世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2013年12月

-またアレッポ空爆、20人死亡=シリア-

【ベイルートAFP=時事】
在英のシリア反体制派団体「シリア人権監視団」によると、シリア北部アレッポで28日、ヘリコプターがTNT火薬を詰め込んだたる爆弾を野菜市場や病院周辺などに投下し、子供2人を含む少なくとも市民20人が死亡した。アレッポに対しては、アサド政権側が空爆を強めており、25日の時点で計400人超が死亡している。


■引用元
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131228-00000083-jij-m_est


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
イスラムの歴史を話したので、シリア問題について説明します
2011年からシリアは内戦状態になっています。なぜこんなにグズグズ内戦が続くのでしょうか?シリアの現状を分析していきましょう


チュニジアジャスミン革命というのが起きて、イスラム世界の各地で民主化運動が加速化しました
イスラム世界では独裁政権が多かったので、今まで溜まっていた不満が国民から爆発した形になります

しかしながら、ちょっとシリアの場合は事情が違います
まずイスラム世界で重要なのが、スンナ派シーア派の対立です

スンナ派とシーア派は、かつてイスラムのトップを廻って見解の相違があって以来、
ずっと揉めてます


スンナ派とシーア派の比率は、9:1です


シリアを独裁体制で支配してるのは、アサドです
彼の支持基盤がシーア派で国内の10%程度です。大多数はスンナ派なわけです

少数派が多数派を支配しているわけですね

権力基盤がアンバランスですから、独裁で無理矢理押さえつけています

そのため多数派のスンナ派から不満が爆発しているわけですね


ここでポイントなのが、海外勢力支援です

政府側を支援しているのが、イランです。イランもシーア派国家です
反政府側を支援しているのが、イスラエルです

2013-12-31_2-10-23

イスラエルは、ユダヤ人の国です。イスラエルは、第二次世界大戦後にイスラムの人を追い出して建国しています。そのため、イスラムと仲悪いです


しかし、イスラエルが表立って支援すると、他のイスラム諸国の恨みを買いますから、
アメリカの登場を待つわけです


オバマ大統領は、シリアが毒ガスを利用した疑惑があるため、攻撃を考えましたが、
できませんでした


人道的にみると、介入は必要ですが、オバマ大統領には介入後のビジョンがなかったと思います
そのため賛同する国家は、日本を含めて、ありませんでした


シリアには、すでに石油枯渇してなくなっていると言われています
アサドは、その部分を情報統制で隠しています


仮に反政府側が勝ったとしても、おそらく国の運営はうまくいきません
結局、シリアは情勢が不安定化するわけです


そこで入ってくるのがイスラム原理主義という集団です
彼らは宗教に沿って国を運営するわけです。経済なんかわかってないです
結果、混乱するわけですね


そこで現状が改善しない現実に国民は絶望するわけですね
その原因追及が極端になると、アメリカのせいにされて、テロにつながるわけです


反政府組織支援に利益がないので、アメリカの支援も中途半端になっているのです
結局のところ、アサドによる穏健な改革に期待するという方向でおさまっていくと思います

前回は、アッバース朝まで話しましたね
今までは1つの王朝が、イスラムの権威を持って、世界に君臨していましたが、
ここからは違います。多くのイスラム系王朝がでてきます


