世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2013年12月

(1616~1912)
中国史も清まで来ましたね。中国史は、一旦ココでお休みです

それ以後の清は、植民地時代⇒独立⇒現在の流れですね


それでは初代からいきましょう。初代は、ヌルハチ(位1616~1626)です
彼はツングース系女真族です


またまた北方民族に中国は、征服されてしまいます

ヌルハチの頃の国号は、まだ清でなく後金(1616~1636)です
狭義には清は、1636年からということになります


彼は、八旗という8つのグループに軍隊を整備しました
これが軍隊で、警察の役割にあたるのが緑営です
主に漢人で構成され、明滅亡後に中国本土で普及します


2代は、ホンタイジです
彼は内モンゴルのチャハル部を支配し、国号もにしました
朝鮮王朝(李氏朝鮮)を服属させることにも成功しました


3代順治帝は、万里の長城を越えて、北京に入城します
以後、清の都は北京です

彼は李自成の乱を平定しました


4代が、康熙帝(位1661~1722)です

まず三藩の乱(1673~81)を鎮圧します
雲南呉三桂、広東尚可喜、福建耿継茂の三藩が起こした乱です


特に聞かれるのが、呉三桂です
彼は清が、中国本土を計画していた時に国境の山海関を守っていましたが、
そこを開けて、北京への入城を促した功績で、雲南を貰っていました

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その後、清は徐々に中央集権を進めたため、彼らが危機感覚え、三藩の乱となりました

一時は長江以南を支配する強大な乱になりました

彼らは「漢民族の国を再興する」と叫びましたが、当の呉三桂が裏切って、清を本土に招きましたよね、
信用されるわけないですw


三藩の乱鎮圧後は、台湾に攻めました
台湾は当初、オランダの支配権にありましたが、拠点ゼーランディア城鄭成功が攻略して、
自分の支配権に置いていました


彼は、明の残党勢力です
まずは遷界令(1661)で、中国本土の台湾周辺の民を内陸に強制移動させました
これ何かというと、台湾が本土攻略時に、旨味がまったくなくなります
本来であれば、本土の町を起点に、さらに奥地の町を攻略となりますが、そのスタート地点に町がありません

やがて台湾は平定されました


1689年には、ロシアとの国境設定としてネルチンスク条約を締結します
この条約よく聞かれます

国境は、外興安嶺アルグン川に決まりました。相手は、ピョートル1世です

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中国とロシアの国境は曖昧な地域が多く、いっぱいでます
最終的にすべて解決したのはロシアのプーチンまでかかってます


さらに外モンゴル・青海・チベットを服属させてます


彼の時に、地丁銀という土地税での税の一括納入システムを作りました
人頭税は廃止です


5代雍正帝は、キリスト教の布教を禁止(1724)します
これは、儒教文化をキリスト教側が尊敬するかを巡る典礼問題と関係しています
結局、キリスト教側は、儒教文化を否定したため、こいつらと仲良くできないと判断しました


1727年には、キャフタ条約を結び、外モンゴルに国境を作りました

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内部では軍機処を設定します
明での内閣のように、最終的にこの機関は、軍事行政上の最高機関になります


6代乾隆帝は、ジュンガル部回部を征服し、あわせて新彊としました
この地域、現在も中国領ですが、ウイグル人が多数派のため、中国のことが大嫌いです


観光した時に聞きましたが、胸にプリントされた毛沢東Tシャツを着ていると、石を投げられますw

あと彼は、海外貿易を広州一港に限定し、公行という商人組合に独占的な貿易を許可しました

ここまでが最盛期の清の話です


あとは少し統治制度を話しましょう
まず、清は領土が急拡大しました、新たな領土の管理機関として理藩院を置きました


また満漢併用制を実施し、民族による差別は行わず役職を選びました
このような行いが、清の長期統治に貢献したと思います


清の統治はアメとムチだと思います

役職等で差別はしませんでしたが、強制したものもあります

それは髪型の辮髪(弁髪)です

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また文字の獄禁書によって、反政府的な人や本を弾圧・禁止しました


