世界史サロン

元教師がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: 近世ヨーロッパ

すでにルイ14世についてはふれてますが、彼のした対外政策について話したいと思います

■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html

-ルイ14世-
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彼がフランスの絶対主義の最盛期でしたね。絶対主義の王様の流行は、王権神授説です。「神が王になれと言っている。だから、なんでもやっていい」という考えです

そのため彼は、自分を「朕は国家なり」と言ってます。相当な自信がないと言えないセリフです。彼が作らせたバロック式の傑作、ヴェルサイユ宮殿を見ても、彼の自信がわかります

2回行ったことありますが、とにかくデカイ場所ですパリ近郊にあります

-ヴェルサイユ宮殿-
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彼は財布係のコルベールの力を借り、国力の拡大をはかります。彼は王立マニュファクチュアを設立し、輸出向けの毛織物を製造しました

また東インド会社を強化させました。ちょっと頭の悪いこともしてます。ナントの勅令廃止(1685)です

語呂です
異論は来(1685)ないナントの勅令廃止

ナントの勅令(1598)は、ユグノーの存在を認めたものでしたね。ルイ14世はカトリックなので、これを否定します。ユグノーはフランスにいられなくなり、海外に行ってしまいます。プロテスタントは商売がうまかったので、徐々にフランスの力が衰える原因になります

この結末が、フランス革命(1789)になるわけです

「朕は国家なり」と言っている人ですから、戦争を一杯します。国家が拡大すると、ルイ14世のプライドも拡大するのでしょう

最初は、南ネーデルラント継承戦争(1667~68)です。この地域は、現在のベルギーですね。当時はスペイン領でした。ベルギーの次はオランダに来るだろうということで、オランダはスペイン側にたちます

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アーヘン和約によって、フランスは多少の領土を得ますが、ルイ14世はもっと領土がほしがります。邪魔したオランダに逆ギレで、戦争を仕掛けます。それがオランダ侵略戦争(1672~78)です

この戦争はナイメーヘン和約によって終結しますが、結局たいした領土をゲットできません

次がファルツ継承戦争(1688~97)です。神聖ローマの有力諸侯の領土に目をつけたわけです。ブルボン朝のライバル、ハプスブルク家の勢力を削げますからね

しかし、神聖ローマ・スペイン・イギリス・オランダと有力な国のほとんどがフランスに対抗します。ライスワイク条約を結びましたが、フランスはまたも成果をあげられませんでした

ルイ14世は最後にデカい戦を仕掛けます。それがスペイン継承戦争(1701~13)です。スペインのハプスブルク家断絶の隙をついて、ルイ14世は孫のフェリペ5世を即位させます。これ以後、スペインはブルボン家になります(1700~1931)

語呂です
いーな、おい(1701)!いーさ(13)、スペイン継承戦争

スペインのブルボン化に成功し、味を占めたフランスは、植民地の拡大にも乗り出します。いつものようにフランスは、ほとんどの国を敵にまわしますw勝てるわけないですね

ユトレヒト条約(1713)によって、フランスの拡大はだいぶ抑えられました。以下の内容は覚えましょう

■ユトレヒト条約
1.スペインとフランスの併合禁止
2.ジブラルタル・ミノルカ島は、スペイン⇒イギリス領
3.ハドソン湾地方・ニューファンドランド・アカディアもフランス⇒イギリス領


-ジブラルタル・ミノルカ島-
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-ハドソン湾地方・ニューファンドランド・アカディア-
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ルイ14世は、めちゃくちゃ在位期間が長いです。1643~1715年の72年間を王様しています。当時の王政は、王様が亡くなるたびに、継承で揉めます

長く君臨することは、国家の安定に貢献するわけですね。しかし、戦争し過ぎです最盛期の王は彼で間違いないですが、フランスを苦しめた人ともいえるでしょう

次回は、啓蒙専制君主の話をします

TOEICの勉強で、更新遅れました。すいません

本日は、三十年戦争(1618~1648)について説明します。本当に30年戦争してます。
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-wikipedia-

