世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2014年03月

すいませんホームページ作成して、更新遅れました

本日はイギリス革命・名誉革命です。これはピューリタン革命ともいいます
まずは、イギリスの復習です。王朝がすぐ浮かぶようにしましょうね。

アングロ=サクソン朝⇒ノルマン朝⇒プランタジネット朝⇒テューダー朝⇒ステュアート朝⇒ハノーヴァー朝(ウィンザー朝)

過去ブログで、テューダー朝までは話しましたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html


エリザベス1世が子供を産むことなく亡くなったため、テューダー朝は断絶し、ステュアート朝(1603~49,1660~1714)に代わります

初代は、ジェームズ1世(1603~25)です。彼は王権神授説の信奉者です。従って邪魔者の議会を無視します

この頃のイギリスには宗教上の三大勢力があります。それはカトリック・ピューリタン・イギリス国教会のです

テューダー朝からイギリス国教会が整備された影響で、王はカトリックとピューリタンを弾圧します

次の王、チャールズ1世も父の影響で、議会を無視します。1628年に議会側は「権利の請願」を行い、王のジャイアン的態度に文句をいいます。これに対して王は、議会解散をしてしまいます

さらにスコットランドにも国教会を強制しようとした結果、反乱が発生します。そして、この反乱軍に負けますw
彼は王権神授説によって、自分の実力を過大評価していると思います

反乱軍から賠償金を請求され、彼は増税のため、渋々議会を開きます

これが1640年の出来事です。10年以上開催していない議会の議題が、「賠償金のために増税したい」ですから、議会は揉めます

短期議会・長期議会ともに不調に終わります2大勢力が激突です

王党派(拠点・ヨーク) vs 議会派(拠点・ロンドン)

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議会派自身も全員が同じ考えでなく、大きく3つの勢力に分かれます。それが、長老派・独立派・水平派です

長老派は、比較的王様より、独立派は真ん中、水平派は過激です。ここで有力になったのが、クロムウェル率いる独立派です

-クロムウェル-
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1642年に反抗作戦を開始します。これがピューリタン革命の始まりです

語呂です
無視に(1642)できないピューリタン

彼は新興勢力のジェントリ・ヨーマンの支持を受け、鉄騎隊という軍隊を結成します。彼らはピューリタンばかりでした。また当時、弾圧されていた宗教派閥ですから、モチベーションの高い軍隊です

ここで踏ん張らないと、ピューリタンの居場所がなくなりますからね

1645年には、ネーズビーの戦いで王党派を撃破します

1649年には、イギリスを苦しめたチャールズ1世を処刑してしまいます

ここからクロムウェルをリーダーとする共和政(1649~60)がスタートです。彼は独立派勢力の確固たる地位を築くため、アイルランド・スコットランドと立て続けに征服します

さらに当時流行りの重商主義を採用していたため、1651年航海法を発布します。重商主義は、商売重視する主義と考えてください。つまり当時一番儲かった貿易をどうするか、クロムウェルは考えるわけですね

ライバルは、オランダです。17世紀では、スペインは衰退しています。このオランダを締め上げるために制定したのが航海法です。この法律は、中継貿易で儲けていたオランダを排除するものです

例えば私たちが魚を買う場面をイメージしましょう

私たちは、スーパーとか魚屋さんで買ってますね。じゃあ魚屋さんは、どこで魚を買うかというと市場です。で、市場は漁師から魚を買うわけです

消費者(国民)⇒小売り(魚屋)⇒卸し(市場)⇒生産者(漁師)

この卸し部分で儲けているオランダを外すため、イギリスは卸しを介さない直接貿易しか認めない法律をつくるわけです。それが航海法です。これはオランダに壊滅的影響を与えるため、1652年に第1次イギリス=オランダ戦争(英蘭戦争)が勃発します

語呂です
オランダにむごい(1651)航海法

この戦争はイギリスに有利に進み、徐々にイギリスは世界の覇権を握ることになります
1653年には、クロムウェルは独裁性を強めるため、護国卿に就任します。正直、王とかわりませんね

