世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: 近代ヨーロッパ

いよいよセンター試験ですね。受験前、最後の更新です皆さんのよい結果を祈っておりますそれでは始めます
---------------------------------

第一次世界大戦後、世界の秩序を保つために取られた体制2つあります。それが、ヴェルサイユ体制ワシントン体制です。まず簡単な各体制の目的です。

ヴェルサイユ体制:ヨーロッパ地域の戦後をどうするか
ワシントン体制:戦後のアジア・太平洋地域をどうするか


これら体制があるのは、戦争で領土の定義がぐちゃぐちゃなので、利害関係者でどのように世界をまわしていくかを話しあうことにあります

まず、1919年に「世界全員で守るフォーマットを決めましょう」ということをパリで話すことになります。これをパリ講和会議といいます。この会議の原則は、アメリカウィルソン(民主党)が提案します。これを十四ヵ条といいます

■十四ヵ条
 1.秘密外交の廃止
 2.海洋の自由
 3.関税障壁の撤廃
 4.民族自決
 ⇒各民族が自分の国をもつべきだという発想ですが、植民地は廃止されませんでした
 5.植民地問題の公正な解決
 6.国際平和機構の設立
 ⇒国と国のケンカをまとめる機関が今までなかったので、調停する
国際連盟が設立されました(本部:スイスジュネーヴ)


★国際連盟
 1.総会:全会一致の原則
 ※全部の国が一致するのが難しいので、運用が難しかったです
 2.常任理事国:イギリスフランスイタリア日本
 3.1926年にドイツ、1934年にソ連が加盟
 4.国際労働機関(ILO):労働者の保護を目的
 5.常設国際司法裁判所:オランダのハーグに設置。国家間の紛争を調停します


※提唱したのがアメリカなのに、この国際連盟にアメリカ参加していないことも覚えておいてください。ウィルソンの反対勢力である共和党が、参加を嫌がったため、このようになりました

-ウィルソン(民主党)-
SnapCrab_NoName_2020-1-8_15-27-19_No-00


次に覚える必要があるのは、敗戦国の条約降伏内容です。各国の条約名や内容は、よく聞かれるので、受験生は頑張って覚えてください

a.ヴェルサイユ条約:ドイツとの講和条約(1919.06)
 1.
アルザス・ロレーヌ ⇒ フランス
 2.
ラインラント非武装
 3.徴兵禁止等の軍備制限
 4.1320億金マルクの賠償金(ドイツGNPの約20年分)

b.サン=ジェルマン条約:オーストリアとの講和条約(1919.09)
 1.チェコスロヴァキア、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
  (ユーゴスラヴィア)、ハンガリー、ポーランド独立
 2.
南チロル ⇒ イタリア

c.ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約(1919.11)

d.トリアノン条約:ハンガリーとの講和条約(1920.06)


e.セーヴル条約:オスマン帝国との講和条約(1920.06)
⇒この敗戦に激怒した国民がオスマン帝国を倒し、ムスタファ=ケマルが新政府を作り、ギリシアの干渉にも耐えて、1923年に再度ローザンヌ条約が結ばれるのも覚えておいてください。

「これらの条約を年代順に並べろ」みたいな問題もあるので、必ずヴェルサイユ条約⇒サン=ジェルマン条約⇒ヌイイ条約⇒トリアノン条約⇒セーヴル条約の順で覚えましょう

オスマン帝国の勢力圏は弱まった結果、フランスシリアイギリスイラク・トランスヨルダン・パレスチナ委任統治下におきます

これら条約でうまれたものが、ヴェルサイユ体制です。ヴェルサイユ条約の語呂合わせは、行く行く(1919)ホテル、ヴェルサイユです

05b4dc2cd8f1bdff15bfa892d7b32382

1921~22年に、アメリカのハーディング(共和党)ワシントン会議を提唱します。主な会議は以下です

四ヶ国条約(1921):アメリカ・イギリス・フランス・日本で調印。太平洋の現状維持を確認
日英同盟が解消されます
ワシントン海軍軍備制限条約(1922):米英日仏伊で、主力艦の総トン数の比率を5:5:3:1.67:1.67にした
九ヶ国条約(1922):中国の主権尊重・領土保全を確認しました