清の文化史
まずは皇帝が命じて作った本からいきましょう
康熙帝は、「康熙字典」という字書を完成させました

雍正帝は、「古今図書集成」という百科事典を作りました

乾隆帝は、「四庫全書」です


考証学では、銭大昕が有名です。乾隆帝代の人です
「大清一統志」を書いてます


小説では、曹雪芹「紅楼夢」呉敬梓「儒林外史」は、比較的でます
余力があれば、「聊斎志異」「長生殿伝奇」「桃花扇伝奇」も覚えてください


最後にイエズス会宣教師の話をします
雍正帝で、キリスト教は禁止されますが、当初キリスト教は活躍していました
その時にいくつかの有名な本を残しています


康熙帝に仕えたブーヴェ(白進)・レジス(雷孝思)は、中国地図を作りました
「皇輿全覧図」を作成しました


明代に「坤輿万国全図」を作ったマテオ=リッチ(利瑪竇)と同じ地図関係の人として覚えてください


フェルビースト(南懐仁)は、大砲技術を紹介しました
彼はアダム=シャール(湯若望)を補佐していました


カスティリオーネ(郎世寧)は、北京郊外に円明園を作りました


彼らの聞かれ方と特徴として、中国名が聞かれます
中国名含めて、覚えてくださいね


以上です

次回からは、東南アジアに入ります

明(1368~1644)
金やら元やら、北方民族に悩まされた中国に、ようやく漢民族の国が復活します
それがですね

紅巾の乱で台頭した朱元璋が、明を建国して洪武帝になります
都は南京(金陵)です


語呂です
いざ、牢屋(1368)を破って、明建国


彼は、皇帝への権力集中のため、中書省を廃止し(1380)、
六部皇帝直属にします


ちなみに唐末期から、門下省・尚書省はあっても実際に動かず、
すでに廃止に近いものになっていました

実質、皇帝に文句の言える機関は、中書省だけになっていました


法律もちゃんと整備します。明律・明令といいます


軍人と一般人も分けます
軍人を軍戸として管理し、衛所制を整備しました

一般人は民戸として管理し、里甲制を使いました


民戸を管理する資料としては、租税台帳賦役黄冊
土地台帳として魚鱗図冊を用意しました


また国民の道徳意識を高めるために、六諭を奨励しています
「父ちゃん、母ちゃん、尊敬しろよ」的なやつが6つあります


洪武帝は農民あがりですが、国家設計はしっかりしていると思います


2代は、建文帝ですが、ちょっとココで揉めます
モンゴルの時もありましたね。一族同志の喧嘩です


建文帝は、洪武帝の1番目の子供の息子です。つまり孫ですね
彼は、自分のライバルになりそうな親族を粛清していきます

危機感を持ったのは、燕王朱棣です

建文帝は、燕王に兵を派遣しています。粛清のためですね

ただ燕王、めちゃくちゃ強かったので、返り討ちにします

燕というのは、今の北京あたりの地域ですね
追い払ったとはいえ、まだモンゴルの残党がいます
そこ相手に対峙する地域ですから、訓練もしっかりしていました


この結果、燕王は3代永楽帝(1402~1421)になります
これを靖難の変(1399~1402)といいます。絶対に靖康の変(1126)と間違えないでください


彼は、鄭和によって南海諸国遠征(1405~1433)を行い、モンゴル遠征も行いました
鄭和の遠征は、アフリカの東岸マリンディまで行っています


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--でません--
ココ、試験には絶対でませんが、鄭和は世界で初めてアメリカに行ったという説があります
コロンブスが1492年ですから、だいぶ早いですよね。ただ明の外交政策上、この話を握り潰したそうです

--でません--

都は、北京に遷都します
まぁ、自分のもっとも信頼できる支配地域なので、当然でしょう


彼は、洪武帝と違って、自分のまわりに優秀なブレーンを求めました
内閣といいます

ここのトップの内閣大学士は、昔の丞相と同じほどの権力を持つようになります


永楽帝以後は、内外の圧力に苦しみます

6代正統帝(英宗)時代に問題が発生します


内では、鄧茂七の乱(1448)が福建で起きます
これは農民の暴動が大規模化したものです


また外からはオイラトエセン=ハンが、6代英宗を捕虜にします
これを土木の変(1449)といいます

靖康の変(1126)と同じパターンですね


韃靼(タタール)という部族も、明領土に攻撃しました
有名な王は、アルタン=ハンです。最終的には、明に朝貢します


海からも明に攻撃がきます。日本人が海賊行為を行った倭寇です

陸と海から攻撃された、この事実を北虜南倭といいます


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明が処理すべき事案が多すぎですね
そのため、一種の鎖国のようなことをします。それを海禁といいます


