世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: 中世ヨーロッパ

センター試験の解説も終わったので、予告していた中世文化史を説明します

まずは大学です。国別で覚えてください。さらに学部で出題された大学を絞りましょう

イタリアは2つです。北イタリアの法学で有名なボローニャ大学、南イタリアの医学で有名なサレルノ大学です

フランスは1つだけ、パリ大学神学で有名です

イギリスは2つです。パリ大学を模して設立されたオクスフォード大学と、そこから分派してできたケンブリッジ大学です

いくつかの大学は、皆さんも知っていますねメジャー系は、以上です

あとマニアックな大学は、ポーランドのカジェミシェ3世(位1333~70)が作ったクラクフ大学、神聖ローマ皇帝カール4世(位1347~78)が設立したチェコのプラハ大学を覚えれば、だいぶいいです

大学の構成は、3学部・7自由学科です

3学部は、神学・法学・医学です
7自由学科は、さらに下級3科文法・修辞・弁証法上級4科算術・幾何・天文・音楽に分けられます

たとえば、上級4科は、算術・幾何・天文・体育みたいな正誤問題があるので、全部覚えてください

中世で一番注目されている学部は、神学です中世は、宗教の時代です
この言葉を知るだけで、解答できる問題はけっこうあります

古代⇒中世⇒近世と時代は流れます

古代、近世は、人間に興味があります。対照的に中世は、神の世界に興味があります。時代をおおう大枠の価値観はまずおさえましょう

古代(人)⇒中世(神)⇒近世(人)ですね

中世は宗教の時代ですから、「哲学は神学の婢」といわれています。婢(はしため)は、召使いという意味です。したがって神学を研究するスコラ哲学に人気がありました

フランク王国のカール大帝は、イギリスの神学者アルクインアーヘンに招いて、学問を奨励しました。彼の王朝からとって、これをカロリング=ルネサンスといいます

神学で問題になったのは、神の実在を問う普遍論争です

唯名論×実在論

この2つの対立があります。唯名論は、字の通り、名前だけで神はいないとう立場です。実在論はそのままですね

唯名論はアベラールやウィリアム=オブ=オッカム、実在論はアンセルムスが主張します

この対立を著「神学大全」で解消したのが、トマス=アクィナスです
彼の主張は、論理的に神の実在を考えても答えはでず、信仰でしか把握できないという主張です

中世文化史で、トマス=アクィナスは激でます。覚えましょうね

こうやって論理の世界は、宗教から切り離されました。その論理の世界で経験を重視し、近代自然科学に道を開いたのは、ロジャー=ベーコンです

次に文学と美術の話をします

まず中世でおさえておきたいのが、ほとんどの人が字が読めませんし、書けません
例えばジャンヌ=ダルクは、処刑される時に署名を求められますが、字が書けず、字にもならない字を書きました

そんな人々が学ぶ文学は、歌です。当時は酒場などで吟遊詩人が活躍しました
吟遊詩人をフランスではトゥルバドゥール、ドイツではミンネジンガーといいます

有名なものは3つです

ドイツのジークフリートの活躍を描いた「ニーベルンゲンの歌」、カール大帝の部下ローランのイスラム勢力との戦い描いた「ローランの歌」、ケルト人の聖剣伝説「アーサー王物語」です

聖剣伝説は、いろんなマンガやアニメでパクられているアイディアですね

建築の話いきます。中世の建築様式は3つです
ビザンツ・ロマネスク・ゴシック様式です

ビザンツ様式の特徴は、モザイクです。モザイクは小さい石とかタイルをしきつめて1つの絵にする方法ですね

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コンスタンティノープルのハギア=ソフィア聖堂が有名でしたね

ロマネスク様式では、半円形のアーチに特徴があります。ピサの斜塔で有名なピサ大聖堂やフランスのクリュニー修道院が有名です

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ピサの画像見てもらうとわかりますが、小さい窓がいっぱいありますね。これがロマネスクの特徴です

ゴシック様式の特徴は、ステンドグラスです

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昔の人は字が読めないので、ステンドグラスでキリスト教を説明していました

ドイツのケルン大聖堂やフランス・パリノートルダム大聖堂が有名です


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画像のケルン大聖堂を見てください。イメージとして尖っているのが、ゴシック様式の特徴です

建築は、画像問題が頻出なので、ここにない画像も教科書や図表で確認してくださいね

これで中世を終わります。次回はインド史に突入します

14~15世紀にもなると、いろいろな原因で封建制が崩壊します

封建制は、領主が戦争に参加するかわりに土地を貰い、貰ったが最後、その土地でのことにはたとえ国王でも文句がいえないシステムです


ヨーロッパのこのシステムは、ローマの恩貸地制度とゲルマンの従士制が結びついて生まれたものです


封建制がダメになった一番の原因は、貨幣経済の普及だと思います。作物の物々交換の時代なら、腐りますし、小麦を貯めて将来儲けようとかできませんが、貨幣ならずっと持てます