この当時のアメリカの目的2つです。中国での領土拡張に遅れをとっていたので、そこに入れるように調整すること。その際に障害になる日本勢力低下させることです。そこを理解すれば、上記の条約は、日本の力を削ぐことに成功したといえます

ヴェルサイユ体制ワシントン体制で戦後の運営が始まりますが、最初は1920年ポーランド=ソヴィエト戦争1924年イタリアムッソリーニによるフィウメ併合等ありますが、全体としてが、平和を保てます

1925年ロカルノ条約により、ドイツの国際社会への復帰が認められ、1926年国連加盟します。フランス外相ブリアンアメリカ国務長官ケロッグの尽力で、1928年「戦争やめようね」という不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)も結ばれます

1930年ロンドン会議では、アメリカ・日本・イギリスの補助艦比率を10:10:7にします。これは1927年ジュネーブ軍縮会議で、うまくいかなかったものを何とかしたものです

ワシントン海軍軍備制限条約は、主力艦の話をしていて紛らわしく、テストの正誤問題で逆にして聞くパターンありです。注意してください

本日は、ロシア革命について説明します。現在残っている社会主義諸国は、中国北朝鮮といった変質した社会主義なので、平成以降に産まれた方は、想像が難しいかと思います。

ただかつては、社会主義こそが、資本主義を凌駕する政治・経済体制であると考えられていた時代がありました。その残り香のようなものは、今の日本共産党の考え方を見れば、わかるかもしれません

簡単にいうなら、貧しい者たち味方が、社会主義だと覚えておいてください

1917年ロシア革命があるので、レーニン、ロシア行く、いーな(1917)で覚えましょうか

ということでロシア革命を成立させるのは、レーニンです。

-レーニン-
2019-12-19_15-41_No-00

第一次世界大戦中のロシアは、いまだロマノフ朝(1613~1917)という王制で、王の意見のもと作戦を決定するので、まったくうまく行きませんでした。家柄がいいだけで、すべての王様が頭がよいわけではないので、当然ですね

結果、首都のペトログラードで、労働者を中心に暴動がおきます。これが1917年の3月だったため、ロシア二月革命(三月革命)といいます

まずペトログラードという言い方ですが、開戦前はサンクト=ペテルブルクと言われていましたが、敵国ドイツの発音に近いため、1914年ペトログラードに改名されています

レーニンが、新しいロシアを作ったのを記念して、1924年~1991年の間は、レニングラードと言われます。レーニンが作ったソ連が崩壊後は、サンクト=ペテルブルクに戻ります

-ペトログラード-
2019-12-19_16-2_No-00


またロシアは、暦も古いユリウス暦を使用していたため、現在では3月ですが、当時のロシアでは2月になります。そのため、ロシア二月革命(三月革命)といいます

ここで議会であるソヴィエトの中で、まず権力を握ったのは、レーニンでなく、立憲民主党でした。この政党は、資本主義を認めている政党です。

レーニンは、労働者が主役の国家運営を目指しているので、経済格差をうんで、一部のお金持ちと多くの貧乏人に分かれる資本主義が、好きではありません

したがって、ロマノフ朝を倒してうまれた立憲民主党主体の臨時政府と対立を強めます。レーニンは、亡命先のスイスからロシア入りし、四月テーゼを発表し、「すべての権力をソヴィエトへ」をスローガンにしました

この対立は、臨時政府 x ソヴィエトの構造で、どちらも「私がロシアの主役だ」と主張したので、二重権力状態とよく表現されます

臨時政府側のリーダーには、立憲民主党と提携していた社会革命党出身であるケレンスキーがトップとして君臨し、レーニン率いるボリシェヴィキという団体を弾圧しようとしました