--でません--
この内向きの政策があったため、
鄭和の南海諸国遠征のアメリカに行った事実は消されたと言われています

--でません--

14代万暦帝(位1572~1620)は、張居正の補佐のもと、外敵と和平を結びつつ、
内政を充実させました


彼の末期には、官僚系の東林党と宦官系の非東林党の主導権争いが激しくなります
東林党のリーダーは顧憲成、非東林党は魏忠憲です


17代崇禎帝は、飢饉の発生と北方の異民族に抗しきれないなくなります
李自成の乱が発生し、ついに1644年に滅びます


語呂です
異論無視(1644)して、捨ーてーてい(崇禎帝)


明代の社会・文化
まず明の穀倉地帯の中心地が、長江下流域から長江中流域に変わります
これを「湖広熟すれば天下足る」といいます


これは典型的な、正誤問題で聞かれるパターンです
「蘇湖(江淅)熟すれば天下足る」は宋代の言葉ですね


税制も環境の変化で変わりました
一条鞭法によって土地税人頭税が、銀納に変わりました


人頭税ってわかりますか?人一人ごとにかかる税金です
まぁ、生きてます税ですね。国民である限り、かかります


明には、メキシコ銀・日本銀が流入しています
メキシコ銀は、フィリピンのマニラ経由で来ました


商人では、安徽省売買で活躍した新安商人
山西省金融で儲けた山西商人が有名です

★安徽省
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★山西省
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彼らは広大な中国で、お金を稼ぐため、情報交換をする場所を設置しました

