私自身、セブに在住しているので、距離的にも近く、やっと8月23日、24日に行ってきました
-セブ・レイテ-
レイテ島が気になっていた理由は、2つあります
1.2013年11月の台風被害
2.第二次世界大戦時の、激戦地の確認
仕事の関係で、前もってチケットやホテルを手配できなかったため、意外に費用はかかりました
それでも、私の行ったタクロバンは、セブから200キロぐらいしか、離れていないので、往復チケット代は4000ペソ(9500円)ぐらいです
ホテルも、4000ペソぐらいかかってますもっと安いホテルもあったと思いますが、被災地ですし、しょうがないかなと思います
台風の被害は、すでに1年近くなっているのにデカイです
■台風30号(フィリピン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9025%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%AC%AC30%E5%8F%B7
■フィリピンに各国から救援隊-死者1万人も、損失推計1.4兆円
ブルームバーグ 2013/11/11
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MW2OMY6KLVR401.html
まず空港に降りて思ったこと。「いきなり水浸しかよ」
空港も、壊れたままです
空港周辺も、まだ倒木が野ざらしです
UNHCRのテントがありますね。国連の一機関ですが、よくやっていると思います。レイテ人から国連の文句は聞かなかったです
台風時のままの光景のように錯覚しますが、現地の人に聞くかぎり、かなり戻ってきているそうです。台風で高波が来て、レイテのおばちゃんは、泳いで逃げたとまで言っていました
フィリピンの独裁者マルコス(在任1965~86)と奥さん、イメルダ夫人の家を再現した博物館もボコボコですサント・ニーニョ博物館といいます
世界史受験では、マルコスは現代史で聞かれます。覚えましょう
-サント・ニーニョ博物館-
調査中、子供が屈託のない笑顔で、よく挨拶してきました。日本語も少ししゃべれていて、当時の日本の支援者のおかげで覚えたのかなと、勝手に解釈しました
セブの人より、さらに人なつっこい人々に驚きました
タクロバンの市庁舎にも行ってきてます
-タクロバン市庁舎-
フィリピンと日本の戦死者を弔った記念碑も欠けています。ぜひ、修復したいですね。優先度的には、レイテ人の生活を普通に戻すことですが…
ちなみにこの碑、鈴木元東京知事が文字書いてます
-平和記念碑-
この碑を中心に、公園になってますが、恋人たちの憩いの場になってます。悲惨なことがあっても、愛がはぐくまれるのには、本当に感動します
マッカーサーが「I shall return」と言って実際に戻ってきた場所が、実はレイテです。そこが今、記念公園になっています
マッカーサーは第二次世界大戦で、日本と戦った、現場の責任者でしたね。戦後は、日本統治に強く関与しています
トライシクルを使っていきましたが、往復で400ペソかかってます。多分ボラらてますw
-マッカーサー・ランディング・メモリアル・パーク-
※金メッキが、剥げています
ここから空港に直接帰りました。空港前には、ほどほど食事する所あります
そして、ショボいチェックインでセブに戻りました
この旅を終えて思ったことは、日本の兵隊の魂を鎮魂しようと考えていましたが、まず鎮魂すべきなのは激戦地の犠牲になったフィリピン人だということ
また、それに気付かなかった自分の浅薄さを恥じました日本軍自体、現地調達で戦争をしているため、現地人の食糧を奪う状態が発生しました
またゲリラと民間人は同じ服装で、日本兵は「会った者はゲリラの恐れがあるため、殺せ」と命令されていました。日本兵側から見れば、しょうがない状況ですが、フィリピン人の反日感情が高まるのは必然だと思います
結局、戦争自体をなくさないと憎しみがなくならないですね
今回は、以上です