いよいよセンター試験ですね。受験前、最後の更新です皆さんのよい結果を祈っておりますそれでは始めます
---------------------------------
第一次世界大戦後、世界の秩序を保つために取られた体制が2つあります。それが、ヴェルサイユ体制とワシントン体制です。まず簡単な各体制の目的です。
ヴェルサイユ体制:ヨーロッパ地域の戦後をどうするか
ワシントン体制:戦後のアジア・太平洋地域をどうするか
これら体制があるのは、戦争で領土の定義がぐちゃぐちゃなので、利害関係者でどのように世界をまわしていくかを話しあうことにあります
まず、1919年に「世界全員で守るフォーマットを決めましょう」ということをパリで話すことになります。これをパリ講和会議といいます。この会議の原則は、アメリカのウィルソン(民主党)が提案します。これを十四ヵ条といいます
■十四ヵ条
1.秘密外交の廃止
2.海洋の自由
3.関税障壁の撤廃
4.民族自決
⇒各民族が自分の国をもつべきだという発想ですが、植民地は廃止されませんでした
5.植民地問題の公正な解決
6.国際平和機構の設立
⇒国と国のケンカをまとめる機関が今までなかったので、調停する国際連盟が設立されました(本部:スイスのジュネーヴ)
★国際連盟
1.総会:全会一致の原則
※全部の国が一致するのが難しいので、運用が難しかったです
2.常任理事国:イギリス・フランス・イタリア・日本
3.1926年にドイツ、1934年にソ連が加盟
4.国際労働機関(ILO):労働者の保護を目的
5.常設国際司法裁判所:オランダのハーグに設置。国家間の紛争を調停します
※提唱したのがアメリカなのに、この国際連盟にアメリカが参加していないことも覚えておいてください。ウィルソンの反対勢力である共和党が、参加を嫌がったため、このようになりました
-ウィルソン(民主党)-
次に覚える必要があるのは、敗戦国の条約と降伏内容です。各国の条約名や内容は、よく聞かれるので、受験生は頑張って覚えてください
a.ヴェルサイユ条約:ドイツとの講和条約(1919.06)
1.アルザス・ロレーヌ ⇒ フランスへ
2.ラインラント非武装
3.徴兵禁止等の軍備制限
4.1320億金マルクの賠償金(ドイツGNPの約20年分)
b.サン=ジェルマン条約:オーストリアとの講和条約(1919.09)
1.チェコスロヴァキア、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
(ユーゴスラヴィア)、ハンガリー、ポーランド独立
2.南チロル ⇒ イタリアへ
c.ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約(1919.11)
d.トリアノン条約:ハンガリーとの講和条約(1920.06)
e.セーヴル条約:オスマン帝国との講和条約(1920.06)
⇒この敗戦に激怒した国民がオスマン帝国を倒し、ムスタファ=ケマルが新政府を作り、ギリシアの干渉にも耐えて、1923年に再度ローザンヌ条約が結ばれるのも覚えておいてください。
「これらの条約を年代順に並べろ」みたいな問題もあるので、必ずヴェルサイユ条約⇒サン=ジェルマン条約⇒ヌイイ条約⇒トリアノン条約⇒セーヴル条約の順で覚えましょう
オスマン帝国の勢力圏は弱まった結果、フランスがシリア、イギリスがイラク・トランスヨルダン・パレスチナを委任統治下におきます
これら条約でうまれたものが、ヴェルサイユ体制です。ヴェルサイユ条約の語呂合わせは、行く行く(1919)ホテル、ヴェルサイユです
1921~22年に、アメリカのハーディング(共和党)がワシントン会議を提唱します。主な会議は以下です
四ヶ国条約(1921):アメリカ・イギリス・フランス・日本で調印。太平洋の現状維持を確認
※日英同盟が解消されます
ワシントン海軍軍備制限条約(1922):米英日仏伊で、主力艦の総トン数の比率を5:5:3:1.67:1.67にした
九ヶ国条約(1922):中国の主権尊重・領土保全を確認しました
この当時のアメリカの目的は2つです。中国での領土拡張に遅れをとっていたので、そこに入れるように調整すること。その際に障害になる日本の勢力を低下させることです。そこを理解すれば、上記の条約は、日本の力を削ぐことに成功したといえます
ヴェルサイユ体制とワシントン体制で戦後の運営が始まりますが、最初は1920年のポーランド=ソヴィエト戦争や1924年のイタリア、ムッソリーニによるフィウメ併合等ありますが、全体としてが、平和を保てます
1925年のロカルノ条約により、ドイツの国際社会への復帰が認められ、1926年に国連加盟します。フランス外相のブリアンやアメリカ国務長官ケロッグの尽力で、1928年に「戦争やめようね」という不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)も結ばれます
1930年のロンドン会議では、アメリカ・日本・イギリスの補助艦比率を10:10:7にします。これは1927年のジュネーブ軍縮会議で、うまくいかなかったものを何とかしたものです
ワシントン海軍軍備制限条約は、主力艦の話をしていて紛らわしく、テストの正誤問題で逆にして聞くパターンありです。注意してください
