世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

2014年05月

それでは、ひさびさのニュースの解説ですクリミア問題いきましょう

大学受験の問題は、までにできると言われますから、受験生の方は、この話に絡んだクリミア戦争冷戦などの現代史を勉強することを強くオススメします。時事問題に絡めた出題は、王道です

■講義 part72 -ロシアの改革と東方問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7210555.html
※クリミア戦争情報

このニュースは、現在の世界情勢を把握するうえで、もっとも良い教材だと思います。概要については、下の記事でだいたい理解できると思います

-「クリミア問題」何をもって独立なの? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語-
2014.03.17 11:00
http://thepage.jp/detail/20140317-00000004-wordleaf?page=1

めっちゃ簡単に説明すると、ロシアにとってウクライナ子分と思っていたけど、EU側に行こうとしてキレたということです

ロシアの意識では、ロシアの息のかかったセヴァストーポリや、その他の軍事基地が集中しており、ロシアを守る壁として、ウクライナは絶対死守ラインの場所です

現ウクライナ政権は、あからさまにEUよりで、反ロシアです。公務員の採用試験では、ウクライナ語の使用のみを義務付けており、ロシア語しか話せない東ウクライナは、ウクライナにいながら、今後差別的待遇を受けることは明らかですさらにこの政権、クーデタで権力を奪取しており、正統性いかがわしいです

子供向けアニメの世界なら、どちらが良いものなのかハッキリしてるんですが、今回はウクライナ・ロシアともに問題を抱えていたと思います

プーチン(在任2000~08、12~)は、このウクライナの過激さに攻撃理由を見つけたわけです。「ロシア系住民の保護」を主張し、クリミアに軍を派遣し、占領に成功します

-プーチン-
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-クリミア-
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そして今後重要になってくるのが、東ウクライナ侵攻するかどうかです…ロシアは、経済制裁を恐れています

ここに必要になるのは新たな理由です。今後、東ウクライナ大量虐殺が発生した場合、「ロシア系住民の保護」を再度主張すると思います

そして、今回のクリミア問題をじっくり研究していた国があります。それは中国です。理由はどうあれ、ロシアは非合法な方法で、領土を拡張しました

中国は、侵略方法3つほど学んだと思います

①アメリカの行動を分析する…ロシアはシリア問題で、アメリカが軍事侵攻しないと判断したと思います

■ニュース part3 -シリア問題-
http://world-history.blog.jp/archives/1948621.html

②軍隊を送る際は、正体不明にして時間を稼ぐ…クリミア侵攻時に正体不明の集団が、クリミアを占領しています。ロシア軍であることは明らかですが、証拠集めに時間がかかり、占領の時間を稼げます

③常任理事国に、国連は無力…国連によって非難決議をしたり、国連軍を派遣しようにも、ロシアは拒否権を持つため、決議は絶対通りません。常任理事国による全会一致が原則です

ここに学び、まず弱小国相手に情報サンプル集めをしているのが、現在の中国です

-「石油施設、中国船100隻」南シナ海一触即発(ニュース)-
2014年05月28日 07時27分
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140527-OYT1T50168.html

本番は、尖閣諸島だと思います。アメリカの動向を伺いつつ、正体不明の船で、島を占領。国連決議をだそうにも、拒否権で無効化。これで占領を完了し、日本を屈服させられれば、東南アジアも黙るだろうというのが、彼らの意図です

日本もバカじゃないので、防衛力を増すため、無理してでも通そうとしてるのが、現在の集団的自衛権の問題です

-「日米指針再改定までに」 集団的自衛権 首相、行使容認の閣議決定(ニュース)-
2014.5.30 13:48
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140530/plc14053013480019-n1.htm

ここからは、私の歴史認識を話します。まず第二次世界大戦は三国志の時代でした

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ファシズムは、全体主義ともいいます。質的に違いがあるんですが、日本も全体主義の陣営にいました。この陣営のドイツ・イタリア・日本が負けます。ちなみにイタリアは、途中で裏切り、ちゃっかり戦勝国です。結果生まれたのが、冷戦という状態です。戦争で欧州は疲弊し、自由主義陣営を引っ張るのはアメリカ、社会主義はソ連になりました