レーニンは、トロツキー軍部の支持を取りつけて、ケレンスキー側を倒します。これをロシア十月革命(十一月革命)といいます。この混乱の中、ロマノフの最後の王、二コライ2世処刑されます

ここで全ロシア=ソヴィエト会議が開催され、平和に関する布告が発表されます。このなかで、無併合・無償金・民族自決が唱えられます

「みんな戦争やめよーぜ」という宣言ですね。レーニンを指示するのは、貧しい労働者兵士です。戦争の影響を一番に受けるのは彼らなので、戦争を止めたいレーニンは、熱烈に指示されます

結果、いまだ全世界は戦争中でしたが、1918年にロシアはドイツとの停戦に成功します。この条約をブレスト=リトフスク条約といいます

また党名を、ロシア共産党に変更し、首都をモスクワに変更します。メンシェヴィキという「ゆっくり社会主義の国を作ろう」という考えの人たちも退け、一党支配に成功します

レーニンは、コミンテルン(第3インターナショナル)モスクワで結成し、ロシア以外の国も社会主義にできるよう、動き始めます

この運動は、多くの資本主義諸国を恐れさせたため、第一次世界大戦中、また戦後にかけて、対ソ干渉戦争(1918~1922)が勃発します

日本も領土拡張のチャンスのため、シベリア出兵(1918~1922)を実施しました。社会主義のイメージカラーは、です。だから中国の国旗は、赤です。したがってロシアの軍隊は、赤軍とよばれました

また干渉した国家の軍は、反対に白軍といわれました。国内で革命を中止させようとする勢力を取り締まるために、チェカ(非常委員会)という組織も、この際に作られました

この戦争に耐え抜くため、ロシアは資源を国有化し、食料等の配給制を実施します。これを戦時共産主義といいます

1921年、レーニンの強烈で、ハイスピードな改革についていけなくなった国民が多くでてきたため、彼は新経済政策(ネップ)を発表し、農民の農作物を販売する権利中小企業の経営の許可を実施しました。部分的な資本主義を可能にしたわけです

そして1922年ロシア・ウクライナ・ベラルーシ(白ロシア)・ザカフカースを構成国としたソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立を宣言するに至りました。この構成国を聞く問題もあるので、受験生は4つとも覚えておいてくださいね

ここにウクライナが含まれているため、ロシア自身は属国的な思いで、ウクライナを見ていました。だからこそ、ウクライナが資本主義国として自立し、ロシアから離れる素振りを見せた際、2014年プーチンは、クリミアを無理やり併合したのだと思います

ソ連ですが、1922年ドイツラパロ条約で承認し、1924年イギリス・イタリア・フランスも承認。日本1925年で、一番遅くアメリカ1933年に承認することになります

d06aebcbc19ed2742ec622cd7b48d1f4

それでは、第一次世界大戦について説明します。まず大枠で、第一次世界大戦の構造は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア) vs 三国協商(イギリス・フランス・ロシア)です。※画像は、世界史まっぷさんから使用させていただいております

20181221-第一次世界大戦前の国際関係@824

あとは、それに付随する周辺国を覚えておけば、OKです。戦争が起きるキッカケは、今私が住んでいるバルカン半島でおきます。ここは、いろいろな宗教民族が入り組んだ結果、西暦2000年を越えるまで、もめにもめます。今は、コソボがやや危険なぐらいで、特に問題もなく観光を楽しめる安定した地域になっています

長くオスマン帝国が、この地域を支配していましたが、弱体化した間隙をついたのが、オーストリアでした。

1908年青年トルコ革命が起き、オーストリアボスニア・ヘルツェゴビナ併合ブルガリアも独立を宣言します

オーストリアは、ゲルマン系なのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナはスラヴ系が多く住んでいました。ここを同様に併合したいと思っていたのが、スラヴ系のセルビアです。