この戦争のキッカケは、宗教です

かつて宗教改革を学習したと思いますが、そこで生まれた和議の矛盾が、この戦争を引き起こします
それは、アウグスブルクの宗教和議(1555)です

■講義 part47 -宗教改革(ドイツ)-
http://world-history.blog.jp/archives/2788235.html

この和議によってルター派が認められましたが、あくまで諸侯に選択権があるだけで、個人に選択権がない所に特徴があります

これが時限爆弾のようになります

例えば東京都知事に選択権があり、「私はイスラム教なので、明日から都民はイスラム教です」といわれたら、私たちは絶句すると思います

これと同じことが、神聖ローマ帝国内のベーメンで起きました。ここは、フス(1370頃~1415)という宗教改革者がいたことからも理解できるように、新教徒の地域です

■講義 part36 -中世都市とキリスト教会の衰退-
http://world-history.blog.jp/archives/2370887.html

ここに、後の神聖ローマ皇帝になるフェルディナント2世が着任します。彼は旧教徒です。今までの伝統にのっとれば、たとえ王が宗教が違っても、市民が新教徒ですから、争いを避け、彼らを許容していましたが、彼は妥協しません市民を弾圧します。ちなみに彼は、ハプスブルク家です

結果起きたのが、ベーメン反乱(1618)です

新教側にファルツ王がついたことから、ベーメン・ファルツ戦争(1618~23)といいます。これは、三十年戦争をさらに細分化した言い方です

この戦争は、神聖ローマ皇帝が鎮圧しますが、新教側の援軍としてデンマーク王クリスチャン4世が参戦します。これがデンマーク戦争(1625~29)です。デンマークにはイギリス・オランダも援助しています

この援助は、未だ強大な力を持つスペインのハプスブルク家に対する牽制の意味があったと思います。神聖ローマもハプスブルク家ですから、ヨーロッパに巨大勢力があるわけです

この戦争も、傭兵隊長ヴァレンシュタインの活躍で、新教側が負けます

次に喧嘩を売ったのが、スウェーデン王グスタフ=アドルフです。これをスウェーデン戦争(1630~35)といいます

開戦理由が、ドイツ国内の新教徒保護です。今後こういう言い回しは、よく聞くと思います。戦争を仕掛ける時の典型的な理屈です

最近ではウクライナ問題で、プーチンが使ってますね

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■プーチン・ロシア大統領、ウクライナに「宣戦布告」

「ウクライナ東部とクリミア半島で一段と暴力が広がった場合には、ロシアは国益とそれら地域のロシア系住民を保護する権利を有している」

http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304085204579415913940293416.html

引用元 -ウォール・ストリート・ジャーナル-
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経過ですが、グスタフ=アドルフは、この戦争で戦死します

また再度撃退したヴァレンシュタインも、あまりに功績があったため、クーデターの恐れを懸念して暗殺されます

次に参戦したのが、フランスです。この国旧教なんですが、新教側で参戦します。フランス・スウェーデン戦争(1635~48)といいます

ルイ13世が、この戦争を始めて、ルイ14世が終わらせてます。この頃になると、もう宗教関係ないですね。名門のブルボン家 vs ハプスブルク家 の構図です

戦争は、フランスの優勢で進みます

長い戦争のおかげで、神聖ローマ帝国はグチャグチャです死者も多数でます。下の写真は、三十年戦争の凄惨さを表現したものです

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この当時、主権国家というものが確立され始める時代ですが、この戦争の反省から国家間同士の約束事ができるようになってきました

