前回は、アフリカ経由のインド航路を、ポルトガルが見つけた話をしましたね

今回は、スペインの新航路発見の話です。アフリカ経由インド行きは、もう発見されているわけですから、違う航路を考えるわけです

西にずっと行けばインドに行けると思ったのが、ジェノヴァ生まれのコロンブスです。彼は、スペイン女王イサベルの支援を受けます

1492年にサンタ=マリア号でパロス港を出発し、サンサルバドル島に到着します
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語呂です
意欲に(1492)燃えるコロンブス

これって有名な語呂ですね。この年、レコンキスタが完了したため、海外に目を向ける余裕がスペインにできたわけですね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

コロンブスは、悲しいかな、アメリカ大陸を彼が亡くなるまで、インドと思っていましたまた4回航海しましたが、香辛料も金銀財宝も見つけられませんでした

そのため、失脚してしまいます

ここをインドでなく、新大陸と定義したのは、アメリゴ=ヴェスプッチです。もうわかりますね?アメリカの由来になる人です

このような中、教皇アレクサンデル6世は、スペイン・ポルトガルの領土について考え、1493年に植民地分界線(教皇子午線)を設定します

この条約が、ポルトガルにとって不利だったため、1494年にもう一度条約を結びます。それがトルデシリャス条約です。これはヴァスコ=ダ=ガマを支援したジョアン2世が、スペインのフェルナンド5世と結んでいます

これによって大西洋の西がスペイン、東がポルトガルで決まります

1529年には、太平洋でのラインが決まります。これがサラゴサ条約です。これによってモルッカ諸島は、ポルトガル領になります

これらの条約を要約すると、アジアポルトガルアメリカ大陸スペインです
これが理由で、ブラジル以外の南米は、すべてスペイン語を話します


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カボットは、イギリス王ヘンリ7世(位1485~1509)の援助で、北米ニューファンドランドを探検します。息子もヘンリ8世の援助で、ハドソン湾を探検しています

イギリス援助で聞かれる航海者は、この人だけです

ポルトガルのカブラルという人は、1500年にブラジルを見つけています。ブラジルは、彼の名前から来ています。そのため、ブラジルはポルトガル語を話します

私は、カブラジルで覚えています時々カボットと混乱するので、これで混乱防止にしています

パナマ地峡経由で、太平洋を探検したのは、バルボアです。このパナマ地峡は、アメリカ経由アジア行きの貿易で重要拠点になります

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私の友人のパナマ情報です
http://shikatabi.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

最後にあげる航海者は、スペインのカルロス1世の支援をうけたマゼランです。南米の南端マゼラン海峡を経由して、1521年にフィリピンに到着します

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ここで高圧的な布教をしたマゼランは反感を買い、マクタンの王ラプラプと戦い、戦死しています

語呂です
ごっつい(1521)マゼラン、フィリピン到着

私は2013年に、フィリピンのセブ島にいたので、ラプラプが英雄視されているのはよくわかります。セブに行く時の到着する空港は、マクタン島にあります

これがキッカケで、フィリピンはスペイン領になります。これはスペイン王フェリペ2世が、名前の由来です

本格的な植民地経営は、スペインの命をうけたレガスピ
からです。彼は、1565年にスペイン領を宣言します。彼はマニラを造営し、スペインの拠点にします。現在のフィリピンの首都ですね

マゼランが初めて世界一周したことは有名な話ですが、彼自身はしていません。ラプラプにやられちゃてますんでね

彼の部下が、世界一周するわけです

ここからスペインの植民地経営についてです。アメリカ大陸の各地に部下を派遣して、先住民の文明を滅ぼしていきます

コルテスは、1521年にメキシコにあったアステカ王国を滅ぼします

語呂です
ごっつい(1521)コルテス、アステカ滅亡

すいませんwマゼランの語呂を流用しています

この王国の都は、テノチィティトランです。現在の首都メキシコシティの旧名です

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スペインは、メキシコのアカプルコ、フィリピンのマニラを結んで中国の絹・陶磁器を買いました。この時交換に使用したのは、メキシコ銀です。これをアカプルコ貿易といいます。ここでは帆の力に頼るガレオン船が使われています。従来は、オール(櫂)に頼るガレー船です

船の主流が変わるわけですね
ガレー船⇒ガレオン船

これは、地中海だけが海だった時代との違いだと思います

メキシコでは、当初酷い土地経営をしていました。それはエンコミエンダ制といわれています。先住民を奴隷化するシステムです。そのため人口が激減します

スペインのラス=カサスという牧師さんも、1552年に「インディアスの破壊についての簡潔な報告」で批判しています

この批判のおかげで、先住民の奴隷化は禁止されますが、アフリカから黒人が輸入されるという、誰もが「なんでやん!!」という状況がうまれます

結果、17世紀になると小作人によるアシエンダ制に変更されていきます

イギリスでヨーマンという自立した農民がでてきたのが、14世紀半ばですから、今更小作人もないと思うのですが、そこには明らかな差別意識があったのだと思います

スペインは、今でも差別意識の強い地域です

-NumberWeb- ■人種差別とサッカーの悲しい関係■
http://number.bunshun.jp/articles/-/12836

次はピサロの話をします。彼は1533年にペルーのインカ帝国を滅ぼしています。ここの都はクスコです。

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インカ帝国は、キープという縄の結び目で意志を伝える文化がありました。つまり文字がありません

語呂です
いー子散々(1533)、インカの征服

1545年には、ボリビアでポトシ銀山が発見され、スペインは莫大な富を得ます

コルテスとピサロは、4文字3文字の違いと生徒には教えていました

コルテス・メキシコ・アステカ
ピサロ・ペルー・インカ・キープ


コルテスにまつわることは、4文字が多く、ピサロにまつわることは3文字が多いです

やってることが似てるので、混乱する人は使ってください

最後に大航海時代が起こした変化について話しましょう

それは、商業革命価格革命です

商業革命は、経済がヨーロッパから世界に拡大したことを意味します。現在の世界経済に同じです。そのため経済中心地も変わります

地中海⇒大西洋

地中海貿易で旨い汁を吸えたイタリアが没落します。かつてイタリアは、イスラム圏の商品の中継地点として栄えていましたね

amazonができて、中継地点の本屋が潰れるのに似ていますね

価格革命は、大量の銀流入による価格の上昇です。ポトシ銀山のおかげです。これを経済では、インフレといいます

インフレ
はお金が多すぎて、商品の値段が上がる状態です銀は当時の貨幣なので、インフレが起きます

逆に商品が多すぎて、値段が下がる現象がデフレですね

これで没落したのは、鉱山業で栄えていた南ドイツ、特にアウグスブルクのフッガー家です

■講義 part36 -中世都市とキリスト教会の衰退-
http://world-history.blog.jp/archives/2370887.html

以上が、大航海時代になります

次回、ルネサンスに入ります

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