さてインドの植民地化を話しましょう。インドに旅行に行けばわかりますが、彼らは英語を話します。もちろんインド訛りですが…
彼らは多民族国家ですから、英語が公用語化しています
このようなことになったのは、イギリスが植民地化したからです。そしてインド・エジプト・南アフリカは、イギリス植民地の生命線になります
当初インドでは綿布を生産して儲けて、産業革命以後は綿花を輸入して、イギリスの工場で加工して儲けていました
ここの3つの国の都市、カルカッタ(Calcutta)・カイロ(Cario)・ケープタン(Cape Town)の頭文字をとって3C政策ともいいます
まぁ、このあたりは第一次世界大戦あたりの講義で詳しく説明します。今は、「インドといえば、イギリスの植民地」と強く覚えていってください
まずイギリスが、インドに影響力を持ち始めたのは東インド会社の設立(1600)からです
■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html
※東インド会社情報
しかしこの頃は、まだ多くのライバルとの戦いです。彼らも同時期に東インド会社を設立しているからです
1600年 東インド会社(イギリス)設立
1602年 東インド会社(オランダ)設立
1604年 東インド会社(フランス)設立
このような中で、最大のライバルとなったのはフランスです。カーナティック戦争(1744~63)をインドで行います
この時期は、世界を舞台にイギリスとフランスは戦います。ヨーロッパでは、オーストリア継承戦争(1740~48)・七年戦争(1756~63)。アメリカでは、ジョージ王戦争(1744~48)・フレンチ=インディアン戦争(1755~63)
この植民地分捕り合戦のインド版が、カーナティック戦争です。これにイギリスは勝利し、ます南インドを支配します
同時期に行われたプラッシーの戦い(1757)においても、ベンガル太守・フランス連合軍を倒し、ベンガル・ビハール・オリッサというインド東部をおさえます
語呂です
いい~なこんな(1757)のプラッシーの戦い
-ベンガル・ビハール・オリッサ-
この2つの戦争で功績をあげたのが、クライヴという人で、初代ベンガル知事に就任します。インド統治法(1773)以後は、ベンガル知事の名称は、ベンガル総督に改称されます
このあたりで、インドはイギリスの縄張りであることは、確定します。あとはインドを統治するムガル帝国(1526~1858)や諸王国の領土を削ぎ落していくだけです
■講義 part40 -ムガル帝国-
http://world-history.blog.jp/archives/2585979.html
3つの大きな勢力との戦争を通して、イギリスはインドを自分のものにしていきます。それはマイソール戦争(1767~69、80~84、90~92、99)であり、マラーター戦争(1775~82、1802~05、1817~18)であり、シク戦争(1845~46、48~49)でした
このすべてにイギリスは、勝利します
マイソール戦争は、南インドのヒンドゥー国家、マイソール王国との戦争です。マラーター戦争は、インド中部にあった諸侯連合、マラーター同盟との戦争です。シク戦争は、パンジャーブ地方を支配していたシク教徒との戦争です
-パンジャーブ地方-
これで有力な国家は、ムガル帝国ぐらいしかありません
これらの支配地域では、大きく分けて北と南で統治方法が違っていました。北はザミンダーリー制で、南はライヤットワーリー制でした
ザミンダーリー制は、地元の領主に徴税をしてもらうシステムで、ライヤットワーリー制では、イギリス人が直接徴税しています
この植民地化の最中に、イギリスでは産業革命が起きています。つまり、いろんな会社が次々生まれ、成長しているわけです。その中で東インド会社の独占経営は嫌われています
ということで、東インド会社の貿易独占権は、茶の除いて廃止(1813)されます。1833年には、商業活動も停止にあいます
こんな中で、東インド会社が雇用していたインド人傭兵が反乱をこしました。これをシパーヒー(セポイ)の反乱(1857~59)といいます。シパーヒーは、インドで兵士を意味する言葉です
シパーヒーたちは、さらにインド反乱のシンボルとしてムガル帝国を担ぎあげます。これがインド全域に拡大したため、イギリスは手を焼きましたが、1858年にムガル帝国を滅亡させ、鎮圧に成功します
語呂です
嫌、ご破(1858)算のムガル帝国
ちなみに原因をつくった東インド会社も解散(1858)させられます
1877年には、イギリスの統治するインド帝国が成立します。初代皇帝は、ヴィクトリア女王です
■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※ヴィクトリア女王情報
こんな感じで、イギリスはインドを支配しました。次回は、東南アジアの植民地化いきます
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