ここでは2014年2月に行った南アフリカについて話たいと思います
私がアフリカに行ったのには、ちょっとした理由があります

私は教師時代の2005年に、不慮の事故で生徒を亡くしています。彼の葬式に出席して、お母さんから聞いた話ですが、ゆくゆくはアフリカで貧しい人のために何かしたかったそうです

この言葉は、私の心の中に深く刻みこまれています。私の父は、2002年にガンで亡くなり、その経験によって人の死を受け止められると思っていましたが、全然ダメでした。

棺の中で自分より若い人が、透き通るように綺麗な顔で静かにそこにいるのを見た時、どうしようもないショックに襲われました

棺を見送った後、私はお母さんに言いました。

「息子さんの夢は、絶たれましたが、安心してください。私が彼の夢を引き継ぎます」

なんでそんな事を言ったのか未だによくわかりませんが、私の本心だったと思います。お母さんは、こうもおっしゃっていました

「内の息子は、いつも先生の話をするんですよ」

とにかく涙が流れて、仕方がありませんでした。俺は彼のために何もしていないという後悔がいつもありました

彼との思い出は、たった3カ月しかありません。彼が高校2年夏休みに入ってすぐに事故でなくなりましたから

いつも私の授業で、彼が満面の笑みでいたのを記憶しています

葬式では、棺にすがりつくようにして泣いていた女生徒もいました。その子も私の担当だったので、よく覚えています

その子は、それ以後、ハキハキしていた態度もめっきり暗くなり、凄い頭のいい子でしたが、授業中もダラッーと机にもたれかかって、身が入らない感じになっていました

「若い子には、友達の死はツライだろうな」と思っていました

亡くなった生徒のクラスも、みんな明るくいつも通りにしようとしていましたが、どこかチグハグな、空元気だけの状態でした

そして2006年3月で、私は教師を辞めることになります

その時に例の女生徒が、私に話があると言ってくれました。何も想像できなかったのですが、彼女は、亡くなった生徒と、とても仲が良かったことを私に打ち明けてくれました

彼女が言うには「彼は先生のことを凄い尊敬していた。『学校にはあまり馴染めないけど、あの先生だけは間違いない』といっていた」と話してくれました

本当にこれはショックでした...過大評価だとは思うんですが、そこまで俺を評価してくれる人がいたんだと思いました

ここでも、自分は何もできてないという思いが深くなっていきました

また彼女は「彼氏のお母さんから遺品として本を受け取って欲しいと言われたけど、難し過ぎてわからないから、先生一緒に行きませんか?先生が本をもらうべきだと思います」と言ってくれました

私は、その申し出を断ってしまいました

自分の気持ちとしては、とにかく彼に会わす顔がないという思いでした。彼のために何かするまでは、墓参りも行かないようにしようと思っていました

2006年~2007年フランスに留学し、2007年~2013年サラリーマンとして働いていましたが、彼のお母さんとした約束と墓参りに行けてない現状には、いつも胸が塞がる思いでした

罪悪感というものだと思います

私はどんなに悩みがあっても人に言わず、自己解決するタイプなので、会社を辞める際に、理由を述べると、皆ビックリしていました

29歳で教師を辞め、36歳で会社を退職しています。これは私にとって修行時代だと思います。私は哲学専攻で、仏教を研究していましたから、お釈迦様が29歳で修行を始め、35歳悟りを開いたのを知っています

35歳ぐらいで、自分の心に最も強く現れる衝動に従い、自分の人生を捧げようと、20代の頃から決めていました。それが会社の昇進なのか、結婚なのか、当時はわかりませんでしたが、結果として決断したのは、生徒の引き継ぐということです

アフリカは植民地化の影響で、だいたいの地域が英語か、フランス語を話すことは知っていました。フランス語は少し喋れるので、英語をどうにかしなくちゃいけないということで、まずはフィリピン半年間、語学留学しました

多少は英語を話せるようになり、2013年11月に帰国、で、今回のアフリカになるわけです

前置きが長くてすいませんw

生徒のお母さんとした約束から、8年半ぐらいの時間が流れています。私は観光でアフリカに行く人とまったく違う思いで、アフリカの大地に足を踏み入れたわけです

目的地は、南アフリカです。27年間も牢獄に入れられながら、不屈の闘志で差別と闘った人の国を知りたいという思いがありました

その人の名は、ネルソン=マンデラです
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世界最悪の町と言われるヨハネスブルグは、私のチキンハートが拒絶したので、ダーバンという町に行きました

ココも十分に治安悪い街です

ホテルに向かう途中で見た景色が、下の写真です

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第一印象は、「北海道に似てるな」です。南半球なので、2月は夏なんですが、心地よい風が吹いていました

で、ホテルに着いてチェックインして思ったことが、「ヤベ、ミスったかもしれん」です。何故かというと...
超発展しています
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貧困の調査に来て、これはないと思いました

迂闊でした...。南アフリカのGDPは、アフリカで1位です。つまり結構豊かです
GDPの世界ランキング29位です

2位のナイジェリアに1.5倍程の差をつけてます

初日のショックは、デカかったですw

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大道芸人もいます

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ここに映っている道がホテルの前になるんですが、ここに物乞いもけっこういました

そして夜は、売春婦がいます

この近くの売店で水とお菓子を買っている最中に、「私とヤラない?」と聞いてきます
日本のセブンイレブンで何か買ってて、売春婦が来ますかね?