農奴という苦しい身分が嫌な人が、頑張って貯金して、お金と交換に自由を手にする人がでてきます

イギリスでは自由を手に入れた農民を独立自営農民(ヨーマン)といいます。中には一歩すすんで、土地経営者になって儲けた人もいます。これをジェントリといいます。ジェントルマンの語源ですね


領主が老舗の社長なら、ジェントリは青年実業家みたいなものです


さらに14世紀には、黒死病(ペスト)が流行します。肌が黒くなって死んでしまう病気です。今はもうストレプトマイシンという抗生物質がありますから、問題ありません

しかし、当時は不治の病です。現在だったら、HIVですね。2月にアフリカに行きますが、ボツワナっていう国は成人の40%がHIVに感染しています。こうなると国が発展しません


働き手がいなくなるわけですから、当然ですよね

そんなこともあって、当時一番人口の多かったパリでも20万人ぐらいしかいなかったそうです

領主の中には、昔のレベルを維持しようと、少ない農奴をさらにこき使う人もいました。これを封建反動といいます

農奴も黙っていません。暴動、一揆を行ないます


有名なものは、フランスでギョーム=カールがおこしたジャックリーの乱(1358)とイギリスのタイラーがおこしたワット=タイラーの乱(1381)です

タイラーは、ジョン=ボール「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」という批判をしています


語呂です
卑弥呼(1358)はジャックリー、ワッと騒い(1381)だタイラーの乱


それでは各国の動向を追いましょう


イギリス
ノルマン朝
(1066~1154)の話はもうしましたね。この王朝は、世継ぎが海難事故で亡くなるなど運もなく、断絶します

そのため、政略結婚で縁のあったフランスのアンジュー伯が引き継ぎ、ヘンリ2世(位1154~1189)となってプランタジネット朝(1154~1399)を興します


この当時のイギリスは、フランスにも領土を持つわけですね
彼の息子が、獅子心王リチャード1世(位1189~1199)です。英語で、リチャード・ザ・ライオンハートです。名前が格好良すぎますw

そのあだ名に匹敵するぐらいの人で、アイユーブ朝の英雄サラディンと、互角の勝負を第3回十字軍でしてましたね


サラディンは彼を「キリスト教のNO1の騎士だ」と言っています


リチャード1世の次が、弟のジョン王です。彼のあだ名は、ジョン・ザ・ラックランドです。Lackは、幸運でなく欠けたとか、ないとかいう意味です

ダサ過ぎです


もちろん理由があって、彼はやること全てに失敗します。まずフランス領土を失います。またカンタベリ大司教の任免問題では、破門されます

相手が悪すぎます。教皇は、絶頂期のインノケンティウス3世です。そりゃ、無理です

彼が動けば、イギリスの利益はドンドンなくなっていきます。これにイギリスの貴族は、血眼になって反対します

結局1215年に、大憲章(マグナ=カルタ)を認めさせます。これがイギリス憲法の始まりと言われています


これによって、王の暴走を防いだわけですね。日本でも軍国主義の暴走を防ぐために、憲法9条がありますね


ジョン王は、これで静かになりました。「ジョン!!ハウス!ハウス!」です。犬を飼うのと一緒です

しかし息子のヘンリ3世は、このマグナ=カルタを無視して、課税を実施しようとしました

マグナ=カルタには、課税する時は貴族と相談する決まりになっていました


完全なルール違反ですから、シモン=ド=モンフォールが中心となって反ヘンリ3世派を結成します

ちなみにフランスの言い方でがつく人は、先祖に貴族だったことの証明になります。例えば現在のEUをつくったシャルル=ド=ゴールがそうですね


話を戻します


1265年に反ヘンリ3世派は、聖職者・貴族、他に州・都市代表を加えた議会を認めさせました。これがイギリス議会の起源ですね

1295年には、エドワード1世によって初めて模範議会が開催されました


14世紀には、きっちり上院(貴族院)・下院(庶民院)に色分けされて、身分制議会が誕生します。つまり利害関係者が、国益を話し会う場所ですね


語呂です
マグナ=カルタへ、いつ行こう(1215)?議会いつ無効(65)?模範議会に急行(95)

行こう、無効、急行で覚えましょう


エドワード3世(位1327~77)は、フランスに百年戦争(1399~1453)を仕掛けます。年号見るとわかりますが、ちゃんと100年じゃないですね。約100年です

彼のお母さんが、フランスの王、フィリップ4世の娘ですね、当時のヨーロッパは政略結婚が横行しているので、国のバランスが崩れると、王位継承問題で揉めます


実際、百年戦争が終わってすぐに、今度はイギリス内でも王位継承問題が発生しています。バラ戦争(1455~85)の勃発です。ランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)の戦いですね


これは彼らの紋章ですね。結局ランカスター出のヘンリ7世が、ヨーク家の女性と結婚して、テューダー朝(1485~1603)を開きます


ざっとイギリスの王朝の流れだけ羅列します
アングロ=サクソン⇒ノルマン朝⇒プランタジネット朝⇒テューダー朝⇒ステュアート朝⇒ハノーヴァー朝(ウィンザー朝)