■スポンサードリンク
---------------------------------
第一次世界大戦後、世界の秩序を保つために取られた体制が2つあります。それが、ヴェルサイユ体制とワシントン体制です。まず簡単な各体制の目的です。
ヴェルサイユ体制:ヨーロッパ地域の戦後をどうするか
ワシントン体制:戦後のアジア・太平洋地域をどうするか
これら体制があるのは、戦争で領土の定義がぐちゃぐちゃなので、利害関係者でどのように世界をまわしていくかを話しあうことにあります
まず、1919年に「世界全員で守るフォーマットを決めましょう」ということをパリで話すことになります。これをパリ講和会議といいます。この会議の原則は、アメリカのウィルソン(民主党)が提案します。これを十四ヵ条といいます
■十四ヵ条
1.秘密外交の廃止
2.海洋の自由
3.関税障壁の撤廃
4.民族自決
⇒各民族が自分の国をもつべきだという発想ですが、植民地は廃止されませんでした
5.植民地問題の公正な解決
6.国際平和機構の設立
⇒国と国のケンカをまとめる機関が今までなかったので、調停する国際連盟が設立されました(本部:スイスのジュネーヴ)
★国際連盟
1.総会:全会一致の原則
※全部の国が一致するのが難しいので、運用が難しかったです
2.常任理事国:イギリス・フランス・イタリア・日本
3.1926年にドイツ、1934年にソ連が加盟
4.国際労働機関(ILO):労働者の保護を目的
5.常設国際司法裁判所:オランダのハーグに設置。国家間の紛争を調停します
※提唱したのがアメリカなのに、この国際連盟にアメリカが参加していないことも覚えておいてください。ウィルソンの反対勢力である共和党が、参加を嫌がったため、このようになりました
-ウィルソン(民主党)-
次に覚える必要があるのは、敗戦国の条約と降伏内容です。各国の条約名や内容は、よく聞かれるので、受験生は頑張って覚えてください
a.ヴェルサイユ条約:ドイツとの講和条約(1919.06)
1.アルザス・ロレーヌ ⇒ フランスへ
2.ラインラント非武装
3.徴兵禁止等の軍備制限
4.1320億金マルクの賠償金(ドイツGNPの約20年分)
b.サン=ジェルマン条約:オーストリアとの講和条約(1919.09)
1.チェコスロヴァキア、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
(ユーゴスラヴィア)、ハンガリー、ポーランド独立
2.南チロル ⇒ イタリアへ
c.ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約(1919.11)
d.トリアノン条約:ハンガリーとの講和条約(1920.06)
e.セーヴル条約:オスマン帝国との講和条約(1920.06)
⇒この敗戦に激怒した国民がオスマン帝国を倒し、ムスタファ=ケマルが新政府を作り、ギリシアの干渉にも耐えて、1923年に再度ローザンヌ条約が結ばれるのも覚えておいてください。
「これらの条約を年代順に並べろ」みたいな問題もあるので、必ずヴェルサイユ条約⇒サン=ジェルマン条約⇒ヌイイ条約⇒トリアノン条約⇒セーヴル条約の順で覚えましょう
オスマン帝国の勢力圏は弱まった結果、フランスがシリア、イギリスがイラク・トランスヨルダン・パレスチナを委任統治下におきます
これら条約でうまれたものが、ヴェルサイユ体制です。ヴェルサイユ条約の語呂合わせは、行く行く(1919)ホテル、ヴェルサイユです
1921~22年に、アメリカのハーディング(共和党)がワシントン会議を提唱します。主な会議は以下です
四ヶ国条約(1921):アメリカ・イギリス・フランス・日本で調印。太平洋の現状維持を確認
※日英同盟が解消されます
ワシントン海軍軍備制限条約(1922):米英日仏伊で、主力艦の総トン数の比率を5:5:3:1.67:1.67にした
九ヶ国条約(1922):中国の主権尊重・領土保全を確認しました
この当時のアメリカの目的は2つです。中国での領土拡張に遅れをとっていたので、そこに入れるように調整すること。その際に障害になる日本の勢力を低下させることです。そこを理解すれば、上記の条約は、日本の力を削ぐことに成功したといえます
ヴェルサイユ体制とワシントン体制で戦後の運営が始まりますが、最初は1920年のポーランド=ソヴィエト戦争や1924年のイタリア、ムッソリーニによるフィウメ併合等ありますが、全体としてが、平和を保てます
1925年のロカルノ条約により、ドイツの国際社会への復帰が認められ、1926年に国連加盟します。フランス外相のブリアンやアメリカ国務長官ケロッグの尽力で、1928年に「戦争やめようね」という不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)も結ばれます
1930年のロンドン会議では、アメリカ・日本・イギリスの補助艦比率を10:10:7にします。これは1927年のジュネーブ軍縮会議で、うまくいかなかったものを何とかしたものです
ワシントン海軍軍備制限条約は、主力艦の話をしていて紛らわしく、テストの正誤問題で逆にして聞くパターンありです。注意してください
コメント