世界史サロン

元教師・今社長がおくる世界史講義と、ニュースを世界史で読み解くブログ

カテゴリ: アフリカ史

アフリカ植民地化の前提として覚えて欲しいのは、アフリカの大半は、イギリスフランスが所有していることです

イギリスは、アフリカ縦断政策と採用し、フランスはアフリカ横断政策を採用しています。私は受験生の時に、アフリカの地図を思い浮べ、下図のように縦線(赤)でイギリス、横線(青)でフランスを暗記しました

これで、「アルジェリアは横ラインにあるからフランス領だな」とか「ケニアは縦ライン上だから、イギリス領かな」とかの類推がききます

で、縦線と横線を引けば、ぶつかるのは当たり前で、そこがイギリスとフランスの紛争地帯になります。そこがスーダンという場所で、ファショダ事件(1898)というのが起きます

まず、この事実を前提として、知識を肉付けしてください。なぜならアフリカ史の典型的な質問が、「この国は、どこの植民地ですか?」だからです

これ以外の国であるドイツ・イタリア・ベルギー・ポルトガルが聞かれたら、難易度高い問題となります

-縦断政策(英)・横断政策(仏)-
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それでは、アフリカの植民地化を説明しますまずイギリスですが、彼らは3C政策を推し進めています。これは、彼らが植民地経営するう上で、最重要拠点です。ここを死んでも守ります。

この3Cは、3つの都市名の頭文字です。ケープタウン(南アフリカ)・カイロ(エジプト)・カルカッタ(インド)です。英語だと、Capetown・Cairo・Calcuttaです。3Cですね

ケープタウン・カイロは、今でも使われている都市名ですが、カルカッタは、コルカタと言われています。まず南アフリカは、ダイヤモンド・金等の鉱物資源が豊富です。またカイロは、スエズ運河を持つため、ここを通る船から通行料を取れます。インドは、綿花を買って、加工した綿製品を売りつけるため、必ず儲かります

以上のことから、非常に美味しい植民地ということが理解できると思います

1881年、エジプトでウラービー(オラービー)の反乱が起きます。さきほど言ったように、エジプトは絶対失いたくない領土ですから、この反乱を鎮圧します。この本乱を理由に、翌年にはエジプトを事実上の保護国化しています

語呂です
嫌やい(1881)ウラービーの反乱、マフディーの反乱

いきなり、マフディーという言葉でてますが、エジプトの下にあるスーダンでも反乱起きてます。それが、ムハンマド=アフマド率いるマフディーの反乱(1881~98)です

ちなみに1881年は、フランスによって、チュニジア保護国化されてる年でもあります

けっこう長引いたため、太平天国の乱で活躍したゴードン戦死しています。この人は、よく聞かれるので、覚えてくださいね

■講義 part83 -中国の内乱と近代化(太平天国の乱・洋務運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/9001991.html
※ゴードン情報

アフリカ南部においては、1814年からオランダ領⇒イギリス領となっており、ここをケープ植民地として徐々に拡大していきます

ここではセシル=ローズ(在任1890~96)という人が、ケープ植民地を経営しています。教科書で3C政策の拠点であるカイロ~ケープタンを結ぶ存在として、よく紹介されてますね

-セシル=ローズ-
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■南アフリカレポート
http://world-history.blog.jp/archives/3817131.html
※自分の南アフリカ旅行で、セシル=ローズにふれてます

ここで居場所を追われた、現地に入植したオランダ人の子孫をブール人といいますが、僻地に行って、トランスヴァール共和国。オレンジ共和国を作ります

この拡大期の1898年に、ファショダ事件(スーダン)で、英・仏は衝突しますが、両国は戦争を回避します。お互いリスクを取らずに、仲良くアフリカを占領しますという意志です

ここで、ダイヤモンド・金が発見されたため、イギリスは再侵略します。まさにジャイアンですwこれを南アフリカ(南ア・ブール)戦争(1899~1902)といいます

もちろんイギリスの勝ちです。これで、今の南アフリカと同じぐらいの領土になり、ケープ植民地⇒南アフリカ連邦に格上げです。ここで、アパルトヘイトという白人優遇、黒人差別が推進されていきます