それを会館・公所といいます


陶磁器の名産地は、景徳鎮を覚えてください


明で主流派の学問は、朱子学です
この学問に対抗する形でできたのが、陽明学です

陽明学は、心や実践を重視します
これは大成した王陽明の名からきています


考えは、心即理・知行合一・致良知です
だいたい漢字を見れば、意味はわかると思います


心即理は、人の本質を心に見ていることです


知行合一は、実践されない知識に意味がないとうことです
どこでも口だけ一人前はいると思いますが、「じゃあ、やって証明しろよ」という考えです


致良知、心を突き詰めれば、必ず真理に到達できるということです


永楽帝の命で多くの書物が作成されたことも覚えてください
百科事典の「永楽大典」、他に「四書大全」「五経大全」などです

四書五経は、儒教の経典でしたね


学問の客観的知識を高める目的でうまれたのは、考証学です
「明夷待訪録」を書いた黄宗羲「日知録」顧炎武です


ここから先は、作者と本のセットだけで戦えます

徐光啓は農業書「農政全書」、暦書「崇禎暦書」です
イエズス会マテオ=リッチとの共著で数学書「幾何原本」を書いてます


李時珍の薬草書「本草綱目」宋応星は産業技術書「天工開物」が有名です


4つの有名な小説も覚えてください。四大奇書といいます
「水滸伝」「三国志演義」「西遊記」「金瓶梅」です

名前ぐらいは、聞いたことがると思います

「金瓶梅」は、豪族の生活描写がリアルに描かれて、当時の人々の動きがよくわかる本です


湯顯祖「牡丹亭還魂記」も、ほどほど聞かれます
この話は、夢の中で恋愛する話です


絵画いきましょう

南宗画、これは文人画で有名です
文人画は、職業画家じゃない人です。一番ざっくりいうと素人ですね
この南宗画は、董其昌を覚えましょう


北宗画は、院体画という職業画家が発展させた手法です
仇英が代表です


次回は、です

モンゴル帝国(1206~1271)
中国から見た北方民族で、一位、二位を争うのがモンゴル帝国です
13Cの世界最強は、間違いなくモンゴルです


初代はチンギス=ハン(位1206~27)です。ちなみにハンは、王様というこです
エジプトのファラオと同じですね


語呂です
いづれ無敵(1206)のモンゴル帝国


クリルタイという部族会議で、王が決まります
彼は、ナイマン・ホラズム・西夏と次々に征服しています


軍事行政制度として、千戸制を採用しています
遊牧民らしく、金の猛安・謀克に似ている制度です


2代は、チンギス=ハンの息子のオゴタイ=ハンです
彼は、都をカラコルムとしました


彼らのストロングポイントである馬を有効に使うため、駅伝制(ジャムチ)を整備します
馬も生き物なので、走ったら疲れます。そのため、ポイントごとに馬を置いておき、
新しい馬と変えることで当時の最速スピードで移動を可能にしました

これが駅伝制です

皆が勝手に馬を使用すると困るので、もちろん証明書が必要です
それを牌符といいます


彼は、金を滅ぼします(1234)


またバトゥをヨーロッパに西征させました
有名な戦いは、ワールシュタットの戦い(1241)です

ここでドイツ・ポーランド連合軍は敗れます


語呂です
1、2のよいしょ(1241)、ワールシュタット


領土を拡大した結果、サライを都にしたキプチャク=ハン国を建国します


4代モンケ=ハン(位1251~1259)は、
後の王フビライを東南アジアに派遣して、大理を滅ぼします
またフラグを中東に派遣して、アッバース朝を滅ぼします(1258)
朝鮮の高麗も属国にします


(1271~1368)
5代のフビライ=ハン(1260~1294)の話をしましょう
彼は即位早々、内乱に巻き込まれます


モンケ=ハンは、フビライのだったので、王様を独占するなと、
他の親族から文句がでます

ちなみにフラグもモンケ=ハン、フビライと兄弟です


文句をいったのが、ハイドゥです
これをハイドゥの乱(1266~1301)といいます


このあたりの身内同士の戦いは、今の北朝鮮のニュースを見れば、
だいたい想像できると思います


ハイドゥ陣営とフビライ陣営で戦内にモンゴルは、分離独立していきます

分裂した国は、以下になります

・元
・オゴタイ=ハン国
・チャガタイ=ハン国
・イル=ハン国
・キプチャク=ハン国


XX=ハン国がめっちゃありますね。覚え方を提供します

お茶いる?キープの4ハン国


お…オゴタイ=ハン国、都はエミール
茶…チャガタイ=ハン国、都はアルマリク
いる…イル=ハン国、都はタブリーズ
キープ…キプチャク=ハン国、都はサライ


これで覚えると、時計回りで国が覚えられます
頑張ってください

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この4ハン国の中で、イル=ハン国は急速にイスラム化していきます
支配地域の影響もありますが、7代のガザン=ハンはイスラム教を国教にしています
側近のイラン人、ラシード=アッディーンも有名で、「集史」というモンゴル史を書いています


結局、この戦いにフビライ=ハンは勝ちます

次に彼の勢力圏である中国の話をしましょう


元建国の語呂いきます
人に内緒(1271)で、元建国


都は大都(現・北京)です


1274年に文永の役、1281年に弘安の役で日本を攻めてます

1279年には、崖山の戦いで南宋を滅ぼしました


語呂です
いつになく(1279)、弱い南宋

ミャンマーのパガン朝を服属させることにも成功しています
ベトナム・ジャワにも攻めてますが、これには失敗しています


成功と失敗の理由は、明らかだと思います
彼らのストロングポイントである騎馬が活かせないと、
勝てないということですね


ベトナムは、森で有名です。森では騎馬の機動力は活きません
アメリカもベトナム戦争(1965~73)時に、森には手を焼き、枯れ葉剤まで使ってます


ジャワと日本は島国です。つまり海があるため、騎馬が無理なわけです
ちなみにジャワは、今のインドネシアです


モンゴルの統治は、モンゴル人第一主義といわれます

トップは、もちろんモンゴル人で、ついで色目人、漢人、南人となります
色目人は、中央アジア・西アジアの人です。色目人は、けっこう聞かれます
漢人と南人は漢民族ですが、最後まで抵抗した南宋を南人として、一番最下層に置いてます


