啓蒙専制君主の続きです。ロシアについてふれましょう。

まずは復習からです。今、もめているウクライナにキエフ公国(9~13世紀)というのがありました。ウクライナの首都は、キエフです

ここからだけでも、ロシアとウクライナの結びつきが強いのがわかります。ロシアがウクライナを支配権に置きたい気持ちが理解できます

自分の国家のルーツになるエリアですからね

■講義 part33 -ローマ・カトリックの発展-
http://world-history.blog.jp/archives/2135662.html (キエフ公国)

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キエフがガッツリ、モンゴル人にやられてしまい、その後に成立したのがモスクワ大公国(14~16世紀)でした。

■講義 part34 -ビザンツ帝国と東ヨーロッパ-
http://world-history.blog.jp/archives/2192820.html (モスクワ大公国)

この王朝衰退後、ミハイル=ロマノフロマノフ朝(1613~1917)を建国します。できて早々は、ステンカ=ラージンの乱(1670~71)などが発生して、苦戦しました

このロマノフ朝を近代化させたのが、ピョートル1世(位1682~1725)です。この人がロシアの絶対王政を確立させますが、啓蒙専制君主ではありません

-ピョートル1世-
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中国史でも、でてくる王様ですね。ネルチンスク条約(1689)を締結していましたね

■講義 part27 -清-
http://world-history.blog.jp/archives/1849214.html

基本、当時のヨーロッパの中心は、イギリスであり、フランスです。そこから離れているロシアは、田舎扱いです。ヨーロッパでロシアは2流・3流扱いです

ピョートル1世自身、それを理解しています

そしてロシアは、地政学的に致命的な弱点を持っています。それはです海自体は領土内にありますが、凍らない港、不凍港がありません

大量の商品を運べる船による貿易は、お金を稼ぐうえで必須であるのに、1年中使える港がないのです。そのため、事あるごとにロシアは、バルト海、黒海、日本海への進出を企てます

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ここで、ロシアと喧嘩になった国があります。それは、スウェーデンです。北欧の国とロシアで、バルト海をめぐる争いが始まります

スウェーデン王は有能なカール12世でしたが、これをロシア・デンマーク・ポーランド連合軍で倒します。ニスタット条約が結ばれ、ロシアはバルト海東岸の地域を手に入れます

ピョートル1世は、バルト海沿岸地域を開発し、ペテルブルグという都を作り、そこを首都にしました

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モスクワから、だいぶ西側に寄せてきましたね。当時はインターネットなんてありませんから、最新の情報を得たい場合、物理的距離がそのまま影響します

そのため、いち早く情報を得たかったピョートル1世は、都を移したわけです。そのため、この都は「西欧への窓」ともいわれます

さらに彼は、東方への野心も捨てていません。探検家ベーリングを派遣して、ベーリング海峡の確認やアラスカの領有も行っています

このように基盤が整備された中で、啓蒙専制君主のエカチェリーナ2世(位1762~96)があらわれます。彼女はフランスの影響を受けてます。そのため、ヴォルテールとも親交がありました

-エカチェリーナ2世-
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後発国家にありがちですが、彼女は農奴制を維持します。これに反対して1773年にコサックという集団が、プガチョフの乱を起こします。この鎮圧に苦労したため、彼女は余計、農奴制を強化します

また南下して、クリミア半島にあったクリム=ハン国を併合しています。ここから、ロシアとウクライナの因縁が生まれてきます

-クリミア半島の歴史や軍事的重要性-
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2603W20140307 (ロイター)

さらには、当時衰退していたポーランドを、周辺のプロイセン・オーストリアとともに分割して、領土化します。全3回行い、最終的にポーランドは消滅します

ポーランドの境遇は、今の韓国に似ていると思います。まわりを中国・ロシア・日本に囲まれ、戦力的には絶対敵いませんから、中国に寄ったり、アメリカに寄ったりして、なんとか自分の立場を保持する姿勢は、日本外交よりも難易度が高いです

ポーランドの立場になれば、たまったもんじゃないです。弱肉強食の世界では、弱い者は何もできません。コシューシコという人が、これに抵抗しましたが、結局捕えられてしまいました

ポーランド人で聞かれる人は、世界史ではほとんどいません。しかし、彼の名は、受験では聞かれるので、必ず覚えましょう

-コシューシコ-
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ポーランド分割の語呂です
何!(72)くさ!(93)人なく、ご(1795)ねるポーランド

ピョートルと同じく東への意識もあります。その影響で1792年ラクスマンが根室に来航します。部下との組み合わせを間違わないでくださいね

ピョートル1世 - ベーリング
エカチェリーナ2世 - ラクスマン


彼女のいた時代、世界でデカイ事件が起こってます。まずアメリカで独立戦争(1775~83)が起きてます。またフランス革命(1789~99)も起きます

独立戦争では、1780年武装中立同盟を結成し、イギリスに干渉しません。当時、世界のトップはイギリスです。そこの拠点であるアメリカが独立するのは、ロシアにとって願ったり、叶ったりです。相手の力を削げますからね。

かといって、積極的に戦争もしません。自分たちの力が低下します。中立という名目で、足を引っ張るわけです。それよりも彼女にショックだったのは、フランス革命だと思います

が主役と思っている時代に、国民が主役の価値観が台頭したわけですからね。

激動の時代に生まれた彼女ですが、ロシアの拡大化には成功したと思います

次回は、ヨーロッパの植民地について話します

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