さて、帝国主義((始まり1870~1890頃)~第一次世界大戦)について語りましょう
簡単にいうと、軍事力で無理矢理、他国を服従させて、自国の利益を増やす方式です。かつて、ジャイアンに似ていると説明しました
ニュース part5 -クリミア問題-
http://world-history.blog.jp/archives/7333122.html
この時代の経済と軍事は、密接にリンクしてます。今のアメリカにも、この傾向は強いです。産業革命以後、世界経済は凄い勢いで拡大していました
また莫大なお金を集めた会社は、より大きくなるため、3つの形態を取りました。それは、カルテル・トラスト・コンツェルンです
カルテル…企業連合。同一業種の企業が、価格・生産量などを調整して、お互いの利益を守る状態
※日本では意図的なカルテルは、独占禁止法に引っかかりますが、自動販売機のジュースの値段が130円で、ほぼ統一されていたり、新聞の値段も一律だったりとグレーです
トラスト…企業合同。同一業種の合併のことです。世界史では、スタンダード石油会社(アメリカ)のトラストが有名です
※これもやり過ぎると、独占禁止法に引っかかります。例えば、携帯のドコモとAUが合併したら、携帯会社同士の正常な競争は難しいため、公正取引委員会は、指導すると思います
コンツェルン…他業種を同一の資本で統一する形態です。財閥といわれるものです
会社は利益を上げると、産業資本というものをため込みます。また会社のお金だけでは、大規模事業を行えませんから、銀行からお金を借ります。このお金を銀行資本といいます
この2つがあわさって、金融資本となります
このお金を使って、順調に行くと、国家に影響力を持つほどの巨大企業になります。これが独占資本の形態です
産業資本 + 銀行資本 = 金融資本 ⇒ 独占資本
こうやって影響力を持った企業の後押しをうけ、国家は弱い国家を服従させていくわけです。そして帝国主義時代には、経済の転換点でもありました
それが、第二次産業革命です。ここでの主役は、ドイツとアメリカです。第一次産業革命での動力源は、蒸気力と石炭でしたが、この時は電力・石油です
第一次産業革命⇒第二次産業革命
工業:軽工業⇒重工業
動力源:蒸気力・石炭⇒電力・石油
■イギリス
この時代のイギリスの動きを見ましょうトップを走るイギリスですが、ライバル国もかなり力をつけています。ここでイギリスがやったのは、スエズ運河株式の買収(1875)です
女の子の名前シリーズで、スエズ花子(1875)で、覚えます
この時の首相は、ディズレーリ(在任1868,74~80)です。ユダヤ系のロスチャイルド家の支援を受けます
-ディズレーリ-
植民相のジェゼフ=チェンバレン(在任1895~1903)も南アフリカに進出し、南ア戦争を行ないます。イギリスの経済の要衝は、エジプト・南アフリカ・インドですから、ここを重点的に固めていきます
このように順調に経済が伸びれば、国民全体の経済力が上がります。今まで、発言力の低かった労働者も、自分の意見を政治に反映させようと動きます
バーナード=ショウやウェッブ夫妻は、穏健な社会主義団体であるフェビアン協会を設立します
議会から労働者の権利獲得を目指すケア=ハーディーは、独立労働党を率いて頑張ります。
他にも有名な社会主義組織として、社会民主連盟があります。バラバラに活動してもダメですから、この3組織を統一していきます
1900年に労働代表委員会として始まり、実際に選挙にメンバが政治家になってからは、労働党(1906)に改名します
フェビアン協会 + 独立労働党 + 社会民主連盟 = 労働代表委員会(1900) ⇒ 労働党(1906)
※労働党に変更された際、社会民主連盟は考え方の違いで、抜けています
ちなみに労働代表委員会の代表は、マクドナルド(在任1924、29~31)で、後に初の労働党出身の首相になります
最初のイギリスの二大政党は、保守党と自由党でしたが、自由党⇒労働党に立場が変わっていきます。
・イギリス二大政党
※1922年以降、現在まで自由党は与党になれていません
保守党 × 自由党 ⇒ 保守党 × 労働党
過去にも語りましたが、継続的にアイルランドは独立運動を起こしています。特に1905年に結成されたシン=フェイン党は、アルスター地方などで運動を続け、1916年にイースター蜂起を支援しています
-アルスター-
■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※アイルランド独立運動情報
次回は、帝国主義時代(フランス)行きます
カテゴリ: イギリス
講義 part80 -インドの植民地化-
さてインドの植民地化を話しましょう。インドに旅行に行けばわかりますが、彼らは英語を話します。もちろんインド訛りですが…
彼らは多民族国家ですから、英語が公用語化しています