これ、どういう事かというと、われわれが誰かを殴れば、警察に捕まりますよね?でも、国家が悪さをした場合、それを取り締まる者がいないわけですね

国家の外には、無法地帯があるわけです。その危険性を軽減させるために、国家間同士で約束事を決めるわけです。それが条約です

この時結んだ条約が、ウェストファリア条約(1648)です。試験で聞かれる部分をおさえましょう

1.スイス・オランダの独立
2.カルヴァン派の公認
3.フランスのアルザス地方の獲得
4.スウェーデンの西ポンメルン獲得
5.ドイツの領邦国家に主権を認める


まぁ、全部覚えておいて、損はないです。アルザスの場所は、ココになります

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これ以後フランスとドイツで、この地域の取り合いが続きます。今は和平の象徴として、EUの欧州議会がアルザス地方に置かれています

神聖ローマ帝国の小さい国家に主権を認めるということは、事実上の神聖ローマ帝国の解体です。今回の取り決めによって、国家への内政干渉禁止されました

これを認めると、あっという間に戦争になるからです

ということで神聖ローマ皇帝がいたとしても、もはや自国内にある国家群に、あれやこれや言えなくなるわけです。ウェストファリア条約は、「神聖ローマ帝国の死亡証明書」といわれています

またブルボン家の勝利ともいえるでしょう

この時生まれた国家間のルールは、現在でも通用するものです。そのため、ロシアのクリミア半島への進軍に対して、他国は内政不干渉を訴えるわけですね

この条約によって作られた国際秩序をウェストファリア体制ともいいます。この条約のルールで、ヨーロッパはやっていきますということです

このような体制の更新は、デカイ戦争でもないと起きません

現在の秩序は、日本が主権を回復したサンフランシスコ体制(1951)に基づいています。これに異議申し立てをしているように見える靖国参拝などがあると、アメリカが不信感をもつわけです

この第二次世界大戦で構築された体制は老朽化しているのですが、戦争でも起きない限り、変えることは難しいと思います

なぜなら、その体制で旨い汁を吸える既得権益が存在するからです
ココ、本当に難しい問題だと思います

次回は、イギリス革命いきたいと思います

なんとか帰国しました~
ということで、中断していた講義を再開します

イギリス
イギリスのおさらいから行きます

アングロ=サクソン⇒ノルマン朝⇒プランタジネット朝⇒テューダー朝⇒ステュアート朝⇒ハノーヴァー朝(ウィンザー朝)

世界史をやるにあたって、まず王朝の暗記から入るんでしたね
今日はテューダー朝(1485~1603)を勉強しましょう。大航海時代に活躍した王朝は、テューダー朝です

創始者は、ヘンリ7世(位1485~1509)です。イギリス絶対王政を確立させたのは、ヘンリ8世(位1509~47)です

彼は、離婚するためにイギリス国教会を設立してましたね。まぁ、本音はローマ教会の干渉防止ですね

■講義 part48 -宗教改革(スイス・イギリス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2790352.html

絶対王政は、国王に権力が集中する状態です。だから教皇や貴族の影響力を削いでいくわけですね

-ヘンリ8世-
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ヘンリ8世のいた時期は、第一次囲い込み(エンクロージャー)も盛んになります。これは毛織物産業を奨励するために、農地を牧羊地に変える動きです

この時代のドル箱の商品ですね。この時代は、衣類を皆いっぱい持ってるわけでないですから、作ればめちゃくちゃ売れるわけです

農作物より、利益があるわけですね

2013年のフォーブスによれば、日本一の金持ちは、ユニクロの柳井さんです
今でも衣類は、売れ筋商品なわけですね

■フォーブス日本の富豪50人(2013年) - 長者番付・億万長者ランキング
http://memorva.jp/ranking/forbes/forbes_japan_richest_50_2013.php

ただ農地を奪われた人も、たまったもんじゃないです。社会保障なんかある時代じゃないですからね。そこでトマス=モアという人が「羊が人間を食う」と言って批判します

彼は、ヘンリ8世の離婚にも反対したため、「うるせぇ!!」っていうことで死刑になります

この後、エドワード6世⇒メアリ1世⇒エリザベス1世と続きますが、ヘンリ8世の子供たちは全員母親が違います

マニアックな大学は、メアリ1世の親のガザリン、エリザベス1世の親のアン=ブーリンを聞いてきます。余力があれば、覚えてください

メアリ1世は、復古主義でカトリックに戻し、スペインのフェリペ2世と結婚して、プロテスタントを弾圧しますそのため、彼女はブラッディ・メアリー(血塗られたメアリ)といって嫌悪されます

