世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2014年04月

ちょっとブログのアクセス解析を見ると、前半のほうにアクセスが集中していたので、中間テスト対策で、このサイトを見てる人がいると判断しました

そのため、世界史への基本的な取り組み方を説明します。一番最初にやることは、地理の把握です。自分で世界地図が書けるのが、理想ですメソポタミアと聞いて、すぐイラクを思い浮かべられるようになってください

-イラク-
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で、イラクといったら、ティグリス・ユーフラテス川です。そこには、シュメール・アッカド・アムル人がいましたね

私は、これをスイッチの理論と言っています。皆さんは、教室に入って暗かったら、電気をつけますよね?一つスイッチを押すだけで、電気は、パッパッと連動してつきます

知識もそのように連動させて覚えてください。

こういう風に暗記しておくと、テストで間違いません。先生方の作るテスト問題は、実はワンパターンです。同じ時代の似た国の民族を聞いたりします

「メソポタミアのアラム人は...」、これもう間違いです

アラム人は、地中海東岸で、ダマスクスを中心に活躍した民族です。この町は、現在のシリアの首都ですね

このように近い地域の似た名前を引っかけで使ってくるので、「アラム人はシリアのほうだったな。。」と頭の中で、区別できれば、まず間違いません

したがって、第一歩として、地理の把握が重要なんです

-ダマスクス-
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google mapで、ダマスカスですが、皆さんはダマスクスで覚えてください「どっちでも、いいだろ!」の意見もあると思いますが、採点者がどう判断するかはわかりません

私の友達は、コロンブスをコロンバスと書いてバツになってましたw友人曰く、こっちのほうが本当の発音に近いそうです。こういう主観は、止めてください

一番間違いないのは、山川出版社の表記に従うことです。世界史業界でシェアが一番あるといわれています。私のブログでの記載は、これに準拠しています。また、少しづつ表記を改善しているので、用語集などを購入する際は、必ず新しい版のものにしてください

まぁ、各学校の教科書の記載通り、暗記すれば特に問題ないです

講義 part2 -メソポタミア文明-
http://world-history.blog.jp/archives/1211672.html

講義 part4 -地中海東岸の民族-
http://world-history.blog.jp/archives/1251417.html

これから、少しづつ、勉強方法いついては、アップしたいと思います。まだ、いくつかコツがあります。以上です
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フランス革命のつづきです。ロベスピエールの独裁に懲りたフランスは、権力の分散した政府を1795年憲法によって作ります

それが、総裁政府(1795~99)です。ブルジョワジーが軸の政府です。5人の総裁を置いて、統治します。おそらく、平和な時代なら、これでも機能しますが、今は激動の革命期です

もちろん、この政府は苦戦します総裁政府が成立する直前には、王党派の反乱を受けましたし、成立後もバブーフという人が反乱を企てます

外敵の侵入にも悩んでいましたが、ここでは幸運に恵まれます。この政府の軍には、ナポレオン(1769~1821)がいました

-ナポレオン-
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まずは、イタリア遠征(1796~97)でオーストリア・イタリア軍を撃破します。カンポ=フォルミオ条約を結び、これで、第一回対仏大同盟が瓦解します

語呂です
第一回対仏大同盟、処刑で泣くさ(1793)、イタリアで泣くな(1797)

これは、ルイ16世の処刑で結成され、イタリア遠征で終わったことを覚える語呂です

次のナポレオンのターゲットは、エジプトです。ここ当時は、イギリスの権益になってます。今でもそうですが、ここにあるスエズ運河は貿易の最重要拠点です

この運河を通らないで、アフリカ大陸を回って、商品を運んでもいいですが、距離が長すぎるため、輸送費が高くなってしまいます。そのため、スエズ運河は、重要なんです

イギリス-エジプト-インドのラインが、イギリスの富を生み出しています。ここを断てば、相当な打撃があると、ナポレオンは考えたわけです

エジプト遠征(1798~99)が行われます。これに対してイギリスはロシア・オーストリアと第二回対仏大同盟を結成します

ナポレオンがエジプトに専念している間、総裁政府はイタリアに攻め込まれ、せっかく得た領土を失います。ナポレオンは足を引っ張る総裁政府をうっとおしいと思い、ブリュメール18日のクーデタ(1799)をおこします