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そのソ連が、1991年に崩壊し、アメリカ一人勝ち状態が続きます

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2014年というのは、アメリカの一人勝ちが終わった年だというのが、私の見解です。日本でも、暴力団の勢力が減少すると、半グレといわれる集団がでてきました

世界も、強烈に強い国がいなくなると、ほどほどの暴力を持った国が、悪さをするというのが現実のようです秩序は、暴力の上に成り立つという現実にガッカリです

世界の人も、冷戦後にある戦いは、テロのようなイレギュラーなものでしかなく、国家間の紛争はなくなるとふんでいました

それが、この事態です帝国主義的な国家の復活です歴史の逆行ですね

ちなみに帝国主義とは、ジャイアンのように、無理矢理言うことをきかせて、自分のものにする傾向をもった国を指します。生徒には、ジャイアニズムと名付けて、説明していました

-ジャイアン-
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帝国主義は、の間にはブログにアップできると思います

次回は、アメリカの南北戦争です

ロシアいきます。この講義の後に、ひさびさにニュースについて説明したいと思います。クリミア問題です

今回の講義の後に、クリミア問題に触れたほうがいいと思っていたので、今まで言及していませんでした。それでは行きます

まず復習です。19世紀のロシアの王朝は、ロマノフ朝(1613~1917)です

■講義 part55 -啓蒙専制君主(ロシア)とポーランド分割-
http://world-history.blog.jp/archives/4283924.html
※ロマノフ朝情報

ウィーン体制(1815~48)以後のロマノフ朝の王様は、全覚えでお願いします
覚え方は、アレ、ニコ、アレ、アレ、ニコです。「なに言ってんだ!てめー!」と怒らないでください。私は、これで覚えてます

アレクサンドル1世(在位1801~25)⇒ニコライ1世(在位1825~55)⇒アレクサンドル2世(在位1855~81)⇒アレクサンドル3世(在位1881~1894)⇒ニコライ2世(在位1894~1917)

アレクサンドルとニコライで回していますねニコライ2世が、ロマノフ朝の最後の王様になります

イメージとしては、ウィーン体制を仕切っていたのが、アレクサンドル1世で、ウィーン体制が動揺するぐらいから、ニコライ1世です

アレクサンドル1世といえば、神聖同盟の結成で有名です。ニコライ1世は、デカブリストの乱(1825)からと覚えてください。一発GO(1825)です

■講義 part63 -ウィーン会議-
http://world-history.blog.jp/archives/5889961.html
※神聖同盟

■講義 part64 -ラテンアメリカ諸国の独立とギリシア独立戦争-
http://world-history.blog.jp/archives/6006451.html
※デカブリストの乱

19世紀から、トルコで「東方問題」が発生します。オスマン帝国内で起きる反乱のことです。この方向の定義は、極めて主観的です。世界史で、方角を聞かれたら、だいたいヨーロッパが中心になります。ヨーロッパから見て、トルコは東方ですね?なので「東方問題」です

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これ、単純に人間の精神構造的問題です。どうしても、私たちは自分中心で、ものを考えますからね。だから、彼らは新大陸発見と言ったり、インディアンと言ったりしていましたね。インディアンは、インド人のことですね

最初は、アメリカ大陸はインドと思われていたため、起きた誤解です。これって凄い失礼だと思います日本歩いてたら、「Hey!!インド人」と言われたら、フリーズしますよね

話を戻します

「東方問題」が初めて顕在化したのが、ギリシア独立戦争(1821~29)です。これについては、すでに触れていますね

■講義 part64 -ラテンアメリカ諸国の独立とギリシア独立戦争-
http://world-history.blog.jp/archives/6006451.html

ロシアは、ギリシア側で参戦していますから、ギリシア独立によって利益を得ました。ボスフォラス・ダーダネルス海峡の通行権です。ちなみに海峡は、細い場所のことです

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黒海を通って地中海に出るには、ここを通る以外の方法がありません。ロシアが貿易する際に、ここの通行権が非常に重要です。ここを潰されると、経済大打撃なわけです

