世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: 東南アジア史

東南アジアは、のきなみヨーロッパ諸国の餌食になります

■インドネシア
すでに説明しましたが、アンボイナ事件(1623)によって、オランダの勢力化に入っています。当時のインドネシアには、イスラム教のマタラム王国(16世紀末~1755)がありましたが、オランダに滅ぼされます

その後着任したファン=デン=ボス(在任1830~33)が強制栽培制度を行い、コーヒー・サトウキビ・藍を生産させました

スマトラ北部にあったアチェ王国(15世紀末~20世紀初)とのアチェ戦争(1873~1912)もありましたが、オランダはインドネシアの利権を維持します

-アチェ-
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■講義 part29 -東南アジア(ミャンマー・インドネシア)-
http://world-history.blog.jp/archives/1887985.html
※マタラム王国

■講義 part56 -ヨーロッパ諸国の海外進出-
http://world-history.blog.jp/archives/4392809.html
※アンボイナ事件・強制栽培

■ミャンマー
前回、説明しましたが、イギリスインドを軸に領土を拡大していきます。ミャンマーは、イギリスの隣国ですから、ココはイギリスが進出してきます

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コンバウン朝(1752~1885)は、ビルマ(ミャンマー)戦争(1824~26、52~53、85~86)の結果、滅亡します。その後のミャンマーは、1886年にインド帝国へ併合されます

■シンガポール・マレーシア
この地域もイギリスが、手を付けます。ラフッルズという植民地行政官は、シンガポールの地理的優位性に目を付けて、1819年にここを買収します

今現在でも、東南アジアの情報が一番集まり、ビジネスチャンスがあるのは、シンガポールですから、凄い判断だと思います

さらに1826年には、周辺のペナン島・マラッカを併せて、海峡植民地に格上げします。1895年には、さらに領土を拡大し、マレー連合州(マライ連邦)としました。その後、ゴム=プランテーションが発達します

-ペナン島・マラッカ・シンガポール-
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■ベトナム・ラオス・カンボジア
イギリスインドを軸に領土を拡大していくのに対し、フランスベトナムを軸に領土を拡大すると覚えておいてください

ベトナムの最後の王朝は、阮朝(1802~1945)でしたね。ここに宣教師殺害を口実に戦争を仕掛けたのが、ナポレオン3世です。スペインとの共同出兵で、仏越戦争(1858~62)を起こします。結果、結んだ条約が、サイゴン条約です。内容を見ましょう

■サイゴン条約(1862)
・キリスト教布教の自由
・コーチシナ東部3省の割譲
・サイゴンの割譲

■講義 part28 -東南アジア(ベトナム・カンボジア・タイ)-
http://world-history.blog.jp/archives/1870544.html
※阮朝情報

■講義 part69 -フランスの第二帝政・第三共和政-
http://world-history.blog.jp/archives/6498346.html
※ナポレオン3世情報

さらに1863年には、カンボジアを保護国化ユエ条約(1883,84)によってベトナムの保護国化も決定します

これに黙っていないのが、中国のです。中国を説明するのは久々です。基本中国人の頭の中は、今現在でも、東南アジアは中国のと考えています。だからこそ、領土問題でベトナム・フィリピンが抵抗しても、彼らの中では、「うるせー、ハエだな」ぐらいの印象です

ユエ条約は、明らかに清の利権を侵害しています

清仏戦争(1884~85)が発生しますが、フランスに勝てるわけがありません天津条約(1885)によって、清は、ベトナムをフランスのものと認めます

この戦争の際、劉永福という人が黒旗軍という義勇軍を率いて、抵抗したこともレアですが、聞かれます。ちなみに彼は、広東省客家出身です

客家は、直接的な意味で「よそ者」を指すことから、移民のことです。多く山間部などの僻地に住んでいました。この人々が、中国人の中でも性格が特殊なので、覚えておいてください。今後、何度かでてきます

誰も文句を言わなくなった所で、フランスは自分の植民地をフランス領インドシナ(1887~1945)と命名します。1899年には、ここにラオスも編入させます

-フランス領インドシナ-
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ちなみにインドシナですが、インド+シナ(中国)=インドシナです。インドと中国の中間にあるよということです。インドネシアと間違わないでくださいね

■タイ
現在も続くラタナコーシン朝は、近代化につとめたラーマ5世(在位1868~1910)の活躍もあって、独立を維持しますが、地理的条件に恵まれていた要素を否定できません