これは革命暦でいうと、霧月ともいいます。革命暦で聞かれるのは、テルミドールのクーデタの熱月と、これの2つぐらいです。必ず覚えましょう

ナポレオンが作ったのが、3人の統領からなる統領政府です。そこの第一統領は、ナポレオンです。実質の軍事独裁です

ナポレオンはまず、フランス銀行を設立して、お金を掌握します。皆さんも理解できると思いますが、お金を握れば、多くの人に言うことを聞かせることができます

まず金を握るのは、いい選択だったと思います。これで金持ち集団、ブルジョワジーが彼を支持します

次にナポレオンは、ローマ教皇ピウス7世と和解します。これを宗教協約(コンコルダート)といいます。1801年の出来事です

フランス革命は、古い価値観の破壊でしたから、カトリックが排斥され、理性が重視されていました。そのためローマと疎遠になっていたんですね

当時のフランス国民は、ほとんどカトリックですから、教会が否定されたことは、国民に大きな不安を引き起こす面がありました

「内向的な人に、明日から社交的になれ!!」といっても無理ですよね。人の心は、そうそう急激に変われません

なので、和解したわけです。これでカトリックは、フランスで布教活動ができます。しかし、ナポレオンは革命期に没収された財産は、国民のままにしました

双方に利益のある状態を作ったわけです。これで多くのフランス人から、彼は支持されたわけです。第二回愛仏大同盟との戦いも有利に行い、アミアンの和約(1802)を結びます

下ネタ語呂です。すいません…
エジプトいーな、キュ、キュ(1799)パイオツ(1802)、あ~んみあん和約

エジプト遠征の結果できた、この同盟は1802年に瓦解しています。1804年には、ナポレオン法典を成立させ、私有財産の不可侵を宣言し、「もう勝手に領地を没収しないよ」といいます

ナポレオンの功績は、ここまでケチのつけようがないので、さらに自らの権限を強化した第一帝政(1804~1814)を始めます。この時の情景を、ダヴィドが描いていますが、よくテストで聞かれます

-ナポレオンの戴冠式-
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これに黙っていないのが、イギリスです。フランスが、またイギリスに攻撃してくるのは、明らかだからです。そのため1805年第三回対仏大同盟が結成されます

ナポレオンのライバルが、ここで活躍します。それがイギリスのネルソンです。彼は、トラファルガーの海戦で、ナポレオンに勝利します。彼は、エジプト遠征時のナポレオンを封じ込めることにも成功しています

-ネルソン-
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実は、この戦いでネルソンは死亡しますですが、イギリス人にとって、彼は英雄になりました。ロンドンに行けばわかりますが、トラファルガー広場のネルソンのモニュメントは、観光名所になってます

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これは戦勝を記念してできました。もちろんネルソン像は、フランスのほうを向いて、今でもにらみをきかせています

自分も行きましたが、だいぶこの柱、高いです

さすがのナポレオンも、ちょっと海戦で手こずってますねまぁ、イギリスは島国ですから、海洋国家として、確固たる地位がありますからね

日本のような海洋国家も、海軍が強いです

ナポレオンは、イギリスに匹敵する力を蓄えるため、大陸制覇にのりだします。その結果起きたのが、1805年アウステルリッツの戦い(三帝会戦)です

これで、ロシアのアクレクサンデル1世、オーストリアのフランツ2世(神聖ローマ皇帝を兼ねる)を撃破します

フランスは、ドイツにライン同盟という傀儡国家を建設して、1806年に神聖ローマ帝国は滅亡します

講義 part32 -ゲルマン大移動-
http://world-history.blog.jp/archives/2041598.html
※神聖ローマ情報

これで、第三回対仏大同盟も終わりです

同年10月には、イエナの戦いでプロイセンも破ります。これでイギリスを除く主要国家を倒していますから、本丸のイギリスに焦点を絞ります

単純に戦っても勝てませんから、大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発表して、イギリスと他国の貿易を禁止します。補給を断つ方向にいったわけです

これは経済活動を止めることですから、イギリスだけでなく、ヨーロッパの国々も苦しみました。ロシアは、その後貿易再開を行うことになります

イエナの戦いのケジメは、1807年ティルジット条約で締結しました。これでプロイセンの持っていたポーランドは、ワルシャワ大公国の名前に変えて、フランスの支配下に入りました

この条約なんですが、テストではヒントに屈辱という言葉が必ずでますナポレオン関連で、「屈辱的な条約何ですか?」となったら、ティルジット条約を選んでくださいね

プロイセンの凄い所は、この敗戦を冷戦に分析します。フランスにあって、自国にないものを考えるわけです。そこで活躍したのが、シュタイン(任1807~08)とハルデンベルク(任1810~22)です