ちょっと長いですね。ちなみに今のイギリス王室が、ここであげたウィンザー朝です。ニュースでイギリスの王が結婚とかあったら、ウィンザー朝のことです


フランス
ここは、カペー朝(987~1328)でしたね。あらかじめ言いますが、フランスで覚える王朝は、3つだけです。
カペー朝⇒ヴァロワ朝⇒ブルボン朝

ブルボン朝は、フランス革命で倒れて以降、フランスに王朝は存在しません

中世の世界史の覚え方は、まず王朝を覚え、そして王様が何をしたかを覚えるです

イギリスだったらジョン王と聞いて、すぐプランタジネット朝を思いだしてください


フランスのカペー朝は、まずフィリップ2世(位1165~1223)です。リチャード1世と仲が悪く、第3回十字軍に参加していましたが、途中で帰っています

また、ジョン王から領土を奪ったのは、この人です


次がルイ9世(位1226~70)です。彼はアルビジョワ十字軍で功績をあげ、南フランスを領土化します

本来十字軍は、聖地回復が目的でしたね。ただ教皇は、アタナシウス派以外の異端にも十字軍派遣を決定しています。それがアルビジョワ十字軍です


彼は、第6、7回十字軍の主導者でもありましたね。彼は、チュニジアのチュニスで病没しています


次の王が、フィリップ4世(位1285~1314)です。彼は三部会という聖職者・貴族・市民の3層を集めた議会を主催しました

この議会は、フランス革命(1789)まで続きます


その後、王朝断絶してできたのが、ヴァロワ朝(1328~1589)です
初代はフィリップ6世です。フィリップがいっぱい現れますが、フィリップは2、4、6の偶数です。6だけヴァロワ朝です
この即位に文句を言ってきたのが、イギリスのエドワード3世です

中世は、絶えず王位継承問題でケンカがあります。エドワード3世の本来の目的は、毛織物で有名なフランドル地方のゲットです。現在のベルギーあたりですね
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今でいうiphoneとかの稼ぎ頭が、当時毛織物でした


初期段階では、イギリスは勝ちます。エドワード3世は、クレシーの戦い(1346)で勝利します。彼の息子。エドワード黒太子も、ポワティエの戦い(1356)で勝利します

1429年には、フランスはだいぶ追い込まれます。オルレアンまで迫られ、シャルル7世は窮地にたちます。すでにフランスの3分の1ほどが支配されています


ここで奇跡が起きます。ジャンヌ=ダルクの登場です。彼女は、包囲されたオルレアンを軍を率いて助けます
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なぜこれが奇跡かというと、彼女戦術も知らなければ、字も書けません。今でいえば、単なる女子高生です


ただ神のお告げを聞いたというだけです。詳しくは、ミラ・ジョボビッチの「ジャンヌ=ダルク」を見てください

私自身もオルレアンに行きましたが、今は単なる清潔な町です。パリから電車で1時間ぐらいでいけます


ド素人が活躍できた理由に、やはり当時神がどれだけ信じられていたかが理解できます。当然劣勢だったとはいえ、士気が頂点まであがったのは、想像に易いです

彼らには神の加護があるのですから…


財務長官ジャック=クールの財政立て直しなども奏功し、ついにイギリスはカレーを残して、すべてのフランス領を放棄します

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語呂です
いざ、炸裂(1339)の百年戦争、いーよ降参(1453)、ビザンツ帝国

ビザンツ帝国はまったく関係ありませんw

ただ、1453年はビザンツ帝国が滅亡し、百年戦争が終わった、1つの時代が終わりを告げたシンボルです


ドイツ・イタリア
なぜドイツとイタリアをセットにするかというと、ドイツ王が両シチリア王国の王を兼ねることがあったからです。そのためドイツの野心は、まとまった国のないイタリアの吸収です

この吸収を防ぐためにイタリア諸都市が担ぎあげたのが教皇です。もちろん皇帝派もいます。これをゲルフ(教皇党)・ギベリン(皇帝党)といいます


当時のドイツは、東方植民でブランデンブルク辺境伯領など、着実に領土を増やしていますが、領邦国家という諸侯の連合国のため、よほど有能でないと、ドイツを纏められません