ここにバルカン半島のゲルマン化をうながす勢力とスラヴ化をうながす勢力との対立が先鋭化していきます。

これをパン=ゲルマン主義パン=スラヴ主義の対立といいます。

イタリア=トルコ戦争(1911~1912)北アフリカで勃発し、オスマン帝国の混乱が極みを迎えると、セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシア4ヵ国は、ロシア支援のもとバルカン同盟を結成し、オスマン帝国第1次バルカン戦争(1912)を仕掛け、成功をおさめます

このバルカン同盟の4ヵ国は受験でも聞かれます。ルーマニアを混ぜて、誤りを見つける問題などがあるので、ちゃんと4つ覚えてください

2019-12-17_17-0_No-01

で、バルカン同盟が内部分裂して起きたのが、第2次バルカン戦争(1913)です。この戦争は、ブルガリア負けです。まぁ、敵が多すぎます。ブルガリアはロシアの支援なんか期待できないとわかったので、「敵の敵は味方」理論で、この後ドイツ・オーストリアと仲良くなります

20181221-第2次バルカン戦争後のバルカン半島@400

この各国が、おのれの国の利益を最大化するため、連続して戦争を起こしたため、バルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」といわれるようになりました

そして、オーストリアの帝位継承者夫妻が、ボスニアサライェヴォにて、セルビア人に暗殺されます。これをキッカケに起きたのが、第一次世界大戦です。

サライェヴォは、今ではボスニア・ヘルツェゴビナ首都ですね。

1914年にオーストリアは、セルビアに宣戦布告します。セルビアの元締めは、ロシアなので、この戦争にロシアが介入し、オーストリアと同盟を結んでいるドイツも介入します

連鎖が連鎖をよび、最初にでてきた三国同盟三国協商の国々も、この戦争に巻き込まれ、第一次世界大戦が始まります。

戦争中のイギリスの首相は、ロイド=ジョージフランスは、クレマンソーです。

この戦争中に起きた有名な戦争をいくつか覚える必要があります。ドイツの西部戦線でおきたマルヌの戦い・ヴェルダンの戦い・ソンムの戦い。また東部戦線タンネンベルクの戦いも有名ですね

第一次世界大戦中のヨーロッパ@824

戦いの起こった場所を答える問題もあるので、位置も把握しておいてください。

マルヌの戦いの重要な部分は、ドイツが短期決戦として、ベルギー経由でフランスに侵入するシュリーフェン=プランというのを持っていたのですが、これをフランス側で情報を把握し、防いだこととして有名です

ヴェルダンの戦いは、フランスのペタン将軍が、要塞を多くの死者をだしながら守り抜いたことで有名です

ソンムの戦いでは、イギリスが初めて戦車を使用したことで有名です。この戦争では、新しい武器として、戦車のほかに、航空機・潜水艦・機関銃、そして毒ガスも投入されています

東部戦線では、ドイツのヒンデンブルク将軍が、タンネンベルクの戦いでロシアに勝利しますが、その後膠着状態になります

イギリスは島国ですから、補給を断つために、ドイツは1917年無制限潜水艦作戦を実行します。ここまでアメリカは戦争に参加していませんでしたが、以前自国の船のルシタニア号撃沈されていたこともあり、また「潜水艦にやられるかもしれない」という思いから、ウィルソン大統領は三国協商側について、参戦することを決意します

1918年にロシアでは革命が起きていたこともあって、ドイツと講和条約を結んで、東部戦線に戦力を割かなくていい状態がうまれます。

けれども他の同盟国であるオスマン帝国・ブルガリア・オーストリアが次々と降伏し、もはやドイツ単独では立ち行かなくなり、ドイツの軍人さんたちも、「もう戦争いやだ」ということになり、キール軍港の暴動を契機に、終戦を迎えることになります
2019-12-17_18-30_No-01