ロシアの戦略としては、どんどん南に下りてきます。貿易航路を開くためです。これを南下政策といいます。また方角でましたね。よくロシアの説明では、不凍港を求めて南下するなんでいわれます

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ロシアを地図でザッと見ると、ほとんどの場所が、北海道より上にあるのがわかります。海に囲まれているとはいえ、港が凍って使えないわけですね

なので、温暖な地域に南下してくるわけです

この地図で見る、黒海の価値は、確かにロシアにとって高いものだとわかります。オスマン帝国内は、この頃まだまだグラついています

次はエジプトが、オスマン帝国に反旗を翻します。ちょうどこの時いたエジプトの総督は、ムハンマド=アリー(在位1805~49)という人です

-ムハンマド=アリー-
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彼はオスマン帝国内で、エジプトの軍隊を近代化させて、独立に備えていました。ここに第1回エジプト=トルコ戦争(1831~33)が勃発します

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イギリスやロシアなどは、この小競り合いを利用して、利益を得ようとします。戦争自体は、エジプト有利で、シリアはエジプトのものになります。またロシア自身も、オスマン帝国を支援したことで、ウンキャル=スケレッシ条約(1833)で、ボスフォラス・ダーダネルス海峡独占通行権を得ます

これに味をしめたムハンマド=アリーは、次に総督の世襲権を求めて戦争します。第2回エジプト=トルコ戦争(1839~40)です

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ここが、ヨーロッパ外交の凄い所です。昨日の敵が、今日の味方になります。各国は、国益でしか動きません。普通に行けばエジプトのほうが強いので、支援するフランスが戦争後、利益のでるのは明らかです。そのためイギリスは、他の国を誘ってオスマン帝国側につきます

これでフランスの利益一人占めを防ぎます。戦争後、エジプトは世襲権を得る代わりに、シリア放棄することになりました

イギリスには、まだ課題があります。それはロシアの強大化を防ぐことです。第2回エジプト=トルコ戦争を終わらせた1840年ロンドン会議で、ウンキャル=スケレッシ条約を破棄させることに成功します

ちなみにギリシア独立戦争を終わらせたのもロンドン会議(1830)です。10年後にも同名の会議があるんだと記憶してくださいね

その後、ロシアは飼い犬に手を噛まれる状況が生まれますオスマン帝国が、イェルサレムの聖地管理権をロシアからフランスに移しました。この時のフランスのトップは、ナポレオン3世です

■講義 part69 -フランスの第二帝政・第三共和政-
http://world-history.blog.jp/archives/6498346.html
※ナポレオン3世情報

これにロシアのニコライ1世が、激怒します。ちなみにイェルサレムは、ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地でしたね。そこの管理をフランスに任せたわけです

さらにフランスはカトリック、ロシアはギリシア正教です。派閥も違います。「用心棒代わりの自分に相談もないんかとキレたわけです

ロシアがオスマン帝国に仕掛けた戦争が、クリミア戦争(1853~56)です。この戦争中にロシアの王が代わります

ニコライ1世(在位1825~55)⇒アレクサンドル2世(在位1855~81)

ニコライ1世は、デカブリストの乱で始まり、クリミア戦争中に終わるイメージです。ニコライ1世は、ギリシア正教徒の保護を理由に戦争を開始します。つまり、「オスマン帝国内のロシア人を助けます」という論理です

150年以上経った現在でも、ロシアはこの論理で、ウクライナに仕掛けたわけです

-ロシア大統領、クリミア編入を表明 欧米が追加制裁へ(ニュース)-
2014/3/18 20:53

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1803U_Y4A310C1MM8000/
※「ロシア系住民の保護」を理由にクリミアを編入しています

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オスマン帝国は、ロシアにやられるのは確実ですから、英仏はオスマンを支援します。外交の基本は、バランスオブパワー勢力均衡です。サルデーニャは、イタリア統一に向けてのアピールでしたね

