世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2014年01月

さて近世に生まれた絶対王政について話します

それを話す例として適切なのは、イタリア戦争(1494~1559)です

この戦争は、ハプスブルク家 × ヴァロワ家 の戦争です。王家同士が、統一国家のないイタリアを狙い目とみて、取りに行きます

まずしかけたのは、フランスのシャルル8世(位1483~98)です。ヴァロワ朝の王様ですね

これに危機感を覚えるのが、ローマ教皇です。基本、ローマ教皇は軍を持ちません。持ったとしても、司祭にできることは、たかが知れています

彼らが頼ったのが、神聖ローマ帝国です。これがハプスブルク家です。皇帝マクシミリアン1世が、参戦します

これで一旦、フランスは撤退します
一番激しくやりあったのが、フランスのフランソワ1世 × 神聖ローマのカール5世 です

フランソワ1世はルネサンスで、カール5世は、宗教改革で聞きましたね

■講義 part46 -ルネサンス(西欧諸国)-
http://world-history.blog.jp/archives/2754470.html

■講義 part47 -宗教改革(ドイツ)-
http://world-history.blog.jp/archives/2788235.html

フランソワ1世にしてみれば、だいぶ厳しい状況です。なぜならカール5世は、スペイン王カルロス1世の顔も持っているからです

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完全な挟み撃ちですね。ピンチです。そこでフランソワ1世は、イギリスと同盟を結びます。またローマ教皇も、逆にカール5世が強くなり過ぎたため、フランスを支援します。ローマの右往左往は、半端じゃないですw

また、神聖ローマ帝国内で起きたいた宗教改革による動乱を利用し、反神聖ローマ皇帝派を支持します。オスマン帝国とも手を結びます。1529年にスレイマン1世が、ウィーン包囲をしてましたね。ここ神聖ローマ帝国です

は、味方の法則で、宗教を越えて同盟を結んでいます

■講義 part41 -ティムール・サファヴィー・オスマン朝-
http://world-history.blog.jp/archives/2590485.html

ここまでもしても、フランスはスペインに勝てませんでした

16世紀は、スペインの時代です。彼らは大航海時代で、莫大の富をゲットしています

結局、1559年にカトー=カンブレジ条約で、スペインは、ミラノ・ナポリ・シチリア・サルディーニャを獲得します。フランスのイタリア進出の夢はついえます

ここで洗練されたのが主権国家です。なかなか難しい言葉ですね。この当時、国の意識は、まだ曖昧でした

それは教皇の存在もありますし、神聖ローマ帝国のように多くの諸侯の上に、象徴的な王がいる権力分散型の国が多かったからです

しかし、近世からは、権力は1つの場所に集まっていきます。それが国王です。国王は、優秀な官僚常備軍を構成します

今までは、戦争の時に土地経営をしていた貴族が武器を持って参戦していましたが、それを止めます。権力を集中させるために、そういうものを必要としていません

今回のテーマ、絶対王政ですが、何が絶対かというと、権力絶対です

ちなみに注意してほしいのが、王 = 主権国家 ではないです。権力のすべてを握る場所が王でも、大統領でもかまいません

ただ、権力が1つの場所に集中している状態が、主権国家です

絶対王政の国王は、それだけの絶大な力を持てる根拠を神に求めます。これを王権神授説といいます

神が、「お前が王として、すべてやれ」って言ってるから、しょうがないとう立場です

絶対王政を実現するためには、運営費がめちゃくちゃいります。日本だって数十万の自衛隊にメシを喰わせるだけでも大変です

そこで、どの国家も重商主義を採用します。これは、商売を重視するということです。いろんな重商主義があります

例えばスペインは、重金主義を採用します。運営のためのお金を集めろという考え方です。そうすれば、国が繁栄しますという考え方です

だから、を大量に獲得していましたね。それがヨーロッパの相場に影響を与えていましたね。価格革命です

そんなスペインの最盛期かつ、衰退の原因は、フェリペ2世(位1556~98)です
-フェリペ2世-
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スペイン統一を成し遂げたフェルナンド5世とイサベルのコンビ、その孫カルロス1世、カルロス1世の息子フェリペ2世、このラインはしっかり覚えましょう