この戦争中に、今も残る火種として問題になる秘密外交というものがあります。例えば、イタリアは三国同盟側でしたが、ロンドン秘密条約により、「未回収のイタリア」をおみやげに、脱退させることに成功し、イタリアは結局、仲間だったはずのオーストラリア1915年宣戦布告しています

また「インドさんも参加してくれたら、自治を認めるよー」とか言いながら、戦争後無視したりします。ヤベー奴らです

一番ヤバいのが、フセイン・マクマホン協定(1915)「アラブ人の国を、戦争終わったら作るかわりに支援してー」とかいいつつ、英仏露サイクス・ピコ協定(1916)により、「パレスティナは、3国で仲良く分割しよーね」とかいいつつ、「ユダヤ人さんお金もってますね。貸してください。戦争終わったら、国を作っていいですよ」というバルフォア宣言(1917)を結びます。

これにより、イスラエルが建国されるのですが、そこに住んでいたパレスティナ人は土地を失い、現在にまでいたるパレスティナ問題になったのは、クソ野郎どもの集つまりだなと思うわけです。もう自分で解決できず、アメリカ頼みになってるし。

戦争は、あらゆるルール秩序を破壊するので、どうやってしない構造を作るかが、人類に問われているのだと思います

最後に年号ですが、まず私の頭の中には10年単位の大きい戦争があります。

1894年:日清戦争
+10
1904年:日露戦争
+10
1914年:第一次世界大戦


ココを軸に、私は第一次世界大戦絡みで、1年ごとに戦争あるなと覚えています。

イタリア=トルコ戦争(1911)
+1
第1次バルカン戦争(1912)
+1
第2次バルカン戦争(1913)
+1
第一次世界大戦(1914)


こうやって連結して、覚えてくださいね~~

受験生にとっては、太平洋の島々をどこが取っていたかなんて、「え~!ここも聞かれるのって!?」感じだと思いますが、前回講義したアフリカのようにざっくりエリア分け戦法を使えば大丈夫です

■イギリス
まずは、メジャー系からいきます。イギリスは、オーストラリアニュージーランドを持っています。皆さんが大学生になったら、ワーホリとかで英語を学びに行く場所として人気なのを知ると思います

彼らが英語をしゃべり、白人が多いのは、この時の植民地化の流れを組んでいます。特にオーストラリアは、犯罪者の島流しとして使われていました。これを流刑植民地といいます

日本でも島流しはありますが、イギリスの島流しは、規模がデカいです。この2つの国家の先住民も聞かれます。オーストラリア⇒アボリジニー、ニュージーランド⇒マオリです

オーストラリアでは、現地に同化した白人の白濠主義(はくごう)も問題になってます。これは、現在でもくすぶっている差別問題です。ワーホリでオーストラリアに行かれる方は、調べて見てください。現時点で、オーストラリア経済は好調なのでよいですが、不調になるとまた問題化すると思います

次にイギリスのマイナー系植民地です。このあたり覚えておくと、点数に差がでます他で覚えるのは、トンガ・フィジー・ニューギニア東部の南側・ソロモン諸島です

-イギリスの植民地-
無題

■フランス
意外だと思いますが、今でも太平洋には2つのフランス領があります。この当時の影響です。ニューカレドニアタヒチを覚えましょう

-フランスの植民地-
2014-10-18_10-55-58

タヒチは、美術家のゴーガンが有名でしたね

■講義 part74 -19世紀の欧米文化史①(文学・美術)-
http://world-history.blog.jp/archives/7728455.html
※ゴーガン情報

