それでは、イスラム教の話をしていきましょう
中心的なエリアは、中東になります。別の言い方を使うと西アジアです
アラビア半島のあたりですね
特にアラビア半島の西側は、ヒジャーズといわれます
ここには、イスラムの聖地があります
メッカとメディナです
イスラム教の創始者は、クライシュ族ハーシム家のムハンマドです
彼はメッカの出身です。彼ははじめ、メッカで布教活動を始めますが、失敗します
この当時の新興宗教ですから、頭ヤバイ奴と思われても普通ですw
彼は622年に、拠点をメディナに移します。イスラム教の中ではこれに意味があったと考えます
それをヒジュラ(聖遷)といいます。イスラムの世界では、ここが元年になります
西暦は、キリスト教基準なので、イスラムが西暦を使用しにという発想は理解できます
なので、彼らに2013年と言っても、ピンときません
ここで共同体を作り、彼は力を蓄えます
共同体をウンマといいます
イスラム教の教えは、六信五行に代表されます。6つのものを信じて、5つを行えということです
★六信
アッラー・天使・啓典・預言者・来世・天命
★五行
信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼
この中でわかりにくそうな奴だけ説明します
信仰告白は、「私はアッラーを信じます」と宣言することです
喜捨は、喜んで寄付しなさいということです
イスラムの人をムスリムといいますが、ムスリムは、1年に一か月、断食します。これをラマダーンといいます
ムハンマドは、630年にメッカを取り戻し、632年に亡くなります
これ以後の指導者は、カリフ(後継者)といわれます。この言葉、王様ぐらいのイメージを持っていてください
まずはアブー=バクルが、632年にカリフになります
彼はムハンマドの友人であり、義父でもあります
次のウマルは、642年にニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシアを倒します
ここでムハンマド以前の中東事情を少し話しましょう
オリエントに始まり、アケメネス朝ペルシアの支配が入ります
アレクサンドロス大王が征服後は、セレウコス朝シリアができ、その次がパルティアです
パルティアは、ミトラダテス1世だけ覚えましょう
そのパルティアを倒したのが、ササン朝(226~651)です
語呂いきます
ササン蝶々(朝)手で包む(226)、虫に(642)刺されて、惨い(651)死に方
この語呂で、ササン朝の覚えられる年号は全てです
都はクテシフォンで、バグダードのちょい右下です
覚える王様は、3人です
初代のアルデシール1世、2代シャープール1世は、ローマ皇帝のヴァレリアヌスを捕虜にしています
あとは最盛期のホスロー1世です
ササン朝は、中東で強い国でしたが、そこを滅ぼしたのは凄い力だと思います
聞いたことがあると思いますが、彼らは聖戦(ジハード)を続けます
次のウスマーンの時には、経典の「コーラン」が成立しました
4代目のアリーの時に問題が起きます
シリアの総督ムアーウィヤが反乱を起こします
この戦いの中でアリーが暗殺されます。そのため、ムアーウィヤが権力をイスラム社会で握ります
彼が作った王朝がウマイヤ朝(661~750)です
ここからイスラムは、2大派閥に分かれます
代々の実力者を正統とするスンナ派とアリーと子孫を正統と認めるシーア派に分かれました
比率は、9:1でスンナ派が多数派です
スンナ派×シーア派
この構造は、ニュースを聞いているとよくでてきます
今でもスンナ派とシーア派の対立があります。そこを理解すると、ニュースも把握できます
ここから時代の流れが変わっていきます
アリーまでの時代を正統カリフ(632~661)ということは覚えましょうね
アブー=バクル⇒ウマル⇒ウスマーン⇒アリー
この流れを何度も口にだして覚えましょうね
ウマイヤ朝(661~750)の都は、ダマスクスです。ダマスクスは、オリエントでアラム人が拠点とした場所ですね。ウマイヤ朝は、領土を急拡大します
最盛期は、アブド=アルマリク(位685~705)です
ヨーロッパもウマイヤ朝の領土になります
711年には西ゴート王国を滅ぼし、スペインを手中におさめます
さらにフランスまで食い込みますが、ここでは敗れます
これをトゥール=ポワティエ間の戦い(732)といいます
相手の王は、カール=マルテルです
ウマイヤ朝の次にでてくるのが、アッバース朝(750~1258)です
アッバース朝は、ウマイヤ朝に不満のある人々の力を利用しました
まずイスラム社会には2つの税金があります
ハラージュ(土地税)・ジズヤ(人頭税)といいます
急拡大した領土の中で、ウマイヤ朝の抱えた矛盾が差別です
アラブ人は、まず無税です。イスラム教に改宗した人をマワーリーいいますが、
彼らはハラージュ・ジズヤを払いました
イスラム教は平等性を説いてるのに、ウマイヤ朝の方針はおかしいと思う人がよくいました
ちなみに非イスラム教徒はジンミーといいます。また、イスラム教は他宗教にも寛容でした
ユダヤ・キリスト教を啓典の民といい、排斥運動などはしませんでした
このような不満を利用してアッバース朝は、力を持ちました
そのため、アッバース朝下ではアラブ人・マワーリーともにハラージュを払うことで落ち着きました
できて早々、アッバース朝は、唐とタラス河畔の戦い(751)を行い、これに勝利します
製紙法を学んだのが、この時です
2代マンスールの時のは、新都バグダードが造営されました
ここから都は、バグダードです。今のイラクの首都ですね
最盛期は、ハールーン=アッラシードです
最後は、モンゴルに滅ぼされてましたね
語呂いきます
1、2ご破算(1258)、アッバース
イスラムの最初の流れは、
ムハンマド⇒正統カリフ⇒ウマイヤ朝⇒アッバース朝
ということになります。ここを軸に知識を肉付けしていってください
今回は、ココで終わります
次回は、イスラム国家の乱立について話たいと思います
コメント
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誤記ばかりで申し訳ありませんが、
赤字の、「ラダマーン」の箇所ですが、
「ラマダン or ラマダーン」かと思われます。