をアギナルドという風に覚えておけば、だいたいの問題に対応できると思います

■ベトナム
ベトナムは、フランス支配からの独立を目指してファン=ボイ=チャウ維新会を作り、日本に学ぼうというドンズー(東遊)運動を展開します。

これは皮肉にもフランスの要請を受けた日本によって潰されます。今の日本も中国に配慮して、香港の人権弾圧に何も言わないことに似ていますね

当時のアジア諸国は、同じアジアである日本が、日露戦争(1904~1905)勝利したことに勇気づけられ、奮い立っている状況なのですが、その諸国を支援する余裕がない状態です。日本から見ると、辛いですね。。

ただファン=ボイ=チャウは、諦めずに中国の広東で、1912年ベトナム光復会を作って、独立の火を絶やさないように尽力したことも覚えておいてください。受験生もネバーギブアップです!!

-ファン=ボイ=チャウ-
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■講義 part81 -東南アジアの植民地化-
http://world-history.blog.jp/archives/8865523.html

■トルコ

西アジアでは、「イスラムで団結し、独立していこう」というパン=イスラーム主義が、アフガーニーを中心にして盛り上がります。

当時のオスマン帝国も、この影響をうけてきます。アブデュルハミト2世1876年に近代的なミドハト憲法制定しますが、露土戦争を口実にこれを廃止し、パン=イスラーム主義で行こうといいつつ、昔ながらの方法で国を統治したため、「青年トルコ人」といわれるトルコの改革派の反発を買ってしまいます。

彼らは「統一と進歩団」を結成し、1908年青年トルコ革命に成功し、王様から実権を奪い、憲法復活の承認を取り付けました

■講義 part78 -衰退期のオスマン帝国-
http://world-history.blog.jp/archives/8748817.html

■イラン
アフガーニーの影響で、イランも列強の支配に抵抗します。当時のカージャール朝(1796~1925)は、イギリスにタバコ利権を奪われて、へろへろだったので、それに怒ったイラン国民は、タバコ=ボイコット運動(1891~1892)を展開することで、イギリスに対抗しました。

もう王朝では、国を守れないということでイラン立憲革命(1905~1911)が推進されますが、イギリスに加え、ロシアも介入してきたため、この運動も鎮圧されます。

弱小国に厳しい時代ですね

■講義 part79 -中東・中央アジアの動向(サウジアラビア・イラン・アフガニスタン)-
http://world-history.blog.jp/archives/8786839.html
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