まずそれができたのが、シュタウフェン朝フリードリヒ1世です。別名赤ヒゲです。ワンピースの世界ですw


この赤ヒゲと名付けたのは、イタリアの人だといわれています。日頃まとまりのないイタリア諸都市がミラノを中心にロンバルディア同盟を結成し、イタリアを守ります

一旦イタリア進行を諦めた彼は、第3回十字軍に参加しますが、途上で溺死します。第3回十字軍は、みんな仲良くすれば、相当強かったと思います


イギリスの獅子心王リチャード1世、ジョン王から土地を奪ったフィリップ2世、赤ヒゲ・フリードリヒ1世です


フリードリヒ1世の次が、特異な王、フリードリヒ2世(位1212~50)です。第5回十字軍で、話し合いでイェルサレムを回復した人ですね

フリードリヒ2世が亡くなって以後はドイツも両シチリア王国も混乱します


ドイツでは継承者のいない大空位時代(1256~73)が始まります。ドイツが領邦国家なので、あえて神聖ローマ皇帝という面倒くさいことをしません


語呂です
いつ頃(1256)始まる大空位時代、王様見ごろ(1356)の金印勅書


ルクセンブルク朝のカール4世がひとまずルールを作ります。有力7人による選定です。これを金印勅書(1356)といいます

7人は、マインツ・トリール・ケルンの司教とザクセン・ベーメン・ファルツ・ブランデンブルクの4大諸侯です


これ全部覚えておくと、有名大学でも戦えます

司教の話をすると、また腐ったキリスト教の話になりますwこれは、ドイツに布教活動目的で行って、地元で人気になり、そのまま土地管理まで行って人たちです


両シチリア王国では、教皇が暗躍して、皇帝よりのフランスのアンジュー家がシチリアの支配することに成功します。教皇にとって神聖ローマ皇帝かつ、両シチリア国王のフリードリヒ2世は悪夢です

彼は2回破門されているわけですから、関係も最悪です。どうにかローマ教皇領が挟み撃ちを受けない状況をつくりたかったわけです


しかし、シチリア国民は急にフランス人が統治を始めたので不満です。結果、1282年に「シチリアの晩鐘」というフランス人虐殺事件がおきます

シチリアにフランス人はいられなくなり、ナポリ王国の所有のみになり、両シチリア王国は分裂してなくなります。シチリアは、スペインのアラゴン家が統治することになりました


スペイン
イベリア半島では、聖地回復運動(レコンキスタ)が718~1492年まで続きます。1479年にスペイン王国ができるまで、イスラムには劣勢でした

スペイン王国は、有力国家だったアラゴンカスティリャが合併してできました。カスティリャは、日本のカステラの語源ですね


アラゴン王フェルナンド2世とカスティリャ女王イサベルの結婚で成立します。スペイン王国が、イスラム最後の王朝ナスル朝を追いだします


北欧
ここは1つだけ、デンマーク女王のマルグレーテカルマル同盟によって、デンマーク連合王国(1397~1523)を樹立しました

構成国は、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーです。これはヴァイキングをルーツに持っていますから、価値観を共有していました


今日は、以上です


次回は、中世文化史をいきます


十字軍の生まれた経緯に、農業の発展について触れましたが、農業の発展は都市の発展も生みます

本来農民は自給自足で、自分たちが食べられる分だけ作れれば満足し、残りをお金に換える余裕がありませんでした


しかし、農業の発展は余剰物資を産みます。その余剰物資を売りさばいて、利益をあげようと努力する商人がいるわけです

商人はまず、日本のフリーマーケットのように不定期に集まって商品を売ったりします。中には常設で商売を行い、そこが発展して町になります


日本でも、四日市とか五日市とか、決まった日に市場を開いた場所が町になっていますね


商売が発展すると、物々交換の時代は終わります。いちいち白菜と肉を交換とか面倒なので、貨幣の登場です
ヒト・モノ・カネが動くと、商売が繁栄します。また十字軍は、貨幣経済普及の原因になりました


十字軍は、ヒト・モノ・カネが大規模に動きますもんね


当時のヨーロッパが行った貿易で有名なのが、東方貿易(レヴァント貿易)北海・バルト海貿易です

東方貿易のメインは香辛料で、北海・バルト海貿易は海産物・穀物・木材・毛織物です


お金持ちの都市は、お金の力で政治力を持ち、自治権を獲得します。ドイツの帝国都市(自由都市)やイタリアのコムーネ(自治都市)が有名です

ドイツの諺では、「都市の空気は自由にする」があります。これは、農奴が都市で1年と1日過ごすと領主の支配を逃れ、市民になれることを意味します


イタリアの都市で有名なのは、ヴェネツィア・ジェノヴァ・ミラノです
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ヴェネツィアは、第4回十字軍を起こすほど裕福でしたね。そのライバルがジェノヴァですね。ヴェネツィアやジェノヴァは東方貿易で儲けます。ヴェネツィア出身のマルコ=ポーロがジェノヴァに捕まったのは、それが原因ですね

フィレンツェは、毛織物で儲けてます。ここから大富豪のメディチ家がでてきます


ミラノは、中継貿易で儲かります。想像すると理解できますが、イスラム圏やアジアの商品は、一旦イタリア諸都市に集積されて、その後ヨーロッパ各地に展開します。地理的な有利性がイタリアにはありました


神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世は、イタリアの裕福さに目をつけて干渉してきますが、ミラノを中心に都市間でロンバルディア同盟を結成して見事退けます


次に北海・バルト海貿易で儲かった都市です。リューベックハンブルクが有名です。リューベックを中心にハンザ同盟が結成されています
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毛織物で有名なフランドルをおさえていたのが、ブリュージュです。15世紀には中心地はアントウェルペン(アントワープ)にかわります。フランドルといえば、フランダースの犬ですね