彼らのおかげで、農民解放が進みます。いまだに生産効率の悪い農奴を使っていたことに原因を見つけたわけですね

軍制改革は、シャルンホルスト・グナイゼナウが行いました。相手が戦争の天才、ナポレオンですから、ここ必死です。彼らが考え出したのが、参謀制度や昇進が貴族出身しかなかったことを止めて、実力主義に変更します

ちなみに参謀制度は、有力なアドバイザーを各チームに置くシステムです。これによって、大軍団の動きをよりスムーズに動かすことができるようになりました

教育は、フンボルトに任せます。彼はベルリン大学を作ります。そこの総長がフィヒテです。彼は「ドイツ国民に告ぐ」で、ドイツ人として心構えを熱く語ります。国を一致団結させないと、とてもフランスに勝てないからです

これは、フランスによって、ドイツがなくなるとう危機感から来ています。危機感は大切です。これがないと、国について考えることがありません

日本人には、これが決定的に足りないと思います。以前にも言いましたが、これを感じる第一歩は、海外になるべく早くでることだと思います

自分の国が、どれだけ恵まれているか、すぐに理解できると思います

話を戻します。とにかくプロイセンの試みは、時間をかけて、ジワジワ成果をあげていきます。しかし、結果はもう少し先になります

その間にフランスの逆鱗に触れたのが、先ほど言ったロシアです。ロシアは、穀物取引を再開しないと、厳しい状況なので、大陸封鎖令を無視します

1812年ロシア(モスクワ)遠征が行われます。ココで、フランスはまさかの敗北を喫します。ロシアの戦術である焦土作戦にやられます

フランス軍の長所は、補給を占領した町で調達することにあります。これによって、雷のようなスピードで、相手が準備する前に、攻め込むことができます

しかし、焦土作戦は、占領地に食糧などをまったく残さないで、燃やしてしまうことです。さらに拠点は、フランスから見て、さらに奥地に移していきます。ロシアは寒いですから、食べ物ない、寒いで、フランス軍の士気は劇的に下がっていきました

結果、フランスは、ボコボコにされます。実は日本も同じミスを、第二次世界大戦でしてます。当時の首都である南京を落としても、中国軍は拠点を奥地に移動して、徹底抗戦しました

これで負けるわけです

戦争において、補給問題は、本当に重要だということを理解しておいてください

ここが絶好のチャンスとみた各国は、第四回対仏大同盟(1813~14)を結成します。ライプチヒの戦い(諸国民戦争)で、プロイセン・オーストリア・ロシア連合軍は勝利して、パリを陥落させます

これでナポレオンは、エルバ島に島流しの刑です

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比較的、フランスに近いこともあり、この島から抜け出して、ナポレオンは再度戦いを挑みますが、1815年ワーテルローの戦いで、イギリスのウェリントンに完全敗北します

これで、今度は遠いセントヘレナに島流しです

-セントヘレナ-
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以上が、ナポレオンの生涯です。彼は島関連の質問が、けっこうあります。コルシカ島生まれ、エルバ島の島流し、最後はセントヘレナです

コルシカ島⇒エルバ島⇒セントヘレナ

またフランス革命は、政府の名前がよくかわりましたね

国民議会⇒立法議会⇒国民公会⇒総裁政府⇒統領政府⇒第一帝政

まずは、政府の名前をしっかり覚えて、ロベスピエールはどこだったか、イタリア遠征はいつの時かと、じっくり肉付けしていってください。このあたり、けっこう出題されますよ

次回は、フランスの戦後処理を話し合うウィーン会議に入ります

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フランス革命に入ります。ココ、面白いんですが、日本の幕末と一緒で、状況が目まぐるしく変わるので、苦手な人もいます

これは、リーダーになる人が、短期で入れ替わるのが原因です。例えば、新撰組というのがありますが、正直彼らは。時代の流れを理解できていません

一時期、持てはやされましたが、結局は反乱軍扱いです

さてフランスの話です。フランスはルイ14世(位1643~1715)以来、湯水のようにお金を使っています。かつ、その投資に見合う利益はありませんでした

そしてアンシャン=レジーム(旧制度)というものが、旧態依然と残っています。時代遅れのものということです。代表例としては、三部会です。1302年フィリップ4世が作ったものでしたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html
※三部会情報