結局、議会の意義が薄まったため、不満が溜まっていきます。そのため、クロムウェルの死後、独立派の勢力は衰退し、王様よりの長老派が復活します

長老派は、議会尊重を条件に王政を復活させます。これが1660年の王政復古です

就任した王様は、チャールズ1世の息子、チャールズ2世です。彼は議会を無視しますwだいぶゲスですねw

「王にさえなれば、こっちのもんだ!」という発想です

ここで巻き返した勢力が国教会です。公職につけるのを国教徒に限定する審査法、王様に勝手に逮捕させない人身保護法を整理させます

語呂です
異論、波(1673)なく(79)審査、人身保護

王様側はそれでも、虎視眈々と勢力伸長を考えてます。また次の王様の後継者問題で議会が割れます。有力な王位継承者がカトリックだったため、国教会の勢力は焦ったわけです

結果、カトリックの王を認めるトーリ党と認めないホイッグ党ができます。トーリ党は後に保守党になり、ホイッグ党は後に自由党になります

これ現在でも、イギリスで有力な政党です。例えば2010年5月からイギリスは、キャメロンという人が首相です。彼の政党は、保守党です

まぁ、大丈夫だということで、最終的にはカトリックの王が認められることになります。これでジェームズ2世が就任します。そして案の定、彼はカトリックを復活させようとしますwゲスですw

議会は王の排除にのりだします。ジェームズ2世は、これに凄いあせります自分の親族が同じパターンで処刑されていますからね

彼は抵抗もせず、フランスに亡命します。戦争にならなかったため、これは名誉革命(1688~89)といわれます

議会は、ジェームズ2世亡命後、彼の娘のメアリ2世とウィリアム3世の共同統治が始まります。もちろん条件付きですが。。。

議会は、「権利の宣言」という議会優位の決まりを認めさせます。また、今までの数々の失敗から学び、この宣言を文書化させます

それが「権利の章典」です

この後は、メアリ2世の妹、アン女王(位1702~14)が即位しますが、子供が早くに亡くなったため、ここで王朝が断絶します

彼女の時は、完全にスコットランドが併合され、大ブリテン王国(1707)になっています

王朝断絶後は、ドイツから血縁関係者を持って来てハノーヴァー朝が始まります。王様はジョージ1世です。彼はドイツから来たため、英語は話せず、イギリスの運営は議会に丸投げします

そのため内閣がうまれました。またジョージ2世の時には、ホイッグ党のウォルポールが王が政権維持を望んでいても、議会内で少数派だったため、辞職しました

ここから議会の多数派が内閣を組織する責任内閣制ができました

王の意向に関係なく議会によって政治が行われたため、「王は君臨すれども統治せず」の伝統がイギリスに根付きました

日本の今の天皇制をイメージしてもらえば、理解できると思います

次回は、フランスルイ14世について話します

TOEICの勉強で、更新遅れました。すいません

本日は、三十年戦争(1618~1648)について説明します。本当に30年戦争してます。
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-wikipedia-

この戦争のキッカケは、宗教です

かつて宗教改革を学習したと思いますが、そこで生まれた和議の矛盾が、この戦争を引き起こします
それは、アウグスブルクの宗教和議(1555)です

■講義 part47 -宗教改革(ドイツ)-
http://world-history.blog.jp/archives/2788235.html

この和議によってルター派が認められましたが、あくまで諸侯に選択権があるだけで、個人に選択権がない所に特徴があります

これが時限爆弾のようになります

例えば東京都知事に選択権があり、「私はイスラム教なので、明日から都民はイスラム教です」といわれたら、私たちは絶句すると思います

これと同じことが、神聖ローマ帝国内のベーメンで起きました。ここは、フス(1370頃~1415)という宗教改革者がいたことからも理解できるように、新教徒の地域です

■講義 part36 -中世都市とキリスト教会の衰退-
http://world-history.blog.jp/archives/2370887.html

ここに、後の神聖ローマ皇帝になるフェルディナント2世が着任します。彼は旧教徒です。今までの伝統にのっとれば、たとえ王が宗教が違っても、市民が新教徒ですから、争いを避け、彼らを許容していましたが、彼は妥協しません市民を弾圧します。ちなみに彼は、ハプスブルク家です