古いアニメですが、当時視聴率が30%を超えていました。暇があったら、見てみてください。確かに名作です

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他は、定期市で栄えたシャンパーニュ地方、現在シャンパンの原産地ですね
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ドイツの鉱山業で儲かったアウグスブルクも覚えましょう。ここからは、大富豪フッガー家がでています。当時のを牛耳っていました

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都市内では組合が結成されます。これをギルドといいます
大きく分けて2つの組合があります。商人ギルド同職ギルド(ツンフト)です。商人ギルドのほうが権力を持ってました

まぁ、親方といわれるお金持ちが集まってつくったものですから当たり前です。このあたりの関係、大企業と中小企業の組合のイメージ持っててください


当時の権力関係は、親方>職人>徒弟になります。徒弟は、見習いぐらいの意味でよいです。同職ギルドも発言権が欲しかったので、ツンフト闘争なんかも起きてます

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この中世都市を見てもわかりますが、お金の力を背景に発言権を持つ人が変わってきています。かつて発言権のあった教皇っは、十字軍の失敗もあり、低下しています

それを決定的にしたのはアナーニ事件です。これはフランスのカペー朝の王、フィリップ4世(位1285~1314)が聖職者課税問題で揉めて、ボニファティウス8世をアナーニという町に閉じ込めた事件です

聖職者課税は、王の収入が増え、教皇の収入が減りますね。権力構造の変化が決定的になります。もちろん教皇は反対しましたが、しかしダメでした


フィリップ4世は、テンプル騎士団を潰して、お金をゲットしたことでも有名です。王権の強大化に尽力した人です

最終的にフィリップ4世は、教皇をローマでなく、南フランスのアヴィニョンに連れていきます。旅行でアヴィニョンに行きましたが、落ち着いた綺麗な町です
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これは教皇をフランスの支配下に置くことを意味します。この時移らされた教皇は、クレメンス5世です。これを「教皇のバビロン捕囚」(1309~1377)といいます。かつてユダヤ人が連れて行かれた故事に由来します


この後、ローマとアヴィニョンに2人の教皇がいる奇妙な状態ができます。これを教会大分裂(大シスマ)といいます。期間は1378~1417年です

これを終了させたのが神聖ローマ皇帝ジギスムント主催のコンスタンツ公会議です。ここでは、キリスト教の改革者フスが処刑されてもいます。フスはキリスト教の改革を訴えたいい人です

まさにキリスト教会の逆ギレで死んでます。なめた話ですね。もちろんフスの支援者は怒ります。彼の支援者は、ベーメンに多かったので、そこでフス戦争(1419~36)が発生します


このあたりからヨーロッパの国民も、じわじわ教会の腐りぶりに気づいてきます。しかし本当の改革は、16世紀のルターやカルヴァンまで待つ必要があります


最後の纏めて語呂いきます
瞳を見(1303)つめて、あれな~に?(アナーニ)

いざ悩(1378)む、教会大分裂

いよいよ(1414)始まるコンスタンツ公会議


次回は、封建社会の崩壊十字軍以後の主要国家について話します

それでは、十字軍について話します
キリスト教の人たちが、イスラムに戦いを挑んだ話です

まず、十字軍を可能にしたのは、経済的な面のおかげもあると思います

当時の土地経営は、領主農奴によって構成されています

農奴には、主に賦役貢納の義務がありました。賦役は、肉体労働のことです

初期の土地は、直営地保有地に分かれていました。この形態を古典荘園といいます

農奴は、直営地という領主が所有する土地で農産物を育てる義務があります。これが賦役ですね。もちろん、やる気がありませんw


なぜかというと、そこで生産したものは全部、領主のものになるからです
農奴が一生懸命働くのは、保有地のほうです


こっちは、自分たちの土地みたいなものですから、税金である貢納をしっかりすれば、余ったものは、農奴のものです


やはりモチベーションは、生産性の向上に欠かせません。私たちもイケメンやカワイイ子がいれば、学校・職場が楽しいです。好きな人の前では、イイトコ見せようと働きます


なので、直営地は廃止され、保有地のほうがメインになっていきます。これを地代(純粋)荘園といいます。フランスでは11~13世紀までには、地代(純粋)荘園に移行しました
古典荘園⇒地代(純粋)荘園の流れ、しっかり覚えましょうね


農奴というくらいですから、彼ら一般にわれわれがイメージする農民より、遥かに苦しい義務があります
死亡税結婚税、教会に収穫の10%である十分の一税なども納めなければいけませんでした


また領主裁判権にも従う必要がありました。自分の土地の所有者が、ルールのすべてを決めます
極端な話、領主が機嫌悪くて、たまたま側にいた農奴がぶん殴られても、領主が法律なので文句がいえません
ジャイアンと思ってください

