(1616~1912)
中国史も清まで来ましたね。中国史は、一旦ココでお休みです

それ以後の清は、植民地時代⇒独立⇒現在の流れですね


それでは初代からいきましょう。初代は、ヌルハチ(位1616~1626)です
彼はツングース系女真族です


またまた北方民族に中国は、征服されてしまいます

ヌルハチの頃の国号は、まだ清でなく後金(1616~1636)です
狭義には清は、1636年からということになります


彼は、八旗という8つのグループに軍隊を整備しました
これが軍隊で、警察の役割にあたるのが緑営です
主に漢人で構成され、明滅亡後に中国本土で普及します


2代は、ホンタイジです
彼は内モンゴルのチャハル部を支配し、国号もにしました
朝鮮王朝(李氏朝鮮)を服属させることにも成功しました


3代順治帝は、万里の長城を越えて、北京に入城します
以後、清の都は北京です

彼は李自成の乱を平定しました


4代が、康熙帝(位1661~1722)です

まず三藩の乱(1673~81)を鎮圧します
雲南呉三桂、広東尚可喜、福建耿継茂の三藩が起こした乱です


特に聞かれるのが、呉三桂です
彼は清が、中国本土を計画していた時に国境の山海関を守っていましたが、
そこを開けて、北京への入城を促した功績で、雲南を貰っていました

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その後、清は徐々に中央集権を進めたため、彼らが危機感覚え、三藩の乱となりました

一時は長江以南を支配する強大な乱になりました

彼らは「漢民族の国を再興する」と叫びましたが、当の呉三桂が裏切って、清を本土に招きましたよね、
信用されるわけないですw


三藩の乱鎮圧後は、台湾に攻めました
台湾は当初、オランダの支配権にありましたが、拠点ゼーランディア城鄭成功が攻略して、
自分の支配権に置いていました


彼は、明の残党勢力です
まずは遷界令(1661)で、中国本土の台湾周辺の民を内陸に強制移動させました
これ何かというと、台湾が本土攻略時に、旨味がまったくなくなります
本来であれば、本土の町を起点に、さらに奥地の町を攻略となりますが、そのスタート地点に町がありません

やがて台湾は平定されました


1689年には、ロシアとの国境設定としてネルチンスク条約を締結します
この条約よく聞かれます

国境は、外興安嶺アルグン川に決まりました。相手は、ピョートル1世です

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中国とロシアの国境は曖昧な地域が多く、いっぱいでます
最終的にすべて解決したのはロシアのプーチンまでかかってます


さらに外モンゴル・青海・チベットを服属させてます


彼の時に、地丁銀という土地税での税の一括納入システムを作りました
人頭税は廃止です


5代雍正帝は、キリスト教の布教を禁止(1724)します
これは、儒教文化をキリスト教側が尊敬するかを巡る典礼問題と関係しています
結局、キリスト教側は、儒教文化を否定したため、こいつらと仲良くできないと判断しました


1727年には、キャフタ条約を結び、外モンゴルに国境を作りました

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内部では軍機処を設定します
明での内閣のように、最終的にこの機関は、軍事行政上の最高機関になります


6代乾隆帝は、ジュンガル部回部を征服し、あわせて新彊としました
この地域、現在も中国領ですが、ウイグル人が多数派のため、中国のことが大嫌いです


観光した時に聞きましたが、胸にプリントされた毛沢東Tシャツを着ていると、石を投げられますw

あと彼は、海外貿易を広州一港に限定し、公行という商人組合に独占的な貿易を許可しました

ここまでが最盛期の清の話です


あとは少し統治制度を話しましょう
まず、清は領土が急拡大しました、新たな領土の管理機関として理藩院を置きました


また満漢併用制を実施し、民族による差別は行わず役職を選びました
このような行いが、清の長期統治に貢献したと思います


清の統治はアメとムチだと思います

役職等で差別はしませんでしたが、強制したものもあります

それは髪型の辮髪(弁髪)です

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また文字の獄禁書によって、反政府的な人や本を弾圧・禁止しました


清の文化史
まずは皇帝が命じて作った本からいきましょう
康熙帝は、「康熙字典」という字書を完成させました

雍正帝は、「古今図書集成」という百科事典を作りました

乾隆帝は、「四庫全書」です


考証学では、銭大昕が有名です。乾隆帝代の人です
「大清一統志」を書いてます


小説では、曹雪芹「紅楼夢」呉敬梓「儒林外史」は、比較的でます
余力があれば、「聊斎志異」「長生殿伝奇」「桃花扇伝奇」も覚えてください


最後にイエズス会宣教師の話をします
雍正帝で、キリスト教は禁止されますが、当初キリスト教は活躍していました
その時にいくつかの有名な本を残しています


康熙帝に仕えたブーヴェ(白進)・レジス(雷孝思)は、中国地図を作りました
「皇輿全覧図」を作成しました


明代に「坤輿万国全図」を作ったマテオ=リッチ(利瑪竇)と同じ地図関係の人として覚えてください


フェルビースト(南懐仁)は、大砲技術を紹介しました
彼はアダム=シャール(湯若望)を補佐していました


カスティリオーネ(郎世寧)は、北京郊外に円明園を作りました


彼らの聞かれ方と特徴として、中国名が聞かれます
中国名含めて、覚えてくださいね


以上です

次回からは、東南アジアに入ります

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