三部会は、以下の身分で構成されます
第一身分…聖職者
第二身分…貴族
-------------
-----
第三身分…平民



ポイントは、人口の2%を占める聖職者と貴族が、免税特権を持っていることです。なので、彼らは特権身分ともいわれます。第三身分とは根本的に違います

そのため、大きな隔たりがそこにはあります

当時は、イギリスで産業革命も起きている時代です。商売に秀でた人が、世の中を動かすようになっています。聖職者・貴族ともに、そんなことはできません

しかし、フランス国土の40%は彼らが所有していました。今風にいえば、ダメ上司が、プライドだけ一人前で居座っている状態です

そりゃ、戦争にも勝てません

聖職者の中にも、現状の矛盾に気づいているシェイエスは、「第三身分とは何か」という本で、特権身分を批判しています

まずは財政改革が試みられました。主導者は、重農主義者のテュルゴー、銀行家のネッケルです。これが、見事に失敗しますw

彼らは当時の聖域、免税特権の廃止に着手したことで、特権身分の怒りを買い、クビにされます。例えば、今の日本なら、米の改革に手をつけたら、全農が黙っていないのと一緒です

-農協離れ加速、利権に風穴か、福井県の地域農協が全農に反旗- (ニュース)
http://diamond.jp/articles/-/15043

日本のお坊さんも、いただくお布施に対して、課税がありません。ココに税金をかけると、けっこう揉めだすと思います

また、三部会の構造的に、大多数の意見は通りません。身分別議決法を採用しているからです。これは、各身分一票のシステムです

三部会の内、特権身分は2票持ち、一般人は第三身分の1票しかありません。議会でいくら改革案をだしても。必ず否決されるわけですね

第三身分は、「やってられん!!」ということで、新しい議会である国民議会を設立します。「新しい憲法を作るまで止めないぞ」と決意表明を行います。これを球戯場(テニスコート)の誓いといいます

-球戯場(テニスコート)の誓い-
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ちなみに、この絵の作者はダヴィドです。フランス革命関連の絵は、だいたい彼の絵が出題されるので、名前を覚えておきましょう

この当時のフランスの統治者は、ルイ16世(位1774~92)とマリ=アントワネットです

-ルイ16世-
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-マリ=アントワネット-
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なかなか改革が進まないことにパリ市民もキレて、1789年7月14日バスティーユ牢獄襲撃を行います。これが、フランス革命の始まりです。時々、日にちまで聞かれるので、頑張って覚えましょう。もちろん、現在のフランスの祝日に、この日はなります

かなりの大事になったので、ルイ16世は、封建的特権の廃止を決定します。これを受けて、国民議会は、人権宣言を発表します

起草者の一人には、貴族のラ=ファイエットがいました。彼は、アメリカ独立戦争にも参加しています

国民議会は、第三身分が主流ですが、一部の貴族や聖職者も参加していました。他に有名な貴族は、ミラボーです。彼は、かなりのキーパーソンでした。国王にも繋がっていて、国民議会の情報を流していました

国王の恐れは、国民の怒りが自分に向かってくることです。ミラボーのおかげで、国王は安心して、推移を見守れました

実際、1789年の10月5日には、ヴェルサイユ行進が起きて、ヴェルサイユ宮殿⇒テュイルリー宮殿に国王夫妻を強制移動させれています。テュイルリー宮殿は、パリにありました。パリとヴェルサイユは微妙に離れています

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ちなみにヴェルサイユ行進の起きた原因は、穀物価格の高騰です。「自分たちの現状を知ってくれ」というアピールです

ルイ16世が、命の危険を感じるのもわかります。そして運悪く、91年4月にミラボーが急死します国王はパニックだったと思います。国民議会の動向がわかりませんからね。

ついに彼らは、オーストリアへの亡命作戦を決行します。マリ=アントワネットは、オーストリアのマリア=テレジアの娘だったので、そのツテを頼ったわけです

■講義 part54 -啓蒙専制君主(プロイセン・オーストリア)-
http://world-history.blog.jp/archives/4180347.html
※マリア=テレジア情報

これをヴァレンヌ逃亡事件といいます。1791年6月20日のことです。「この緊急事態に、国王が逃げるとはどういうことだ!!」ということで、国民の信頼度はゼロになります国王は、軟禁状態になります

これに危機感を覚えたのが、オーストリアなどの王政国家です。革命の火の粉が、自分の国に来てもおかしくありません

そのため、1791年8月27日にピルニッツ宣言をだして、フランスへの干渉を開始します。このような中で1791年憲法が制定され、立法議会が誕生します

この議会内の派閥を紹介します

フイヤン派…貴族・金持ち中心の立憲王政派。ラ=ファイエットバルナーヴが中心
ジロンド派…穏健共和派。商工業ブルジョワ中心の派閥。
※ブルジョワは、フランス語で資本家のことです
ジャコバン派…急進共和派。山岳派ともいわれる。下層市民中心の派閥。ロベスピエールが中心