■講義 part63 -ウィーン会議-
http://world-history.blog.jp/archives/5889961.html
※勢力均衡情報

■講義 part67 -イタリアの統一-
http://world-history.blog.jp/archives/6154501.html
※クリミア戦争参戦情報

語呂です
いや~ゴミ(1853)コロコロ(56)、やっぱり(パリ条約)クリミア戦争

ロシアが難攻不落と考えていたセヴァストーポリ要塞が、この戦争で陥落します。この要塞がある場所、現在もロシアの軍事基地があり、それがクリミア半島にあったため、クリミア半島は、どうしてもロシアの側に引き込みたかったんですね

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クリミア戦争にロシアは敗れ、南下政策は完全に挫折しますパリ条約の内容いきます

パリ条約(1856)
・南ベッサラビアを放棄…ルーマニアのものになります
モルダヴィア・ワラキアの承認…事実上の独立を獲得。後のルーマニアです
・黒海は、非武装地帯
・ドナウ川航行の自由…各国を横断して、黒海に流れる川の共同利用を決めました
-ルーマニア-
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-ドナウ川-
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ロシアは、なんとかリベンジの機会をうかがいます。それがロシア=トルコ(露土)戦争(1877)です。オスマン帝国内で起きたボスニア・ヘルツェゴヴィナの反乱を利用します

-ボスニア・ヘルツェゴヴィナ-
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今回の口実は、スラブ民族の保護です。今度はロシア人よりデカい、スラヴという概念で、戦争をしました

■講義 part34 -ビザンツ帝国と東ヨーロッパ-
http://world-history.blog.jp/archives/2192820.html
※スラヴ情報

この戦争一騎打ちです。もちろん弱小オスマン帝国には、負けません。ロシアに有利な条約を結びます

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■サン=ステファノ条約(1878)
・ルーマニア独立
・セルビア独立
・モンテネグロ独立
・ブルガリアは領土を拡大し、ロシアの傘下

当時のブルガリアは、地中海に面する領土を持っていました。ここがロシアに入るということは、南下政策成功を意味します

-ブルガリア(1878)-
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語呂です
嫌な話(1878)のサン=ステファノ条約

この状況に、特に焦ったのがイギリス・オーストリアです。この問題を話し会おうと会議が開かれます。それがベルリン会議で、ビスマルクが「誠実な仲介人」を公言して、あらたな条約を締結します

それが、ベルリン条約(1878)です

■ベルリン条約(1878)
・ブルガリアは領土を縮小し、オスマン帝国の傘下
オーストリアは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ行政権を獲得
イギリスは、キプロスを獲得

これ駄々をごねた英・墺が得して、露だけが損をしています。結局、南下政策失敗ですビスマルクは、ロシアを犠牲に、イギリスを味方に付けることに成功したわけです

このあたりの外交、実に複雑です

ビスマルクは、ロシアに恨まれ、さらにロシアがフランスと仲良くなられるのを異常に恐れていました。そのための再保証条約(1887)の締結だったわけです

■講義 part68 -ドイツの統一-
http://world-history.blog.jp/archives/6184102.html
※ビスマルク体制

これらの失敗によって、ロシアは改革が他国に比較して、進んでいないことが、自覚されました。早い段階では、デカブリストの乱の時期には、インテリゲンティアという知識階級が、改革を訴えていました

国王自身も、アレクサンル2世などは、農奴解放令(1861)を発布したりもしました。これは、お金を払ったら、土地を買えるシステムだったので、貧乏の農民はなかなか自立できない中途半端なものでしたが、なかには頑張って自作農になった人も現れました

自立できない農民は、ミールといわれる農村共同体でやり繰りすることになります。このミールなどの協同システムをうまく使って発展しようと考えたのが、ナロードニキといわれる人たちです