このようなことになったのは、イギリスが植民地化したからです。そしてインド・エジプト・南アフリカは、イギリス植民地の生命線になります
当初インドでは綿布を生産して儲けて、産業革命以後は綿花を輸入して、イギリスの工場で加工して儲けていました
ここの3つの国の都市、カルカッタ(Calcutta)・カイロ(Cario)・ケープタン(Cape Town)の頭文字をとって3C政策ともいいます
まぁ、このあたりは第一次世界大戦あたりの講義で詳しく説明します。今は、「インドといえば、イギリスの植民地」と強く覚えていってください
まずイギリスが、インドに影響力を持ち始めたのは東インド会社の設立(1600)からです
■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html
※東インド会社情報
しかしこの頃は、まだ多くのライバルとの戦いです。彼らも同時期に東インド会社を設立しているからです
1600年 東インド会社(イギリス)設立
1602年 東インド会社(オランダ)設立
1604年 東インド会社(フランス)設立
このような中で、最大のライバルとなったのはフランスです。カーナティック戦争(1744~63)をインドで行います
この時期は、世界を舞台にイギリスとフランスは戦います。ヨーロッパでは、オーストリア継承戦争(1740~48)・七年戦争(1756~63)。アメリカでは、ジョージ王戦争(1744~48)・フレンチ=インディアン戦争(1755~63)
この植民地分捕り合戦のインド版が、カーナティック戦争です。これにイギリスは勝利し、ます南インドを支配します
同時期に行われたプラッシーの戦い(1757)においても、ベンガル太守・フランス連合軍を倒し、ベンガル・ビハール・オリッサというインド東部をおさえます
語呂です
いい~なこんな(1757)のプラッシーの戦い
-ベンガル・ビハール・オリッサ-
この2つの戦争で功績をあげたのが、クライヴという人で、初代ベンガル知事に就任します。インド統治法(1773)以後は、ベンガル知事の名称は、ベンガル総督に改称されます
このあたりで、インドはイギリスの縄張りであることは、確定します。あとはインドを統治するムガル帝国(1526~1858)や諸王国の領土を削ぎ落していくだけです
■講義 part40 -ムガル帝国-
http://world-history.blog.jp/archives/2585979.html
3つの大きな勢力との戦争を通して、イギリスはインドを自分のものにしていきます。それはマイソール戦争(1767~69、80~84、90~92、99)であり、マラーター戦争(1775~82、1802~05、1817~18)であり、シク戦争(1845~46、48~49)でした
このすべてにイギリスは、勝利します
マイソール戦争は、南インドのヒンドゥー国家、マイソール王国との戦争です。マラーター戦争は、インド中部にあった諸侯連合、マラーター同盟との戦争です。シク戦争は、パンジャーブ地方を支配していたシク教徒との戦争です
-パンジャーブ地方-
これで有力な国家は、ムガル帝国ぐらいしかありません
これらの支配地域では、大きく分けて北と南で統治方法が違っていました。北はザミンダーリー制で、南はライヤットワーリー制でした
ザミンダーリー制は、地元の領主に徴税をしてもらうシステムで、ライヤットワーリー制では、イギリス人が直接徴税しています
この植民地化の最中に、イギリスでは産業革命が起きています。つまり、いろんな会社が次々生まれ、成長しているわけです。その中で東インド会社の独占経営は嫌われています
ということで、東インド会社の貿易独占権は、茶の除いて廃止(1813)されます。1833年には、商業活動も停止にあいます
こんな中で、東インド会社が雇用していたインド人傭兵が反乱をこしました。これをシパーヒー(セポイ)の反乱(1857~59)といいます。シパーヒーは、インドで兵士を意味する言葉です
シパーヒーたちは、さらにインド反乱のシンボルとしてムガル帝国を担ぎあげます。これがインド全域に拡大したため、イギリスは手を焼きましたが、1858年にムガル帝国を滅亡させ、鎮圧に成功します
語呂です
嫌、ご破(1858)算のムガル帝国
ちなみに原因をつくった東インド会社も解散(1858)させられます
1877年には、イギリスの統治するインド帝国が成立します。初代皇帝は、ヴィクトリア女王です
■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※ヴィクトリア女王情報
こんな感じで、イギリスはインドを支配しました。次回は、東南アジアの植民地化いきます
講義 part71 -イギリスの選挙法改正-
選挙法改正をまとめて一気にいきます
