ヨーロッパで、数々の戦争があったことは、今まで勉強しましたね
今回は、その植民地版です。ポルトガル・スペインが良かった時代の後は、オランダですね。ポルトガル・スペインの主要な植民地は、すでにふれています
■講義 part43 -大航海時代 前半- (ポルトガル)
http://world-history.blog.jp/archives/2657949.html
■講義 part44 -大航海時代 後半- (スペイン)
http://world-history.blog.jp/archives/2702310.html
オランダは、けっこうな勢いで、ポルトガルから植民地をかすめ取ってます。一覧をあげると、ざっとこんな感じです
セイロン島⇒17cからオランダ
マラッカ⇒1641年からオランダ
モルッカ諸島⇒17c初からオランダ
ケープ植民地(南アフリカ)⇒1652年からオランダ
17世紀は、オランダと覚えておきましょう。そんなオランダの拠点は、バタヴィアです。これ、現在のジャカルタです。インドネシアの首都ですね
これが、オランダの東インド会社(1602)の拠点です。ちなみに3国の東インド会社の設立年は、覚えておいてください
1600年 イギリス東インド会社
1602年 オランダ東インド会社
1604年 フランス東インド会社
※フランスは、1664年のコルベールによる東インド会社再建も覚えておきましょう
江戸幕府の開府が、1603年ですから、植民地化が盛んになったのが、江戸時代のイメージを持ちましょう。
オランダにとって、インドネシアは絶対死守の場所です。当時のドル箱商品の香辛料の産地だからです。ここに、ちょっかいだしたのがイギリスです
1623年には、アンボイナ事件が発生し、イギリス人が惨殺され、インドネシアから追い出されます。インドネシアの支配権は長くオランダのものになります。このあとは、強制栽培といわれるシステムで、原住民を酷使します
語呂は、女の子名前シリーズで。
アンボイナ睦美(1623)
イギリスは、インドネシアで支配権を持てなかったため、インドに重点を置きます。インドは、フランスとの対決になります
各国の拠点都市は、以下です
イギリス…マドラス・ボンベイ・カルカッタ
フランス…シャンデルナゴル・ポンディシェリ
この都市は、場所含めてガッツリ聞かれるので、頑張って覚えましょう
17世紀は、オランダが主役でしたが、18世紀は、イギリスv.s.フランス のNO.1決定戦の時代です
イギリスv.s.フランス のインド争奪戦は、当初はフランス有利でした。フランスのリーダーは、デュプレクスという人でした
カーナティック戦争(1744~1763)では、デュプレクスが勝利を重ねましたが、彼は戦争に対する予算を莫大に要求するため、フランス側がうっとおしくなって、彼を解雇しました
このあたり、フランス絶対王政の弱点だと思います。インドの重要性を、イギリスほど理解できていなかったと思います
そこから形勢が変わります。最終的にイギリスの勝利になります。インドの支配が決定的になるのは、プラッシーの戦い(1757)です
ヨーロッパでは、七年戦争(1756~63)があった時期です。インドで活躍したのが、初代ベンガル知事のクライヴです
こんな戦いは、北米でも起きてます
イギリスの最初のアメリカ植民地は、ヴァージニアです。ヴァージン(処女)といえば、エリザベス1世です。彼女は、外交上の理由からも結婚しませんでしたね。そのため、植民地名が、こんな感じになってます
■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html
※エイザベス1世情報
この植民地を献上したのが、恋人とも噂されていたローリ(1552~1618)です。彼は、ヨーロッパにタバコを普及させたことでも有名です
-エリザベス女王との賭けに勝った男-
http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/various/world1/09.html
トリッキーな問題で、「アメリカ原産のものは何ですか?」というものがあります
有名なものは、トマト、ジャガイモ、唐辛子、トウモロコシ、そしてタバコです
ローリ以後に来るのは、ピルグリム=ファーザーズという清教徒、ピューリタンです。なぜかというと、この時期にはイギリス国教会が確立される時期で、ピューリタンは、徐々に居場所をなくしていました。特にジェームズ1世は迫害していました
■講義 part52 -イギリス革命(ピューリタン革命)・名誉革命-
http://world-history.blog.jp/archives/4100267.html
彼らは、メイフラワー号という船でやってきて、植民を開始しました。そしてニューイングランドを作っています
彼らが、後のアメリカの基盤になる人たちです。そのため、アメリカの歴代大統領は、ほとんどピューリタンです
北米においてのイギリスとオランダの戦いは、イギリスが勝ちます。これは、イギリス=オランダ(英蘭)戦争のおかげです。これで1664年に、もともとオランダの領土だったニューアムステルダムを改名したニューヨークをゲットします
対するフランスも、ルイ14世にちなんで、ルイジアナを獲得し、カナダやケベックを支配下に置いています。ケベックの人たちは、今でもフランス語を話します
そんなイギリスとフランスが、めっちゃ戦争します。これは、第2次英仏百年戦争(1689~1815)といわれています。図を見てみましょう
-第2次英仏百年戦争-
同時多発的に、イザコザがありますね。こういう組み合わせは、正誤問題がよくでます。例えば、「ファルツ継承戦争があった時、北米ではジョージ王戦争があった」は、誤りですね
北米の領土は、段階的にイギリスのものになっていきます。ユトレヒト条約(1713)は、有名ですが、すでにふれていますね
■講義 part53 -ルイ14世(フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/4169283.html
※ユトレヒト条約
それと同等に世界史で聞かれるのは、フレンチ=インディアン戦争を終結させたパリ条約(1763)です。ウィリアム王戦争など、いろいろありますが、北米の戦争ではフレンチ=インディアン戦争が一番聞かれます
■パリ条約(1763)
フランス⇒イギリスへの領土移動
・カナダ
・ミシシッピ川以東のルイジアナ
・ドミニカ
・セネガル※1783年にフランスに戻ります
スペイン⇒イギリスへの領土移動
・フロリダ
結局、なんでイギリスが破竹の勢いで勝てるかを分析すると、議会が整備されたことが大きいと思います。
緊急事態が起きた時に、政治家同士で話し合うのと、王様のご機嫌を伺いながら、意見をいうシステムでは、決定的に違いますよね
戦争は、勝てば総取りですから、負けた場合の負担がでかすぎます。このパリ条約(1763)の負荷が、確実にフランス革命(1789)の原因の1つになってます
日本が、いまだに中国・韓国にギャーギャーいわれるのは、敗戦という代償を払っていると考えると、理解できると思います。もう戦後、70年近いんですけどね...
次回、17~18世紀のヨーロッパ文化史に入ります
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