領主は、自分の土地内であれば、たとえ上司の国王であっても文句を言わせません。これを不輸不入権といいます

中世の封建制は、このように成り立っていました

こういう話を聞くと、今の世の中に生まれてよかったなと思います


そのヨーロッパは、長く二圃制という、土地の半分を休ませて、半分を使うシステムを採用していました

素人的には、全部使えばいいじゃないかという感じですが、それだと土地が痩せて、使い物になりません

気持ちは全部使いたくても、使えないジレンマがあるわけですね

これが、10~11世紀に変化します。三圃制が生まれたのです
これは春耕地・秋耕地・休耕地に分けて、土地の三分の二を使うようにしたやり方です


12世紀には、鉄製農具や重量有輪犂も使用されています

生産性があがったのは、一目瞭然ですね


十字軍が始まるのは、1096年からです。十字軍は戦争です。戦争には莫大なお金が必要です。自分たちが旅行に行くだけでも、けっこうお金使いますよね?


人が万単位で動くわけですから、十字軍を始めるのには、かなりのお金が必要だったと思います
そのためこれらの農地開発の発展は、戦争を下支えしたのだと思います


今だったら、中国が経済繁栄をバックにぐりぐり攻めてきてるのと似ていますね


生産性が向上すると、人口が増えます。人口が増えると、今までの土地が狭くなります
新たな土地が必要になるわけですね


たとえばドイツ騎士団などは、12~14世紀に、今まであまり住んでいなかったエルベ川以東東方植民を行います
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土地を拡げる理由が、ヨーロッパにあるわけですね

そこに一報が入ります。セルジューク朝が小アジアを支配してしまいました。トルコ人で聞かれる王朝は、セルジューク朝とオスマン朝です

小アジアは、ビザンツ帝国の領土でした。ビザンツ帝国は自力でこれを防げなかったので、ローマ教皇に救援を求めます


ローマ教会とビザンツ帝国は、仲が悪いですが、兄弟ゲンカに似ています。ちょっと仲が悪くても、泥棒が家に入ってきたら、団結します

韓国もイチイチ文句を言ってきますが、北朝鮮が攻めてきたら、日本に寄ってくると思います
そんな状態でも日本を突っぱねたら、相当末期だと思いますw


というわけでクレルモン宗教会議(1095)が、ローマ教皇のウルバヌス2世によって開催されます
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これによって、聖地イェルサレム奪回を目的とした第1回十字軍がおこります。一般的に十字軍は、7回あるといわれてます


語呂です
十字組む(1096)十字軍、不慣れ(1270)で失礼、憎い(1291)アッコン


第1回十字軍は1096年、最後の第7回十字軍が1270年に実施されています
そして十字軍が、名実ともに失敗に終わるのが、1291年のアッコン陥落です

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第1回十字軍は成功します。彼らは、本気で聖地を奪回したいと思っていましたから、士気も高かったです
実際にイェルサレムを取り戻し、拠点を死守するため、イェルサレム王国(1099~1291)を建国します


これに猛然と反抗したのが、アイユーブ朝サラディンです。エジプトにあったファーティマ朝を倒してできた王朝ですね

彼はまず、1187年に再度イェルサレムを取り返します。またイギリス・フランス・ドイツ連合軍を迎え撃ちます

結局、連合軍側は途上でのドイツ皇帝フリードリヒ1世の事故死や、イギリスとフランスの仲違いなどで、サラディンと戦ったのは、イギリスのリチャード1世だけです。これを第3回十字軍(1189~1192)といいます


第4回十字軍(1202~1204)は、ちょっと今までと色合いが違います。もはや最初の頃の志なんかありません絶頂期の教皇インノケンティウス3世は、ビザンツ帝国に攻め込みます。これの背後には、ヴェネツィアがあったといわれてます


この時代は、まだ大航海時代とかは訪れていません。つまりヨーロッパ人が莫大な利益を得るためには、地中海を支配することが重要なわけです

地中海の商業支配にあたって、ビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープル(現・イスタンブル)は強烈なライバルです


そのため、十字軍を本来の目的を逸脱して、ビザンツ帝国に攻め入り、ラテン帝国(1204~1261)を樹立します。宗教とは名ばかりの腐った連中ですw


第5回十字軍(1228~1229)では、特異な王が現れます。それは神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世です。彼は話し合いで、イェルサレムをもらいます


これは当時、異常なことです。なぜかというと、異教徒は彼らにとって悪魔だからです
悪魔に対して何をしても良いという価値観が彼らにはあります。十字軍において、イスラム教徒は悪魔ですから、女・子供関係なく殺します。レイプもするし、人肉も食ったといいます。当時、それが当たり前でした

今の私たちから見ると、まさに鬼畜の所業です。ローマ教会が「十字軍は間違っていた」と謝ったのは、2000年です

何百年も、この行為を当然と思っていたわけです


そんな時代に、フリードリヒ2世は無益な殺し合いを意味がないと思っています
ある意味で織田信長に似ています。時代の先を行き過ぎた人なのです


このような彼の性格が生まれたのは、シチリアパレルモ出身という地理的影響が考えられます。これは、地中海のど真ん中にある島ですね。キリスト教とイスラム教が交差する地域でもあります