フイヤン派の立憲王政の夢は、ルイ16世の逃亡未遂によって、頓挫しています。そのため、ジロンド派が実権を握ります

ジロンド派は、干渉してきているオーストリアと戦争をしますが、連戦連敗します。そのことによって、信頼度が下がります

そこで立ち上がったのが、国民が自主的に集まった義勇軍です。ここで、自分たちを鼓舞するラ=マルセイエーズという歌も生まれます。今のフランス国歌ですね

この義勇軍が支持していたのが、ジャコバン派です。ジロンド⇒ジャコバンへと実権が移行するわけです。それが決定的になったのが、1792年八月十日事件です

ジャコバン派はテュイルリー宮殿に急襲して、国王夫妻をタンプル塔に幽閉します。そして王権の停止を宣言します

ジャコバン派が主流になって設立したのが、国民公会です。男子普通選挙によって成り立つ議会です。別名、第一共和政といいます

どんどん王の立場が危なくなっているので、フランス国内にオーストリア・プロイセン連合軍が侵入してきます

ヴァルミーの戦いが起きますが、ここで義勇軍が、勝利します。正直、凄いことだと思います。つい最近できたばかりの寄せ合い所帯が、よく勝ったと思います。やはり士気の高さが、ぜんぜん違うんだと思います

今まで国は、王や貴族のものでしたが、それが国民のものになろうとしています。自分たちが主役になれるチャンスです。これを失いたくない気持ちは、とてつもないと思います

プロイセン軍に従軍していたゲーテはこう言いました「ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる」

ゲーテは、文化史でだいぶ聞かれるので、要チェックです

国民公会は、熱に取りつかれていますから、1793年についにルイ16世の処刑を行います。自分たちの立場の正しさを見せしめるために、王を殺しました。ブルボン朝の終わりが来ましたね

私の意見としては、そこまでしなくて良いだろうと思っています。フランス始まって以来の国民が主役の国家に、夢中だったのだと思います

これに呼応して、外国が黙っていません。この処刑ブームのようなものが、自国で発生したら、混乱しかもたらしません

イギリスのピット首相が、各国を集めて、第一回対仏大同盟を結成します

国民公会側は、徴兵制実施します。これに反対して、ヴァンデーの農民反乱が起きましたが、これを鎮圧します

国民公会の政府にあたる機関を公安委員会といいますが、ここの権力をロベスピエールが握ります

-ロベスピエール-
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顔だけ見ると真面目そうですが、けっこうヤバイ人ですw警察機関である保安委員会と、裁判所である革命裁判所を使って、自分と違う意見の人を次々殺してきます

ちょっと北朝鮮みたいな感じですね

ジャコバン派の中で、もっとも過激な集団を山岳派といいますが、そこに派閥の性格がハッキリでていますね

彼らのした政治は、恐怖政治といわれています。同じ仲間だったマラーダントンも排除されています。もうお構いなしです

国民公会の支持基盤は、貧しい人ですから、ロベスピエールは彼らに見返りを与えます。それが、封建地代の無償廃止です

農民は、税金を払わなくていいってことです

人間は現金なもので、これで革命のモチベーションは一気に低下します大多数の人が目的を達成して、満足したわけですね

となると、ロベスピエールがウザいという気持ちだけが残ります。国民公会は、1793年憲法によって、次々に改革を行います

代表的なものをあげます

最高価格令…貧しい人たちのために商品の価格に上限を設定します。
※これ経済的にダメです。価格は需要と供給のバランスによって決まるからです。さらに商売人から不評です。後に廃止です
革命暦…新しい暦を設定します。これも不評で、後に廃止されます。
メートル法…これ、今もわれわれ使ってますね。1メートル、2メートル等の尺度を決めました。イイモノですね
理性の崇拝…キリスト教を否定して、合理的に考える理性を崇拝しろと強制します。ある意味、宗教的で、本来の理性の定義から逸脱そています

これだけ見ても、改革がだなと思います

この他に、当時普及したもので、ギロチンというのがあります。ルイ16世の処刑ですでに使用されています。それまでは、死刑執行人が斧なので殺していましたが、失敗することが多く、必ず処刑できる機械が求められていました

人権的な配慮からギロチンが考案されました

-ルイ16世の処刑-
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今の私たちが見ると、ギロチンは十分恐いですw