こんな感じなので、科挙も一旦止めてます

文字も、ウイグル文字の流れを組む、モンゴル文字です
儀式などでは、パスパ文字が使われました


フビライ=ハイは、チベット仏教が好きで、お坊さんのパスパに頼んで、
新しい文字を作りました。もちろんチベット仏教も厚遇されました


紙幣は、金と同じ交鈔です


暦では、イスラムの影響を受けた授時暦を、郭守敬が定めています
日本人の渋川春海は、江戸時代に授時暦から学んで、貞享暦(1684)を作成しました
だいぶ、遅いですけどね


元は最終的に、紅巾の乱(1351 ~66)で滅んでます
別名、白蓮教徒の乱です


首謀者は、韓山童・韓林児の親子です

この時期、凶作が相次ぎ、漢人の不満が爆発していました
おそらくモンゴル人が統治が下手だったのが原因です


だってモンゴル人第一主義で要職に漢民族の人つけません
彼らが農業理解できるんでしょうか?

遊牧民ですよ。そりゃ、無理です

モンゴルの強さと弱さは、本当に馬に集約されると思います

馬が使えなければ、ボロがでるわけです


文化史
モンゴル支配時代の治安は、良かったです
何か問題あれば、馬で颯爽と駆けつけるわけですからね


この時代を「タタールの平和」といいます

ローマの「パックス=ロマーナ」と同じですね
ちなみにパックス(pax)は、ピース(peace)の語源です


この時期、支配領土もかつてなく、広大なので外国人が来ます

誰と会ったかをセットで覚えてください


まず、フランチェスコ派修道士プラノ=カルピニは、ローマ教皇インノケンティウス4世の命で、カラコルムに行き、3代グユク=ハンに会ってます
往復路、ともに陸路です


次のフランチェスコ派修道士ルブルックは、ルイ9世の命で4代モンケ=ハンに会ってます
往復路、ともに陸路です


5代フビライ=ハンに仕えたことで有名なのは、マルコ=ポーロです
彼は宣教師ではなく、ヴェネツィア出身の商人です
往路は陸路で、復路は海路でした

帰国後、ヴェネツィアと仲の悪かったジェノヴァで、牢獄に入れられます
そこで書かれたのが「世界の記述(東方見聞録)」です

ちなみに実際書いたのは、友人のルスチアーノです

マルコ=ポーロが、イタリアにジェラートを伝えたといわれます
黄金の国ジパング伝説も、彼の本がきっかけです


フランチェスコ派修道士モンテ=コルヴィノは、1294年にフビライ=ハンの没後、ローマ教皇ニコラウス4世の命で大都で布教活動を行いました
彼は海路で大都に到着し、そこで亡くなっています


モロッコ出身の旅行家、イブン=バットゥータは、中国・アフリカ等を旅行しました
彼の旅行記を「三大陸周遊記」といいます
往復路、ともに海路です


あとは演劇をいくつか覚えてください
元の演劇を元曲といいます


王実甫「西廂記」は、親に反対されながらも頑張る恋愛ものの作品です
こんな感じでジャンル分けして、テスト時にヒントにしてください


馬致遠「漢宮秋」は、匈奴に呼韓邪単于に嫁いだ王昭君の話です
前漢の実話です。もし呼韓邪単于を選ばせる問題があれば、確実にトップレベルの大学です

匈奴の有名人は、全盛期の冒頓単于です。単于(ぜんう)は、王様のことです
ファラオやハンと同じです


高則誠「琵琶記」は、夫が科挙を受けるため家を離れため、
妻が琵琶を弾きながら生計をたて、夫に会う話です
ジャンルとしては、夫婦ものでしょう


次回は、について話ます

このブログは、おそらく2014年2月更新ありません
管理人は、南アフリカに旅行に行きます

タイ1週間南アフリカ及び周辺国2週間滞在予定です
マンデラさんのお墓(東ケープ州クヌ)にお参りしてきます
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世界史講義は、おそらくpart200を越えます
考えるだけでゲロですw