そのため、彼はアラビア語を含む7ヶ国語を話せたといわれます
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アラビア語は、いわば敵国の言語ですから、ヨーロッパの人には信じられません

しかし彼は、言語を通して、相手の文化も理解できているわけですから、悪魔見えないわけです。イスラムの人も同じ様に人を愛することを知っているのです。彼は人の話に影響されるのでなく、自分で考え、分析し、行動しました

彼には当時まだなかった価値観、ヒューマニズム(人間中心主義)があるわけです

ここは今の私たちも学ぶべきことだと思います。日本語だけでなく、他の言語を学ぶ必要があるわけです

自分で話し、相手と触れ合うことで、極端に加工された情報から抜け出せるかもしれません

一度も交流をもったことのない中国人や韓国人を憎むというのは、本来ありえないことです

もちろんこの言葉は、自国の愛国主義に囚われた中国人・韓国人にも言ってやりたいことですけどね

ヒューマニズムは、そのような国籍意識を越えた人間を尊重する概念です

これをフリードリヒ2世(在位1215~1250)が持っていることは、本当に凄いと思います

結局、当時の人に彼の先進性は理解されず、教会から2回も破門されてます

第6、7回十字軍は、フランスのルイ9世が主導し、エジプトやチュニジアのチュニスを攻めますが、失敗します

これが、十字軍の流れです


あとは十字軍結成にあたって発足した騎士団を3つ覚えましょう
それは、ヨハネ・テンプル・ドイツ騎士団です


ヨハネ騎士団は、第1回十字軍で生まれます。十字軍以後も存続し、1530年にはマルタ島をカール5世からもらったため、マルタ騎士団ともいいます

この騎士団は、1571年にスペインとオスマン帝国とのレパントの海戦にも参戦しています


テンプル騎士団は、第1回十字軍で奪回したイェルサレムを守るために1119年に設立しています

彼らの任務は尊いものですから、寄付によって莫大な収入がありました。それを狙ったのがフランスのフィリップ4世です。1312年に彼が金目当てで騎士団を潰してます

ゴシップ的な話をすると、この騎士団の残りがフリーメーソンを設立して、現在の世界を支配しているという話です


ドイツ騎士団は、第3回十字軍で設立されます。この時期、もう十字軍はうまくいっていませんので、彼らは聖地の運営などは諦めて、東方植民のほうに力が入っていきます


以上が、十字軍です


次回は、中世の都市衰退期のキリスト教を話しましょう

前回は、ローマ・カトリックについて話しましたが、今回はビザンツ帝国(395~1453)です。東ローマ帝国ともいいます。テオドシウス帝が分けた、東半分側の国です


都は、コンスタンティノープルです。五本山があるところでしたよね!?
ローマ・カトリック教会と、ヨーロッパのキリスト教世界のトップを争っていたギリシア正教会は、コンスタンティノープルにあります


つまりビザンツ帝国は、ギリシア正教会をサポートしています

コンスタンティノープルは、都の名前が変わる都です。最初はビザンティウムと呼ばれ、ギリシアの植民市でした

ローマ帝国時代にコンスタンティヌス帝によって、改称されてます。さらにビザンツ帝国滅亡後は、イスタンブルになります


したがって現在の地名はイスタンブルで、トルコ領になります


一番有名な王は、ユスティニアヌス(位527~565)です
彼のいる時は、ゲルマンがヨーロッパ世界に、ドンドン来てます。西ローマは、その影響であっけなく滅んでいますね(476)


ユスティニアヌスは、逆にゲルマン国家のヴァンダル王国(534)、東ゴート王国(555)を滅ぼしています

これで、地中海沿岸の地域は、ほぼ彼が制圧できました


またハギア=ソフィア聖堂コンスタンティノープルで建立し、中国から伝わった養蚕業を振興していました。こういった繋がりが、シルクロードという言葉を生んでいますね
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だいたい優秀な王は法律を整備しますが、彼もトリボニアヌスに頼んで「ローマ法大全」を作りました


ヘラクレイオス1世(位610~642)は、軍管区制(テマ制)を始めました
これは国をエリア分けして、軍事行政権を与えるシステムです。今の日本を眺めばわかりますが、普通軍事権は与えません

しかし、それをせざるを得なかったのは、それだけ外敵の脅威にさらされ、即断即決が求められていたのだと思います


レオン3世は、ローマ教皇と聖像崇拝で揉めます。レオン3世は、否定派です
日本人は宗教音痴なので、なんでココで揉めるか分からないでしょう


彼らの意見では、神は人間の理解を越えた存在です。不完全な人間が神を想像して作っても、そこに完全な神の姿はなく、嘘があるから止めろということです


レオン3世は、726年聖像禁止令をだします
結果ローマ・カトリックとギリシア正教の違いに聖像崇拝があります


あと1つ言って置きたいですが、ビザンツ帝国の皇帝が宗教に口出ししているのは、皇帝教皇主義を採用しているからです

カトリックは、教皇権を持っているだけで、皇帝ではありません。ここにも違いがありますね


語呂です
何!?ム(726)カつくレオン3世


ただ私的には理解できませんが、ギリシア正教はイコン(聖画)の使用を認めます
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イコンというのはキリストの絵画ですね。だいたいマリアと子供のイエスが描かれてたりします