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全部で6回ありますこれは、語呂で全覚えです
闇に(1832)、やむなく(1867)、はやし(1884)たが、悔いは(1918)なく、苦には(1928)ならないロック(69)
■首相名
次に首相の語呂です。第1回~6回の時の歴代首相です
ぐだぐだ、グロいボールだ。ウィルソン
ぐ…グレイ(ホイッグ党)
だ…ダービー(保守党)
グ…グラッドストン(自由党)
ロ…ロイド=ジョージ(自由党)
ボール…ボールドウィン(保守党)
ウィルソン…ウィルソン(労働党)
■参政権の拡大
第1回選挙法改正(1832)…産業資本家
第2回選挙法改正(1867)…都市の工業労働者
第3回選挙法改正(1884)…農業労働者・鉱山労働者
第4回選挙法改正(1918)…男子普通選挙(満21歳以上)、女子普通選挙(満30歳以上)
第5回選挙法改正(1928)…男女普通選挙(満21歳以上)
第6回選挙法改正(1969)…男女普通選挙(満18歳以上)
正直、これは全覚えです。どれが聞かれてもおかしくありません
「第2回選挙法改正で、鉱山労働者に参政権が与えられた」⇒不正解ですね
「第4回選挙法改正は、保守党のグラッドストン内閣の時に行われた」⇒不正解ですね回数も、政党も違います
「第5回選挙法改正で、男子満20歳以上に参政権が与えられた」⇒不正解ですね21歳です
こんな感じに、いろいろなパターンで聞かれるので、全覚えしかありません大変かもしれませんが、暗記すれば得点源になりますから、必ず覚えましょう
今までのブログでふれた参考情報は、以下です
■講義 part66 -19世紀の自由主義・社会主義-
http://world-history.blog.jp/archives/6117577.html
※第1回選挙法改正情報
■講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
http://world-history.blog.jp/archives/6723571.html
※第3回選挙法改正情報
選挙法改正なんて、イギリスしか聞かれないので、「世界で初めて、女性に参政権を与えた国はどこですか?」っていう問題が出題されると、みなイギリスを選んでしまいます。これ間違いです
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正解は、ニュージーランドです。イギリスは、1918年に認めてますが、ニュージーランドは1893年です。ちなみに日本は、1945年です
こんな変化球問題も、たまに出題されています。選挙法改正は、以上です
次回は、ロシアです。今、ホットなクリミア問題に関わる部分です
講義 part70 -イギリスのヴィクトリア時代-
イギリスの話です。だいたい19世紀のイギリスは、ヴィクトリア時代といわれます。これはヴィクトリア女王(在位1837~1901)が、長い統治をしていたからです
-ヴィクトリア女王-
彼女以後の、イギリス女王の長命は凄いです。今のエリザベス2世(在位1952~)も、60年以上統治しています
-エリザベス2世-
彼女のお母さんも、長生きで101歳まで生きていました。ここだけ聞くと、イギリスは王がグイグイ引っ張てる感じですが、日本と同じで、あくまでシンボルとしての役割です
「王は君臨すれども統治せず」でしたね
■講義 part52 -イギリス革命(ピューリタン革命)・名誉革命-
http://world-history.blog.jp/archives/4100267.html
※「王は君臨すれども統治せず」情報
イギリスの議会の歴史は、長いですからね。ここの19世紀の二大政党は、保守党×自由党です
保守党…旧名トーリ党。地主などの伝統的な人が支持しています。外国にちょっかいだす傾向
自由党…旧名ホイッグ党。新興ブルジョワジーの人が支持しています。国内を整備する傾向
19世紀の二大政党と限定するのは、自由党が後に人気をなくすからですイギリスは、複数回の選挙法改正を経て、成人に選挙権が与えられます。収入などによって選挙権が制限されていた時期は、自由党が一定の支持を得ましたが、全国民が参加する状態になると、労働者が応援する労働党が強くなります
話を戻しますが、特に19世紀後半はディズレーリ(在任1868、74~80)とグラッドストン(在任1868~74、80~85、86、92~94)でイギリス政治をまわします
-ディズレーリ-
-グラッドストン-
ディズレーリは保守党の人ですから、海外に介入します。19世紀に海外絡みでイギリスの首相誰ですか?と聞かれたら、ディズレーリです
■ディズレーリのやったこと