フェルナンド5世・イサベル⇒カルロス1世(カール5世)⇒フェリペ2世

フェリペ2世は、1571年にレパントの海戦でオスマン帝国に勝ち、ポルトガルの併合にも成功しています(1580)。スペインは「太陽の沈まぬ国」とまでいわれました。ただ、当時領地だったネーデルラントの経営は、苦心しています

まず、ネーデルラントにも宗教改革の波が押し寄せています。フェリペ2世は、熱心なカトリックでしたから、これを弾圧します。また、単なる属国としか思っていませんから、増税も行います

それに耐えかねてオランダ独立戦争(1568~1609)が勃発します

ネーデルラントは当初全土の独立を考えていましたが、カトリックの多い南部10州が1579年に脱落します。これが、現在のベルギーになります

残った北部7州は、ユトレヒト同盟を結成し、なお抵抗を続けます。この北部7州のリーダー的存在だった州が、ホラント州です。これがオランダの語源ですね

1581年には、ネーデルラント連邦共和国として、独立を宣言します

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初代は、オラニエ公ウィレムです

最終的には1609年にスぺインは、オランダと休戦条約を結び、独立を承認しています

江戸幕府は、1603年にできてます。独立したオランダが、ポルトガル・スペインを押しのけて、日本に来るのも理解できますね17世紀は、もはやスペイン時代ではありません

もう1つ、スペインにとって屈辱的だったのは、1588年アルマダ海戦で、イギリスに破れたことです

ということで次回、イギリスの絶対王政について話しましょう

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スイスは、神聖ローマ帝国内にあります。ここでも宗教改革は、起きます

指導者は、ツヴィングリです。彼は、チューリヒで活動を始めました。ルターとは考え方の違いから仲違いしています

彼もルターもそうですが、エラスムス「愚神礼賛」(1511)という本に強い影響を受けて、改革運動を始めています

■講義 part46 -ルネサンス(西欧諸国)-
http://world-history.blog.jp/archives/2754470.html

彼は宗教改革の戦いのなかで、1531年に亡くなっていますが、スイスに宗教改革の熱を注ぎ込みました。その熱の中に登場するのが、カルヴァンです

彼は、フランス出身ですが、フランスでの活動がうまくいかず悩んでいた頃、ジュネーヴから声が掛かり、そこを拠点に活動を始めます

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-カルヴァン-
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1536年に彼が出版した「キリスト教綱要」が評判で、ジュネーヴは彼を呼びました

彼の主な考えは、2つあります

1つは、福音主義といわれるものです。まぁ、聖書第一主義とかわりません。2つ目は、予定説です

何が予定されているかというと、人間の運命が、予定されているということです

この時代の商人は、お金稼ぎの卑しい存在と思われていましたが、カルヴァンは商人を肯定しています。職業神が決めているからです。そして一生懸命頑張った結果の蓄財を認めています

これはカトリックで罪悪感をもっていた商人には救いです

この考えによって、グイグイ信者を獲得していきます。カルヴァンのルターとの違いは、積極的政治に参加する姿勢です

彼は、ジュネーヴを自分の考えに基づいた町にしたくてしょうがありません。1540年代には、ジュネーヴはカルヴァンのものになります。彼の宗教感に基づいてやる政治を神権政治といいます

また運営方針は、従来のように司祭を置くものでなく、信者から責任者をだして行動する長老制度をとりました

彼の考えは、スイスを越えて各国に広まります。各国の名称は、以下の通りです

ピューリタン - イギリス
プレスビテリアン - スコットランド
ユグノー - フランス
ゴイセン - ネーデルラント


この組み合わせ、間違わず覚えてください。よく聞かれます

もちろん彼にも現在からみると、足りてない部分はありました。自分違う考え認められません

彼は意見の違う人を火刑にしたりしています。こういう事実を知ると、ルターもそうですが、改革はゆっくりしか進まないなと思います

次にイギリスの変化について話しましょう

イギリスはちょっと特殊で、王様のヘンリ8世(位1509~47)が、離婚したいがために、新しい宗教を作りますw彼は、テューダー朝の創始者、ヘンリ7世の息子です。ヘンリ7世は、part37でふれましたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

