すでにルイ14世についてはふれてますが、彼のした対外政策について話したいと思います

■講義 part50 -絶対王政(イギリス・フランス)-
http://world-history.blog.jp/archives/2902970.html

-ルイ14世-
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彼がフランスの絶対主義の最盛期でしたね。絶対主義の王様の流行は、王権神授説です。「神が王になれと言っている。だから、なんでもやっていい」という考えです

そのため彼は、自分を「朕は国家なり」と言ってます。相当な自信がないと言えないセリフです。彼が作らせたバロック式の傑作、ヴェルサイユ宮殿を見ても、彼の自信がわかります

2回行ったことありますが、とにかくデカイ場所ですパリ近郊にあります

-ヴェルサイユ宮殿-
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彼は財布係のコルベールの力を借り、国力の拡大をはかります。彼は王立マニュファクチュアを設立し、輸出向けの毛織物を製造しました

また東インド会社を強化させました。ちょっと頭の悪いこともしてます。ナントの勅令廃止(1685)です

語呂です
異論は来(1685)ないナントの勅令廃止

ナントの勅令(1598)は、ユグノーの存在を認めたものでしたね。ルイ14世はカトリックなので、これを否定します。ユグノーはフランスにいられなくなり、海外に行ってしまいます。プロテスタントは商売がうまかったので、徐々にフランスの力が衰える原因になります

この結末が、フランス革命(1789)になるわけです

「朕は国家なり」と言っている人ですから、戦争を一杯します。国家が拡大すると、ルイ14世のプライドも拡大するのでしょう

最初は、南ネーデルラント継承戦争(1667~68)です。この地域は、現在のベルギーですね。当時はスペイン領でした。ベルギーの次はオランダに来るだろうということで、オランダはスペイン側にたちます

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アーヘン和約によって、フランスは多少の領土を得ますが、ルイ14世はもっと領土がほしがります。邪魔したオランダに逆ギレで、戦争を仕掛けます。それがオランダ侵略戦争(1672~78)です

この戦争はナイメーヘン和約によって終結しますが、結局たいした領土をゲットできません

次がファルツ継承戦争(1688~97)です。神聖ローマの有力諸侯の領土に目をつけたわけです。ブルボン朝のライバル、ハプスブルク家の勢力を削げますからね

しかし、神聖ローマ・スペイン・イギリス・オランダと有力な国のほとんどがフランスに対抗します。ライスワイク条約を結びましたが、フランスはまたも成果をあげられませんでした

ルイ14世は最後にデカい戦を仕掛けます。それがスペイン継承戦争(1701~13)です。スペインのハプスブルク家断絶の隙をついて、ルイ14世は孫のフェリペ5世を即位させます。これ以後、スペインはブルボン家になります(1700~1931)

語呂です
いーな、おい(1701)!いーさ(13)、スペイン継承戦争

スペインのブルボン化に成功し、味を占めたフランスは、植民地の拡大にも乗り出します。いつものようにフランスは、ほとんどの国を敵にまわしますw勝てるわけないですね

ユトレヒト条約(1713)によって、フランスの拡大はだいぶ抑えられました。以下の内容は覚えましょう

■ユトレヒト条約
1.スペインとフランスの併合禁止
2.ジブラルタル・ミノルカ島は、スペイン⇒イギリス領
3.ハドソン湾地方・ニューファンドランド・アカディアもフランス⇒イギリス領


-ジブラルタル・ミノルカ島-
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-ハドソン湾地方・ニューファンドランド・アカディア-
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ルイ14世は、めちゃくちゃ在位期間が長いです。1643~1715年の72年間を王様しています。当時の王政は、王様が亡くなるたびに、継承で揉めます

長く君臨することは、国家の安定に貢献するわけですね。しかし、戦争し過ぎです最盛期の王は彼で間違いないですが、フランスを苦しめた人ともいえるでしょう

次回は、啓蒙専制君主の話をします