1794年の7月27日、あまりに改革を急ぎすぎたロベスピエールは、クーデタにあいます。これをテルミドール(9日)のクーデタといいます

この言い方は、革命暦の言い方で、熱月ともいいます。7月ですから、熱い月。わかる気がします。フランスは、またちょっと混乱します

カリスマが必要ですね。他国の侵略もまだ終わっていません。そう、ナポレオンの登場です

次回、ナポレオン行きます

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それでは、アメリカの独立を説明します

どこから独立かというと、イギリスからです。もとは同じ民族でしたが、宗教的にズレがあります。アメリカの主流は、ピューリタンです。このあたりは、すでに説明してますね。イギリス側は、国教会です

■講義 part56 -ヨーロッパ諸国の海外進出-
http://world-history.blog.jp/archives/4392809.html

当初のアメリカ人は、自分たちをイギリス人と思っています。しかし、イギリス本土の人は、一段下の人間に思っています

日本でも、沖縄の人が若干この感覚があって、ヤマトンチュとウチナンチュの区別があります

同じイギリス人でも植民地扱いをしていて、平等性ありませんでした。アメリカ人に不満が溜まるわけですね

この独立運動で主導的な役割を果たすのが、13植民地です。アメリカの東海岸に集中しています。だいたい丸で囲ったエリアです

-13植民地-
無題

13植民地で有名なのは、ピューリタンの作ったマサチューセッツ植民地クウェーカー教徒の作ったペンシルヴァニア植民地、13植民地の最南端部に位置するジョージアなどが有名です

あとは、ヴァージニア植民地ですね

ちなみにクウェーカー教徒という名前、ここでしか聞かれないキリスト教の一派なので、覚えといてください。けっこう聞かれます

当時のイギリスは、まだ重商主義を採用しています。この言葉は、何度もでて来ていますね。絶対に忘れないでくださいね

■講義 part58 -17~18世紀のヨーロッパ文化史②-
http://world-history.blog.jp/archives/4855189.html
※重商主義情報

重商主義の特徴としては、自国に利益を集中させることを目的とします。したがってアメリカは、単なる搾取の場でしかありません。どうやって搾取するか?

それは、税金です

ざっと税金を上げてみましょう

・羊毛品法(1699)
・帽子法(1732)
・砂糖法(1764)

印紙法(1765)

語呂です
いーな!!無効(1765)だ!!印紙法

印紙っていうのは、日本でも高額のものを買うと貼ってますが、アメリカでは、あらゆる出版物に印紙を貼ることを義務つけました

この印紙法あたりから、アメリカの人はだいぶキレてきてます。これに反対して、パトリック=ヘンリ「代表なくして課税なし」と言っています

これ、どういう事かというと、イギリスの議会は、アメリカに意見を聞くことなく、税金を決めているからでた発言です

アメリカは、イギリスの財布でしかないわけです

イギリス側にも理由がありました。当時、イギリスとフランスでは、過酷な植民地争奪戦が展開されていました。フレンチ=インディアン戦争(1755~63)では、イギリスもやり繰りに困っていました

そのため、税金を上げて、乗り切ろうしたわけですね

まだまだ、課税は続きます。茶・ガラス・紙・ペンキに課税するタウンゼント諸法(1767)が制定され、ついにアメリカの我慢の限界を越えたのが、1773年茶法の制定です

語呂です
言いなりなるな(1767)、タウンゼント諸法。非難、波(1773)打つボストン茶会事件

茶法は、茶の販売権を東インド会社一社に独占させた法律です。つまりアメリカは、販売権がなくなり、高い茶を買わせるわけです

これに激怒して起きたのが、ボストン茶会事件です。嫌がらせで、東インド会社の積み荷の茶を全部、海に捨てました

-ボストン茶会事件-
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当時のアメリカ人の気持ちは理解できますが、写真見てください。ネイティブアメリカンの格好を真似て、後の賠償問題から逃れようと、なかなかの姑息ぶりですw

イギリス>>>>アメリカ>>>>ネイティブアメリカン

上下の階層は、キッパリできていますね

ここまで、印紙法や茶法などにふれましたが、この法律を「年代順に並べ替えろ」というマニアックな問題あるので、砂糖・印紙・タウンゼント・茶法ぐらいは、暗記してください

年号を聞かれるのは、印紙法茶法ぐらいです

翌年の1774年には、大陸会議がフィラデルフィアで開催され、ワシントンが司令官に任命されます。皆さんも、名前ぐらいは知っていますね?後の初代アメリカ大統領です

-ワシントン-
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ここからは、語呂で駆け抜けます

茶会で怒って、大陸会議、独立の歴史に残る戦い宣言。サラっと勝って、フラ、スペ、オラは中立、よー食った!!やっぱり!!

