フランス革命に入ります。ココ、面白いんですが、日本の幕末と一緒で、状況が目まぐるしく変わるので、苦手な人もいます

これは、リーダーになる人が、短期で入れ替わるのが原因です。例えば、新撰組というのがありますが、正直彼らは。時代の流れを理解できていません

一時期、持てはやされましたが、結局は反乱軍扱いです

さてフランスの話です。フランスはルイ14世(位1643~1715)以来、湯水のようにお金を使っています。かつ、その投資に見合う利益はありませんでした

そしてアンシャン=レジーム(旧制度)というものが、旧態依然と残っています。時代遅れのものということです。代表例としては、三部会です。1302年フィリップ4世が作ったものでしたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html
※三部会情報

三部会は、以下の身分で構成されます
第一身分…聖職者
第二身分…貴族
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第三身分…平民



ポイントは、人口の2%を占める聖職者と貴族が、免税特権を持っていることです。なので、彼らは特権身分ともいわれます。第三身分とは根本的に違います

そのため、大きな隔たりがそこにはあります

当時は、イギリスで産業革命も起きている時代です。商売に秀でた人が、世の中を動かすようになっています。聖職者・貴族ともに、そんなことはできません

しかし、フランス国土の40%は彼らが所有していました。今風にいえば、ダメ上司が、プライドだけ一人前で居座っている状態です

そりゃ、戦争にも勝てません

聖職者の中にも、現状の矛盾に気づいているシェイエスは、「第三身分とは何か」という本で、特権身分を批判しています

まずは財政改革が試みられました。主導者は、重農主義者のテュルゴー、銀行家のネッケルです。これが、見事に失敗しますw

彼らは当時の聖域、免税特権の廃止に着手したことで、特権身分の怒りを買い、クビにされます。例えば、今の日本なら、米の改革に手をつけたら、全農が黙っていないのと一緒です

-農協離れ加速、利権に風穴か、福井県の地域農協が全農に反旗- (ニュース)
http://diamond.jp/articles/-/15043

日本のお坊さんも、いただくお布施に対して、課税がありません。ココに税金をかけると、けっこう揉めだすと思います

また、三部会の構造的に、大多数の意見は通りません。身分別議決法を採用しているからです。これは、各身分一票のシステムです

三部会の内、特権身分は2票持ち、一般人は第三身分の1票しかありません。議会でいくら改革案をだしても。必ず否決されるわけですね

第三身分は、「やってられん!!」ということで、新しい議会である国民議会を設立します。「新しい憲法を作るまで止めないぞ」と決意表明を行います。これを球戯場(テニスコート)の誓いといいます

-球戯場(テニスコート)の誓い-
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ちなみに、この絵の作者はダヴィドです。フランス革命関連の絵は、だいたい彼の絵が出題されるので、名前を覚えておきましょう

この当時のフランスの統治者は、ルイ16世(位1774~92)とマリ=アントワネットです

-ルイ16世-
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-マリ=アントワネット-
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なかなか改革が進まないことにパリ市民もキレて、1789年7月14日バスティーユ牢獄襲撃を行います。これが、フランス革命の始まりです。時々、日にちまで聞かれるので、頑張って覚えましょう。もちろん、現在のフランスの祝日に、この日はなります

かなりの大事になったので、ルイ16世は、封建的特権の廃止を決定します。これを受けて、国民議会は、人権宣言を発表します

起草者の一人には、貴族のラ=ファイエットがいました。彼は、アメリカ独立戦争にも参加しています

国民議会は、第三身分が主流ですが、一部の貴族や聖職者も参加していました。他に有名な貴族は、ミラボーです。彼は、かなりのキーパーソンでした。国王にも繋がっていて、国民議会の情報を流していました

国王の恐れは、国民の怒りが自分に向かってくることです。ミラボーのおかげで、国王は安心して、推移を見守れました

実際、1789年の10月5日には、ヴェルサイユ行進が起きて、ヴェルサイユ宮殿⇒テュイルリー宮殿に国王夫妻を強制移動させれています。テュイルリー宮殿は、パリにありました。パリとヴェルサイユは微妙に離れています

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ちなみにヴェルサイユ行進の起きた原因は、穀物価格の高騰です。「自分たちの現状を知ってくれ」というアピールです

ルイ16世が、命の危険を感じるのもわかります。そして運悪く、91年4月にミラボーが急死します国王はパニックだったと思います。国民議会の動向がわかりませんからね。

ついに彼らは、オーストリアへの亡命作戦を決行します。マリ=アントワネットは、オーストリアのマリア=テレジアの娘だったので、そのツテを頼ったわけです

■講義 part54 -啓蒙専制君主(プロイセン・オーストリア)-
http://world-history.blog.jp/archives/4180347.html
※マリア=テレジア情報

これをヴァレンヌ逃亡事件といいます。1791年6月20日のことです。「この緊急事態に、国王が逃げるとはどういうことだ!!」ということで、国民の信頼度はゼロになります国王は、軟禁状態になります