彼が作ったものが、イギリス国教会です。これは、現在イギリスで70%ほどが信仰しています

国教会を設立した法律は、首長法(1534)といいます

語呂です
以後、指図(1534)は受けない首長法

これ本当に教皇からの指図を受けたくないから作りました。次回から話しますが、主権国家というのが、この頃から誕生するわけですね

中世は、教皇が君臨していますから、国を越えて干渉されるわけです。国家のことは、国家自身で決めるのが主権国家です

ヘンリ8世の息子、エドワード6世も国教会のルール作りとして一般祈禱書を制定します

国教会を定着させる法律は、エリザベス1世が1559年にだした統一法のおかげです

首長法⇒一般祈禱書⇒統一法

三段構えで、法律が整備されるわけですね

対抗宗教改革についてもふれましょう。これはカトリック自身の反省からきています。カトリックの内部葬組織として設立されたのが、イエズス会です。設立者は、イグナティウス=ロヨラです

もう一人、協力者として有名な人がいます。フランシスコ=ザビエルです
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日本人には、有名な人ですね「以後よく来る宣教師」という有名な語呂があるとおり、1549年に彼は日本へ布教にきます。その後、中国布教の途中に病死しました

その中国布教のミッションを受け継いだのが、マテオ=リッチです。この人は、中国史でよく聞かれます

■講義 part26 -明-
http://world-history.blog.jp/archives/1813068.html

この宗教改革の結果、情熱はあらぬ方向にいきます。カトリックを旧教、プロテスタントを新教といいますが、2つの宗派とも魔女狩りが横行します

このシステム、単なる嫉妬妬みを晴らすものでしかありません。密告システムです
ちょっと気に食わない奴がいれば、「アイツは魔女です」といえば、処刑できます

宗教改革の行きついた所が、ココかよと思うとげんなりします16~17世紀は、一番魔女狩りが流行ります

これが発生するのも、見せしめ、生け贄を作ると、その恐怖から逃れるために、組織が強化されることを、教会は無意識的に知っていたのかもしれません

このような行動心理の研究が進むのは、20世紀まで待たねばなりませんでした

次回は、絶対王政の話になります

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折に触れ、中世のキリスト教が腐敗していたのは伝えましたが、ついに大規模な反対運動が起こります

きっけは、教皇レオ10世(位1513~21)の贖宥状(免罪符)です。贖宥状は、お札です。これを買うと、罪が償えますというのが、贖宥状です

の力で、天国を買うわけです

レオ10世は、当時建設中だったサン=ピエトロ大聖堂の建設費捻出のためにドイツを利用しました。ちなみにこの聖堂は、ミケランジェロが絡んだりと、凄いメンバで作っていましたね。お金が必要です。

ドイツは、当時神聖ローマ帝国といわれています。ここは、領邦国家といって多くの諸侯で構成される連合国家です。イギリスやフランスのように強大な王権がありません

つまり、つけ込みやすいわけです。ついた名が「ローマの牝牛」です。メスの牛っていうことは、従順だということですね

ちなみにレオ10世は、大富豪メディチ家の人です。つまり商人が、教皇をやっていたわけです

これに反抗したのが、ザクセン生まれのマルティン=ルターです。この人は、ヴィッテンベルク大学の神学教授でした。この大学は、ルターでしか聞かれません。セットで覚えましょう

-ルター-
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-参照・wikipedia-

ルターは、1517年九十五カ条の論題を発表します。これが宗教改革に始まりです。内容を簡単にいうと、「お札に効果はなく、信仰でしか、天国にいけません」という、もっともなことを言います