まずウマイヤ朝の残存勢力がイベリア半島に残り、後ウマイヤ朝(756~1031)になります。都はコルドバです
2013-12-30_7-26-28

王で有名なのは、アブド=アッラフマーン3世(位912~961)です

皆さん意外だと思いますが、スペインは800年ほどイスラム勢力に支配されています
そのためスペインに旅行してみてください。イスラムの名残が、あの国にはまだあります


中央アジアには、サーマーン朝(875~999)というのができてます
このサーマーン朝をカラ=ハン朝が滅ぼしてます

さらにカラ=ハン朝を西遼が滅ぼし、西遼はナイマンに滅ぼされ、ここにモンゴル帝国がきます

中央アジアは、王朝名だけ覚えておけば、なんとかなるので、王朝の流れを覚えてください

サーマーン⇒カラ=ハン⇒西遼⇒ナイマン⇒モンゴル帝国


チュニジアには、シーア派の過激イスマーイール派ファーティマ朝(909~1171)ができました。支配権は、エジプトまで及んでいます

ファーティマ朝が、新しい都としてカイロを造営しています
ここは、今のエジプトの首都ですね
2013-12-30_11-58-37

ここにアズハル学院を設立し、イスラムの研究機関にもなりました


後ウマイヤ朝・ファーティマ朝・アッバース朝は、皆「俺が、カリフだ!!」と主張しています
これを3カリフ国鼎立の時代と言ったりします

2013-12-30_8-18-23

イランには、ブワイフ朝(932~1062)ができます
この王朝がバグダードを占領したので、アッバース朝は形骸化してしまいます


ブワイフ朝の特徴は、イクター制をつくったことです。これは給料として、部下に徴税権を与えることです
中東は砂漠ですから、土地をあげるのでなく、徴税権をあげるのは理解できますね


このブワイフ朝を破って、西アジア・中央アジアを支配した国が、セルジューク朝トルコ(1038~1194)です
建国者は、トゥグリル=ベクです。このあたりから、宗教と現実世界のトップが一致しなくなります


かつて日本では、天皇が力を持っていた時代がありましたが、今は総理大臣ですよね!?
この当時もそうです。カリフは権威となり、実際の実力者にはスルタンの称号が与えられました


1071年には、ビザンツ帝国マンジケルトの戦いがあり、これに勝利します
その後小アジアにも勢力が及びます


最盛期は、マリク=シャー(位1072~1092)です。宰相ニザーム=アル=ムルクの力もあり、大いに発展します
ニザーミーヤ学院を設立し、学業を奨励しました


セルジューク朝に変わるように中東で覇権を握るのは、サラディン率いるアイユーブ朝(1169~1250)です
彼はイェルサレムを領土化します。この王朝は、ヨーロッパからやって来る第3回十字軍を退けます
十字軍は、複数回あります


ヨーロッパ史で詳しく説明しますが、十字軍は聖地イェルサレムの奪還を目指してやってきます
なので、中東の人は十字架に対してよい気持ちがありません


赤十字という慈善団体も中東では、自分たちのマークの使用を自粛する時があるそうです
2013-12-30_8-56-2
イスラムでは、三日月がいい意味が考えられています