これに危機感を覚えたのが、オーストリアなどの王政国家です。革命の火の粉が、自分の国に来てもおかしくありません

そのため、1791年8月27日にピルニッツ宣言をだして、フランスへの干渉を開始します。このような中で1791年憲法が制定され、立法議会が誕生します

この議会内の派閥を紹介します

フイヤン派…貴族・金持ち中心の立憲王政派。ラ=ファイエットバルナーヴが中心
ジロンド派…穏健共和派。商工業ブルジョワ中心の派閥。
※ブルジョワは、フランス語で資本家のことです
ジャコバン派…急進共和派。山岳派ともいわれる。下層市民中心の派閥。ロベスピエールが中心

フイヤン派の立憲王政の夢は、ルイ16世の逃亡未遂によって、頓挫しています。そのため、ジロンド派が実権を握ります

ジロンド派は、干渉してきているオーストリアと戦争をしますが、連戦連敗します。そのことによって、信頼度が下がります

そこで立ち上がったのが、国民が自主的に集まった義勇軍です。ここで、自分たちを鼓舞するラ=マルセイエーズという歌も生まれます。今のフランス国歌ですね

この義勇軍が支持していたのが、ジャコバン派です。ジロンド⇒ジャコバンへと実権が移行するわけです。それが決定的になったのが、1792年八月十日事件です

ジャコバン派はテュイルリー宮殿に急襲して、国王夫妻をタンプル塔に幽閉します。そして王権の停止を宣言します

ジャコバン派が主流になって設立したのが、国民公会です。男子普通選挙によって成り立つ議会です。別名、第一共和政といいます

どんどん王の立場が危なくなっているので、フランス国内にオーストリア・プロイセン連合軍が侵入してきます

ヴァルミーの戦いが起きますが、ここで義勇軍が、勝利します。正直、凄いことだと思います。つい最近できたばかりの寄せ合い所帯が、よく勝ったと思います。やはり士気の高さが、ぜんぜん違うんだと思います

今まで国は、王や貴族のものでしたが、それが国民のものになろうとしています。自分たちが主役になれるチャンスです。これを失いたくない気持ちは、とてつもないと思います

プロイセン軍に従軍していたゲーテはこう言いました「ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる」

ゲーテは、文化史でだいぶ聞かれるので、要チェックです

国民公会は、熱に取りつかれていますから、1793年についにルイ16世の処刑を行います。自分たちの立場の正しさを見せしめるために、王を殺しました。ブルボン朝の終わりが来ましたね

私の意見としては、そこまでしなくて良いだろうと思っています。フランス始まって以来の国民が主役の国家に、夢中だったのだと思います

これに呼応して、外国が黙っていません。この処刑ブームのようなものが、自国で発生したら、混乱しかもたらしません

イギリスのピット首相が、各国を集めて、第一回対仏大同盟を結成します

国民公会側は、徴兵制実施します。これに反対して、ヴァンデーの農民反乱が起きましたが、これを鎮圧します

国民公会の政府にあたる機関を公安委員会といいますが、ここの権力をロベスピエールが握ります

-ロベスピエール-
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顔だけ見ると真面目そうですが、けっこうヤバイ人ですw警察機関である保安委員会と、裁判所である革命裁判所を使って、自分と違う意見の人を次々殺してきます

ちょっと北朝鮮みたいな感じですね

ジャコバン派の中で、もっとも過激な集団を山岳派といいますが、そこに派閥の性格がハッキリでていますね

彼らのした政治は、恐怖政治といわれています。同じ仲間だったマラーダントンも排除されています。もうお構いなしです

国民公会の支持基盤は、貧しい人ですから、ロベスピエールは彼らに見返りを与えます。それが、封建地代の無償廃止です

農民は、税金を払わなくていいってことです

人間は現金なもので、これで革命のモチベーションは一気に低下します大多数の人が目的を達成して、満足したわけですね

となると、ロベスピエールがウザいという気持ちだけが残ります。国民公会は、1793年憲法によって、次々に改革を行います

代表的なものをあげます

最高価格令…貧しい人たちのために商品の価格に上限を設定します。
※これ経済的にダメです。価格は需要と供給のバランスによって決まるからです。さらに商売人から不評です。後に廃止です
革命暦…新しい暦を設定します。これも不評で、後に廃止されます。
メートル法…これ、今もわれわれ使ってますね。1メートル、2メートル等の尺度を決めました。イイモノですね
理性の崇拝…キリスト教を否定して、合理的に考える理性を崇拝しろと強制します。ある意味、宗教的で、本来の理性の定義から逸脱そています

これだけ見ても、改革がだなと思います

この他に、当時普及したもので、ギロチンというのがあります。ルイ16世の処刑ですでに使用されています。それまでは、死刑執行人が斧なので殺していましたが、失敗することが多く、必ず処刑できる機械が求められていました

人権的な配慮からギロチンが考案されました

-ルイ16世の処刑-
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今の私たちが見ると、ギロチンは十分恐いですw

1794年の7月27日、あまりに改革を急ぎすぎたロベスピエールは、クーデタにあいます。これをテルミドール(9日)のクーデタといいます

この言い方は、革命暦の言い方で、熱月ともいいます。7月ですから、熱い月。わかる気がします。フランスは、またちょっと混乱します

カリスマが必要ですね。他国の侵略もまだ終わっていません。そう、ナポレオンの登場です

次回、ナポレオン行きます

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