・ボストン茶会事件(1773)
・大陸会議(1774)
・独立戦争開始・レキシントンの戦い(1775)
・独立宣言(1776)
・サラトガの戦い(1777)
・フランス参戦(1778)
・スペイン参戦(1779)
・オランダ参戦・武装中立同盟(1780)
・ヨークタウンの戦い(1781)
※ラタナコーシン朝建国(1782)
・パリ条約(1783)


私は受験生時代、これで覚えてました~~。イチイチ年号覚えるのが面倒だったので、独立戦争のキッカケから、独立を認めてもらうパリ条約までを、一年おきの関連する事件とともに暗記してました

どうしても1782年に関連する事件がなかったので、タイの王朝の建国年を、むりやり入れてますw

■講義 part28 -東南アジア-
http://world-history.blog.jp/archives/1870544.html
※ラタナコーシン朝情報

1776年の独立宣言では、まずトマス=ペイン「コモン=センス」を出版して、独立する理由を説明し、ジェファソンが独立宣言を起草して、宣言まで漕ぎ着けました

ジェファソンは、後に3代大統領になる人です

-ジェファソン-
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フランス・スペイン・オランダが、アメリカ側で参戦しているのは、当時NO1になりつつあったイギリスの足を引っ張るためです

イギリスが、アメリカを失うことは、だいぶ損害ですからね

1783年のパリ条約では、独立の他に、アメリカはミシシッピ川以東のルイジアナもゲットできてます

1781年発効のアメリカ連合規約でルールを作り、1787年には憲法制定会議が発足し、アメリカ合衆国憲法が制定されます

13植民地が、名実ともに独立していくことになります。★の数は州をあらわすので、13個からスタートです。2014年現在では、50個ですね

-アメリカ国旗-
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国家の成立にともなって政党もできます

連邦派 × 反連邦派

連邦派はハミルトン、反連邦派はジェファソンです。連邦派⇒共和党、反連邦派⇒民主党となり、現在のアメリカの2大政党制ができます

以上です。次回は、フランス革命にいきます

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ついに近代の幕開けが、やってきます

最初に産業革命が起きたのは、イギリスです。いろいろ理由はありますが、やはり農業革命はデカイです

ノーフォーク農法が開発され、大麦⇒クローヴァー⇒小麦⇒カブと、休耕地を置くことなく、無駄のない農業が可能になりました。クローヴァーやカブは、家畜のエサになって、飼料を買わなくてもよくなります

昔は三圃制で、三分の一は、使えてませんでしたね

■講義 part35 -十字軍-
http://world-history.blog.jp/archives/2362950.html
※三圃制

さらに、この農業革命の力を促進させるエンジンが存在します。議会です。議会は、第二次囲い込みを行ないます。これは、中小農民でなく、大規模農業経営をする農民の保護です。

第一次は、ヘンリ8世の時に説明しています

■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-


これによって、効率的な農業収入が期待できます。この改革、実は日本もやるべきですが、いまだにできていません…

-「農業を成長産業に」新規参入・大規模化・効率化を促せ!(ニュース)-
http://www.globis.jp/2668

囲い込みは、産業革命には重要でした

この話だけ聞くと、中小農民は破産してお終いです。しかし、そうではありません。彼らは、当時の新しい産業、工場労働者になるのです

仕事があっても、働き手がいないと経済発展しません

例えば、今の日本には仕事があります。バカなと思う人がいるかもしれません。仕事は、確実にあります。今の日本には、日本人が働きたいタイプの仕事がないだけです。

例えば、力仕事です

-外国人労働者受け入れ、建設業で拡大へ 担い手不足、「仕方ない」のか…(ニュース)-
http://www.j-cast.com/2014/02/01195567.html?p=all

当時のイギリスでは、労働者の権利というものが、まだ軽かったので、労働の移動は、スムーズでした。一部には、「日本人の仕事を奪うな」という声もありますが、日本人が働きたがらないので、外国人を入れているだけです