もう、この時期の国民は、プロテスタントのほうがいいと思ってます。スペインとの婚姻関係によって無駄な戦争にも巻き込まれたことから、次のエリザベス1世(位1558~1603)は、結婚に慎重です

-エリザベス1世-
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フェリペ2世は、エリザベスにも結婚を迫りますが、これを拒絶しています。彼女には、自国を自立させ、発展させる使命を感じていたと思います

エリザベス1世の凄かった所は、当時ナンバー1のスペインに対抗するために、海賊を利用したことです。有名な海賊は、ドレークホーキンズです

特にドレークは、マゼランの次に世界一周を成し遂げ、スペインとのアルマダ戦争(1588)では、副司令官を務めています

エリザベスは、海賊たちに私掠特許状というの与え、私拿捕船を認めました。これはイギリスの船以外だったら襲っていいよという鬼畜の許可ですw

結果、一番金を持っているスペインがやられます

ワンピースを読んだ人ならイメージできると思いますが、「七武海」の元ネタは、明らかにココですね

スペインも海賊の荒らしに黙ってるわけにはいかないので、無敵艦隊を派遣します。これがアルマダ戦争(1588)です。イギリス版神風とか、スペインの司令官が素人のバカとか、イギリスの船が小回りが利いて強いとか、さまざまな理由がありますが、とにかくイギリス勝ちます

やっぱり海をもっとも知る海賊が司令官っていうのは、強みだったと思います

イギリスが頭いいなと思うのが、1600年東インド会社を設立したことです。ここに植民地経営を委任させます。貿易独占権を与えるわけですね

今風にいったら子会社です。親会社の下に自分で自由にできる違う組織があるわけです。まだ世界の全容も解明できてない時代ですから、現場の判断にまかせる方針は良かったと思います

このようにして社会も潤ってきてますから、弱者救済の余力もあります。そこで制定されたのが、救貧法(1601)です。この法律は、囲い込みで職を失った人へ労働を斡旋したりする法律でした

エリザベス1世は、結婚しないまま亡くなっていますから、彼女でテューダー朝は終わりです。しかし彼女の治世によって、イギリスは一気に世界トップに近い所まで上がっていきました

フランス
ヴァロワ朝(1328~1589)末期から話します。この王朝の末期は、宗教改革の影響を受けてます。ユグノー戦争(1562~1598)が起きてます。ユグノーは、フランスのカルヴァン派でしたね

■講義 part48 -宗教改革(スイス・イギリス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2790352.html

語呂です
イチコロに(1562)にやられたユグノー戦争

ヴァロワ朝末期は、新教と旧教に分かれて内戦状態でした。特にメディチ家出身のカトリーヌは、王が若かったので、権力を握り、旧教側にたって、虐殺事件を起こしています

当時の王であるシャルル9世(1560~72)の妹と新教派の王アンリの結婚式で、この事件は起きます。新教派の結婚式参加者を虐殺します。これがサン=バルテルミの虐殺(1572)です
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語呂です
こんなに(1572)殺したサン=バルテルミの虐殺

こんな混乱期を治めたのが、サン=バルテルミの虐殺で結婚式をグチャグチャにされたアンリ4世です。ッヴァロワ朝が断絶したため、彼がブルボン朝(1589~1792)を創始してフランスを導きます

彼は新教でしたが、旧教側のカトリックに改宗します。またナントの勅令(1598)を発布して、新教徒に宗教の自由を与えました

つまり、両方に気を使った采配ですね

また1604年東インド会社を設立しています

語呂です
以後苦は(1598)ない、ナントの勅令

次のルイ13世(位1610~43)は、宰相リシュリューに支えられて、フランスの絶対王政を確立していきます。絶対王政は、王様に権力を集中する体制ですから、三部会を停止(1615)させます