赤十字のマークも三日月に変わります

2013-12-30_8-56-12



話を戻しましょう。アイユーブ朝の後に君臨するのはマムルーク朝(1250~1517)です
都は、カイロです

この王朝は、モンゴルの攻撃も、十字軍の攻撃も跳ね返して、中東に君臨しました

最盛期は、バイバルス(位1260~1277)の時です


後ウマイヤ朝以後のイスラム王朝も話しましょう
後ウマイヤ朝の次は、ムラービト朝で、その次がムワッヒド朝です

この2王朝は、ベルベル人の王朝です。ベルベル人は、マグリブの先住民です

マグリブっていうのは、北アフリカのことです

だいたい今のモロッコ・アルジェリア・チュニジアのあたりです

イベリア半島最後のイスラム王朝は、ナスル朝(1232~1492)です

都は、グラナダです。この国でアルハンブラ宮殿というのが作られてます
今はスペインで屈指の観光名所ですね。画像問題もよくでます

2013-12-30_11-18-49

インドのイスラムも話しましょう
インドにもイスラムが流入します。皆さんの知っているタージ=マハル宮殿もイスラム建築です

最初にインドに入ったイスラム王朝は、ガズニ朝(962~1186)です
その次がゴール朝(1148頃~1245)になります

あとはデリー=スルタン朝(1206~1526)といって5つの王朝がデリーを都にして連続して誕生しました


アイバクの建てた奴隷王朝に始まり、
ハルジー⇒トゥグルク⇒サイイド⇒ロディー
となります

最初の4王朝がトルコ系で、ロディー朝のみアフガン系です


今回、王朝が出過ぎて、何が何んだかという所があると思います
重要なのは、エリア毎に王朝を覚えることです


王朝の流れだけつかめば、内容を深く聞かれることはありません

イベリア半島なら、
後ウマイヤ朝⇒ムラービト朝⇒ムワッヒド朝⇒ナスル朝
でしたね


中東の王朝の流れ、中央アジア、エジプト等、エリア分けして覚えてください


最後に文化史をちょびっといきましょう

文化史は、イブンが一杯でます


イブン=ハルドゥーンは、歴史書の「世界史序説」を書きました


イブン=ルシュド(アヴェロエス)は、コルドバ生まれで、ムワッヒド朝に仕えてました
彼はアリストテレスを研究していました。なので、アヴェロエスというヨーロッパ名があります


モロッコ出身のイブン=バットゥータ、「三大陸周遊記」という旅行記を書いてます
元時代の大都(現・北京)に行った経験もありましたよね


イブン=シーナー(アヴィケンナ)は、医学書「医学典範」を書いています


文化史では、4つイブンがあると記憶してくださいね


あとは詩人のウマル=ハイヤーム「ルバイヤート」という四行詩集も覚えましょう

あとは幾何学模様のアラベスクと挿絵のミニアチュールを覚えてくれればOKです
2013-12-30_11-49-46


次回は、中世ヨーロッパに行きます

それでは、イスラム教の話をしていきましょう
中心的なエリアは、中東になります。別の言い方を使うと西アジアです

アラビア半島のあたりですね
2013-12-29_13-13-33

特にアラビア半島の西側は、ヒジャーズといわれます

ここには、イスラムの聖地があります
メッカメディナです

2013-12-29_7-25-48

イスラム教の創始者は、クライシュ族ハーシム家ムハンマドです
彼はメッカの出身です。彼ははじめ、メッカで布教活動を始めますが、失敗します

この当時の新興宗教ですから、頭ヤバイ奴と思われても普通ですw

彼は622年に、拠点をメディナに移します。イスラム教の中ではこれに意味があったと考えます

それをヒジュラ(聖遷)といいます。イスラムの世界では、ここが元年になります
西暦は、キリスト教基準なので、イスラムが西暦を使用しにという発想は理解できます

なので、彼らに2013年と言っても、ピンときません


ここで共同体を作り、彼は力を蓄えます
共同体をウンマといいます


イスラム教の教えは、六信五行に代表されます。6つのものを信じて、5つを行えということです
★六信
アッラー・天使・啓典・預言者・来世・天命

★五行
信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼


この中でわかりにくそうな奴だけ説明します
信仰告白は、「私はアッラーを信じます」と宣言することです


喜捨は、喜んで寄付しなさいということです


イスラムの人をムスリムといいますが、ムスリムは、1年に一か月、断食します。これをラマダーンといいます


ムハンマドは、630年にメッカを取り戻し、632年に亡くなります
これ以後の指導者は、カリフ(後継者)といわれます。この言葉、王様ぐらいのイメージを持っていてください


まずはアブー=バクルが、632年にカリフになります
彼はムハンマドの友人であり、義父でもあります


次のウマルは、642年ニハーヴァンドの戦いササン朝ペルシアを倒します


ここでムハンマド以前の中東事情を少し話しましょう
オリエントに始まり、アケメネス朝ペルシアの支配が入ります
アレクサンドロス大王が征服後は、セレウコス朝シリアができ、その次がパルティアです