来年の6、7月ぐらいから海外で働く予定なので、それまでに講義は終わらせます

以上、業務連絡でした~


五代十国・宋時代の有名な異民族は、遼・西夏・金です


(916~1125)
遼は契丹ともいいます。都は上京臨潢府です
彼らはモンゴル系契丹の民族です


初代は、耶律阿保機(位916~926)です
彼の時に渤海という中国の東北地方にあった国を亡ぼしています


この東北地方、日本は満州といっていました
後に満州事変(1931)でふれます
今の北朝鮮と中国が国境を接している地域が、東北地方です

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2代太宗の時に、燕雲十六州(936)を獲得しています
ちなみに、この時はまだ契丹と言われています。947年に国号が遼になります


語呂です
腐る(936)燕雲十六州


ここから、10年づつ遡ってください

936年 燕雲十六州
↓‐10年
926年 渤海を滅ぼす
↓‐10年
916年 耶律阿保機が建国


6代聖宗の時、澶淵の盟(1004)で有利な条約を結んでますね


遼の統治は、二重統治体制です
彼らは遊牧民なので、農耕民の漢民族とは文化の隔たりが大きいです
そのため、2つの方式を使い分けました


あとは契丹文字を作成しています。このあたり画像問題ででます


1125年に金に滅ぼされています

ココは物語で覚えて、年号暗記の負担を減らしてください

1125年 金が南下して遼を滅ぼす
1126年 金がさらに南下して、北宋の徽宗・欽宗を拉致(靖康の変)
1127年 北宋が滅ぶ、ゆえに南宋建国


このように物語で覚えれば、中国と異民族の関係も理解できると思います
日本史と違って世界史の難しい所は、たくさんの国がでてきて、泣きそうな所ですよね

自分で友達に語れるレベルの物語を作ってください

ココ凄い重要です


これを私は、カラオケ理論といっています
受験を暗記と考えると、膨大過ぎて勝負ができません


皆さん、好きなカラオケの曲って苦もなく暗記できてますよね?
それって、歌の流れとか、つながりで覚えているからです


これで記憶したら、なかなか忘れません
ABCの歌ありますよね?

皆さん、「Rの次は何?」と聞かれて即答できない時に、
歌を歌って記憶を引き出していると思います


だから、物語で覚えるのは、重要です

私は教師時代、物語にして生徒の質問に答えているうちに、説明がどんどんシンプルになって
忘れにくくなった経験があります

なので、皆さんも頭の中で説明ぐせをつけましょう


話を戻します~


遼滅亡後、王族の生き残りの耶律大石が、中央アジアに逃げて西遼(カラ=キタイ)を建国しました
都は、ベラサグンです。この国は、1132年~1211年までありました。最後はナイマンにやられました


西夏(1038~1227)
チベット系タングートの国です。王は、初代の李元昊(1038~1048)だけ聞かれます
都は、興慶です


彼の時に、宋と慶暦の和約(1044)を結んでいます


西夏文字も画像問題で聞かれます

西夏を滅ぼしたのは、モンゴル帝国の初代チンギス=ハンです


(1115~1234)
ツングース系女真族の国です。ココも王は1人だけ覚えればいいです
それは、初代の完顔阿骨打(位1115~1123)です

都は上京会寧府で、1153年からは燕京(現・北京)に遷都しています


彼は、軍事行政制度として猛安・謀克を始めています
これを平時に活動するグループから、軍人を選び出すシステムです

遊牧民という人単位で動く集団らしいシステムだと思います


ココも文字聞かれます。女真文字です


重複説明ですが、2代太宗の時に、遼(1125)と北宋(1127)が滅んでます


1142年には、紹興の和議淮河が国境になります
↑この情報は、ハイレベルです↑


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金では、道教の一派として王重陽全真教が広まったのも覚えましょう


金で使われた紙幣は、交鈔です


最終的には、モンゴル帝国2代、オゴタイ=ハンに滅ぼされます(1234)

金の滅亡は、一番覚えやすいんじゃないでしょうか?
1・2・3・4、金滅亡です


次回は、モンゴル帝国を説明します
その後、明と清の最盛期までを説明したら、東南アジア史に入ります

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