語呂です
以後いな(1517)いルターの宗教改革

1520年には、「キリスト者の自由」で、信仰義認説を主張します。お札じゃなくて、信仰が素晴らしいということですね

神聖ローマ皇帝カール5世(位1519~56)は、1521年ヴォルムス帝国議会を開催し、ルターに発言の撤回を求めますが、ルターは撤回しませんでした

そのため皇帝はルター派を禁止します

語呂です
ごっつい(1521)ヴォルムス、ルターを禁止
1521年、またパクリです。ここコルテスも、マゼランも関連した事件の年でしたね

■講義 part44 -大航海時代 後半-
http://world-history.blog.jp/archives/2702310.html

このままだとルターは、殺されてもおかしくない状態でしたが、ザクセン選帝侯フリードリヒが、ルターをヴァルトブルク城にかくまいます

ザクセンは、金印勅書(1356)で王を選ぶ7人の内の1人でしたね。神聖ローマで、かなりの有力者です

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

ルターは、城の中で「新約聖書のドイツ語訳」を行います。これをドイツ国内に相当な衝撃です。われわれも、どんなに良いものでも古文で書かれたら、何がなんだかわかりません

その古文にあたるのが、ラテン語でしたね

これによって、ルターの考えは、急速にドイツに浸透します。ちなみに彼の考えの特徴は、信仰義認説聖書第一主義です

聖書第一主義は、「聖書を読めば、お札で天国行けるなんて、どこにも書いていない。教会が嘘をいっているのは、明らかだ」とうことになります。「キリスト教徒の頼りは、聖書ですよ」と主張しています

このルターの行動に刺激を受けて、1522年に騎士戦争、1524年にはミュンツァーによるドイツ農民戦争が起きます

ドイツ農民戦争は、イギリス・フランスに比べて劣っていた農奴制の廃止を求めた運動です

ルターは、この運動に対して賛成⇒反対に意見を変えています。これ彼が学者であったことの限界だと思います。彼はあくまで神学世界のことにしか興味がありません。それに結ぶついて起こる政治や国民のことを考える力は、不足していたと思います

カール5世のほうも、この事態の収拾に苦心します。1526年には、第1回シュパイアー帝国議会でルター派を認めるようにしました

これによって、ルター派が急拡大したため、危機感を覚え、1529年の第2回シュパイアー帝国議会では、ルター派を再度禁止しました

完全な支離滅裂ですねw

これにルター派は、猛烈に抗議します。当たり前ですねこれが、プロテスタント(Protestant)、抗議する人の言葉の由来ですね

1530年、ルター派はついに反皇帝同盟のシュマルカルデン同盟を結成します

1545年には、カトリックがトリエント公会議を開きますが、「カトリック最高!!」というわけわからんものでしたw1546~47年には、トリエント公会議の不満から、シュマルカルデン戦争が発生します

最終的な決着は、1555年アウグスブルクの宗教和議までかかります

ここも1つ特徴があり、都市諸侯にルター派信仰の自由を認めました。個人の信仰の自由はありません

この結果生まれたのが、領邦教会制です。諸侯が、領主かつ、司教のトップを兼ねていました

以上です


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今回は、イタリア以外のルネサンスです

まずは、ネーデルラント出身のエラスムスです。ネーデルラントは、日本風にいえばオランダのことです。W杯やオリンピックを見ればわかりますが、オランダの正式名称は、ネーデルラントです

彼の書いた本が、「愚神礼賛」です。ここで当時の腐敗したキリスト教を批判しています

オランダやベルギーのある地域は、フランドル地方といいましたね。ここで人気のあった画家たちをフランドル派といいます。フランドル派をピックアップしていきましょう

油絵技法を洗練させた人は、ファン=アイク兄弟です。油絵といったら、この兄弟と記憶してください

農民を描いた画家といえば、ブリューゲルです
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この絵のように農民が描かれていたら、ブリューゲルを選択してください

次のドイツの画家いきます。デューラー「四使徒」で有名です
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ホルバインは、イギリスに渡り、宮廷画家になっています。したがって「ヘンリ8世」の肖像画を残しています

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エラスムストマス=モアとも知り合いのため、彼らの絵も書いています

ロイヒリンは、ヘブライ語を研究したことで有名です

次はフランスです。フランスのルネサンスを実現したのは、ヴァロワ朝フランソワ1世(位1515~47)です

彼は芸術を振興するため、レオナルド=ダ=ヴィンチをフランスに呼んでいます。フランソワ1世が、モナ=リザを買い取ったため、ルーヴル美術館にあります

フランスの人文主義者で有名なのは、ラブレー「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」です

ボルドー市長もやったことのあるモンテーニュは、「随想録」という本を書いています。ボルドーは、ワインの産地として有名ですね

スペインにいきます。ここは1人だけ、セルバンテス「ドン=キホーテ」です。彼は、1571年のレパントの海戦にも参戦しています。スペインが地中海の制海権を取り返した戦いですね