パルティアは、ミトラダテス1世だけ覚えましょう
そのパルティアを倒したのが、ササン朝(226~651)です


語呂いきます
ササン蝶々(朝)手で包む(226)虫に(642)刺されて、惨い(651)死に方

この語呂で、ササン朝の覚えられる年号は全てです

都はクテシフォンで、バグダードのちょい右下です

2013-12-29_9-45-35

覚える王様は、3人です
初代のアルデシール1世、2代シャープール1世は、ローマ皇帝のヴァレリアヌスを捕虜にしています
あとは最盛期のホスロー1世です

ササン朝は、中東で強い国でしたが、そこを滅ぼしたのは凄い力だと思います

聞いたことがあると思いますが、彼らは聖戦(ジハード)を続けます

次のウスマーンの時には、経典の「コーラン」が成立しました


4代目のアリーの時に問題が起きます
シリアの総督ムアーウィヤが反乱を起こします

この戦いの中でアリーが暗殺されます。そのため、ムアーウィヤが権力をイスラム社会で握ります

彼が作った王朝がウマイヤ朝(661~750)です

ここからイスラムは、2大派閥に分かれます

代々の実力者を正統とするスンナ派とアリーと子孫を正統と認めるシーア派に分かれました
比率は、9:1でスンナ派が多数派です

スンナ派×シーア派


この構造は、ニュースを聞いているとよくでてきます
今でもスンナ派とシーア派の対立があります。そこを理解すると、ニュースも把握できます


ここから時代の流れが変わっていきます
アリーまでの時代を正統カリフ(632~661)ということは覚えましょうね

アブー=バクル⇒ウマル⇒ウスマーン⇒アリー

この流れを何度も口にだして覚えましょうね


ウマイヤ朝(661~750)の都は、ダマスクスです。ダマスクスは、オリエントでアラム人が拠点とした場所ですね。ウマイヤ朝は、領土を急拡大します


最盛期は、アブド=アルマリク(位685~705)です

ヨーロッパもウマイヤ朝の領土になります
711年には西ゴート王国を滅ぼし、スペインを手中におさめます
さらにフランスまで食い込みますが、ここでは敗れます
これをトゥール=ポワティエ間の戦い(732)といいます
相手の王は、カール=マルテルです


ウマイヤ朝の次にでてくるのが、アッバース朝(750~1258)です
アッバース朝は、ウマイヤ朝に不満のある人々の力を利用しました

まずイスラム社会には2つの税金があります
ハラージュ(土地税)・ジズヤ(人頭税)といいます
急拡大した領土の中で、ウマイヤ朝の抱えた矛盾が差別です


アラブ人は、まず無税です。イスラム教に改宗した人をマワーリーいいますが、
彼らはハラージュ・ジズヤを払いました

イスラム教は平等性を説いてるのに、ウマイヤ朝の方針はおかしいと思う人がよくいました
ちなみに非イスラム教徒はジンミーといいます。また、イスラム教は他宗教にも寛容でした
ユダヤ・キリスト教を啓典の民といい、排斥運動などはしませんでした

このような不満を利用してアッバース朝は、力を持ちました

そのため、アッバース朝下ではアラブ人・マワーリーともにハラージュを払うことで落ち着きました

できて早々、アッバース朝は、唐とタラス河畔の戦い(751)を行い、これに勝利します
製紙法を学んだのが、この時です


2代マンスールの時のは、新都バグダードが造営されました
ここから都は、バグダードです。今のイラクの首都ですね

2013-12-29_12-50-35

最盛期は、ハールーン=アッラシードです
最後は、モンゴルに滅ぼされてましたね


語呂いきます
1、2ご破算(1258)、アッバース


イスラムの最初の流れは、
ムハンマド⇒正統カリフ⇒ウマイヤ朝⇒アッバース朝
ということになります。ここを軸に知識を肉付けしていってください
今回は、ココで終わります

