イギリスの話です。だいたい19世紀のイギリスは、ヴィクトリア時代といわれます。これはヴィクトリア女王(在位1837~1901)が、長い統治をしていたからです

-ヴィクトリア女王-
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彼女以後の、イギリス女王の長命は凄いです。今のエリザベス2世(在位1952~)も、60年以上統治しています

-エリザベス2世-
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彼女のお母さんも、長生きで101歳まで生きていました。ここだけ聞くと、イギリスは王がグイグイ引っ張てる感じですが、日本と同じで、あくまでシンボルとしての役割です

「王は君臨すれども統治せず」でしたね

■講義 part52 -イギリス革命(ピューリタン革命)・名誉革命-
http://world-history.blog.jp/archives/4100267.html
※「王は君臨すれども統治せず」情報

イギリスの議会の歴史は、長いですからね。ここの19世紀の二大政党は、保守党×自由党です

保守党…旧名トーリ党。地主などの伝統的な人が支持しています。外国にちょっかいだす傾向
自由党…旧名ホイッグ党。新興ブルジョワジーの人が支持しています。国内を整備する傾向


19世紀の二大政党と限定するのは、自由党が後に人気なくすからですイギリスは、複数回の選挙法改正を経て、成人に選挙権が与えられます。収入などによって選挙権が制限されていた時期は、自由党が一定の支持を得ましたが、全国民が参加する状態になると、労働者が応援する労働党が強くなります

話を戻しますが、特に19世紀後半はディズレーリ(在任1868、74~80)とグラッドストン(在任1868~74、80~85、86、92~94)でイギリス政治をまわします

-ディズレーリ-
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-グラッドストン-
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ディズレーリは保守党の人ですから、海外に介入します。19世紀に海外絡みでイギリスの首相誰ですか?と聞かれたら、ディズレーリです

■ディズレーリのやったこと
・スエズ運河株の買収(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ロシアの南下政策阻止

語呂です。女の子の名前シリーズで。
スエズ花子(1875)が、株式買収

逆に国内の整備は、自由党のグラッドストンです

■グラッドストンのやったこと
・教育法(1870)…公立学校が増設
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)…農業・鉱山労働者の選挙参加を認める


そして、二大政党関係なく抱えている問題が、アイルランド問題です。そもそも宗教の派閥が違うので揉めてるんですが、古くはゲルマン大移動まで遡ります。アイルランド人は、ケルト人の流れをくみます

■講義 part32 -ゲルマン大移動-
http://world-history.blog.jp/archives/2041598.html
※ゲルマン人とケルト人情報

■講義 part66 -19世紀の自由主義・社会主義-
http://world-history.blog.jp/archives/6117577.html
※カトリック教徒解放法

19世紀は、アイルランドが独立を獲得しようと、ジワジワ権利を獲得していきます。1848年には、青年アイルランド党が、武装蜂起しましたが、これは鎮圧されています

アイルランド国民党は、急激な方法でなく、政治によって権利を獲得していきました。まずはアイルランドの主流を占める農民の権利をゲットします。それが成功すると、自治権獲得に移ります

第1次アイルランド土地法(1870)…小作人の権利保護
第2次アイルランド土地法(1881)…アイルランド人に土地購入許可
アイルランド自治法…1886、93年ともに否決。1914年に成立


語呂です
土地離れ(1870)たいアイルランド、いややい(1881)イギリス、自治はいーよ(1914)

この流れで、いろいろ揉めますが、イギリスは広大な植民地で、白人が支配している土地には自治権を認める方向にシフトします。認める順番は、こんな感じです

カナダ連邦(1867)⇒オーストラリア(1901)⇒ニュージーランド(1907)⇒南アフリカ連邦(1910)

■自治権獲得の順序
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地図をイメージして、時計の反対回りで自治が増えたと想像しておいてください。時々、自治権の獲得順に並べ替える問題がでます

オーストラリアは、かつて罪人の島流し場所として使われていました。これを流刑植民地といいます

今回は、以上です。次回はイギリスの選挙法改正について、まとめて説明します

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