ちなみに三部会を始めたのは、カペー朝のフィリップ4世でしたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

ルイ13世の次が、ルイ14世(位1643~1715)です。彼がフランス絶対王政の最盛期です

-ルイ14世-
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写真を見ればわかりますが、彼は身長が160センチぐらいだったので、ハイヒールで高くみせてます。この当時は、まだハイヒールは女性のものという概念はありませんでした

彼の時の宰相はマザランで、財務総監はコルベールです

絶対王政を確立する際には、王権神授説を唱えています。これは神が、王に権力を集中しろって言ってんだという説です

当然、これに危機感を覚えた貴族たちは反乱を起こします。これがフロンドの乱(1648)です。ここには王の命令をチェックできる高等法院という法律系の機関の人も参加しています

この反乱を鎮圧したことで、ルイ14世に文句を言える人はいなくなりました

こういう風にして、各国に主権国家が誕生していきました

ちなみに主権国家については、前回説明していますね

■講義 part49 -絶対王政(スペイン)-
http://world-history.blog.jp/archives/2801001.html

次回は、この主権国家同士が、どのように秩序を構築していくかの話しをしましょう。三十年戦争(1618~1648)の話になります

さて近世に生まれた絶対王政について話します

それを話す例として適切なのは、イタリア戦争(1494~1559)です

この戦争は、ハプスブルク家 × ヴァロワ家 の戦争です。王家同士が、統一国家のないイタリアを狙い目とみて、取りに行きます

まずしかけたのは、フランスのシャルル8世(位1483~98)です。ヴァロワ朝の王様ですね

これに危機感を覚えるのが、ローマ教皇です。基本、ローマ教皇は軍を持ちません。持ったとしても、司祭にできることは、たかが知れています

彼らが頼ったのが、神聖ローマ帝国です。これがハプスブルク家です。皇帝マクシミリアン1世が、参戦します

これで一旦、フランスは撤退します
一番激しくやりあったのが、フランスのフランソワ1世 × 神聖ローマのカール5世 です

フランソワ1世はルネサンスで、カール5世は、宗教改革で聞きましたね

■講義 part46 -ルネサンス(西欧諸国)-
http://world-history.blog.jp/archives/2754470.html

■講義 part47 -宗教改革(ドイツ)-
http://world-history.blog.jp/archives/2788235.html

フランソワ1世にしてみれば、だいぶ厳しい状況です。なぜならカール5世は、スペイン王カルロス1世の顔も持っているからです

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完全な挟み撃ちですね。ピンチです。そこでフランソワ1世は、イギリスと同盟を結びます。またローマ教皇も、逆にカール5世が強くなり過ぎたため、フランスを支援します。ローマの右往左往は、半端じゃないですw

また、神聖ローマ帝国内で起きたいた宗教改革による動乱を利用し、反神聖ローマ皇帝派を支持します。オスマン帝国とも手を結びます。1529年にスレイマン1世が、ウィーン包囲をしてましたね。ここ神聖ローマ帝国です

は、味方の法則で、宗教を越えて同盟を結んでいます

■講義 part41 -ティムール・サファヴィー・オスマン朝-
http://world-history.blog.jp/archives/2590485.html