次回は、イスラム国家の乱立について話たいと思います

東南アジア史の続きいきます
残りの国を解説します


ミャンマー
ミャンマーといえば、イラワディ川ですね

2013-12-27_20-7-10
8cには、チベット=ビルマ系の人がピューという国を作ってますが、
これはレアです。南詔が滅ぼしたと言われています


よく聞かれるのは、次のパガン朝(1044~1299)からです
ここからビルマ(ミャンマー)人の国です
セイロン島から入った上座部仏教の国です

に滅ぼされてます


次はトゥングー朝(1531~1752)
王朝名だけでよいです


最後がコンバウン(アラウンパヤー)朝です
1752~1885年までの王朝です

タイのアユタヤ朝を滅ぼしてますね。最後は、イギリスの植民地になります
パガン⇒トゥングー⇒コンバウンで覚えましょう

インドネシア
インドネシアは、海洋国家です
主要な島は、スマトラ島ジャワ島で展開されます

2013-12-27_21-26-30

まず、よく聞かれるのがシュリーヴィジャヤ(7~14c)です
長く続いていますね。拠点はスマトラ島です
中国名は、室利仏逝です。唐のお坊さん、義浄が帰り道に寄りましたね

都は、パレンバンです。ここは、大乗仏教の国です


ジャワ島では、シャイレンドラ朝(8c中~9c前)がありました
この王朝で聞かれるのはただ一つ、ボロブドゥールの遺跡です

カンボジアのアンコール=ワットと似ていて紛らわしいので、注意してください
2013-12-27_0-40-12

レア系の王朝は、シンガサリ朝で、元の朝貢要求を拒絶したため、
ジャワ遠征のきっかけを作ってます。これだけ聞かれます


ジャワにできた本格的な国は、マジャパヒト王国(1293~1520頃)です
ヒンドゥー教国家です
元軍を退けましたが、鄭和の南海諸国遠征以後は、朝貢関係をと結んでいます


同時期にマレー半島にいたのが、マラッカ王国(14c末~1511)です
イスラム教国家です
マレー半島というくらいですから、この国はマレーシア史に組み込まれると思います

鄭和の影響で朝貢関係を持ち、最後はポルトガルにやられてます


インドネシアで最後に覚えるのは、マタラム王国(16c末~1755)です
イスラム教国家です。この影響で、インドネシアは今もイスラムです

オランダに滅ぼされます


インドネシアは、
シュリーヴィジャヤ⇒マジャパヒト⇒マタラム
これが基本形です。付属でシャイレンドラとマラッカを覚えましょう


■フィリピン
最後にフィリピンを少し、特に王朝とかは聞かれません
初めて世界一周したといわれるマゼランが来て以後は、スペイン領です
植民地の権限は、アメリカに移行し、その後独立して現在です


東南アジア史は、以上です。そんなに覚える量はないですよね?
まず各国の主要王朝覚えるそこがです
ここをキッチリ覚えておけば、必ず得点UPが期待できます


次回、イスラム世界になります

それでは、東南アジア史を始めます
東南アジア史は、正直点取りエリアだと思います


だいたい受験生の皆さんは、ヨーロッパと中国史で精いっぱいで、
他の地域にまで余力がないと思います


相対的に勉強時間の少ない所に、苦手意識を持つのは錯覚です
覚えるべき量も少ないですから、ぜひ点取りポイントにしていってください


コツは、国単位で覚えることです
なので、国単位で説明します


ベトナム
南ベトナムには、チャンパー(2c~17c)という王朝がありました
後漢から独立して成立しました

特にベトナム史は、中国との関連で聞かれますので、そこに注目してください

チャンパーは、中国名が変わっていきます
林邑⇒環王⇒占城
以上のように変わります


環王は8c中頃、占城は9c後半から使われた中国名ですから、唐(618~907)の年代にあわせて、唐の初めまでは林邑、中頃が環王、唐の末期から占城が使われていると覚えてください


この覚え方がキツイと思った人は、ひとまず林邑占城だけ覚えて、
唐以前が林邑、唐以後が占城で覚えても十分戦えます
中国にいった占城米は、ココから輸出されてます


最終的には、北ベトナムの黎朝に滅ぼされました


北ベトナムは、最初は中国に占領されていましたね
秦では南海郡から監視され、前漢では武帝が南越を征服して、
日南郡(ユエ)を置いてます。後漢では、徴姉妹の乱(40)もありましたね