治安の悪さは肌感覚でわかります

この後、ガイドブックに行くなと書いてあった裏道に行きましたが、今までで一番怖かったんじゃないかという程の恐怖を感じ、すぐに引き返しました

なので写真もありません。イメージ的にはこうです
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裏道には、5、6人の黒人グループが点在し、皆私をジロジロ見ます...

何故かというと、アジアンフェイスは私しかいません。鴨がネギしょった状態です
誰が善人で、誰が悪人かもわかりません

とにかく私の目には、みんな上画像のように見えています

速攻走って戻りました

ダーバンでは昼間にビーチを見たり、お土産見たりしただけの、しょ-もない時間を過ごしました

そしてウムタタに向かいます。グレイハウンドというバスで確か390ランド(約4000円)です
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6時間ぐらいかけて、ウムタタに到着です。こじんまりした町です

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更にココから20km離れた所にクヌという町があり、そこにマンデラさんのお墓があります。彼はココが出身地です

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ナッシング何もない町です。そこにマンデラさんのお墓があります
ここでまた不測の事態が

警備員のおっさん「おい、お墓には入れないぜ」
俺「え!!」
警備員のおっさん「あと、写真も撮るな」
俺「日本から、わざわざ来たんですけど」
警備員のおっさん、ちょっと考える・・・
「やっぱ、ダメ」

たぶん賄賂を渡せば、お墓に入れたと思います

でも、マンデラさんが、そんなこと望んでないだろうし、拝み倒して入ってもルール違反、私は参拝をあきらめました。雇ったガイドさんも申し訳なさそうでした

墓参りにきたアジア人は、私が初めてだそうです。警備員のおっさん情報なんで、アテにできませんが。。。

異例の事態のため、おっさんも悩んでいました

そんな訳で、クヌではマンデラ記念館に行きました

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中での撮影は禁止です。ここでも「君、よく来たね」と歓迎してくれました。皆、いい人たちです

その後、ウムタタに戻り、幼稚園児と戯れます
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服装見てください。豊かです服が汚れてないです。ウムタタは田舎ですが、ここでも教育が行き届いてます

自分がお墓に行く前に、ホテルにあったマンデラさんの言葉を思い出しました

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こう書いてありますね

”教育は、最強の武器だ。それによって世界を変えることができる”

この言葉を見て、自然に涙が流れました。有言実行した人の言葉は、響きますね。一時期は教育者だった私には、本当に響きます

クヌのような何もない所で大志を抱き、国を変えた人の深みが、自分に迫ってくる一日でした

ダーバンに帰還後、次に向かったのは、ケープタウンです

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中心地は恐いらしいので、ちょっと離れたB&Bに泊まりました。この辺りを散歩しても大丈夫か聞くと、「問題ない」との返事

散歩しました
本当に問題ないんでしょうか壁が古代ギリシアのポリスのようです

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問題ないんでしょうか?柵が高いです

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問題ないんでしょうか?侵入者を拒絶しています

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問題ないんでしょうか?人が死にますよ 電気フェンスと書いてます

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ケープタウンの人が考える安全と、私の安全のレベルが違うんだと思いました

ホテルの人に「繁華街も行ったら?」と言われ、中心地に行くことになります
チキンハートの私は、タクシーをチャーターします。往復400ランド(4000円)ぐらいだったかな。。

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度胆を抜かれるほどの観光地です。ココで初めてアジア系の人を見ました

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水族館もあります。少女も俺をガン見です。アジア系珍しいのでしょうか

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ワインも有名です。味的には渋みもなく、フルーティーな感じです。日本人の口に合うと思います

ここで思いました。「俺、観光に来たわけじゃないんだけどな

翌日は喜望峰に向かいました。バルトロメウ=ディアスが発見した場所ですね

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ここは、インド洋と大西洋がぶつかるポイントです。風がえげつないです

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これが、喜望峰です。この喜望峰を見るだけプランで7000円ドライバーに払ってます
安全お金で買っています

写真撮るのも危険なんで、画像ないですが、治安の悪いエリアにも行ってみました

目つきの悪い黒人だらけでした。ドラッグを売りつけにくるナイジェリア人も問題になっていると、ドライバーさんが話していました

移民問題ですね

またアパルトヘイト撤廃後も、取り残された低所得者が、満足に教育を受けられず、治安を悪化させているそうです

貧困問題ですね

南アフリカは、白人居住区・黒人居住区が分かれています。つまり最も腐敗した部分は隔離され、観察することができません

そして私は、安全をお金で買っています。闇の部分に足を踏み入れるには、さらなる資金経験が必要です

アフリカで何かをするためには、だいぶお金が必要になることがわかりました。そこが収穫だと思います

そして事あるごとに心で私はささやいていました

「おい、ココがお前の見たかった景色だぞ俺の目を、体を通して、アフリカの大地を見ろ」


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南アフリカの人は、どことなく日本人に似ています。静かで、我慢強く、聡明です
この国の人たちの将来は明るいと思いました

何より感動的なのは、いつもアフリカの大地は私たちを包み込んでやさしい気持ちにさせてくれることです

「もう一度、ここに来る」

そう思いながら、私はアフリカの地を後にしました
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