さてウィーン体制(1815~48)ですが、反発からヨーロッパ各地で、暴動が起きますナポレオンのおかげで、各国が国民が主役になれることを知ったからです

「もう強大な国に干渉されたりしたくない自分で国を運営したいという思いを持つ人が多くでてきます。これをナショナリズムといいます

この言葉、二重の意味があります。国民主義とも国家主義とも訳します。これ前者が、個人に焦点あたってますが、後者は国家に焦点があります。国家に焦点が当たると、自ずと人権などは軽視されます

したがって人によって使い方が違います。最近では安倍首相のことをナショナリストとして、後者の意味として、否定的に見る人もいます

-菅元首相「安倍政権はナショナリスト政権」 維新・みんなにも批判の矛先(ニュース)-
産経ニュース 2014年2月22日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140222/stt14022215540004-n1.htm
※野党が批判で、使ってます 

-安倍首相:「無名戦士の墓」に花輪 英寺院を訪問(ニュース)-
毎日新聞 2014年05月01日 
http://mainichi.jp/select/news/20140502k0000m010089000c.html
※ナショナリストのレッテルを剥がしに欧州にいってます

世界史では、前者の意味で、肯定的にナショナリズムをとらえています。まずテストで聞かれる欧州の暴動をのべます

1817年にドイツでブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)が、ドイツ統一に向けて運動をします。これは、ルター決起、300周年を記念しています

1517年の語呂は、すでに情報展開したので、その300年後にも事件があったと記憶していてください

■講義 part47 -宗教改革(ドイツ)-
http://world-history.blog.jp/archives/2788235.html
※ルター情報、1517年の語呂も

もちろん、メッテルニヒはこれを弾圧します。オーストリアは、ドイツ連邦の盟主でしたね?彼は1819年カールスバード決議で、大学の監視や弾圧を決定しました

イタリアもドイツ同様、国家はなく、小さい都市国家の集まりでしたから、運動が盛んになります。カルボナリ(炭焼党)は、ナポリ蜂起(1820)・ピエモンテ蜂起(1821)などを主導しますが、ここもオーストリアにつぶされます

皆さん、カルボナーラを思い浮かべたと思いますが、語源は同じで、炭焼き風パスタをカルボナーラといいます

-カルボナーラ-
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スペイン立憲革命(1820)リェーゴを首謀者として起こされています。これは、ブルボン朝の復活に反対したものです。したがってフランスに弾圧されます

ロシアでは、デカブリスト(十二月党員)の乱(1825)が起きます。これは、ニコライ1世によって、鎮圧されます

語呂です
一発GO(1825)デカブリストの乱

もうわかると思いますが、歯止めがききませんw

このが、南米にも伝わるわけですね。そもそも南米は、ウィーン体制以前から独立の空気が漂っていました。ペルーでは、トゥパク=アマルの蜂起(1780)、ハイチではサン=ドマングの蜂起(1791)が起きました

ハイチの独立運動は、主導者のトゥサン=ルーベルチュールのおかけで、成功します。彼はフランスから独立したため、「黒いジャコバン」ともいわれました。フランスから見ると、行動が過激だからこの名前です。長い名前ですが、けっこう聞かれます

これは、世界最初の黒人共和国になります

-ハイチ-
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南米の独立運動で一番聞かれるのは、シモン=ボリバルサン=マルティンです。
なぜかというと、いろんな国を独立させているからです。2人とも南米生まれの白人で、クリオーリョといわれます

このあたりの区分け、テストで聞かれます

ペニンスラール…本国生まれの白人
インディオ…先住民
クリオーリョ…南米生まれの白人
ムラート…白人と黒人の混血
メスティーソ…白人とインディオの混血

まぁ、クリオーリョが一番聞かれます。他は難関大学で、そこそこ聞かれるレベルです。アメリカ独立戦争でも話しましたが、欧州の人は植民地の人を差別します。クリオーリョは、もともと同じ出自ですが、植民地で生まれた自体、一段低い人間に見られています

■講義 part60 -アメリカ独立戦争-
http://world-history.blog.jp/archives/5359548.html

そのあたり南米の人たちは、納得できないわけです。この不満が、ナショナリズムとつながって、独立になるわけです

シモン=ボリバルの独立させた国は、ベネズエラ(1811)、コロンビア(1819)、エクアドル(1822)、ボリビア(1825)です

ボリビアは、彼の名前が由来です。当初、ベネズエラ・コロンビア・エクアドルは、大コロンビアとして統一国家を考えていましたが、結局分離独立しています

覚え方です
ベーコンエッグぼりぼり食べるシモン=ボリバル

わかりますねベネズエラ・コロンビア・エクアドル・ボリビアです。これは、独立した順番でもあります。また時計の反対回りで国が並んでるとイメージできれば、地理も覚えられます

-シモン=ボリバルの独立させた国-
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次にサン=マルティンです。彼はアルゼンチン(1816)・チリ(1818)・ペルー(1821)

覚え方です
あるぜチリッパー、サン=マルティン

-サン=マルティンの独立させた国-
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一番ざっくりした覚え方は、まず南米の国を覚えます。次にシモン=ボリバルが北側、サン=マルティンは南側を独立させたと記憶してください

これで、戦えます

メキシコは、イダルゴという人が頑張ったんですが、独立に失敗し、他国と比較して、時間かかってます

このボコボコ独立する状況を支援したのが、アメリカです。5代大統領モンローは、モンロー宣言(1823)で、「ヨーロッパが、南米に干渉してんじゃねーといいます

語呂です
いーや兄さん(1823)、モンロー宣言

これをイギリスの外相カニングも、支持します。英米連合ですねもともと南米は、スペインの植民地が多いですから、独立させてから、うまく自分たちが貿易してやろうという本音もあったと思います

この独立の流れが、ついに欧州でも爆発するわけですね。それが、ギリシアです。当時のギリシアは、オスマン帝国の領土です

ギリシアの全盛期は、紀元前ですから、この時代もはや弱小国家です。まぁ、今も弱小国家ですが…。ギリシア独立戦争(1821~29)は、英・仏・露が支援します

当時のオスマン帝国は、もう衰退期ですから、勝ち目がなく、まずロシア・オスマン間でアドリアノープル条約(1829)が結ばれ、独立を承認すると同時に、ロシアに黒海北岸土地を割譲します。またロシアは、ボスフォラス・ダーダネルス海峡の通行権もゲットします。このあたり、今現在のクリミア問題につながる話ですから、どこかで詳しく解説します

ギリシアの完全独立が認められたのは、ロンドン会議(1830)になります

こんな状態ですから、ついにフランス自体も、ウィーン体制に反旗を翻すことになります。次回、七月革命・二月革命です

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