さてフランスの話です。フランス革命で国民が主役の国が生まれ、それを抑圧しているのが、ウィーン体制でしたね

■講義 part63 -ウィーン会議-
http://world-history.blog.jp/archives/5889961.html

正統主義に基づき、フランスにはブルボン朝が復活しています。王様は、ルイ18世(在位1814~25)です

基本、フランス国民には嫌われいます。次のシャルル10世(在位1824~30)も、もちろん嫌われています。彼は国民の支持を得ようと、アルジェリア出兵(1830)を行います

2014-5-5_6-26-14

これによって、フランスはアルジェリアの支配権に入ります。ここから1962年まで、フランスのものです。したがってフランスに行くとわかりますが、アルジェリア系の移民が多いですし、彼らは普通にフランス語をしゃべります

初めてフランスにサッカーW杯で優勝に導いたのは、アルジェリア系フランス人のジダンです

-ジネディーヌ・ジダン-
2014-5-5_6-25-3

さらにシャルル10世は、議会を解散させて、本格的に絶対王政を復活させようとします。これで、フランス国民の我慢に限界がきて、暴動が発生します

それが、七月革命(1830)です

これによって、ブルジョワジーの国にかわります。ブルジョワジーは、金持ちです。金持ちが呼んだ王様が、オルレアン家ルイ=フィリップ(在位1830~48)です。これによって立憲君主政が始まります。これを七月王政ともいいます

この時の情景を描いた絵画が、ロマン派ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」です。みなさんも一度は見た絵だと思います。ルーブル美術館で、「モナ=リザ」の側で展示されています

これ、19世紀のヨーロッパ文化史で、一番聞かれると思います

-民衆を導く自由の女神-
2014-5-5_6-44-10

ちょっと脱線しますが、「自由の女神」はアメリカが最初と思っている人がいると思いますが、あれはフランス人が作ったものです。アメリカの独立100周年を記念して送られています

その時の像のモデルが、このドラクロワの絵画です。だから顔が似ています。フランス政府のロゴにも女神が描かれてます。フランスに行けば、すぐに見れるロゴです

-フランス政府のロゴ-
2014-5-5_6-58-8

フランス語で、「自由・平等・博愛」と書いてますね

これに刺激を受けた形で、ベルギーが独立(1830)し、各地で反乱が続発しました。ポーランドのワルシャワ暴動も聞かれます。またカルボナリも、この時、イタリアで暴動を起こしています

■講義 part64 -ラテンアメリカ諸国の独立とギリシア独立戦争-
http://world-history.blog.jp/archives/6006451.html
※カルボナリ情報

フランスの七月王政の次の課題が、選挙権の拡大です当時、まだ選挙権は、金持ちしかありませんでした。人口の1%ほどです

そこでギゾー首相は、改革宴会を開いて、選挙権の拡大を話し合います。フランス革命の目的は、国民が主役でしたね?

七月革命では、共通のとして、国王・貴族・聖職者が定義され、ブルジョワジー・中小資本家・労働者は結束できました

しかし今は、ブルジョワジーx中小資本家・労働者対立構造がかわったわけです

これをギゾーはまとめられず、二月革命(1848)が勃発して、彼は辞職、ルイ=フィリップも亡命します。これで、国民が主役の第二共和政(1848~52)が始まります。選挙も男子普通選挙を実施します(四月普通選挙)

共和派のラマルティーヌ国立作業場を作って、労働者の働く場を提供した社会主義者ルイ=ブランなどが尽力します

この二月革命の影響が、ウィーン体制を終わらせます。ウィーンで、三月革命が起きます。これでメッテルニヒが退陣して、ウィーン体制が終了します

ベルリンも暴動が起きて、フランクフルト国民会議で、今後のドイツについて話し会いがもたれ、コシュートを軸に、ハンガリー民族運動、ベーメン民族運動、マッツィーニがイタリア民族運動、ポーランドではクラクフ蜂起が発生しています

もう、完全にウィーン体制は保てませんね

語呂です
いや行こー(1815)ウィーンへ、シャルル10世に癒され(1830)ないフランス、嫌よ辞(1848)めてよ、メッテルニヒ

ウィーン体制は、七月革命・二月革命で崩壊します。また各革命で、どのような暴動が起きたかをチェックしてください

「七月革命の影響で、ポーランドのクラクフで暴動が発生した」…これは不正解です。この正解は、ワルシャワです。こんな感じで、七月革命・二月革命の影響を混ぜて聞いてくる問題が王道であります

次回は、自由主義・社会主義について話します

■スポンサードリンク