彼らのスローガンは、「ヴ=ナロード」(人民の中へ)でした

ナロードニキの中には過激な人たちもいて、ロシアがダメな原因を王様と考えていました。この一派は、暗殺を企てて、成功してしまいます

アレクサンル2世暗殺は、1881年に起きます。

語呂です
嫌やい(1881)、アレクサンドル2世暗殺

19世紀のロシアは、まず王様を覚え、次に戦争です
ギリシア独立戦争⇒エジプト=トルコ戦争⇒クリミア戦争⇒露土戦争

ロシアの南下政策は、結局失敗しています。「西に南下できないなら、次は東に南下だ、これが後の日露戦争(1904~05)になるわけです

この話をブログで取り上げるのは、だいぶ先でしょう

今回は、以上です。次回は、ニュースのクリミア問題を解説します

選挙法改正をまとめて一気にいきます
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全部で6回ありますこれは、語呂で全覚えです

闇に(1832)やむなく(1867)はやし(1884)たが、悔いは(1918)なく、苦には(1928)ならないック(69)

■首相名
次に首相の語呂です。第1回~6回の時の歴代首相です
ぐだぐだ、グロいボールだ。ウィルソン

ぐ…グレイ(ホイッグ党)
だ…ダービー(保守党)
グ…グラッドストン(自由党)
ロ…ロイド=ジョージ(自由党)
ボール…ボールドウィン(保守党)
ウィルソン…ウィルソン(労働党)


■参政権の拡大
第1回選挙法改正(1832)…産業資本家
第2回選挙法改正(1867)…都市の工業労働者
第3回選挙法改正(1884)…農業労働者・鉱山労働者
第4回選挙法改正(1918)…男子普通選挙(満21歳以上)、女子普通選挙(満30歳以上)
第5回選挙法改正(1928)…男女普通選挙(満21歳以上)
第6回選挙法改正(1969)…男女普通選挙(満18歳以上)


正直、これは全覚えです。どれが聞かれてもおかしくありません
「第2回選挙法改正で、鉱山労働者に参政権が与えられた」⇒不正解ですね
「第4回選挙法改正は、保守党のグラッドストン内閣の時に行われた」⇒不正解ですね回数も、政党も違います
「第5回選挙法改正で、男子満20歳以上に参政権が与えられた」⇒不正解ですね21歳です
こんな感じに、いろいろなパターンで聞かれるので、全覚えしかありません大変かもしれませんが、暗記すれば得点源になりますから、必ず覚えましょう

今までのブログでふれた参考情報は、以下です
■講義 part66 -19世紀の自由主義・社会主義-
http://world-history.blog.jp/archives/6117577.html
※第1回選挙法改正情報
■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※第3回選挙法改正情報

選挙法改正なんて、イギリスしか聞かれないので、「世界で初めて、女性に参政権を与えた国はどこですか?」っていう問題が出題されると、みなイギリスを選んでしまいます。これ間違いです

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Copyright by 来夢来人

正解は、ニュージーランドです。イギリスは、1918年に認めてますが、ニュージーランドは1893年です。ちなみに日本は、1945年です
こんな変化球問題も、たまに出題されています。選挙法改正は、以上です

次回は、ロシアです。今、ホットなクリミア問題に関わる部分です

イギリスの話です。だいたい19世紀のイギリスは、ヴィクトリア時代といわれます。これはヴィクトリア女王(在位1837~1901)が、長い統治をしていたからです

-ヴィクトリア女王-
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彼女以後の、イギリス女王の長命は凄いです。今のエリザベス2世(在位1952~)も、60年以上統治しています

-エリザベス2世-
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彼女のお母さんも、長生きで101歳まで生きていました。ここだけ聞くと、イギリスは王がグイグイ引っ張てる感じですが、日本と同じで、あくまでシンボルとしての役割です

「王は君臨すれども統治せず」でしたね

■講義 part52 -イギリス革命(ピューリタン革命)・名誉革命-
http://world-history.blog.jp/archives/4100267.html
※「王は君臨すれども統治せず」情報

イギリスの議会の歴史は、長いですからね。ここの19世紀の二大政党は、保守党×自由党です

保守党…旧名トーリ党。地主などの伝統的な人が支持しています。外国にちょっかいだす傾向
自由党…旧名ホイッグ党。新興ブルジョワジーの人が支持しています。国内を整備する傾向


