世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: 朝鮮史

日本を世界史で語りましょう

日本が歴史上、もっとも成功した事例は明治維新(1868)だと思います。ちなみに、明治・大正・昭和・平成の始まりを語呂で提供します

ぃヨーロッパ(1868)行く日に(1912)行く風呂(1926)急迫(1989)事態は平静(平成)に

ペリーさんが、日本に来たのが1853年です。1954年には、下田・函館の2港が日米和親条約で開港しています。ちなみに1853年は、クリミア戦争の年でしたね

■講義 part72 -ロシアの改革と東方問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7210555.html
※クリミア戦争

-ペリー-
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ペリー自体が、世界史で聞かれることはマズないでしょう。ちょっと聞かれてる問題あったら、教えてほしいです。その際は訂正します

1858年には、日米修好通商条約を結びます。長崎などが、これで開港されます。ここまではなどの植民地化された国家と同じ流れです

世界史受験でも、日米和親条約・日米修好通商条約は覚えておいてください

ここから明治維新までの10年間が、怒涛の幕末です。よくNHKの大河などでテーマになる時代ですね

まずは15世紀以後、中山王尚氏の一族が、琉球を統治していました。極めて弱小国家だったので、清にも日本にも服属しているふりをして、独立を維持していました

日本側では、島津藩に琉球は服属しています。中国との、どっちつかず状態のため、中国側に流れるのを避けるため、急速に吸収していきます

1879年には、沖縄に改名し、日本側に引き込みました。この流れが、沖縄が日本というものに今も抱く反感になっています

また、このどっちつかずの状態が、「俺に沖縄を支配する権利がある」という中国の根拠にもなっています。さらに、この話が尖閣問題とリンクしていき、現在の状況をうんでいます

■ニュース -中国政府の防空識別圏設定について-
http://world-history.blog.jp/archives/1457425.html

南においては、台湾を制圧します(1874)。また北においてはロシアと、千島・樺太交換条約(1875)を結びます。この延長線上には、いまだ抱えている北方領土の問題があります

次に西に向かいます。江華島事件(1875)において、朝鮮との間に日朝修好条規(1876)を結びました。これで釜山・元山・仁川の港が開港します

語呂です
い花こーたる(1875)、江華島事件

ちょっと逆さまの地図を見てください。軍事の観点から、どうしても日本は、朝鮮を抑えておきたい場所でした。そこをロシアなどの欧米列強に占領されれば、次に攻め込まれるのは日本です

1891年には、ロシアはシベリア鉄道建設を開始しています。それが完成すれば、広大なロシアの東西がつながります。これに日本は、危機感を抱いているわけです

朝鮮半島は、日本に攻め込む拠点として、絶好の地形でした。日本陸軍の近代化に貢献したドイツ人メッケルの言葉を借りれば、「半島は、日本の脇腹に突きつけられた短刀である」と言っています

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しかし、ココに手を入れることは、古くから影響力を発揮する中国との対決を意味します。まずは、側の支持する大院君日本が支持する閔氏一族で朝鮮の主導権争いがおきます

大院君(清) × 閔氏一族(日本)

ここから複雑ですが、整理して話します。まず大院君は、現政権を執政する高宗であり、閔妃は、高宗の奥さんです。これの親戚が、閔氏一族です。つまり家族内で揉めているわけです。当時は閔氏が政治を動かしていました

大院君は、閔氏を打倒するため、壬午軍乱(1882)をおこします。これを閔氏一族は単独で鎮圧できません。清の力を借りて、やっと抑えました。日本は朝鮮に大規模軍隊を駐留してませんでしたから、ここで活躍できません

閔氏は政権を維持するため、清の力を借りました

大院君も、清の影響下にありましたが、軍を送られるとは思わず、クーデタは失敗します。また閔氏一族は、日本に服属関係を変更します

ここで起きている争いは、外国影響力を利用した王座の取り合いと考えてください。だから、裏切り、裏切られを繰り返します。これが受験生を混乱させています

日本は、新たに朝鮮の近代的独立を夢見る金玉均を支持します。かれの勢力を開化派(独立党)といいます。閔氏一族は、事大党という一派を率いています

事大党(清) × 開化派(日本)

開化派は、清の一時的勢力後退のタイミングをついて、政権奪取を目指します。そのタイミングは、清仏戦争(1884)でした

■講義 part81 -東南アジアの植民地化-
http://world-history.blog.jp/archives/8865523.html
※清仏戦争情報

