十字軍の生まれた経緯に、農業の発展について触れましたが、農業の発展は都市の発展も生みます

本来農民は自給自足で、自分たちが食べられる分だけ作れれば満足し、残りをお金に換える余裕がありませんでした


しかし、農業の発展は余剰物資を産みます。その余剰物資を売りさばいて、利益をあげようと努力する商人がいるわけです

商人はまず、日本のフリーマーケットのように不定期に集まって商品を売ったりします。中には常設で商売を行い、そこが発展して町になります


日本でも、四日市とか五日市とか、決まった日に市場を開いた場所が町になっていますね


商売が発展すると、物々交換の時代は終わります。いちいち白菜と肉を交換とか面倒なので、貨幣の登場です
ヒト・モノ・カネが動くと、商売が繁栄します。また十字軍は、貨幣経済普及の原因になりました


十字軍は、ヒト・モノ・カネが大規模に動きますもんね


当時のヨーロッパが行った貿易で有名なのが、東方貿易(レヴァント貿易)北海・バルト海貿易です

東方貿易のメインは香辛料で、北海・バルト海貿易は海産物・穀物・木材・毛織物です


お金持ちの都市は、お金の力で政治力を持ち、自治権を獲得します。ドイツの帝国都市(自由都市)やイタリアのコムーネ(自治都市)が有名です

ドイツの諺では、「都市の空気は自由にする」があります。これは、農奴が都市で1年と1日過ごすと領主の支配を逃れ、市民になれることを意味します


イタリアの都市で有名なのは、ヴェネツィア・ジェノヴァ・ミラノです
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ヴェネツィアは、第4回十字軍を起こすほど裕福でしたね。そのライバルがジェノヴァですね。ヴェネツィアやジェノヴァは東方貿易で儲けます。ヴェネツィア出身のマルコ=ポーロがジェノヴァに捕まったのは、それが原因ですね

フィレンツェは、毛織物で儲けてます。ここから大富豪のメディチ家がでてきます


ミラノは、中継貿易で儲かります。想像すると理解できますが、イスラム圏やアジアの商品は、一旦イタリア諸都市に集積されて、その後ヨーロッパ各地に展開します。地理的な有利性がイタリアにはありました


神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世は、イタリアの裕福さに目をつけて干渉してきますが、ミラノを中心に都市間でロンバルディア同盟を結成して見事退けます


次に北海・バルト海貿易で儲かった都市です。リューベックハンブルクが有名です。リューベックを中心にハンザ同盟が結成されています
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毛織物で有名なフランドルをおさえていたのが、ブリュージュです。15世紀には中心地はアントウェルペン(アントワープ)にかわります。フランドルといえば、フランダースの犬ですね

古いアニメですが、当時視聴率が30%を超えていました。暇があったら、見てみてください。確かに名作です

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他は、定期市で栄えたシャンパーニュ地方、現在シャンパンの原産地ですね
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ドイツの鉱山業で儲かったアウグスブルクも覚えましょう。ここからは、大富豪フッガー家がでています。当時のを牛耳っていました

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都市内では組合が結成されます。これをギルドといいます
大きく分けて2つの組合があります。商人ギルド同職ギルド(ツンフト)です。商人ギルドのほうが権力を持ってました

まぁ、親方といわれるお金持ちが集まってつくったものですから当たり前です。このあたりの関係、大企業と中小企業の組合のイメージ持っててください


当時の権力関係は、親方>職人>徒弟になります。徒弟は、見習いぐらいの意味でよいです。同職ギルドも発言権が欲しかったので、ツンフト闘争なんかも起きてます

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この中世都市を見てもわかりますが、お金の力を背景に発言権を持つ人が変わってきています。かつて発言権のあった教皇っは、十字軍の失敗もあり、低下しています

それを決定的にしたのはアナーニ事件です。これはフランスのカペー朝の王、フィリップ4世(位1285~1314)が聖職者課税問題で揉めて、ボニファティウス8世をアナーニという町に閉じ込めた事件です

聖職者課税は、王の収入が増え、教皇の収入が減りますね。権力構造の変化が決定的になります。もちろん教皇は反対しましたが、しかしダメでした


フィリップ4世は、テンプル騎士団を潰して、お金をゲットしたことでも有名です。王権の強大化に尽力した人です

最終的にフィリップ4世は、教皇をローマでなく、南フランスのアヴィニョンに連れていきます。旅行でアヴィニョンに行きましたが、落ち着いた綺麗な町です
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これは教皇をフランスの支配下に置くことを意味します。この時移らされた教皇は、クレメンス5世です。これを「教皇のバビロン捕囚」(1309~1377)といいます。かつてユダヤ人が連れて行かれた故事に由来します


この後、ローマとアヴィニョンに2人の教皇がいる奇妙な状態ができます。これを教会大分裂(大シスマ)といいます。期間は1378~1417年です

これを終了させたのが神聖ローマ皇帝ジギスムント主催のコンスタンツ公会議です。ここでは、キリスト教の改革者フスが処刑されてもいます。フスはキリスト教の改革を訴えたいい人です

まさにキリスト教会の逆ギレで死んでます。なめた話ですね。もちろんフスの支援者は怒ります。彼の支援者は、ベーメンに多かったので、そこでフス戦争(1419~36)が発生します


このあたりからヨーロッパの国民も、じわじわ教会の腐りぶりに気づいてきます。しかし本当の改革は、16世紀のルターやカルヴァンまで待つ必要があります


最後の纏めて語呂いきます
瞳を見(1303)つめて、あれな~に?(アナーニ)

いざ悩(1378)む、教会大分裂

いよいよ(1414)始まるコンスタンツ公会議


次回は、封建社会の崩壊十字軍以後の主要国家について話します

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