ここまでもしても、フランスはスペインに勝てませんでした

16世紀は、スペインの時代です。彼らは大航海時代で、莫大の富をゲットしています

結局、1559年にカトー=カンブレジ条約で、スペインは、ミラノ・ナポリ・シチリア・サルディーニャを獲得します。フランスのイタリア進出の夢はついえます

ここで洗練されたのが主権国家です。なかなか難しい言葉ですね。この当時、国の意識は、まだ曖昧でした

それは教皇の存在もありますし、神聖ローマ帝国のように多くの諸侯の上に、象徴的な王がいる権力分散型の国が多かったからです

しかし、近世からは、権力は1つの場所に集まっていきます。それが国王です。国王は、優秀な官僚常備軍を構成します

今までは、戦争の時に土地経営をしていた貴族が武器を持って参戦していましたが、それを止めます。権力を集中させるために、そういうものを必要としていません

今回のテーマ、絶対王政ですが、何が絶対かというと、権力絶対です

ちなみに注意してほしいのが、王 = 主権国家 ではないです。権力のすべてを握る場所が王でも、大統領でもかまいません

ただ、権力が1つの場所に集中している状態が、主権国家です

絶対王政の国王は、それだけの絶大な力を持てる根拠を神に求めます。これを王権神授説といいます

神が、「お前が王として、すべてやれ」って言ってるから、しょうがないとう立場です

絶対王政を実現するためには、運営費がめちゃくちゃいります。日本だって数十万の自衛隊にメシを喰わせるだけでも大変です

そこで、どの国家も重商主義を採用します。これは、商売を重視するということです。いろんな重商主義があります

例えばスペインは、重金主義を採用します。運営のためのお金を集めろという考え方です。そうすれば、国が繁栄しますという考え方です

だから、を大量に獲得していましたね。それがヨーロッパの相場に影響を与えていましたね。価格革命です

そんなスペインの最盛期かつ、衰退の原因は、フェリペ2世(位1556~98)です
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スペイン統一を成し遂げたフェルナンド5世とイサベルのコンビ、その孫カルロス1世、カルロス1世の息子フェリペ2世、このラインはしっかり覚えましょう

フェルナンド5世・イサベル⇒カルロス1世(カール5世)⇒フェリペ2世

フェリペ2世は、1571年にレパントの海戦でオスマン帝国に勝ち、ポルトガルの併合にも成功しています(1580)。スペインは「太陽の沈まぬ国」とまでいわれました。ただ、当時領地だったネーデルラントの経営は、苦心しています

まず、ネーデルラントにも宗教改革の波が押し寄せています。フェリペ2世は、熱心なカトリックでしたから、これを弾圧します。また、単なる属国としか思っていませんから、増税も行います

それに耐えかねてオランダ独立戦争(1568~1609)が勃発します

ネーデルラントは当初全土の独立を考えていましたが、カトリックの多い南部10州が1579年に脱落します。これが、現在のベルギーになります

残った北部7州は、ユトレヒト同盟を結成し、なお抵抗を続けます。この北部7州のリーダー的存在だった州が、ホラント州です。これがオランダの語源ですね

1581年には、ネーデルラント連邦共和国として、独立を宣言します

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初代は、オラニエ公ウィレムです

最終的には1609年にスぺインは、オランダと休戦条約を結び、独立を承認しています

江戸幕府は、1603年にできてます。独立したオランダが、ポルトガル・スペインを押しのけて、日本に来るのも理解できますね17世紀は、もはやスペイン時代ではありません

もう1つ、スペインにとって屈辱的だったのは、1588年アルマダ海戦で、イギリスに破れたことです

ということで次回、イギリスの絶対王政について話しましょう

スイスは、神聖ローマ帝国内にあります。ここでも宗教改革は、起きます

指導者は、ツヴィングリです。彼は、チューリヒで活動を始めました。ルターとは考え方の違いから仲違いしています

彼もルターもそうですが、エラスムス「愚神礼賛」(1511)という本に強い影響を受けて、改革運動を始めています

■講義 part46 -ルネサンス(西欧諸国)-
http://world-history.blog.jp/archives/2754470.html

彼は宗教改革の戦いのなかで、1531年に亡くなっていますが、スイスに宗教改革の熱を注ぎ込みました。その熱の中に登場するのが、カルヴァンです

彼は、フランス出身ですが、フランスでの活動がうまくいかず悩んでいた頃、ジュネーヴから声が掛かり、そこを拠点に活動を始めます

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-カルヴァン-
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1536年に彼が出版した「キリスト教綱要」が評判で、ジュネーヴは彼を呼びました