なんかフィギュアはダメだけど、ポスターはいいみたいに聞こえて不思議です
彼らの理屈は、「絵画を崇拝しているのでなく、絵画を見て神に思いを馳せているから、問題ない」というものです


どう考えても、だったら聖像崇拝も同じ理屈でよいだろうと思ってしまいますw


ちなみに一番厳しく偶像崇拝を捉えているのは、イスラム教です
あくまでアッラーの崇拝を求めているので、ムハンマドの神格化禁じています。そのため、ムハンマドの顔を描くことなどは禁じられています


ここ注目しておくと、ヨーロッパのニュースでムハンマドの風刺画を書いて、イスラムから文句をいわれるとか、散発的にでてきます


聖像禁止令のおかげで、東西教会の分裂は決定的になります。1054年には、お互いに破門しあって、袂を分かちます。これを教会の東西分裂といいます

ちょうどこの11世紀には、アレクシオス1世プロノイア制を始めます

戦国時代の日本に似てますが、土地を与えて、その代りに軍役をしてもらシステムです
こういうのは、封建制ともいいますね


封建制というのは、与えた土地に対して皇帝が文句が言えません。つまり皇帝権が弱まっています
つまり、このあたりから下り坂ですね


まず第4回十字軍(1202~04)で、仲の悪いカトリックから攻撃を受けて、一時ラテン帝国を築かれています。ここは、なんとか取り返しますが、次にはイスラム勢力のオスマン帝国がやってきます


そのため1453年に滅びました。とはいえ、1000年続いたわけですから、凄い国だなと思います

語呂です
いーよ降参(1453)ビザンツ帝国


このビザンツ帝国でうまれた建築様式も話しましょう。それをビザンツ式といいます

一番有名なのは、ハギア=ソフィア聖堂です

他に有名な寺院は、ラヴェンナサン=ヴィターレ聖堂ヴェネツィアサン=マルコ聖堂があります


東西教会の分裂は、ヨーロッパ文化を東西に分けたと思います
したがって今のヨーロッパは、東西で文化の色が違います


東ヨーロッパを形成する国を話しましょう

まずはアジア系マジャール人は、ハンガリー王国を建ててます
ヨーロッパにアジア系はいないと皆さん考えるので、ここは聞かれます


ブルガリアの起源であるブルガール人アジア系ですが、スラヴ人との同化が進みます
そのためマジャール人のほうが、9:1ぐらいの比率で出題頻度が高いです


あとはスラヴ人の国ですね。スラヴ人は、西・東・南に分かれます。北はないです

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西スラヴ
ポーランド人は、ここに入ります。ポーランド史上唯一の大王、カジミェシュ3世を覚えましょう
史上唯一とかは、ホントに聞かれるパターンです。注目してくださいね


彼はクラクフ大学を設立しています。この大学は、中世大学史で聞かれます
ポーランドの最盛期はヤゲウォ朝(1386~1572)です


あとはチェック人を覚えてくいださい。プラハにベーメン王国を作ってます
後のチェコになります


南スラヴ
セルビア人・クロアティア人・スロヴェニア人が所属します

彼らは20世紀にユーゴスラヴィアという同じ国にいましたが、民族問題がこじれて各自独立します

このあたりの苦しみは、サッカーの日本代表監督だったオシムさんがよく知っています

自分たちの代表に、日本・中国・韓国で同じチームを作ったら、どんな悲劇があるか想像できると思いますw


中世のセルビア人は、オスマン帝国の支配下に置かれています。
クロアティア人やスロヴェニア人はフランク王国の支配下に置かれます

クロアティア人とスロヴェニア人は、フランク王国の影響で東ヨーロッパでは珍しくカトリックです


東スラヴ
ロシア人
だけ覚えておけばいいです。キエフ公国の話はもうしましたね
ウラディミル1世(位980頃~1015)は、ビザンツ帝国に妹が嫁いだ影響で、ギリシア正教会の影響を受けます

王国はモンゴルによって滅ぼされましたが、ギリシア正教会はロシアの伝統になります

「タタールのくびき」といわれるモンゴルの厳しい支配から独立した国は、モスクワ大公国です

イヴァン3世(位1462~1505)が、1480年に独立に成功します

この頃、ビザンツ帝国が影も形もないため、ギリシア正教会もイスラムに潰されます
後継者になったのが、ロシアです。モスクワにロシア正教会を設立します


イヴァン3世は、ビザンツ帝国の後継国であるという自負があるため、ツァーリ(皇帝)を名乗ります

正式にツァーリの称号を使ったのは、イヴァン4世です。彼の統治は、厳しさをともなったため、彼は雷帝といわれています


次回は、イスラム勢力への反撃作戦、十字軍を説明します

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