イギリスとフランスは、領土拡大が進むと衝突が不可避となるので、タイを緩衝地帯として存続させました

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■講義 part28 -東南アジア(ベトナム・カンボジア・タイ)-
http://world-history.blog.jp/archives/1870544.html
ラタナコーシン朝情報

次回は、中国の植民地化(アヘン戦争・アロー戦争)いきます

東南アジア史の続きいきます
残りの国を解説します


ミャンマー
ミャンマーといえば、イラワディ川ですね

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8cには、チベット=ビルマ系の人がピューという国を作ってますが、
これはレアです。南詔が滅ぼしたと言われています


よく聞かれるのは、次のパガン朝(1044~1299)からです
ここからビルマ(ミャンマー)人の国です
セイロン島から入った上座部仏教の国です

に滅ぼされてます


次はトゥングー朝(1531~1752)
王朝名だけでよいです


最後がコンバウン(アラウンパヤー)朝です
1752~1885年までの王朝です

タイのアユタヤ朝を滅ぼしてますね。最後は、イギリスの植民地になります
パガン⇒トゥングー⇒コンバウンで覚えましょう

インドネシア
インドネシアは、海洋国家です
主要な島は、スマトラ島ジャワ島で展開されます

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まず、よく聞かれるのがシュリーヴィジャヤ(7~14c)です
長く続いていますね。拠点はスマトラ島です
中国名は、室利仏逝です。唐のお坊さん、義浄が帰り道に寄りましたね

都は、パレンバンです。ここは、大乗仏教の国です


ジャワ島では、シャイレンドラ朝(8c中~9c前)がありました
この王朝で聞かれるのはただ一つ、ボロブドゥールの遺跡です

カンボジアのアンコール=ワットと似ていて紛らわしいので、注意してください
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レア系の王朝は、シンガサリ朝で、元の朝貢要求を拒絶したため、
ジャワ遠征のきっかけを作ってます。これだけ聞かれます


ジャワにできた本格的な国は、マジャパヒト王国(1293~1520頃)です
ヒンドゥー教国家です
元軍を退けましたが、鄭和の南海諸国遠征以後は、朝貢関係をと結んでいます


同時期にマレー半島にいたのが、マラッカ王国(14c末~1511)です
イスラム教国家です
マレー半島というくらいですから、この国はマレーシア史に組み込まれると思います

鄭和の影響で朝貢関係を持ち、最後はポルトガルにやられてます


インドネシアで最後に覚えるのは、マタラム王国(16c末~1755)です
イスラム教国家です。この影響で、インドネシアは今もイスラムです

オランダに滅ぼされます


インドネシアは、
シュリーヴィジャヤ⇒マジャパヒト⇒マタラム
これが基本形です。付属でシャイレンドラとマラッカを覚えましょう


■フィリピン
最後にフィリピンを少し、特に王朝とかは聞かれません
初めて世界一周したといわれるマゼランが来て以後は、スペイン領です
植民地の権限は、アメリカに移行し、その後独立して現在です


東南アジア史は、以上です。そんなに覚える量はないですよね?
まず各国の主要王朝覚えるそこがです
ここをキッチリ覚えておけば、必ず得点UPが期待できます


次回、イスラム世界になります

それでは、東南アジア史を始めます
東南アジア史は、正直点取りエリアだと思います


だいたい受験生の皆さんは、ヨーロッパと中国史で精いっぱいで、
他の地域にまで余力がないと思います


相対的に勉強時間の少ない所に、苦手意識を持つのは錯覚です
覚えるべき量も少ないですから、ぜひ点取りポイントにしていってください


コツは、国単位で覚えることです
なので、国単位で説明します


ベトナム
南ベトナムには、チャンパー(2c~17c)という王朝がありました
後漢から独立して成立しました

特にベトナム史は、中国との関連で聞かれますので、そこに注目してください

チャンパーは、中国名が変わっていきます
林邑⇒環王⇒占城
以上のように変わります


環王は8c中頃、占城は9c後半から使われた中国名ですから、唐(618~907)の年代にあわせて、唐の初めまでは林邑、中頃が環王、唐の末期から占城が使われていると覚えてください