19世紀の二大政党と限定するのは、自由党が後に人気なくすからですイギリスは、複数回の選挙法改正を経て、成人に選挙権が与えられます。収入などによって選挙権が制限されていた時期は、自由党が一定の支持を得ましたが、全国民が参加する状態になると、労働者が応援する労働党が強くなります

話を戻しますが、特に19世紀後半はディズレーリ(在任1868、74~80)とグラッドストン(在任1868~74、80~85、86、92~94)でイギリス政治をまわします

-ディズレーリ-
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-グラッドストン-
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ディズレーリは保守党の人ですから、海外に介入します。19世紀に海外絡みでイギリスの首相誰ですか?と聞かれたら、ディズレーリです

■ディズレーリのやったこと
・スエズ運河株の買収(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ロシアの南下政策阻止

語呂です。女の子の名前シリーズで。
スエズ花子(1875)が、株式買収

逆に国内の整備は、自由党のグラッドストンです

■グラッドストンのやったこと
・教育法(1870)…公立学校が増設
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)…農業・鉱山労働者の選挙参加を認める


そして、二大政党関係なく抱えている問題が、アイルランド問題です。そもそも宗教の派閥が違うので揉めてるんですが、古くはゲルマン大移動まで遡ります。アイルランド人は、ケルト人の流れをくみます

■講義 part32 -ゲルマン大移動-
http://world-history.blog.jp/archives/2041598.html
※ゲルマン人とケルト人情報

■講義 part66 -19世紀の自由主義・社会主義-
http://world-history.blog.jp/archives/6117577.html
※カトリック教徒解放法

19世紀は、アイルランドが独立を獲得しようと、ジワジワ権利を獲得していきます。1848年には、青年アイルランド党が、武装蜂起しましたが、これは鎮圧されています

アイルランド国民党は、急激な方法でなく、政治によって権利を獲得していきました。まずはアイルランドの主流を占める農民の権利をゲットします。それが成功すると、自治権獲得に移ります

第1次アイルランド土地法(1870)…小作人の権利保護
第2次アイルランド土地法(1881)…アイルランド人に土地購入許可
アイルランド自治法…1886、93年ともに否決。1914年に成立


語呂です
土地離れ(1870)たいアイルランド、いややい(1881)イギリス、自治はいーよ(1914)

この流れで、いろいろ揉めますが、イギリスは広大な植民地で、白人が支配している土地には自治権を認める方向にシフトします。認める順番は、こんな感じです

カナダ連邦(1867)⇒オーストラリア(1901)⇒ニュージーランド(1907)⇒南アフリカ連邦(1910)

■自治権獲得の順序
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地図をイメージして、時計の反対回りで自治が増えたと想像しておいてください。時々、自治権の獲得順に並べ替える問題がでます

オーストラリアは、かつて罪人の島流し場所として使われていました。これを流刑植民地といいます

今回は、以上です。次回はイギリスの選挙法改正について、まとめて説明します

さてフランスの話です。フランスを見てると、民主主義はすぐにはできないことがよくわかります。この講義では、さらっと流していましたが、フランス革命の最終局面で、ナポレオンが登場したのは、民主主義の悲劇だと思います

民主主義は、独裁者に頼りません。にもかかわらず、独裁者のナポレオンを生んでいます。これは歴史の皮肉ですね

■講義 part62 -総裁政府とナポレオン-
http://world-history.blog.jp/archives/5437815.html
※ナポレオン情報

民主主義は、本当に少しづつしか、前に進みません。なので、独裁者がドラマティックに改革すると、「そっちがいいな」となります

これは甘い罠です。独裁は、運命的に腐敗するからです。民主主義の利点は、政治腐敗を前提に作られている所です。つまり、選挙です

これがあるので、独裁者が乱暴しても、選挙で落とすことができます。なので、民主主義は弱点もありますが、マシなんです

私の好きな政治家、チャーチル(在任1940~45、51~55)の言葉を引用しましょう。この人はイギリスの軍人かつ、首相です。第二次世界大戦あたりで勉強します

「本当に民主主義は、最悪の政治形態だ。今まで試された民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばの話だがね」