■ドイツ
-ドイツの植民地-
2014-10-18_11-32-37

だいたい黄色で囲んだ地域が、ドイツ領です。ビスマルク諸島・マーシャル諸島・カロリン諸島・パラオ諸島・マリアナ諸島が、領土です

ビスマルク・マーシャルぐらいは、覚えましょうあとは、ニューギニア東部北側ですね

ドイツの場合、第一次世界大戦の敗戦後は、これらの領土を日本・アメリカに持っていかれるのを覚えておきましょう

■アメリカ
アメリカは、フィリピン・グァム・ハワイです。このあたりは、フィリピン人が英語をよく話せますし、グァム・ハワイはアメリカ領からも理解できると思います

ハワイは、カメハメハ朝(1795~1893)のリリウオカラニ(在任1891~93)が、独立維持を画策しましたが、結局アメリカに吸収されていきます

●ニューギニア
2014-10-18_11-36-6

ニューギニアといわれる地域は、3か国によって植民地化されていたため、ちょっと別枠で話します。まずニューギニア西部は、オランダ領です。ここから見て、西側にはインドネシアがあり、長くオランダ領です。上のグーグルマップからわかるとおり、現在もざっくり真ん中で国境が引かれ、ニューギニア西部はインドネシア領に組み込まれています

■講義 part56 -ヨーロッパ諸国の海外進出-
http://world-history.blog.jp/archives/4392809.html
※インドネシアの植民地化情報

ニューギニア東部は、ドイツイギリスです。1901年に自治領として自立していくオーストラリア連邦は、ニューギニアのイギリス領を引き継ぎます

ドイツが第一次世界大戦で負けると、ニューギニア東部北側を放棄することになり、オーストラリアは南北双方を管理することになり、やがてパプアニューギニアという名に変わります

この名が、現在のパプアニューギニアに受け継がれています。今回は以上です

次回は、中国分割いきます

アフリカ植民地化の前提として覚えて欲しいのは、アフリカの大半は、イギリスフランスが所有していることです

イギリスは、アフリカ縦断政策と採用し、フランスはアフリカ横断政策を採用しています。私は受験生の時に、アフリカの地図を思い浮べ、下図のように縦線(赤)でイギリス、横線(青)でフランスを暗記しました

これで、「アルジェリアは横ラインにあるからフランス領だな」とか「ケニアは縦ライン上だから、イギリス領かな」とかの類推がききます

で、縦線と横線を引けば、ぶつかるのは当たり前で、そこがイギリスとフランスの紛争地帯になります。そこがスーダンという場所で、ファショダ事件(1898)というのが起きます

まず、この事実を前提として、知識を肉付けしてください。なぜならアフリカ史の典型的な質問が、「この国は、どこの植民地ですか?」だからです

これ以外の国であるドイツ・イタリア・ベルギー・ポルトガルが聞かれたら、難易度高い問題となります

-縦断政策(英)・横断政策(仏)-
2014-9-22_0-54-17

それでは、アフリカの植民地化を説明しますまずイギリスですが、彼らは3C政策を推し進めています。これは、彼らが植民地経営するう上で、最重要拠点です。ここを死んでも守ります。

この3Cは、3つの都市名の頭文字です。ケープタウン(南アフリカ)・カイロ(エジプト)・カルカッタ(インド)です。英語だと、Capetown・Cairo・Calcuttaです。3Cですね

ケープタウン・カイロは、今でも使われている都市名ですが、カルカッタは、コルカタと言われています。まず南アフリカは、ダイヤモンド・金等の鉱物資源が豊富です。またカイロは、スエズ運河を持つため、ここを通る船から通行料を取れます。インドは、綿花を買って、加工した綿製品を売りつけるため、必ず儲かります

以上のことから、非常に美味しい植民地ということが理解できると思います

1881年、エジプトでウラービー(オラービー)の反乱が起きます。さきほど言ったように、エジプトは絶対失いたくない領土ですから、この反乱を鎮圧します。この本乱を理由に、翌年にはエジプトを事実上の保護国化しています