この覚え方がキツイと思った人は、ひとまず林邑占城だけ覚えて、
唐以前が林邑、唐以後が占城で覚えても十分戦えます
中国にいった占城米は、ココから輸出されてます


最終的には、北ベトナムの黎朝に滅ぼされました


北ベトナムは、最初は中国に占領されていましたね
秦では南海郡から監視され、前漢では武帝が南越を征服して、
日南郡(ユエ)を置いてます。後漢では、徴姉妹の乱(40)もありましたね


唐では安南都護府が、ハノイに置かれてます

ベトナムで聞かれる都は、3つしかありません
しっかり覚えてください


それは、ハノイ・ユエ・ホーチミン(サイゴン)です
北部・中部・南部と解かりやすく配置されているので、理解は速いです

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中国の支配権から脱した初めての長期王朝は、大越国(李朝)です
1009~1225年まで続きます。李公蘊が建国しました。都は昇竜(ハノイ)です


漢字表記ですが、ベトナム人です
ベトナムは、現在にいたるまで中国とのつながりが深いです
それは、いい意味・悪い意味両方あります


文化の影響を受けているし、侵略されもしています
そのため、李朝は仏教・儒教を重んじています


次が、陳朝(1225~1400)です
都は、ハノイです
漢字をもとに字喃という独自文字を作り、史書「大越史記」を残した王朝です
元と戦って退けたことも覚えましょう


その次の王朝いきます
明に滅ぼされた陳の後に、明から独立したのが黎朝(1428~1527,1532~1789)です
一時、王権を奪われた時期がありますが、聞かれません

都は同じくハノイです。朱子学の影響を受けてます
一番聞かれるのは、南ベトナムのチャンパーを征服したことですね

最後は、西山党の乱(1773)が起こり、滅びました

西山朝(1778~1802)自体は、短期で滅びます


その後、フランス人ピニョーの支援でできたのが、阮朝(1802~1945)です
王は、阮福暎です。都はユエです。国号は、越南です

切羽詰まったら、都はハノイでいいですが、阮はユエなのに注意です

当初は、清が宗主国でしたが、最終的にはフランスの植民地になります


ベトナムがフランスの植民地だったことを知っているのは、一般人では少ないですが、
フランスに行くと、この縁でフランスに留学している人にポツポツ会います

北ベトナムは、李⇒陳⇒黎⇒阮をおさえれば、イケます

カンボジア
ベトナム史は、けっこう東南アジアでは長いほうで、カンボジアは覚える内容は少ないです

まずは川を覚えてください

カンボジアといえばメコン川です

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最初の王朝は、扶南(1~2c)です。クメール人の国になります
当時の町で有名なのが、海港都市オケオです
ローマ帝国の金貨などが出土しています


次が真臘(6~15c)です。これもクメール人の国です
扶南を滅ぼして、建国しています。宗教はヒンドゥー教です

都はアンコール=トムで、とにかく有名な寺院がアンコール=ワットです
センター試験で東南アジア史を聞かれたら、確実に画像問題でます
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これは最盛期の王、ジャヤヴァルマン2世によって造営しました

カンボジアは、これぐらいです

扶南⇒真臘だけでいけます


タイ
有名な川は、チャオプラヤ川です
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6~8cにあったモン人の王国は、ドヴァーラヴァティといいます

宗教は、上座部仏教です。唐と朝貢関係でした

この国は、けっこう聞かれるのはレアです


聞かれるのは、スコータイ朝(1257~15c)からです
ここからずっとタイ人の王朝です
最盛期は、ラームカムヘンで、国教は上座部仏教です
タイ文字を作成しています


次の王朝は、アユタヤ朝(1351~1757)です
ここで聞かれるのは、日本人です。江戸の人で、山田長政といいます
日本町を作って、タイで有力者になりました


ミャンマーのコンバウン朝によって滅んでます


最後は、ラタナコーシン(チャクリ)朝です
1782年から始まり、現在も続いています。つまりタイは、まだ名目上は王朝です

創始者はラーマ1世で、最盛期は、ラーマ5世(チュラロンコーン)です
在位が1853~1910年です。つまり植民地化の時代にうまく独立を維持した王です


スコータイ朝⇒アユタヤ朝⇒ラタナコーシン朝の流れです


今回のように東南アジアは、主要王朝を覚えて、王様を少し覚えれば、
だいたい戦えますよ。恐れることはりません。頑張りましょう


次回も東南アジア行きます

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