それでは、東南アジア史を始めます
東南アジア史は、正直点取りエリアだと思います


だいたい受験生の皆さんは、ヨーロッパと中国史で精いっぱいで、
他の地域にまで余力がないと思います


相対的に勉強時間の少ない所に、苦手意識を持つのは錯覚です
覚えるべき量も少ないですから、ぜひ点取りポイントにしていってください


コツは、国単位で覚えることです
なので、国単位で説明します


ベトナム
南ベトナムには、チャンパー(2c~17c)という王朝がありました
後漢から独立して成立しました

特にベトナム史は、中国との関連で聞かれますので、そこに注目してください

チャンパーは、中国名が変わっていきます
林邑⇒環王⇒占城
以上のように変わります


環王は8c中頃、占城は9c後半から使われた中国名ですから、唐(618~907)の年代にあわせて、唐の初めまでは林邑、中頃が環王、唐の末期から占城が使われていると覚えてください


この覚え方がキツイと思った人は、ひとまず林邑占城だけ覚えて、
唐以前が林邑、唐以後が占城で覚えても十分戦えます
中国にいった占城米は、ココから輸出されてます


最終的には、北ベトナムの黎朝に滅ぼされました


北ベトナムは、最初は中国に占領されていましたね
秦では南海郡から監視され、前漢では武帝が南越を征服して、
日南郡(ユエ)を置いてます。後漢では、徴姉妹の乱(40)もありましたね


唐では安南都護府が、ハノイに置かれてます

ベトナムで聞かれる都は、3つしかありません
しっかり覚えてください


それは、ハノイ・ユエ・ホーチミン(サイゴン)です
北部・中部・南部と解かりやすく配置されているので、理解は速いです

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中国の支配権から脱した初めての長期王朝は、大越国(李朝)です
1009~1225年まで続きます。李公蘊が建国しました。都は昇竜(ハノイ)です


漢字表記ですが、ベトナム人です
ベトナムは、現在にいたるまで中国とのつながりが深いです
それは、いい意味・悪い意味両方あります


文化の影響を受けているし、侵略されもしています
そのため、李朝は仏教・儒教を重んじています


次が、陳朝(1225~1400)です
都は、ハノイです
漢字をもとに字喃という独自文字を作り、史書「大越史記」を残した王朝です
元と戦って退けたことも覚えましょう


その次の王朝いきます
明に滅ぼされた陳の後に、明から独立したのが黎朝(1428~1527,1532~1789)です
一時、王権を奪われた時期がありますが、聞かれません

都は同じくハノイです。朱子学の影響を受けてます
一番聞かれるのは、南ベトナムのチャンパーを征服したことですね

最後は、西山党の乱(1773)が起こり、滅びました

西山朝(1778~1802)自体は、短期で滅びます


その後、フランス人ピニョーの支援でできたのが、阮朝(1802~1945)です
王は、阮福暎です。都はユエです。国号は、越南です

切羽詰まったら、都はハノイでいいですが、阮はユエなのに注意です

当初は、清が宗主国でしたが、最終的にはフランスの植民地になります


ベトナムがフランスの植民地だったことを知っているのは、一般人では少ないですが、
フランスに行くと、この縁でフランスに留学している人にポツポツ会います

北ベトナムは、李⇒陳⇒黎⇒阮をおさえれば、イケます

カンボジア
ベトナム史は、けっこう東南アジアでは長いほうで、カンボジアは覚える内容は少ないです

まずは川を覚えてください

カンボジアといえばメコン川です

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最初の王朝は、扶南(1~2c)です。クメール人の国になります
当時の町で有名なのが、海港都市オケオです
ローマ帝国の金貨などが出土しています


次が真臘(6~15c)です。これもクメール人の国です
扶南を滅ぼして、建国しています。宗教はヒンドゥー教です

都はアンコール=トムで、とにかく有名な寺院がアンコール=ワットです
センター試験で東南アジア史を聞かれたら、確実に画像問題でます
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これは最盛期の王、ジャヤヴァルマン2世によって造営しました

カンボジアは、これぐらいです

扶南⇒真臘だけでいけます


タイ
有名な川は、チャオプラヤ川です
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6~8cにあったモン人の王国は、ドヴァーラヴァティといいます

宗教は、上座部仏教です。唐と朝貢関係でした

この国は、けっこう聞かれるのはレアです


聞かれるのは、スコータイ朝(1257~15c)からです
ここからずっとタイ人の王朝です
最盛期は、ラームカムヘンで、国教は上座部仏教です
タイ文字を作成しています


次の王朝は、アユタヤ朝(1351~1757)です
ここで聞かれるのは、日本人です。江戸の人で、山田長政といいます
日本町を作って、タイで有力者になりました


ミャンマーのコンバウン朝によって滅んでます


最後は、ラタナコーシン(チャクリ)朝です
1782年から始まり、現在も続いています。つまりタイは、まだ名目上は王朝です

創始者はラーマ1世で、最盛期は、ラーマ5世(チュラロンコーン)です
在位が1853~1910年です。つまり植民地化の時代にうまく独立を維持した王です


スコータイ朝⇒アユタヤ朝⇒ラタナコーシン朝の流れです


今回のように東南アジアは、主要王朝を覚えて、王様を少し覚えれば、
だいたい戦えますよ。恐れることはりません。頑張りましょう


次回も東南アジア行きます

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