唐では安南都護府が、ハノイに置かれてます

ベトナムで聞かれる都は、3つしかありません
しっかり覚えてください


それは、ハノイ・ユエ・ホーチミン(サイゴン)です
北部・中部・南部と解かりやすく配置されているので、理解は速いです

2013-12-26_22-52-3

中国の支配権から脱した初めての長期王朝は、大越国(李朝)です
1009~1225年まで続きます。李公蘊が建国しました。都は昇竜(ハノイ)です


漢字表記ですが、ベトナム人です
ベトナムは、現在にいたるまで中国とのつながりが深いです
それは、いい意味・悪い意味両方あります


文化の影響を受けているし、侵略されもしています
そのため、李朝は仏教・儒教を重んじています


次が、陳朝(1225~1400)です
都は、ハノイです
漢字をもとに字喃という独自文字を作り、史書「大越史記」を残した王朝です
元と戦って退けたことも覚えましょう


その次の王朝いきます
明に滅ぼされた陳の後に、明から独立したのが黎朝(1428~1527,1532~1789)です
一時、王権を奪われた時期がありますが、聞かれません

都は同じくハノイです。朱子学の影響を受けてます
一番聞かれるのは、南ベトナムのチャンパーを征服したことですね

最後は、西山党の乱(1773)が起こり、滅びました

西山朝(1778~1802)自体は、短期で滅びます


その後、フランス人ピニョーの支援でできたのが、阮朝(1802~1945)です
王は、阮福暎です。都はユエです。国号は、越南です

切羽詰まったら、都はハノイでいいですが、阮はユエなのに注意です

当初は、清が宗主国でしたが、最終的にはフランスの植民地になります


ベトナムがフランスの植民地だったことを知っているのは、一般人では少ないですが、
フランスに行くと、この縁でフランスに留学している人にポツポツ会います

北ベトナムは、李⇒陳⇒黎⇒阮をおさえれば、イケます

カンボジア
ベトナム史は、けっこう東南アジアでは長いほうで、カンボジアは覚える内容は少ないです

まずは川を覚えてください

カンボジアといえばメコン川です

2013-12-27_0-27-25

最初の王朝は、扶南(1~2c)です。クメール人の国になります
当時の町で有名なのが、海港都市オケオです
ローマ帝国の金貨などが出土しています


次が真臘(6~15c)です。これもクメール人の国です
扶南を滅ぼして、建国しています。宗教はヒンドゥー教です

都はアンコール=トムで、とにかく有名な寺院がアンコール=ワットです
センター試験で東南アジア史を聞かれたら、確実に画像問題でます
2013-12-27_0-40-12

これは最盛期の王、ジャヤヴァルマン2世によって造営しました

カンボジアは、これぐらいです

扶南⇒真臘だけでいけます


タイ
有名な川は、チャオプラヤ川です
2013-12-27_2-24-17

6~8cにあったモン人の王国は、ドヴァーラヴァティといいます

宗教は、上座部仏教です。唐と朝貢関係でした

この国は、けっこう聞かれるのはレアです


聞かれるのは、スコータイ朝(1257~15c)からです
ここからずっとタイ人の王朝です
最盛期は、ラームカムヘンで、国教は上座部仏教です
タイ文字を作成しています


次の王朝は、アユタヤ朝(1351~1757)です
ここで聞かれるのは、日本人です。江戸の人で、山田長政といいます
日本町を作って、タイで有力者になりました


ミャンマーのコンバウン朝によって滅んでます


最後は、ラタナコーシン(チャクリ)朝です
1782年から始まり、現在も続いています。つまりタイは、まだ名目上は王朝です

創始者はラーマ1世で、最盛期は、ラーマ5世(チュラロンコーン)です
在位が1853~1910年です。つまり植民地化の時代にうまく独立を維持した王です


スコータイ朝⇒アユタヤ朝⇒ラタナコーシン朝の流れです


今回のように東南アジアは、主要王朝を覚えて、王様を少し覚えれば、
だいたい戦えますよ。恐れることはりません。頑張りましょう


次回も東南アジア行きます

このページのトップヘ