・スエズ運河株の買収(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ロシアの南下政策阻止
語呂です。女の子の名前シリーズで。
スエズ花子(1875)が、株式買収
逆に国内の整備は、自由党のグラッドストンです
■グラッドストンのやったこと
・教育法(1870)…公立学校が増設
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)…農業・鉱山労働者の選挙参加を認める
そして、二大政党関係なく抱えている問題が、アイルランド問題です。そもそも宗教の派閥が違うので揉めてるんですが、古くはゲルマン大移動まで遡ります。アイルランド人は、ケルト人の流れをくみます
■講義 part32 -ゲルマン大移動-
http://world-history.blog.jp/archives/2041598.html
※ゲルマン人とケルト人情報
■講義 part66 -19世紀の自由主義・社会主義-
http://world-history.blog.jp/archives/6117577.html
※カトリック教徒解放法
19世紀は、アイルランドが独立を獲得しようと、ジワジワ権利を獲得していきます。1848年には、青年アイルランド党が、武装蜂起しましたが、これは鎮圧されています
アイルランド国民党は、急激な方法でなく、政治によって権利を獲得していきました。まずはアイルランドの主流を占める農民の権利をゲットします。それが成功すると、自治権獲得に移ります
第1次アイルランド土地法(1870)…小作人の権利保護
第2次アイルランド土地法(1881)…アイルランド人に土地購入許可
アイルランド自治法…1886、93年ともに否決。1914年に成立
語呂です
土地離れ(1870)たいアイルランド、いややい(1881)イギリス、自治はいーよ(1914)
この流れで、いろいろ揉めますが、イギリスは広大な植民地で、白人が支配している土地には自治権を認める方向にシフトします。認める順番は、こんな感じです
カナダ連邦(1867)⇒オーストラリア(1901)⇒ニュージーランド(1907)⇒南アフリカ連邦(1910)
■自治権獲得の順序
地図をイメージして、時計の反対回りで自治が増えたと想像しておいてください。時々、自治権の獲得順に並べ替える問題がでます
オーストラリアは、かつて罪人の島流し場所として使われていました。これを流刑植民地といいます
今回は、以上です。次回はイギリスの選挙法改正について、まとめて説明します
講義 part59 -産業革命-
ついに近代の幕開けが、やってきます
最初に産業革命が起きたのは、イギリスです。いろいろ理由はありますが、やはり農業革命はデカイです
ノーフォーク農法が開発され、大麦⇒クローヴァー⇒小麦⇒カブと、休耕地を置くことなく、無駄のない農業が可能になりました。クローヴァーやカブは、家畜のエサになって、飼料を買わなくてもよくなります
昔は三圃制で、三分の一は、使えてませんでしたね
■講義 part35 -十字軍-
http://world-history.blog.jp/archives/2362950.html
※三圃制
さらに、この農業革命の力を促進させるエンジンが存在します。議会です。議会は、第二次囲い込みを行ないます。これは、中小農民でなく、大規模農業経営をする農民の保護です。
第一次は、ヘンリ8世の時に説明しています
■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
これによって、効率的な農業収入が期待できます。この改革、実は日本もやるべきですが、いまだにできていません…
-「農業を成長産業に」新規参入・大規模化・効率化を促せ!(ニュース)-
http://www.globis.jp/2668
囲い込みは、産業革命には重要でした
この話だけ聞くと、中小農民は破産してお終いです。しかし、そうではありません。彼らは、当時の新しい産業、工場労働者になるのです
仕事があっても、働き手がいないと経済は発展しません
例えば、今の日本には仕事があります。バカなと思う人がいるかもしれません。仕事は、確実にあります。今の日本には、日本人が働きたいタイプの仕事がないだけです。
例えば、力仕事です
-外国人労働者受け入れ、建設業で拡大へ 担い手不足、「仕方ない」のか…(ニュース)-
http://www.j-cast.com/2014/02/01195567.html?p=all
当時のイギリスでは、労働者の権利というものが、まだ軽かったので、労働の移動は、スムーズでした。一部には、「日本人の仕事を奪うな」という声もありますが、日本人が働きたがらないので、外国人を入れているだけです
今の日本の抱えている問題は、労働環境のミスマッチにあります。ちょっと見方を誤ってはイケません