1904年、英仏は条約を結びます。これを英仏協商といいます。イギリスのエジプト領有、フランスのモロッコ領有をお互い認めたものです

以後は、代表的な聞かれる植民地を列挙します

イギリス…エジプト・南アフリカ・ケニア・ナイジェリア・アシャンティ(ガーナ)
フランス…チュニジア・モロッコ・マダガスカル

ベルギー…コンゴ
※レオポルド2世が、尽力。この植民地、聞かれますだれも、アフリカにベルギーの植民地があると考えないからです

ドイツ…カメルーン・南西アフリカ(ナミビア)・東アフリカ植民地(タンザニア)
ポルトガル…アンゴラ・モザンビーク

イタリア…リビア・エリトリア・ソマリランド


上記の植民地の位置含め、どこが支配国か、しっかり覚えてくれれば、アフリカ史はだいぶ楽ですこれで、アフリカはほとんど取り尽くされたので、あとは戦争で奪うしかありません

特に後発の、ドイツ・イタリアは焦ってますこれが第一次世界大戦の1つの要因ともいえます。ドイツは、1905年第1次モロッコ事件1911年第2次モロッコ事件を起こして、モロッコをドイツの領地にしようと画策します。フランスの背後には、イギリスの支援んがありますから、ドイツはうまくいきません

1905年の事件は、タンジール。1911年の事件はアガディールで起きています。第1回に関しては、アルヘシラス会議で、ドイツの譲歩が決定します。第2回とひっかける正誤問題に注意です

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イタリアは弱い者イジメで、領土を取ります。イタリア=トルコ戦争(1911~12)で、トリポリ・キレナイカを占領し、これをリビアとして領有するぐらいしか、できてません。ショボイです…

これ以前には、エチオピア戦争(1895~96)なんてのも起こしてますが、近代化に成功していたメネリク2世率いるエチオピアの前に敗北していますショボイです…

アフリカは、ほぼほぼ植民地されていますが、されていないレア国家もよくきかれます。それがエチオピアリベリアです。この時期に植民地を免れた2つの国家として記憶してください

-エチオピア・リベリア-
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※エチオピアは、頑張ってましたが、結局イタリアのムッソリーニが1935年に侵攻して、占領します

次回、太平洋諸地域の植民地化です

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今まで、アフリカ史について語ってきてませんが、ここで話します私が、講義の中でよく受験生に話していることは、皆、欧米史・中国史、これにイスラム史までやって、だいたい息切れするということ

しかしながら、アフリカ史、インド史、東南アジア史などは、覚えておけば確実得点できるエリアで、難易度低いです極端な話、時代と王国名だけ覚えておけば、戦えます

いままで「そんな細かいこと聞くかね…」というのは、早慶中央アジア史ぐらいですw

アフリカは、まず地図を思い浮かべて、エリア毎に覚えましょう。エジプトは、すでに触れているので、エチオピアからいきます

■講義 part3 -エジプト文明-
http://world-history.blog.jp/archives/1227512.html

■東アフリカ
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まずは、東アフリカのエチオピアいきます。地域区分は、下記のリンクを参考にお願いします。わかりやすいです。画像貼りたいですが、ちょっと権利問題わからないので、リンクだけです

■アフリカの地域区分
http://nantokashinakya.jp/projects/africa_issue/overallafrica/pg1.html

アフリカは、大きく分けて、北・南・中央・西・東になります。エチオピアは、東アフリカに区分されます。この小分けが、アフリカで大事です

アフリカ史の問題では、いろいろなアフリカの国を混ぜて聞いてきますが、東アフリカの話をしていて、南アフリカの国名があったら、それを誤りとして排除できます

だからこそ、アフリカ地域別小分けで、覚えます

エチオピアの歴史いきます

まず覚えるのはクシュ王国(前920頃~350頃)です。エジプトの新王国滅亡後、ナイル川上流域で栄えました。最古の黒人国家として聞かれます

この王国は、前7世紀のアッシリアの侵入で、都をメロエに移しています。以後をメロエ王国(前670~350頃)ともいいます。メロエ文字という未解読の文字もあります

このメロエを滅ぼしたのが、アクスム王国(紀元前後~572)です。キリスト教のコプト派というマイナーな派閥を信じています

この後は、エチオピア帝国というのが、長々20世紀まで続きます。特徴は、キリスト教です。当時のアフリカで、キリスト教はかなり、マイナーなので、受験聞かれます

クシュ⇒メロエ⇒アクスム⇒エチオピア

この4つを覚えるだけで戦えます

あとはエチオピアの南、ケニア・タンザニアにあった町を覚えましょう。町名は、マリンディ・ザンジバル・キルワです

-マリンディ・ザンジバル・キルワ-
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この中で一番聞かれるのは、マリンディです。明の鄭和ヴァスコ=ダ=ガマが寄港した町として聞かれます

