それでは、第一次世界大戦について説明します。まず大枠で、第一次世界大戦の構造は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア) vs 三国協商(イギリス・フランス・ロシア)です。※画像は、世界史まっぷさんから使用させていただいております

20181221-第一次世界大戦前の国際関係@824

あとは、それに付随する周辺国を覚えておけば、OKです。戦争が起きるキッカケは、今私が住んでいるバルカン半島でおきます。ここは、いろいろな宗教民族が入り組んだ結果、西暦2000年を越えるまで、もめにもめます。今は、コソボがやや危険なぐらいで、特に問題もなく観光を楽しめる安定した地域になっています

長くオスマン帝国が、この地域を支配していましたが、弱体化した間隙をついたのが、オーストリアでした。

1908年青年トルコ革命が起き、オーストリアボスニア・ヘルツェゴビナ併合ブルガリアも独立を宣言します

オーストリアは、ゲルマン系なのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナはスラヴ系が多く住んでいました。ここを同様に併合したいと思っていたのが、スラヴ系のセルビアです。

ここにバルカン半島のゲルマン化をうながす勢力とスラヴ化をうながす勢力との対立が先鋭化していきます。

これをパン=ゲルマン主義パン=スラヴ主義の対立といいます。

イタリア=トルコ戦争(1911~1912)北アフリカで勃発し、オスマン帝国の混乱が極みを迎えると、セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシア4ヵ国は、ロシア支援のもとバルカン同盟を結成し、オスマン帝国第1次バルカン戦争(1912)を仕掛け、成功をおさめます

このバルカン同盟の4ヵ国は受験でも聞かれます。ルーマニアを混ぜて、誤りを見つける問題などがあるので、ちゃんと4つ覚えてください

2019-12-17_17-0_No-01

で、バルカン同盟が内部分裂して起きたのが、第2次バルカン戦争(1913)です。この戦争は、ブルガリア負けです。まぁ、敵が多すぎます。ブルガリアはロシアの支援なんか期待できないとわかったので、「敵の敵は味方」理論で、この後ドイツ・オーストリアと仲良くなります

20181221-第2次バルカン戦争後のバルカン半島@400

この各国が、おのれの国の利益を最大化するため、連続して戦争を起こしたため、バルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」といわれるようになりました

そして、オーストリアの帝位継承者夫妻が、ボスニアサライェヴォにて、セルビア人に暗殺されます。これをキッカケに起きたのが、第一次世界大戦です。

サライェヴォは、今ではボスニア・ヘルツェゴビナ首都ですね。

1914年にオーストリアは、セルビアに宣戦布告します。セルビアの元締めは、ロシアなので、この戦争にロシアが介入し、オーストリアと同盟を結んでいるドイツも介入します

連鎖が連鎖をよび、最初にでてきた三国同盟三国協商の国々も、この戦争に巻き込まれ、第一次世界大戦が始まります。

戦争中のイギリスの首相は、ロイド=ジョージフランスは、クレマンソーです。

この戦争中に起きた有名な戦争をいくつか覚える必要があります。ドイツの西部戦線でおきたマルヌの戦い・ヴェルダンの戦い・ソンムの戦い。また東部戦線タンネンベルクの戦いも有名ですね

第一次世界大戦中のヨーロッパ@824

戦いの起こった場所を答える問題もあるので、位置も把握しておいてください。

マルヌの戦いの重要な部分は、ドイツが短期決戦として、ベルギー経由でフランスに侵入するシュリーフェン=プランというのを持っていたのですが、これをフランス側で情報を把握し、防いだこととして有名です

ヴェルダンの戦いは、フランスのペタン将軍が、要塞を多くの死者をだしながら守り抜いたことで有名です

ソンムの戦いでは、イギリスが初めて戦車を使用したことで有名です。この戦争では、新しい武器として、戦車のほかに、航空機・潜水艦・機関銃、そして毒ガスも投入されています

東部戦線では、ドイツのヒンデンブルク将軍が、タンネンベルクの戦いでロシアに勝利しますが、その後膠着状態になります

イギリスは島国ですから、補給を断つために、ドイツは1917年無制限潜水艦作戦を実行します。ここまでアメリカは戦争に参加していませんでしたが、以前自国の船のルシタニア号撃沈されていたこともあり、また「潜水艦にやられるかもしれない」という思いから、ウィルソン大統領は三国協商側について、参戦することを決意します

1918年にロシアでは革命が起きていたこともあって、ドイツと講和条約を結んで、東部戦線に戦力を割かなくていい状態がうまれます。

けれども他の同盟国であるオスマン帝国・ブルガリア・オーストリアが次々と降伏し、もはやドイツ単独では立ち行かなくなり、ドイツの軍人さんたちも、「もう戦争いやだ」ということになり、キール軍港の暴動を契機に、終戦を迎えることになります
2019-12-17_18-30_No-01

この戦争中に、今も残る火種として問題になる秘密外交というものがあります。例えば、イタリアは三国同盟側でしたが、ロンドン秘密条約により、「未回収のイタリア」をおみやげに、脱退させることに成功し、イタリアは結局、仲間だったはずのオーストラリア1915年宣戦布告しています

また「インドさんも参加してくれたら、自治を認めるよー」とか言いながら、戦争後無視したりします。ヤベー奴らです

一番ヤバいのが、フセイン・マクマホン協定(1915)「アラブ人の国を、戦争終わったら作るかわりに支援してー」とかいいつつ、英仏露サイクス・ピコ協定(1916)により、「パレスティナは、3国で仲良く分割しよーね」とかいいつつ、「ユダヤ人さんお金もってますね。貸してください。戦争終わったら、国を作っていいですよ」というバルフォア宣言(1917)を結びます。

これにより、イスラエルが建国されるのですが、そこに住んでいたパレスティナ人は土地を失い、現在にまでいたるパレスティナ問題になったのは、クソ野郎どもの集つまりだなと思うわけです。もう自分で解決できず、アメリカ頼みになってるし。

戦争は、あらゆるルール秩序を破壊するので、どうやってしない構造を作るかが、人類に問われているのだと思います

最後に年号ですが、まず私の頭の中には10年単位の大きい戦争があります。

1894年:日清戦争
+10
1904年:日露戦争
+10
1914年:第一次世界大戦


ココを軸に、私は第一次世界大戦絡みで、1年ごとに戦争あるなと覚えています。

イタリア=トルコ戦争(1911)
+1
第1次バルカン戦争(1912)
+1
第2次バルカン戦争(1913)
+1
第一次世界大戦(1914)


こうやって連結して、覚えてくださいね~~
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