ちょっと、このブログからズレますが、私の経歴を説明します。

私は、2002~2006年の4年間、世界史の教師をしていましたなんで辞めたのかを、けっこう聞かれるので、ここに書いておきます。

聞かれた時に、「ブログ読んどいて」で済むので、のとのち楽です

辞めた理由は、結構トリッキーです。大きくいって、3つ理由があると思います。

1.世界史の先生なのに、世界を知らない
2.社会の先生なのに、社会を知らない
3.職業として、教師である必要がない


まず、1から説明します。当時の自分は、「お前は世界を知っているのか?」という自問自答が絶えずありました。教師時点で、訪れた国は、数か国程度で、それも旅行で行っただけです。

それだけで、世界について、国家について語ることができるのか。外国に住んで、他国の生活や文化を知って、はじめて世界について語れるのではないかという思いがありました。

この思いは、完全イッてますw

これ言い出したら、ほとんどの教師は、世界史の授業ができません 他の教師の方を、批判する気は毛頭ありません

ただ、自分自身が納得できないだけです

結果、フランスのリヨンという所に、1年留学することになります。町自体が世界遺産の京都のような所です。世界史受験では、聞かれない町です。

無理矢理、世界史にするなら、カエサルの部下が建設した町です。

-リヨン-
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                by wikipedia

次に、2について説明します。

-教師が、先生になるまでの図-
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もう、わかりますね。教師は、社会を知りませんw

これは、今でも問題意識としてあります。少なくとも社会の先生は、サラリーマンでも、漁師でも、何でもいいので、社会経験積むべきです

50%ぐらいは、社会人経験者をいれるべきです。

これは極端にいうと、恋愛経験ない奴が、熱く恋愛について語るのと一緒です。説得力がありません。実体験のない先生の教育によって、行き着く先は明確です。

ただ受験に必要なスキルだけを教える先生になるわけです。

これは説得力あります。彼らは、元受験生だったからです。実体験があります。しかし、このような教育に支えられた生徒は、正直歪(いびつ)にしかならないと思います

そんな気持ちがあったので、私はサラリーマンとして、6年ほど働きました。

最後に、3について語りましょう。私の尊敬する人に、吉田松陰親鸞という人がいます。彼らは、教育者として優れた側面がありますが、本質としては、一人は革命家、一人は宗教家です。

-吉田松陰-
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0

-親鸞-
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E

吉田松陰は、身分制度の厳しい時代に、卑しい身分など関係なく、教育を施しました。また彼自身が、行動することで、教育者たりました。

一番凄いことは、彼は生徒のために、意図的に死刑になったことです。彼は老中暗殺を企て、裁判を受けます。時代遅れの江戸幕府を変革するため、倒幕を考えたわけです

裁判官も、彼の純粋な心に打たれていますから、何とか死刑にならないように発言を誘導しますが、松陰はそれを拒絶します

自分の志に嘘をつかないのが、彼の信条です。今でいう馬鹿です。どうしようもない馬鹿野郎です。
そんな彼が、死刑間際に詠んだ句が、以下のものです。


「かくすれば かくなるものと 知りながら
                   やむにやまれぬ 大和魂」

訳すと、「こういう事件を起こしたら、死刑になるのは知っていたけど、私の日本を思う心が、止められませんでした」ということになります

彼に説得力があるのは、行動伴うからです

次に親鸞さんですが、彼は先生といわれるのを嫌います。何人もの人が、「弟子にしてください」と来ますが、決まっていうのが、「一緒に勉強するのなら、私のそばにいても構わない」です

これは。「先生=生徒」という固定関係によって生まれる、学びの硬直化を恐れた発言です。人間は不完全な生き物ですから、絶えず学び続けなければいけません。

しかし、「先生、先生」言われたら、自分を偉いと錯覚して、学ぶのを諦めてしまいますよね。なにか世界の真理を、終着点を知った気にさせてしまいます。彼自身、他の人から学ぶことが多くあると、考えています。

親鸞さんは、この学びの停止を避けたのだと思います。だからこそ、同じ宗教を学ぶ同志として、本来は檀家と言われる人を定義したんです。

彼は、流動性の中に、自分の居場所を見たのだと思います。

最後に私です。このような人たちの動きを見ていますから、職業として教師を選択する必要性を、私は感じられなくなりました。

瞬間、瞬間で、私が教師になり、生徒になりさえすれば良いのです。世界史なら、教えることができるので、私は教師の立場になります。しかし、銀行家の友人の前では、私は金融を学ぶ生徒になるわけです。

ちょっと難しい言葉ですが、主体客体は、絶えず入れ替わることができるわけです
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この瞬間的に訪れる教師のために、わたしは松陰さんのように、行動し、実体験を積んでいくという気持ちが強くなりました。そうすると仕事を辞め、外に跳びでて、学びたい気持ちが抑えられなくなるわけです。

なので、理由の1,2,3には関係性がありますね

以上が、私が教師を辞めた理由になります。