■講義 part26 -明-
http://world-history.blog.jp/archives/1813068.html
※鄭和情報

■講義 part43 -大航海時代 前半-
http://world-history.blog.jp/archives/2657949.html
ヴァスコ=ダ=ガマ情報

次に聞かれるのが、キルワでしょうね。ムスリム商人が来て、インドや中国の商品を売買していました。ザンジバルにもムスリム商人は来てるので、場所を把握して、答えれるようにしてください

ザンジバル・キルワは、かなりハイレベル大学で問われる情報です。キツイ人は、マリンディだけ、まず覚えましょう

■西アフリカ
植民地化前のアフリカ史で一番聞かれるのが、この西アフリカの地域だと思います。ニジェール川を中心に文明が栄えます

まずはガーナ王国(7世紀頃~1150)です。黒人の王国で、ムスリム商人を交換したサハラ縦断貿易で有名です

地図を見ればわかりますが、ガーナ王国は内陸部にあります。塩は、海岸沿いで作りますから、ガーナ王国は豊富な金を使って、塩を買っていました

-ガーナ王国-
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                 by wikipedia
ムラービト朝の攻撃によって、衰退します

■講義 part31 -イスラーム世界の乱立-
http://world-history.blog.jp/archives/1934745.html
※ムラービト朝情報

次に出てくるのが、マリ王国(1240~1473)です。このあたりから、イスラム教の影響を受け、イスラム国化します。中心地は、トンブクトゥです

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アフリカの画像は、センター試験レベルでもでます。上画像のように、で作られていそうなものを見たら、アフリカの画像と判断してください。また建物に突起みたいなのありますよね?これ見たら、トンブクトゥと判断です

最盛期の王は、マンサ=ムーサ(在任1312~37)です。別名カンカン=ムーサです。彼は、メッカに巡礼もしています。ここには、イブン=バットゥータも訪れてます

最終的に、ソンガイ王国に滅ぼされています。なので次に覚える王朝は、ソンガイ王国(1464~1591)です。イスラム教国家です

ここでも、トンブクトゥは中心地として反映しています

覚え方です。
ガマの油を満載買って、損害

何言ってんだという話ですが、自分が受験生の時は、こうやって覚えていました
ガ…ガーナ王国
マ…マリ王国
満載…マンサ=ムーサ
損害…ソンガイ王国

アフリカ史で一番聞かれる部分をまとめています。また成立年代順に国が並んでます。これ以外の西アフリカも少し触れましょう

大航海時代に栄えた西アフリカの国は、ベニン王国(13~17世紀)です。奴隷貿易で儲け、西洋式の火器を買っていました

アシャンティ王国(17世紀末~1902)も奴隷貿易で儲けてましたが、イギリスにやられています。両方とも西アフリカにある国で、奴隷貿易で儲けているので、区別時代でするしかありません

大航海時代⇒ベニン、それ以後⇒アシャンティで覚えましょう

■北・中央アフリカ
ここは、エジプト史とイスラムの絡みで覚えてください。すでに講義済みなので、省略です中央アフリカも、特に言及なしです

■講義 part3 -エジプト文明-
http://world-history.blog.jp/archives/1227512.html

■講義 part31 -イスラーム世界の乱立-
http://world-history.blog.jp/archives/1934745.html

■南アフリカ
ザンベジ川を中心に栄えたモノモタパ王国(11~19世紀)だけ、覚えてください。現在のジンバブエのあたりにあります。これにリヴィングストンスタンリーを加えて覚えれば、OKです

■講義 part77 -19世紀の欧米文化史④(探検・国際的諸運動)-
http://world-history.blog.jp/archives/8659280.html
※リヴィングストン・スタンリー情報

-ジンバブエ-
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ややレベルの高い情報にも触れているので、これだけ覚えれば、だいたいアフリカは戦えますということで、次回はアフリカの植民地化です

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