彼の主な考えは、2つあります

1つは、福音主義といわれるものです。まぁ、聖書第一主義とかわりません。2つ目は、予定説です

何が予定されているかというと、人間の運命が、予定されているということです

この時代の商人は、お金稼ぎの卑しい存在と思われていましたが、カルヴァンは商人を肯定しています。職業神が決めているからです。そして一生懸命頑張った結果の蓄財を認めています

これはカトリックで罪悪感をもっていた商人には救いです

この考えによって、グイグイ信者を獲得していきます。カルヴァンのルターとの違いは、積極的政治に参加する姿勢です

彼は、ジュネーヴを自分の考えに基づいた町にしたくてしょうがありません。1540年代には、ジュネーヴはカルヴァンのものになります。彼の宗教感に基づいてやる政治を神権政治といいます

また運営方針は、従来のように司祭を置くものでなく、信者から責任者をだして行動する長老制度をとりました

彼の考えは、スイスを越えて各国に広まります。各国の名称は、以下の通りです

ピューリタン - イギリス
プレスビテリアン - スコットランド
ユグノー - フランス
ゴイセン - ネーデルラント


この組み合わせ、間違わず覚えてください。よく聞かれます

もちろん彼にも現在からみると、足りてない部分はありました。自分違う考え認められません

彼は意見の違う人を火刑にしたりしています。こういう事実を知ると、ルターもそうですが、改革はゆっくりしか進まないなと思います

次にイギリスの変化について話しましょう

イギリスはちょっと特殊で、王様のヘンリ8世(位1509~47)が、離婚したいがために、新しい宗教を作りますw彼は、テューダー朝の創始者、ヘンリ7世の息子です。ヘンリ7世は、part37でふれましたね

■講義 part37 -封建社会の崩壊と十字軍以後の主要国家-
http://world-history.blog.jp/archives/2423381.html

彼が作ったものが、イギリス国教会です。これは、現在イギリスで70%ほどが信仰しています

国教会を設立した法律は、首長法(1534)といいます

語呂です
以後、指図(1534)は受けない首長法

これ本当に教皇からの指図を受けたくないから作りました。次回から話しますが、主権国家というのが、この頃から誕生するわけですね

中世は、教皇が君臨していますから、国を越えて干渉されるわけです。国家のことは、国家自身で決めるのが主権国家です

ヘンリ8世の息子、エドワード6世も国教会のルール作りとして一般祈禱書を制定します

国教会を定着させる法律は、エリザベス1世が1559年にだした統一法のおかげです

首長法⇒一般祈禱書⇒統一法

三段構えで、法律が整備されるわけですね

対抗宗教改革についてもふれましょう。これはカトリック自身の反省からきています。カトリックの内部葬組織として設立されたのが、イエズス会です。設立者は、イグナティウス=ロヨラです

もう一人、協力者として有名な人がいます。フランシスコ=ザビエルです
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日本人には、有名な人ですね「以後よく来る宣教師」という有名な語呂があるとおり、1549年に彼は日本へ布教にきます。その後、中国布教の途中に病死しました

その中国布教のミッションを受け継いだのが、マテオ=リッチです。この人は、中国史でよく聞かれます

■講義 part26 -明-
http://world-history.blog.jp/archives/1813068.html

この宗教改革の結果、情熱はあらぬ方向にいきます。カトリックを旧教、プロテスタントを新教といいますが、2つの宗派とも魔女狩りが横行します

このシステム、単なる嫉妬妬みを晴らすものでしかありません。密告システムです
ちょっと気に食わない奴がいれば、「アイツは魔女です」といえば、処刑できます

宗教改革の行きついた所が、ココかよと思うとげんなりします16~17世紀は、一番魔女狩りが流行ります

これが発生するのも、見せしめ、生け贄を作ると、その恐怖から逃れるために、組織が強化されることを、教会は無意識的に知っていたのかもしれません

このような行動心理の研究が進むのは、20世紀まで待たねばなりませんでした

次回は、絶対王政の話になります

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