さて、話を戻します。当時の売れ筋商品は、毛織物です。つまり服が売れるワケですね。これは、今でも強い産業ですね
この毛織物が、木綿に代わります。木綿は、吸収性が高いので、汗とか吸ってくれます。あと毛織物より、傷みにくいです
つまりワンランク上の製品を作れるわけです。なので、いかに木綿工業を発展させるかが重要になります。まずはジョン=ケイとう人が、1733年に飛び杼(とびひ)を発明します
画像が、飛び杼です。まず織物作成には、縦横に交差して編む必要があります。大きい織物を編む際は、横糸を通す時に、杼を受け止める係が必要でした
-飛び杼-
しかし飛び杼は、それを一人で操作することを可能にしました。下記、動画にアクセスしてください。飛び杼について説明しています。ジョン=ケイの説明は、2:05~くらいからです
■産業革命
https://www.youtube.com/watch?v=k1xN9IH59YM
2人でやることを、1人にしただけでも、生産効率は200%です。凄いことだと思います
次に紡績技術の革新です。紡績とは、糸を作ることですね。ハーグリーヴズは、奥さんの名前をつけたジェニー紡績機(多軸紡績機)を作ります
これで、今まで一個づつ作っていたものが、一気に8つ作られました。さっきの動画の5:02~あたりから説明があります
さらに紡績の技術を進歩させたのが、機械化です。それを可能にしたのが、アークライトの水力紡績機です。動画の6:08~から確認できます
さらにクロンプトンは、紡績機の性能をあげたミュール紡績機を作りました。動画の10:44~から確認できます
こうやって紡績技術がレベルアップする中で、織布技術も機械化されます。それがカートライトの力織機です。この動画もあったので、URLを展開します
■力織機
https://www.youtube.com/watch?v=efpbgVQZdSA
これらの革新は、効率化をうむ反面、今まで働いていた人の職を奪ってしまいしました。結果、機械打ちこわし運動(ラダイト運動)も激化しました
今までの流れと少しズレまずが、ホイットニーの綿繰り機も覚えましょう。綿は、植物からとれますね。それを効率よくとる機械が綿繰り機です
このように産業革命では、機械化が進みます。この機械化の波は、いまだって続いていると思います。最初に動力源として登場したのが、蒸気です。水蒸気の力をエネルギーに変えるわけですね
それをしたのは、ニューコメンです。彼の蒸気機関の発明を効率化させたのが、ワットです
この技術を応用してうまれたのが、フルトンの蒸気船であり、スティーブンソンの蒸気機関です
機関車は、1825年にストックトン・ダーリントン間で試験運用され、1830年にマンチェスター・リヴァプール間で実用が開始します
ココ、引っかけ問題あるので、気を付けてください。試用と実用は違います。日本のリニアも山梨で試用運転してますが、実際走るのは、東京~大阪間ですよね?
-首相、リニアをトップセールス 米大使と実験線に試乗- (ニュース)
http://www.asahi.com/articles/ASG4D4HBGG4DUTFK008.html
製鉄技術もあがります。今まで木炭でやっていたのを、石炭・コークスに転換したのは、ダービーという人です
これらの登場によって金持ちの種類も変わります
商業資本家⇒産業資本家
商業資本家は、問屋さんです。入荷した商品を売る小売りに渡す人です。この人たちが商品を独占することで、値段をコントロールできます
産業資本家は、主に工場を持っている人です。この時代、爆発的な生産力を得た工場経営は、金持ちを生みました。そういう生産手段を持つ人を資本家ともいいます
これに対になる概念が、労働者です
資本家 x 労働者
ここの対立関係は、今も継承していると思います。社長は、多くの利益、会社を維持するために、給料を抑制しますが、労働者は、給料上げてほしいですよね?
もともと対立することが、運命づけられています
急激に労働環境が変わりましたから、労働者を守る法律が当時ありませんでした。そこから法律が整備されていきます
結果、工場法や労働組合がつくられていきました
産業革命によって、発展した町も覚えましょう
マンチェスター・リヴァプール・バーミンガムです
マンチェスターは木綿工業で栄え、リヴァプールは港で栄え、バーミンガムは鉄・石炭で有名です
最後に、各国の産業革命の起きた年代をまとめましょう
イギリス…18C後半
ベルギー・フランス…1830年代
ドイツ…1834年の関税同盟から
アメリカ…19C中頃
ロシア・日本…1860年代。日本は、明治維新(1868)以後
これ、各国の産業革命の成立順を並べろって問題がでます。ベルギーあたりが知っていないとできません。ロシア・日本は、遅れた国なので、最後のイメージを持ってください
次回は、アメリカ独立戦争いきましょう