語呂です
嫌やい(1881)ウラービーの反乱、マフディーの反乱

いきなり、マフディーという言葉でてますが、エジプトの下にあるスーダンでも反乱起きてます。それが、ムハンマド=アフマド率いるマフディーの反乱(1881~98)です

ちなみに1881年は、フランスによって、チュニジア保護国化されてる年でもあります

けっこう長引いたため、太平天国の乱で活躍したゴードン戦死しています。この人は、よく聞かれるので、覚えてくださいね

■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※ゴードン情報

アフリカ南部においては、1814年からオランダ領⇒イギリス領となっており、ここをケープ植民地として徐々に拡大していきます

ここではセシル=ローズ(在任1890~96)という人が、ケープ植民地を経営しています。教科書で3C政策の拠点であるカイロ~ケープタンを結ぶ存在として、よく紹介されてますね

-セシル=ローズ-
2014-10-11_16-40-2


■南アフリカレポート
http://world-history.blog.jp/archives/3817131.html
※自分の南アフリカ旅行で、セシル=ローズにふれてます

ここで居場所を追われた、現地に入植したオランダ人の子孫をブール人といいますが、僻地に行って、トランスヴァール共和国。オレンジ共和国を作ります

この拡大期の1898年に、ファショダ事件(スーダン)で、英・仏は衝突しますが、両国は戦争を回避します。お互いリスクを取らずに、仲良くアフリカを占領しますという意志です

ここで、ダイヤモンド・金が発見されたため、イギリスは再侵略します。まさにジャイアンですwこれを南アフリカ(南ア・ブール)戦争(1899~1902)といいます

もちろんイギリスの勝ちです。これで、今の南アフリカと同じぐらいの領土になり、ケープ植民地⇒南アフリカ連邦に格上げです。ここで、アパルトヘイトという白人優遇、黒人差別が推進されていきます

1904年、英仏は条約を結びます。これを英仏協商といいます。イギリスのエジプト領有、フランスのモロッコ領有をお互い認めたものです

以後は、代表的な聞かれる植民地を列挙します

イギリス…エジプト・南アフリカ・ケニア・ナイジェリア・アシャンティ(ガーナ)
フランス…チュニジア・モロッコ・マダガスカル

ベルギー…コンゴ
※レオポルド2世が、尽力。この植民地、聞かれますだれも、アフリカにベルギーの植民地があると考えないからです

ドイツ…カメルーン・南西アフリカ(ナミビア)・東アフリカ植民地(タンザニア)
ポルトガル…アンゴラ・モザンビーク

イタリア…リビア・エリトリア・ソマリランド


上記の植民地の位置含め、どこが支配国か、しっかり覚えてくれれば、アフリカ史はだいぶ楽ですこれで、アフリカはほとんど取り尽くされたので、あとは戦争で奪うしかありません

特に後発の、ドイツ・イタリアは焦ってますこれが第一次世界大戦の1つの要因ともいえます。ドイツは、1905年第1次モロッコ事件1911年第2次モロッコ事件を起こして、モロッコをドイツの領地にしようと画策します。フランスの背後には、イギリスの支援んがありますから、ドイツはうまくいきません

1905年の事件は、タンジール。1911年の事件はアガディールで起きています。第1回に関しては、アルヘシラス会議で、ドイツの譲歩が決定します。第2回とひっかける正誤問題に注意です

2014-10-11_18-41-4

イタリアは弱い者イジメで、領土を取ります。イタリア=トルコ戦争(1911~12)で、トリポリ・キレナイカを占領し、これをリビアとして領有するぐらいしか、できてません。ショボイです…

これ以前には、エチオピア戦争(1895~96)なんてのも起こしてますが、近代化に成功していたメネリク2世率いるエチオピアの前に敗北していますショボイです…

アフリカは、ほぼほぼ植民地されていますが、されていないレア国家もよくきかれます。それがエチオピアリベリアです。この時期に植民地を免れた2つの国家として記憶してください

-エチオピア・リベリア-
2014-10-11_18-57-19

※エチオピアは、頑張ってましたが、結局イタリアのムッソリーニが1935年に侵攻して、占領します

次回、太平洋諸地域の植民地化です

このページのトップヘ