結果起きたのが、ベーメン反乱(1618)です

新教側にファルツ王がついたことから、ベーメン・ファルツ戦争(1618~23)といいます。これは、三十年戦争をさらに細分化した言い方です

この戦争は、神聖ローマ皇帝が鎮圧しますが、新教側の援軍としてデンマーク王クリスチャン4世が参戦します。これがデンマーク戦争(1625~29)です。デンマークにはイギリス・オランダも援助しています

この援助は、未だ強大な力を持つスペインのハプスブルク家に対する牽制の意味があったと思います。神聖ローマもハプスブルク家ですから、ヨーロッパに巨大勢力があるわけです

この戦争も、傭兵隊長ヴァレンシュタインの活躍で、新教側が負けます

次に喧嘩を売ったのが、スウェーデン王グスタフ=アドルフです。これをスウェーデン戦争(1630~35)といいます

開戦理由が、ドイツ国内の新教徒保護です。今後こういう言い回しは、よく聞くと思います。戦争を仕掛ける時の典型的な理屈です

最近ではウクライナ問題で、プーチンが使ってますね

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■プーチン・ロシア大統領、ウクライナに「宣戦布告」

「ウクライナ東部とクリミア半島で一段と暴力が広がった場合には、ロシアは国益とそれら地域のロシア系住民を保護する権利を有している」

http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304085204579415913940293416.html

引用元 -ウォール・ストリート・ジャーナル-
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経過ですが、グスタフ=アドルフは、この戦争で戦死します

また再度撃退したヴァレンシュタインも、あまりに功績があったため、クーデターの恐れを懸念して暗殺されます

次に参戦したのが、フランスです。この国旧教なんですが、新教側で参戦します。フランス・スウェーデン戦争(1635~48)といいます

ルイ13世が、この戦争を始めて、ルイ14世が終わらせてます。この頃になると、もう宗教関係ないですね。名門のブルボン家 vs ハプスブルク家 の構図です

戦争は、フランスの優勢で進みます

長い戦争のおかげで、神聖ローマ帝国はグチャグチャです死者も多数でます。下の写真は、三十年戦争の凄惨さを表現したものです

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この当時、主権国家というものが確立され始める時代ですが、この戦争の反省から国家間同士の約束事ができるようになってきました

これ、どういう事かというと、われわれが誰かを殴れば、警察に捕まりますよね?でも、国家が悪さをした場合、それを取り締まる者がいないわけですね

国家の外には、無法地帯があるわけです。その危険性を軽減させるために、国家間同士で約束事を決めるわけです。それが条約です

この時結んだ条約が、ウェストファリア条約(1648)です。試験で聞かれる部分をおさえましょう

1.スイス・オランダの独立
2.カルヴァン派の公認
3.フランスのアルザス地方の獲得
4.スウェーデンの西ポンメルン獲得
5.ドイツの領邦国家に主権を認める


まぁ、全部覚えておいて、損はないです。アルザスの場所は、ココになります

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これ以後フランスとドイツで、この地域の取り合いが続きます。今は和平の象徴として、EUの欧州議会がアルザス地方に置かれています

神聖ローマ帝国の小さい国家に主権を認めるということは、事実上の神聖ローマ帝国の解体です。今回の取り決めによって、国家への内政干渉禁止されました

これを認めると、あっという間に戦争になるからです

ということで神聖ローマ皇帝がいたとしても、もはや自国内にある国家群に、あれやこれや言えなくなるわけです。ウェストファリア条約は、「神聖ローマ帝国の死亡証明書」といわれています

またブルボン家の勝利ともいえるでしょう

この時生まれた国家間のルールは、現在でも通用するものです。そのため、ロシアのクリミア半島への進軍に対して、他国は内政不干渉を訴えるわけですね

この条約によって作られた国際秩序をウェストファリア体制ともいいます。この条約のルールで、ヨーロッパはやっていきますということです

このような体制の更新は、デカイ戦争でもないと起きません

現在の秩序は、日本が主権を回復したサンフランシスコ体制(1951)に基づいています。これに異議申し立てをしているように見える靖国参拝などがあると、アメリカが不信感をもつわけです

この第二次世界大戦で構築された体制は老朽化しているのですが、戦争でも起きない限り、変えることは難しいと思います

なぜなら、その体制で旨い汁を吸える既得権益が存在するからです
ココ、本当に難しい問題だと思います

次回は、イギリス革命いきたいと思います

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