本来、戦争はあっちこっちで、できるものでありません。ベトナムに集中している状態を狙いました。それが、甲申政変(1884)でした

しかし、清軍も迅速に軍を派遣して、これを鎮圧しました。金玉均は、朝鮮にいられなくなり、亡命、後に暗殺されています

朝鮮半島で、清×日本の争いが、バチバチ起きてますそのため、天津条約(1885)によって、お互いの軍の撤退を取り決めます

清の全権は、李鴻章。日本全権は、伊藤博文でした

-伊藤博文-
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こんなに朝鮮半島で好き勝手、他国にやられてますから、朝鮮の人は不安です不安な人の拠り所は、だいたい宗教になります

儒・仏・道の3宗教の影響を受けた東学というものが生まれ、人気がでます。これは、西洋の宗教を意味する西学への拒絶感でもあります。創設者は、崔済愚です

この信者を軸に、ついに暴動が起きます。それが1894年の甲午農民戦争(東学党の乱)です。指導者は、全捧準です

皮肉なことに、これが清軍・日本軍ともに軍隊を派遣する口実になります。日清戦争(1894)の開戦です。そして日本は、これに勝利します

1895年には下関条約が結ばれました。ふたたび清の全権は、李鴻章。日本全権は、伊藤博文です

■下関条約
・朝鮮の独立 
※今までのような清の干渉は、これで不可です
・遼東半島の獲得
・台湾の獲得
・澎湖諸島の獲得


遼東半島は、ロシア・フランス・ドイツ三国干渉によって、後に清に返還することになります。日本のロシアに対する懸念が、完全に証明されたわけです

ロシアが、次の日本のターゲットになります

日清戦争の年号ですが、ココから10年おきに、凄い重要な戦争が連続しておきます。私は10年おきシリーズとして覚えています

日清戦争(1894)⇒日露戦争(1904)⇒第一次世界大戦(1914)

さて、最後に何故、日本は清に勝てたのかを解説します。そもそも近代化の時期も一緒であれば、大国中国は負けるはずがないはずでした

これは、中国は洋務運動によって外側だけを変え、日本は明治維新によってすべてを変えたことに違いがあります

日本の持つ強みは、オセロゲームのように白黒をすぐ変えられる所です。まぁ、これは弱みでもあります今の日本人を見ればわかると思いますが、まず自分の意見がありません

大学生は、就職を前に、自己分析を求められ、だいたい絶句しますw

日本は、世界のトップを走っているイギリス・ドイツ等を見て、立憲君主制の道を探します。議会を利用した合理的意志決定機関の創設です

この決断が、英断だったと思います。だいたい遅れている国は、王政のままです。王は自分が間違うとは考えず、また王が間違っていると部下が考えても、殺されたくないので、部下は真実を言いません…

「中体西洋」で、外面だけ取り繕っても無意味なことは、属国と思っていた日本に負けた清が、一番理解していると思います

■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※洋務運動情報

江戸時代の幕藩体制では、どこにも勝てなかったはずです。幕藩体制は連合国家みたいなものですから、九州をイギリスが支援、北海道をロシアが支援とかしている間に、国は領土を奪われていたと思います

そこに今までまったくフューチャーされていない天皇陛下をシンボルにし、無理矢理、立憲君主制のようにしたのが、明治維新です

天皇陛下は、歴史上、長く、国民にとって認知度のない存在でした。それは宮崎駿さんの「もののけ姫」を見てもらえばわかります

ジコ坊が エボシに対して「これは天朝様の勅令である」と威張ってますが、エボシは自分の村の者に、その手紙を見せますが、村人は「?」です

これは、天朝=天皇陛下の認知度をよくあらわしたエピソードだと思います

次回、帝国主義いきます

朝鮮を植民地化直前まで話したいと思います
朝鮮の歴史は、中国の王朝とセットで聞かれるので、中国を意識して勉強してください

最初に聞かれるのは衛氏朝鮮(前190頃~前108)です。箕子朝鮮を倒して建国したといわれています。前漢の武帝に倒されて、最終的に朝鮮4郡として、楽浪郡などを置かれています

このような中で現れたのが、ツングース系貊族が、高句麗(前1世紀頃~668)です。313年に楽浪郡を滅ぼして、朝鮮北部を支配しました

都は丸都で、最盛期の王は、広開土王(391~412)です。広開土王碑で、このあたりの歴史を理解できます
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-参照・wikipedia-

