なんとか帰国しました~
ということで、中断していた講義を再開します

イギリス
イギリスのおさらいから行きます

アングロ=サクソン⇒ノルマン朝⇒プランタジネット朝⇒テューダー朝⇒ステュアート朝⇒ハノーヴァー朝(ウィンザー朝)

世界史をやるにあたって、まず王朝の暗記から入るんでしたね
今日はテューダー朝(1485~1603)を勉強しましょう。大航海時代に活躍した王朝は、テューダー朝です

創始者は、ヘンリ7世(位1485~1509)です。イギリス絶対王政を確立させたのは、ヘンリ8世(位1509~47)です

彼は、離婚するためにイギリス国教会を設立してましたね。まぁ、本音はローマ教会の干渉防止ですね

■講義 part48 -宗教改革(スイス・イギリス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2790352.html

絶対王政は、国王に権力が集中する状態です。だから教皇や貴族の影響力を削いでいくわけですね

-ヘンリ8世-
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ヘンリ8世のいた時期は、第一次囲い込み(エンクロージャー)も盛んになります。これは毛織物産業を奨励するために、農地を牧羊地に変える動きです

この時代のドル箱の商品ですね。この時代は、衣類を皆いっぱい持ってるわけでないですから、作ればめちゃくちゃ売れるわけです

農作物より、利益があるわけですね

2013年のフォーブスによれば、日本一の金持ちは、ユニクロの柳井さんです
今でも衣類は、売れ筋商品なわけですね

■フォーブス日本の富豪50人(2013年) - 長者番付・億万長者ランキング
http://memorva.jp/ranking/forbes/forbes_japan_richest_50_2013.php

ただ農地を奪われた人も、たまったもんじゃないです。社会保障なんかある時代じゃないですからね。そこでトマス=モアという人が「羊が人間を食う」と言って批判します

彼は、ヘンリ8世の離婚にも反対したため、「うるせぇ!!」っていうことで死刑になります

この後、エドワード6世⇒メアリ1世⇒エリザベス1世と続きますが、ヘンリ8世の子供たちは全員母親が違います

マニアックな大学は、メアリ1世の親のガザリン、エリザベス1世の親のアン=ブーリンを聞いてきます。余力があれば、覚えてください

メアリ1世は、復古主義でカトリックに戻し、スペインのフェリペ2世と結婚して、プロテスタントを弾圧しますそのため、彼女はブラッディ・メアリー(血塗られたメアリ)といって嫌悪されます

もう、この時期の国民は、プロテスタントのほうがいいと思ってます。スペインとの婚姻関係によって無駄な戦争にも巻き込まれたことから、次のエリザベス1世(位1558~1603)は、結婚に慎重です

-エリザベス1世-
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フェリペ2世は、エリザベスにも結婚を迫りますが、これを拒絶しています。彼女には、自国を自立させ、発展させる使命を感じていたと思います

エリザベス1世の凄かった所は、当時ナンバー1のスペインに対抗するために、海賊を利用したことです。有名な海賊は、ドレークホーキンズです

特にドレークは、マゼランの次に世界一周を成し遂げ、スペインとのアルマダ戦争(1588)では、副司令官を務めています

エリザベスは、海賊たちに私掠特許状というの与え、私拿捕船を認めました。これはイギリスの船以外だったら襲っていいよという鬼畜の許可ですw

結果、一番金を持っているスペインがやられます

ワンピースを読んだ人ならイメージできると思いますが、「七武海」の元ネタは、明らかにココですね

スペインも海賊の荒らしに黙ってるわけにはいかないので、無敵艦隊を派遣します。これがアルマダ戦争(1588)です。イギリス版神風とか、スペインの司令官が素人のバカとか、イギリスの船が小回りが利いて強いとか、さまざまな理由がありますが、とにかくイギリス勝ちます

やっぱり海をもっとも知る海賊が司令官っていうのは、強みだったと思います

イギリスが頭いいなと思うのが、1600年東インド会社を設立したことです。ここに植民地経営を委任させます。貿易独占権を与えるわけですね

今風にいったら子会社です。親会社の下に自分で自由にできる違う組織があるわけです。まだ世界の全容も解明できてない時代ですから、現場の判断にまかせる方針は良かったと思います

このようにして社会も潤ってきてますから、弱者救済の余力もあります。そこで制定されたのが、救貧法(1601)です。この法律は、囲い込みで職を失った人へ労働を斡旋したりする法律でした

エリザベス1世は、結婚しないまま亡くなっていますから、彼女でテューダー朝は終わりです。しかし彼女の治世によって、イギリスは一気に世界トップに近い所まで上がっていきました

フランス
ヴァロワ朝(1328~1589)末期から話します。この王朝の末期は、宗教改革の影響を受けてます。ユグノー戦争(1562~1598)が起きてます。ユグノーは、フランスのカルヴァン派でしたね

■講義 part48 -宗教改革(スイス・イギリス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2790352.html

語呂です
イチコロに(1562)にやられたユグノー戦争

ヴァロワ朝末期は、新教と旧教に分かれて内戦状態でした。特にメディチ家出身のカトリーヌは、王が若かったので、権力を握り、旧教側にたって、虐殺事件を起こしています

当時の王であるシャルル9世(1560~72)の妹と新教派の王アンリの結婚式で、この事件は起きます。新教派の結婚式参加者を虐殺します。これがサン=バルテルミの虐殺(1572)です
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語呂です
こんなに(1572)殺したサン=バルテルミの虐殺

こんな混乱期を治めたのが、サン=バルテルミの虐殺で結婚式をグチャグチャにされたアンリ4世です。ッヴァロワ朝が断絶したため、彼がブルボン朝(1589~1792)を創始してフランスを導きます

彼は新教でしたが、旧教側のカトリックに改宗します。またナントの勅令(1598)を発布して、新教徒に宗教の自由を与えました

つまり、両方に気を使った采配ですね

また1604年東インド会社を設立しています

語呂です
以後苦は(1598)ない、ナントの勅令

次のルイ13世(位1610~43)は、宰相リシュリューに支えられて、フランスの絶対王政を確立していきます。絶対王政は、王様に権力を集中する体制ですから、三部会を停止(1615)させます

ちなみに三部会を始めたのは、カペー朝のフィリップ4世でしたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

ルイ13世の次が、ルイ14世(位1643~1715)です。彼がフランス絶対王政の最盛期です

-ルイ14世-
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写真を見ればわかりますが、彼は身長が160センチぐらいだったので、ハイヒールで高くみせてます。この当時は、まだハイヒールは女性のものという概念はありませんでした

彼の時の宰相はマザランで、財務総監はコルベールです

絶対王政を確立する際には、王権神授説を唱えています。これは神が、王に権力を集中しろって言ってんだという説です

当然、これに危機感を覚えた貴族たちは反乱を起こします。これがフロンドの乱(1648)です。ここには王の命令をチェックできる高等法院という法律系の機関の人も参加しています

この反乱を鎮圧したことで、ルイ14世に文句を言える人はいなくなりました

こういう風にして、各国に主権国家が誕生していきました

ちなみに主権国家については、前回説明していますね

■講義 part49 -絶対王政(スペイン)-
http://world-history.blog.jp/archives/2801001.html

次回は、この主権国家同士が、どのように秩序を構築していくかの話しをしましょう。三十年戦争(1618~1648)の話になります

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