さてイタリア統一の話です。イタリアは、ローマ帝国滅亡以後、強大な国家は形成されていません。また各都市の独自色が強く、なかなか一致団結することがありませんでした

■講義 part32 -ゲルマン大移動-
http://world-history.blog.jp/archives/2041598.html
※西ローマ帝国の滅亡

だからこそ、今でもイタリアのサッカーは、盛り上がりますいつも国内の試合が、外国との試合のようになるからです

しかし、そんなイタリアの状況を許さないのが、外圧ですヨーロッパの始まりの地であり、ルネサンスのような文化発信地でもありますから、各国がイタリアを自分のものにしたがります

■講義 part45 -ルネサンス(イタリア)-
http://world-history.blog.jp/archives/2709891.html

長い間、イタリアの統一は議題にあがり、消えていきました。ナポレオン以後、ナショナリズムの息吹が流れ込み、ふたたび統一ムードが高まることになります

カルボナリの暴動は、ウィーン体制に反対して起こっていましたね

■講義 part64 -ラテンアメリカ諸国の独立とギリシア独立戦争-
http://world-history.blog.jp/archives/6006451.html
※カルボナリ情報

二月革命(1848)では、マッツィーニ「青年イタリア」を結成して、ローマ共和国を樹立しましたが、すぐに鎮圧されました

こういう時は、有力な都市国家が名乗りを上げないと、なかなかキツイと思います。日本も、薩摩(鹿児島)・長州(山口)という有力な藩が立ち上がったので、明治維新(1868)が成功しています

明治維新の年代を見てもらうとわかりますが、ナショナリズムの影響を、日本も受けています。ペリーが来た時(1853)、日本もある意味、都市国家で、まとまりがありません

江戸幕府は、まとまっていないのを理解していたからこそ、参勤交代で金を使わせて、反乱の芽を摘んでいました

イタリアの統一に活躍した国は、サルデーニャ王国です。都は、トリノです

-サルデーニャ王国-
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-トリノ-
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カルロ=アルベルト(在位1831~49)は、二月革命を機に、オーストリアと戦いましたが、敗北しています。統一もできていない国に、ヨーロッパの主要国に勝つ可能性はありません

彼の息子、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(在位1849~61)は、カヴールを首相に任命し、タッグを組んで、まずは国力増強に取り組みます

-カヴール-
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彼らの主敵は、オーストリアです。ここと対峙するためには、他国がオーストリア側につかないようにしなければいけません

まずクリミア戦争(1853~56)において、英・仏側にたって参戦します。これで恩を売って、英仏を取り込む作戦です

次にプロンビエール密約(1858)をフランスと結びます。ここでは、サヴォイア・ニースという自国の領土を割譲してまで、オーストリアと戦う際、イタリア側につくことを約束させます

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万全の準備をして、オーストリアとの戦争を始めます。それをイタリア統一戦争(1859)といいます。この戦い、フランスもサポートしていますから、連戦連勝でしたが、まさかの自体が訪れます

フランスの裏切りです

フランスはイタリアの強大化を恐れ、オーストリアとヴィラフランカ条約を結び、戦争をやめます。イタリア単独では、勝てませんから、これで戦争は終わりです…

しかし、なんとかロンバルディアを獲得できました

-ロンンバルディア-
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つぎに中部イタリアの併合に乗り出すと、今度はフランスがちょっかいをだしてきますとにかく弱小国家は、キツイです

ここは、プロンビエール密約で破断になっていたサヴォイア・ニースを渡すことで、納得してもらいます。まさにクレーマーですwこれで中部イタリアの併合完了です(1860)

ちょうど同時期に、怒涛の勢いで、シチリア王国を倒し(1860)、南部イタリアを手中におさめた男がいました。彼の名をガリバルディといいます

-ガリバルディ-
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彼の率いる義勇軍、千人隊(赤シャツ隊)は強固で、サルディーニャ王国のライバルになる勢力でしたが、内輪揉めの場合じゃないというこで、領土を王国に献上し、彼は引退します

潔いよい男だと思います

これで1861年、ついにイタリア王国が成立します。都はトリノ⇒フィレンツェ⇒ローマと変遷することも覚えておいてください

この後のイタリアには、幸運が訪れます。ライバルのオーストリアがプロイセンと戦争になります(普墺戦争)。これに参戦してヴェネツィアをオーストリアからゲットします(1866)

さらに裏切りのフランスもプロイセンと戦争(普仏戦争)になります(1870)。これによって、教皇領はフランスの庇護を失い、その隙をついて、占領します(1870)。翌年から、イタリアの都は、ローマになります

これで宿敵オーストリアが持っている南チロル・トリエステという「未回収のイタリア」以外のすべてを統一することができました

-未回収のイタリア-
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ここの領土をゲットするのは、だいぶ先の第一次世界大戦終了(1919)までかかります。とにかく日本を含む弱小国が、世界と戦うレベルまであげていくのは、難しい作業だということが、理解できたと思います

次回は、同じ境遇のドイツの統一について話します

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