-チャーチル-
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フランス民主主義の苦しみは、また独裁者を誕生させます。それがナポレオン3世(在位1952~70)です。皇帝就任前は、ルイ=ナポレオンといいます。名前でピンと来ると思いますが、ナポレオンのです

-ナポレオン3世-
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ナポレオン3世は、第二共和政の矛盾点をうまく突いて、トップになります。まず第二共和政で、選挙をやって実権を握ったのは、ブルジョワでした。金持ち集団です。ここと労働者・農民が対立します

労働者・農民から人気を得たのが、ナポレオン3世です。今の政治に不満を持っている人々を取り込んだわけです。国民は、彼に良かった頃のフランスを見るわけです。ナポレオン3世が七光りでなかったのが、ブルジョワもちゃんと保護したことです

就任後、国民すべてにいい顔したのが、彼です。ブルジョワは、社長です。彼らは、一杯給料を払いたくありません。労働者は給料欲しいです。矛盾がありますね。これを解消するのが戦争です

戦争で獲得した戦利品を使って、会社を保護、拡大させ、労働者のために保険を整備し、農民の土地所有を保護しました

これをボナパルティズムといいます。この政策は、戦争に負けた瞬間に終わります

まずはクリミア戦争(1853~56)で、ロシアと対立しましたが、ここに勝利します。中国にもアロー戦争(1856~60)で勝利します。イタリア統一戦争(1859)では、イタリア側で参戦し、最終的に領土をゲットしてましたね

■講義 part67 -イタリアの統一-
http://world-history.blog.jp/archives/6154501.html
※イタリア統一戦争情報

インドシナ出兵(1858~67)では、ベトナムを支配下に置きます。とにかく戦争ばかりで、勝利していましたから、人気もありました

しかし、メキシコ出兵(1861~67)で敗北します。この時、メキシコの責任者、マクシミリアンを見捨てて撤兵したため、人気が赤丸急降下です

このミスをなんとか回復しようとやった戦争が普仏戦争(1870)です。これがナポレオン3世の致命傷になりますこの時、弱小と思われていたプロイセンは、じっくりと戦争の準備をしていましたね

■講義 part68 -ドイツの統一-
http://world-history.blog.jp/archives/6184102.html
※普仏戦争情報

スダン(セダン)という町で、彼は捕虜になり、負けます。とにかくナポレオン3世は、彼が関与した戦争を覚えてくださいね「この戦争の時のフランスの大統領は誰ですか?」みたいな問題は、よくでます。以下が、彼の関与した戦争です

・クリミア戦争
・アロー戦争
・インドシナ出兵
・イタリア統一戦争
・メキシコ出兵
・プロイセン=フランス(普仏)戦争


1871年に臨時政府がたてられ、これがまたブルジョワ中心だったので、労働者は自分たちで、他の政府を建てます。それがパリ=コミューンです。この時、大統領のティエールは、これを徹底的に弾圧して潰します

彼が後に、第三共和政(1870~1940)の初代大統領になります。また七月王政期も、首相(在任1836、40)をやっていました

ちなみに第三共和政は、ナチスに占領されるまで続きます

フランスは、覚える王朝が3つしかないので、王朝暗記は、イギリスと比較して楽ですが、政治形態が頻繁に変わるので、そこを必ず覚えましょう

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html
※イギリス・フランス王朝情報

政治形態の流れは、以下です

第一共和政⇒第一帝政⇒復古王政⇒七月王政⇒第二共和政⇒第二帝政⇒第三共和政

「第一共和政はロベスピエールで、第一帝政はナポレオンだったな」とイメージできないと世界史では戦えませんよちなみに第二次世界大戦後は、第四、第五共和政です。現在のフランスは、第五共和政(1958~)の時代です

次回は、イギリスのヴィクトリア時代いきます

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