今の日本の抱えている問題は、労働環境ミスマッチにあります。ちょっと見方を誤ってはイケません

さて、話を戻します。当時の売れ筋商品は、毛織物です。つまり服が売れるワケですね。これは、今でも強い産業ですね

この毛織物が、木綿に代わります。木綿は、吸収性が高いので、汗とか吸ってくれます。あと毛織物より、傷みにくいです

つまりワンランク上の製品を作れるわけです。なので、いかに木綿工業を発展させるかが重要になります。まずはジョン=ケイとう人が、1733年飛び杼(とびひ)を発明します

画像が、飛び杼です。まず織物作成には、縦横に交差して編む必要があります。大きい織物を編む際は、横糸を通す時に、杼を受け止める係必要でした

-飛び杼-
2014-4-14_9-31-1


しかし飛び杼は、それを一人で操作することを可能にしました。下記、動画にアクセスしてください。飛び杼について説明しています。ジョン=ケイの説明は、2:05~くらいからです

■産業革命
https://www.youtube.com/watch?v=k1xN9IH59YM

2人でやることを、1人にしただけでも、生産効率は200%です。凄いことだと思います

次に紡績技術の革新です。紡績とは、糸を作ることですね。ハーグリーヴズは、奥さんの名前をつけたジェニー紡績機(多軸紡績機)を作ります

これで、今まで一個づつ作っていたものが、一気に8つ作られました。さっきの動画の5:02~あたりから説明があります

さらに紡績の技術を進歩させたのが、機械化です。それを可能にしたのが、アークライト水力紡績機です。動画の6:08~から確認できます

さらにクロンプトンは、紡績機の性能をあげたミュール紡績機を作りました。動画の10:44~から確認できます

こうやって紡績技術がレベルアップする中で、織布技術も機械化されます。それがカートライト力織機です。この動画もあったので、URLを展開します

■力織機
https://www.youtube.com/watch?v=efpbgVQZdSA

これらの革新は、効率化をうむ反面、今まで働いていた人の職を奪ってしまいしました。結果、機械打ちこわし運動(ラダイト運動)も激化しました

今までの流れと少しズレまずが、ホイットニー綿繰り機も覚えましょう。綿は、植物からとれますね。それを効率よくとる機械が綿繰り機です

このように産業革命では、機械化が進みます。この機械化の波は、いまだって続いていると思います。最初に動力源として登場したのが、蒸気です。水蒸気の力をエネルギーに変えるわけですね

それをしたのは、ニューコメンです。彼の蒸気機関の発明を効率化させたのが、ワットです

この技術を応用してうまれたのが、フルトン蒸気船であり、スティーブンソン蒸気機関です

機関車は、1825年ストックトン・ダーリントン間で試験運用され、1830年マンチェスター・リヴァプール間で実用が開始します

ココ、引っかけ問題あるので、気を付けてください。試用と実用は違います。日本のリニアも山梨で試用運転してますが、実際走るのは、東京~大阪間ですよね?

-首相、リニアをトップセールス 米大使と実験線に試乗- (ニュース)
http://www.asahi.com/articles/ASG4D4HBGG4DUTFK008.html

製鉄技術もあがります。今まで木炭でやっていたのを、石炭・コークスに転換したのは、ダービーという人です

これらの登場によって金持ちの種類も変わります
商業資本家⇒産業資本家

商業資本家は、問屋さんです。入荷した商品を売る小売りに渡す人です。この人たちが商品を独占することで、値段をコントロールできます

産業資本家は、主に工場を持っている人です。この時代、爆発的な生産力を得た工場経営は、金持ちを生みました。そういう生産手段を持つ人を資本家ともいいます

これに対になる概念が、労働者です
資本家 x 労働者
ここの対立関係は、今も継承していると思います。社長は、多くの利益、会社を維持するために、給料を抑制しますが、労働者は、給料上げてほしいですよね?

もともと対立することが、運命づけられています

急激に労働環境が変わりましたから、労働者を守る法律が当時ありませんでした。そこから法律が整備されていきます

結果、工場法労働組合がつくられていきました

産業革命によって、発展した町も覚えましょう
マンチェスター・リヴァプール・バーミンガムです

マンチェスターは木綿工業で栄え、リヴァプールはで栄え、バーミンガム鉄・石炭で有名です
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最後に、各国の産業革命の起きた年代をまとめましょう

イギリス…18C後半
ベルギー・フランス…1830年代
ドイツ…1834年の関税同盟から
アメリカ…19C中頃
ロシア・日本…1860年代。日本は、明治維新(1868)以後


これ、各国の産業革命の成立順を並べろって問題がでます。ベルギーあたりが知っていないとできません。ロシア・日本は、遅れた国なので、最後のイメージを持ってください

次回は、アメリカ独立戦争いきましょう

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