この作品は、主人公ドン=キホーテが、風車に突っ込んだりと、奇行が目立つ内容です。これは、スペインがオランダ(風車)に負ける実話を風刺したものです

逆の発想で、このシーンを新しいことへの挑戦として社名にしたのが、日本のドンキすね

イギリスにいきます

まずは、チョーサー「カンタベリ物語」です。庶民を描いた作品です
私は「超簡単べり」で覚えてます

ホルバインの所でふれましたが、トマス=モア「ユートピア」という本を書いて、ヘンリ8世を批判した結果、怒りを買い、処刑されています。彼が何を批判したかというと、囲い込みです

これは、農地⇒牧羊地にするために、無理矢理土地を取り上げた行為です。これをトマス=モアは批判しました

最後は、シェークスピアをいきましょう。ちょっと作品が多すぎて、絞りにくいですが、最低限彼の四大悲劇は覚えてください

「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」

最後に、この時代進展した科学技術について話ます。ルネサンスは人間に興味を持ちます。これは、現実世界に興味を持つということです

現実世界に興味を持たず、神の世界に興味のある中世では、なかなか科学も発展しません。近世に入って、科学も発展します

三大発明を覚えましょう

「羅針盤」「火薬」「活版印刷」

「羅針盤」は、コンパスのことですから、航海に役立ちます。「火薬」は、他国の制圧に必要ですね。「活版印刷」は、情報伝達のスピード化ですね

「活版印刷」は、グーテンベルクが作っています

また地動説が、主張され始めます。中世は、天動説が主流です。まずポーランドコペルニクスが、地動説を主張します

ジョルダーノ=ブルーノも地動説を主張しましたが、教会に処刑されています

ガリレイも地動説を主張しましたが、教会によって終身刑になってます。なんで地動説が、こんなにタブーになるかというと、教会が天動説を採用しているからです。教会には無謬説というのがあります

神のお告げを聞いている教会は、絶対に間違わないという考えです

約100年ほど揉めて、天動説⇒地動説に見方が変わっていきます

ドイツのケプラーという天文学者も知っておいてください。彼は惑星の法則を解明しています。これをケプラーの法則といいます。名前ぐらいは、理科の授業で聞いたと思います

ルネサンスは、以上です

次回は、宗教改革いきます。地動説の話に聞いても、教会がいかに頑固かわかると思います。ここに風穴をあける話です

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ルネサンス(14~16世紀)は、イタリアで始まります。ルネサンスの意味は、「再生」「文芸復興」です

Re(再び) + naissance(誕生)ですから、再生になるわけですね

いろいろ理由はありますが、大航海時代前、東方貿易で潤っていたため、芸術家を支援するような潤沢な資金がイタリアにはありました

何かを花開かせるためには、お金必要だと思います

今のシステム化した大学受験においては、親の年収が進学に直結している部分があります。例えば今の東大生の親の収入は、平均1000万円越えです

■-東大生の親の年収 950万円以上が51.8% 教育格差は中学受験から始まる?-
http://dot.asahi.com/aera/2012111600016.html