南部では韓族による三国時代が成立します。これは。馬韓・弁韓・辰韓によって構成されています。やがてこれが国家になっていき、名前が変わります

馬韓⇒百済(4世紀半ば~660)
弁韓⇒任那(4世紀後半~562)
辰韓⇒新羅(4世紀半ば~935)

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この中で有力になったのが、新羅です。都は、慶州(旧名・金城)です。新羅は、唐と同盟を結び、百済と高句麗を破ります

破れた高句麗の残党とツングース系の靺鞨族は、渤海と(698~926)という国を建国します。建国者は大祚栄といい、都は上京竜泉府といいます

この国は、遼の耶律阿保機に滅ぼされています

■講義 part24 -五代十国・宋代の北方諸民族-
http://world-history.blog.jp/archives/1745093.html

日本は、百済を支援していたため、軍を派遣しますが、それも負けています。それを白村江の戦い(663)といいます

語呂です
む、む、散(663)の白村江の戦い

新羅は、骨品制という身分制度を設置して、仏教を信仰しています。仏国寺は特に有名で、テストで聞かれます

この新羅衰退以後にでてくるのが、高麗(918~1392)です。北宋が始まるちょっと前に建国していますね。創始者は王建で、都は開城です。ソウルのちょい上にあります。今は北朝鮮の領土ですね。ニュースでは、今ココを経済特区にするかの話がよくでます

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新羅に代わって朝鮮半島を統治していたのが高麗です。彼らは官僚階級を武班と文班に分ける両班という制度を使っています。ここ新羅の骨品制と入れ替える正誤問題が多発です注意してください

高麗はモンゴルに服属し、元寇の時の軍人は高麗兵が多かったといいます。よく日本が神風で勝ったといいますが、高麗兵のやる気がなかったと思いますw

上司に言われて「アイツ殴ってこい」ってなっても、やっぱモチベーション低いですよね。モンゴルの弱点は海ですから、高麗に頼らざるを得ない所があります。そういう意味で日本は助かってます

地理的要因は、やっぱり大きいですね

朝鮮からしたら四方八方、敵だらけですからね。対して日本は海に囲まれてますから、得する部分は多いです

高麗は、文化史系がよく聞かれます。高麗も仏教を信仰しています。なので、高麗版大蔵経という仏典がこの時できました。また高麗青磁という磁器も有名です。朝鮮史では、このあたりよく聞かれます

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-参照・wikipedia-

あとこの国では、世界最古金属活字が使われていたといわれます。世界最古とか世界史の出題者が好きなワードなので、必ず覚えてください

次の王朝は、朝鮮王朝(1392~1910)です。李氏朝鮮ともいいます。建国者は李成桂で、都は、漢城です。現在のソウルですね

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朝鮮王朝は、中国の影響を受けています。日本と同じですね。そのため朱子学を採用し、江戸時代も朱子学を採用しています。また科挙を実施しています。合格してなれるのが、両班ですね

3代太宗の時代には、世界で初めて、銅活字が使用されています

4代世宗(位1418~50)は、現在も使われている訓民正音(ハングル)を制定します。賢君として名高いことから、10000ウォン紙幣になっています

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7代世祖では、法律が整備され、王に命令によって「経国大典」が作られました

そんな朝鮮王朝は、日本から、だいぶ被害を受けます。豊臣秀吉がやってきます

日本では文禄・慶長の役といいますが、朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱といいます。2つとも覚えておいてください

文禄の役が1592~93年、慶長の役が1597~98年です。これを迎え撃ったのが亀甲船を考案した李舜臣です。2013年のサッカーの東アジアカップでは、彼と安重根の幕が掲げられてます。行為の正当性は置いといて、彼が韓国で英雄視されているのは理解できますね

■ニュース
-安重根と李舜臣、会場に巨大な幕 サッカー東アジア杯-
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307280325.html

この戦争は、秀吉が死んだことで中止になります。朝鮮王朝の援軍に来ていたも財政的にダメージを受け、これが原因の1つとなり、やがて滅亡(1644)します

徳川家康は、国内の整備に精一杯で、とても海外遠征など考えられませんでした

最後に語呂いきます
悔いは(918)ない高麗、新羅久美子(935)を滅ぼし、いざ国(1392)作る朝鮮王朝、苦闘(1910)の朝鮮併合

これで朝鮮史で覚える年号は、ほぼ網羅できていると思います。高麗の建国、新羅滅亡、朝鮮王朝の建国・滅亡の年号です

以上です

次回、大航海時代に入ります。ココからヨーロッパ史長いです

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