ここで2つのタイプに分かれます。この事実を知って、諦める人間と、諦めない人間です

客観的な事実は、変わりようがありません。しかし、全体の情報を分析し、今の自分に何ができるかを考えぬいて行動した人には、運命歯車が動きだします

お金がなく、予備校に行けない人は、このブログをうまく使ってやってください。無料ですからね

話を戻します

イタリアには、富豪がいるわけですね。特にフィレンツェメディチ家が有名です

■講義 part36 -中世都市とキリスト教会の衰退-
http://world-history.blog.jp/archives/2370887.html

コジモ=デ=メディチは、アカデミーや図書館を作って、文芸を保護しています

さらに孫のロレンツォ=デ=メディチは、イタリア=ルネサンスの最盛期を実現しています

ミケランジェロボッティチェリは、彼が保護しています

ルネサンスは、何が再生されるかというと、古代ギリシア・ローマの文化ですね。で、これは人間賛歌の文化です

これを人文主義(ヒューマニズム)といいます

フィレンツェ出身のダンテは、大叙事詩「神曲」トスカナ語で書きました。これは、実はだいぶ挑戦的な試みです。なぜかというと、普通はラテン語を使うからです

しかし、ダンテがフィレンツェで使われていたトスカナ語にこだわったのは、口語で書きたかったというのがあると思います

口語のほうが、情感を伝えるのに優れているからです

書き言葉
拝啓 向寒のみぎり、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

上のような書き言葉、私たちを感動させますかね?イマイチ、ピンときません

話し言葉
チョー寒いけど、うまくやってそーで何より

こっちのほうが、ズバッと入ってきます。特に恋愛について語る時、口語のほうがよく伝わります

このダンテの試みが、イタリアにショックを与えるわけですね

古代ブームの火付け役になったのはペトラルカという人です。彼は「叙情詩集」という作品を残してます

他に人文作家として有名なのは、ボッカチオです。「デカメロン」が有名です。この本で、当時の人の行動をイキイキと書いてます

政治家として有名なのは、マキァヴェリのイタリア統一を主張した著「君主論」は、政治家を志す人は、必ず読むべき本だと思います

ちょっと内容に触れます

■引用 -君主論-
国を守るために悪事を行わざるをえないときは、非難されてもひるんではいけない。
あらゆることを考え合わせてみると、美徳と見えた物が実際は命取りになったり、
悪徳と見えた物が安全と繁栄につながったりするからだ。

これ日本人には理解できないところ多いと思います。日本人の美徳が、公平、純粋、正義にあるからです

しかし国家を運営するために、国家を維持するために、非難されてもやることがあります

例えば尖閣で近い将来、中国と衝突して死者がでるでしょう。その時、日本人も中国人に砲撃せざるを得ない時がきます。こういうのを拒絶する人がいます。しかし、国を守るためには無理です。反撃するより選択肢がありません

私自身の考えが、絶対の正義ではありませんから、ひとまず君主論を読むことをオススメします

ルネサンス式建築も2つ覚えてください

1つは、サンタ=マリア聖堂です。ブルネレスキが建築に参加しています。私は「ブルネレ好きマリア」と連結させて覚えてます


もう1つは、サン=ピエトロ聖堂です。現在のヴァチカン市国にあります
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この設計は、以下の流れで、そうそうたる人が関わってます
ブラマンテ⇒ラファエロ⇒ミケランジェロ
設計者の順番も覚えてくださいね

絵画いきます。まずはボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」「春」です。両方聞かれます

-ヴィーナスの誕生-
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-春-
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ルネサンスから、ヨーロッパの絵画は、人間に焦点をあてたため、リアルですね

中世のビザンツ皇帝ユスティアヌスの顔と比較してみてください。中世との違いが理解できます
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最後にイタリア=ルネサンスのビック3いきます

まずは、レオナル=ド=ダヴィンチです。「モナ=リザ」で有名ですね。これは有名過ぎて、あまり出題されません。彼で聞かれるのは、「最後の晩餐」です。ユダの裏切りにふれた場面ですね

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-参照・wikipedia-

この作品は、システィナ礼拝堂にあります。これは現在の教皇領ともいっていい、ヴァチカン市国にあります。これは世界最小の国家です

次は、ミケランジェロです。「ダヴィデ」やシスティナ礼拝堂の「天地創造」「最後の審判」が有名です

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-最後の審判-
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「最後の晩餐」「最後の審判」にして聞いてくる問題があります。注意してください

ミケランジェロは「最後の晩餐」を書きました⇒誤りですね

最後は、ラファエロです。この人は多くの「聖母子像」を書いてます。またギリシアの有名人を描いた「アテネの学童」も有名です

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この絵の真ん中の2人、左がプラトン、右がアリステレスをイメージしています。プラトンは、ダヴィンチを描いたそうです。この時代から見ても、プラトンがいた時代は、2000年ぐらい前ですからね。想像で書くしかありません

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ルネサンスは、ある意味文化史なので、作者と作品をリンクさせて覚えてください

次回は、イタリア以外ルネサンスの話をします

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